『負の生命論――認識という名の罪』
金森 修 20030110 勁草書房,232p.
■金森 修 20030110 『負の生命論――認識という名の罪』,勁草書房, 232p. 2625 ISBN-10: 4326153687 ISBN-13: 978-4326153688
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(「BOOK」データベースより)
かつて何かを知ることは、知る人を幸せにし、知られる対象を豊かに肉付けすることに結びついていた。だが、現在、認識という行為を“負の経験”としてしか感じられないような事態が一部で進行している。生命科学を題材に、その逆説に肉薄する。 [イベント。
(「MARC」データベースより)
現在、認識という行為を「負の経験」としてしか感じられないような事態が一部で進行している。生命科学の分野から4つの事例を取り上げ、その逆説に肉薄。人間の認識に潜む「おぞましさ」をえぐりだす。
■目次
まえがき
T
第一章 汚れた知―タスキーギ研究の科学と文化― …2
序論 2
1 「標的」のスペクトル 11
A 囚人/B 軍人/C 知的障害児/D 市民
2 歴史的俯瞰 35
A 梅毒/B 黎明/C 研究の懐胎/D 積極的放置への転回/E つぎはぎのような継承/F 終局/G 暴露の後
3 弔鐘の医学 72
A 制度的、学問的な波及/B 擁護と駁論/C タスキーギへの眼差し
U
第二章 ある科学主義者の肖像 …112
1 生物学の乾き 112
2 進化論と病理学との交錯 120
3 一元論的認識の外挿 134
第三章 ホモ・ホリビリス …148
1 操作の汎在または犯罪 148
2 ある医学的生命観 157
3 クロルプロマジンとその周辺 167
4 合わせ鏡 174
第四章 LSDの産婆術 …187
1 履歴と肖像 187
2 麻薬の思想 199
3 自己言及 210
あとがき …………………………………………………………………………217
人名索引
初出一覧
■初出、著者略歴(「奥付」より)
初出一覧
第一章 汚れた知―タスキーギ研究の科学と文化―書き下ろし
第二章 ある科学主義者の肖像―『現代思想」vol.23,no,13,青土社、1995年12月、pp.69-85.(原題「科学主義者の生物学」)
第三章 ホモ・ホリビリス―『現代思想』vol.24,no.2,青土社、1996年2月、pp92-109.
第四章 LSDの産婆術―『ユリイカ』1995年12月号、青土杜、1995年12月、pp.118-132.(原題「化学物質の産婆術」)
著者略歴
1954年 札幌市に生まれる。
1985年 パリ第一大学哲学博士号取得。
1986年 東京大学大学院人文科学研究科(比較文学比較文化)博士課程単位取得退学。
現在 東京大学大学院教育学研究科教授。
専攻 現代科学論、科学思想史。
主要著書
『フランス科学認識論の系譜』勁草書房、1994年(第12回渋沢・クローデル賞受賞)
『バシュラール』講談社、1996年
『サイエンス・ウォーズ』東京大学出版会、2000年(第26回山崎賞・第22回サントリー学芸賞受賞)
『現代科学論』共著、新曜社、2000年
『遺伝子改造社会 あなたはどうする』共著、洋泉社新書、2001年
『科学論の現在』共編著、勁草書房、2002年
■引用
第1章 汚れた知――タスキーギ研究の科学と文化
□要旨(著者による)
『負の生命論』第一章、書き下ろし論文、勁草書房、2003年1月10日、pp.2-110.
雑誌に投稿したものではなく、『負の生命論』に書き下ろしとして発表したものだが、あえて独立論文扱いにしておく。内容的には論文(51)「タスキーギ梅毒研究の射程」でも扱った特殊な人体実験、タスキーギ梅毒研究を主題にしたものであり、(51)での記述を敷衍したものに相当する。だが(51)が40枚程度のスケッチだったのに比べて、今回は約200枚と、独立論文のなかでは(3)「バシュラールと化学」に次ぐ長編論文になっている。また、タスキーギ研究をただちに論じる前に、他のいくつかの人体実験論の具体例も紹介しておいた。1993年末、E・ウェルサムによるプルトニウム人体実験の暴露以降、現代は、「人体実験の倫理学」の流行期にあたる。この論文は2002年8月下旬に書かれたが、これは、その時点での、私なりの包括性をもった人体実験論の試みである。純粋な告発調を採用することなく、事件がなぜ生じてしまったのか、その文化的背景を慎重に分析することを試みた。人体実験論という主題は、今後も重要な問題系の一つとして、あとしばらくは続けるつもりでいる。
cf: 51) 「タスキーギ梅毒研究の射程」
『科学医学資料研究』第29巻第4号、2001年4月15日、pp.39-50.
1932年から40年にもわたって続いた一種の人体実験をめぐる報告。1930年代初頭の系統的梅毒罹患調査によって、アメリカ南部、アラバマ州タスキーギ近辺に住む黒人零細小作人たちがきわめて高い罹患率を示しているということがわかる。本来ならその調査直後に治療を始めるところだったが、経済的理由により治療実施を断念せざるをえなかった医師たちは、そこで彼ら黒人零細農を純粋な感染集団と捉え、治療を放棄して経過観察をすることを決意する。ほんのわずかの期間で終わるはずだったその経過観察は、実際には72年にマスコミに暴露されるまで40年も続く。本稿は、この未曾有の人体実験の委細顛末に一次近似的な素描を与える。
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/~kanamori/RonYoshi.htm
□引用
(pp89-90)
こんな定式をすると、タスキーギ研究にことさらに「悪魔的」な性格を付与することは難しいようにも思えてくる。あえていうなら、人体実験を歴史的に調査すればするほど、タスキーギ研究を別格の悪魔的所業だとするだけの根拠はなくなるように思える。ただその一方で、この研究が暴露された後に大きな社会的衝撃が走り、前述のようにいくつかの制度的・法的改善が進む契機になったという史実は残る。人々は、やはりこの研究に、何か許せないものを感じ取ったはずである。それをさらに腑分けするのは、最後のセクションで行いたい。いまは、このいくぶん曖昧に揺れる判断を提示するだけで満足しておこう。
さて、以上、可能的な擁護論に対するそれなりの駁論を試みた。おわかりのように、半分くらいのそれには、いわば不十分な駁論しかできなかった。まるで、いろいろ考えた挙げ句の果てに、タスキーギ研究はそれほど悪いことではなかった、とでも言いたげなように。そうではない。だが、私がとにかく「一方的」な議論をすることを避けようとしているのは、わかっていただけるのではなかろうか。なぜなら結局のところ、私が望んでいるのは〈裁判官〉になることではなく、〈語り部〉であることだからだ。
(pp92-93)
とにかく〈材料〉が揃いすぎていた。まずは、梅毒という疾患が抱える本性的な罪悪的暈囲(どこかの曖昧宿ででも、もらってきたんだろ) (163)。そして無知で無学な人々に対する、医師のようなエリートの侮蔑感(字も読めない馬鹿な連中め、おまえたちがどうなろうが知ったことか)。そしてもちろん、激しい性行動と放埒な性生活というステレオタイプ、並びに衛生知識をもたない黒人たちというイメージ(汚い部屋、兎の子供なみのペニスのただれ)……。
私は本稿の序論で、医療行為にはその極限的成分のなかに必ず実験的要素が組み込まれている、と書いた。だがもしその実験的成分が、無知で貧しく、社会的階級の低い人々を正確に特定し、まさにその人々を利用する形で充足されるとするのなら、社会的公正の観点からみて許し難い行為になる、というのは論を待たない。タスキーギの経験は、医療の限界点と社会的差別の暗渠の交差点に出現した一つの典型的事件だった。だが、それが実に四〇年間も続いた、つまり一つの世代を越えた時間のなかでとにかく続けられたという事実は、この典型的事件に、類的存在から引き離すだけの特異性を与えている。歪んだ伝統でも、昔からあるのならそれをとにかく続けるということ、制度的、感性的な惰性がもつ判断鈍化の恐ろしさ、など、いままで問題にしてきたこととは異なる成分の悪が、それには付け加えられている。この経験が人類の暗黒面を書き記す〈負の年代記〉に刻まれ、後の世代の人間たちにもたえず思い起こされるべき罪の歴史として存在すべきなのは、その事件が抱える、以上のような多層性によるものなのだ。
ただ、それでもなお私は、個人攻撃をする気にはどうしてもなれない。研究の着想自身はクラークが行ったとはいえ、その後これほど長期間の研究に発展するための実質的基盤を作ったのはヴォンダーレアだ。私は、そのヴォンダーレアの没年のことが気に懸かる。それは暴露翌年の七三年である。若い頃優れた梅毒学者として頭角を現し、三〇代から四〇代と、人生で最も脂ののりきった重要な時期をこの研究に捧げた彼には、医師としての野心があったはずである。野心をもつこと自体は、別に人にとがめられるようなものではない。第一、私は、ヴォンダーレアがどのような理由で逝去したのかを調べていない。ひょっとすると長年の宿痾によって徐々に衰え、力尽きたのかもしれないし、また何かの急病だったのかもしれない。だが七二年に暴露され、研究の構想全体に対する非難が囂々とするなかで、すでに老境にいた彼の心のなかに、なんの苦悶も生じることはなかっただろうと推察することにはやはり無理がある。おそらくは彼なりの判断で人生を賭けた研究が、そのように扱われるのをみて、彼はどう思ったのだろうか……。この研究はやはり許されるべきものではなかったという根底の判断を変えるつもりはない。にもかかわらず、私はこの人物に一抹の哀れさを感じてしまうのだ。
第2章 ある科学主義者の肖像
□要旨(著者による)
「科学主義者の生物学」
『現代思想』 vol.23, no.13, 1995年12月、pp.69-85.
進化論思想史上、フランスのネオラマルキズムはアメリカのそれとは異なり、生物の主体性を認知しようとする傍ら、極めて機械論的性格をもつという逆説的性格を帯びていた。本稿はそのフランス系ネオラマルキズムの代表者の一人、ル・ダンテクを取り上げる。そして彼の悪名高い付帯現象説や、一種行き過ぎた科学主義的価値判断を批判的に回顧する。進化論思想史の文脈からはもちろんだが、それ以外の観点からも、ある科学主義的過剰判断がもつ社会的輪郭の古典的形姿として、彼の生涯は現在でもいろいろな示唆に富むはずである。
なお、本稿は題名を変えて拙著『負の生命論』に掲載された。
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/~kanamori/RonYoshi.htm
□引用
(pp112-115)
金属や岩などの命とは関係のない事物を扱う学問とは違い、生物学は生き物を対象とするのだから、そこには金属の冷たさとは違う人の心を和ませる潤いに近いものが潜んでいるはずだ、と私のなかの誰かが叫ぶ。それは常識的通念としては当たり前に思える。だが逆説的にも、ちょうどわが国に進化論を導入するにあたって決定的役割を果たした丘浅次郎の評論が(1)、社会や人間に対する強いシニシズムに裏打ちされていたように、また現代の進化生態学関係の議論が、野放図な功利性原理を得意げに振りかざしているのを見てもわかるように、そんな潤いとはおよそ関係のないある種の乾きが、まさに生物学のなかで幅を利かせている。生命への愛は初学者向きの幼い喃語と等値され、若い学生はやがて転写や翻訳を語る一種の分子学者に、あるいは延命を最適化するための行動規範の掘り出しに血眼になる一種の経済学者に変えられていく。
だがこの種の乾きが醸成される雰囲気は、何も現代に特有なことではなく、生物学が学として構成されていく過程ですでにある時点から始まっていたことらしい。むしろ生物を生物として語るという直接性の回路、あるいは自明性の回路を拒否することにこそ、学的構築の出発点があったのだと考えてもいいように思える。だから仮に乾きが支配していたとしても、それは偶然的な支配ではなく、ある種の必然性のなかで現れたものなのであり、それを乾きとして捉える感性がそれ自体としては間違いとはいえなくても、生物学という学がもたらす多くの恩恵に直接間接に関わりながら誰もが生きていかざるをえない以上、その種の審美的言辞を振り回した外的介入はしょせん無力な雑音にすぎないと当の生物学者たちから叱られても文句はいえないようにも思える。
それでも乾きに感じられるものは、やはり乾きであるに違いない。これから私が取り上げることはいまから百年も前の生物学に流通していたいくつかの発想に関するものだが、それらが露にする学的雰囲気も進化生態学より好ましいとはいえない。生物について思索をこらす多くの言説が放つ何ともいいようのない寒々しさ。それに触れてそっと肩をすぼめるとき、われわれは自らの知がおそらくは本性的にはらむ毒気にあてられて、驚きうろたえているのかもしれない。
ここで次の一節を読んでみよう。「私は時計の運動をする機械Aを組み立てる。その正面に私は記録用の写真機、Bという映像機を備え付ける。機械AがBにその働きを記録されないで機能することはない。Bへの記録は必然的にAの働きに付き従う。ではBという機関はこの揚合Aに何らかの影響を与えるのだろうか。もちろん何の影響も与えない。Bを取り除いてもAはそれまでと同じように働き続けるだろう。映像機への記録はAの働きにとって付随的な現象であり、その働きにいかなる影響も与えない。ではいまAの前に映像機を置くという状況の代わりに、Aのなかに意識が、ちょうど先ほどの映像機BのようにAに連動されて宿っていると想定してみよう。機械は各瞬間に自分がすることを意識し続けるだろう。だがもし機械が自分の活動を意識しないとしても、すべてはまったく同じようにすぎていくはずである。機械がもつ感覚は、機械の外側に位置する観察者からは知られない。なぜならその感覚はそれ以外の何物も変わることがないままに消滅できるだろうから。それは機械の働きにとって付随的な現象なのである(2)」。
これこそが、思想史上悪名高いかの〈付帯現象説〉(epiphenomenisme)の最も濃密な表現のひとつである。付帯現象説とは、人間のような高等動物においてさえ、人間が通常「意識」という言葉で意味しようとしていることを、人間の生物としての生理現象が付随的に生起せしめる二次的現象として把握する発想である。付帯現象説論者はいう、人間とは自分の本質を誤解する笑止な生物なのだ。人間にとって本質的なものは自分でも統御できない一連の生理的事象なのであり、われわれの喜怒哀楽や意識活動のすべては、それに付き従う付録にすぎない。仮にある個人が意識をまったくもたないで生き続けたとしても、外部の第三者が観察すれば、すべては普通の人間と区別できない形ですぎていくだろう。意識とは体内の活動に手を付けられないまま、それをときどきなぞりあげるだけの不活動な証人にすぎない。「ちょうど塩素がナトリウムと結合するとき、それらの物質が苦しんでいるのか楽しんでいるのかをなんら推測できなくても、その化合が一定の過程で進むのを記述するのに支障がないように(3)」、われわれは他者の意識についてはなんら踏み込むことなく、他者の本質を記述できる。そう付帯現象説は主張する。
(pp135-136)
これだけでもすでに見当がついただろう、ル・ダンテクの生命論は同時代のレーブ(Jacques Loeb, 1850-1924)(42)などにも明瞭に見られた機械論的生物学の代表的表現なのだ。それは、二十世紀生物学のたとえば分子生物学に見られるような、還元主義的、唯物論的生物学を準備するものだった。ル・ダンテクが現在忘れ去られているとしても、それはこの種の機械論的生物学がもつ宿命だともいえる。なぜなら機械論的生物学は、その概念形成やデータ蒐集の様式において、博物学的生物学が示すような散発的で逸話的様式をとらない分だけ蓄積性が高いために、先行研究は必然的に凌駕され、陳腐化または無意味化するからである。ル・ダンテクは忘却された。だがそれは彼の基本着想が間違っていたからというよりは、むしろ彼の学問構想があえて彼の名前と結びつけて想起しておく必要がないほどに一般化し、通念化したからである。彼の精神は匿名のまま、分子生物学などに根付いているといえる(43)。
(pp139-141)
その徹底した客観主義と機械論によって、ル・ダンテクは社会を一律の原理へと収斂させようとする。それは非人格的で客観的な知識、物理化学的な知識の総体である……。
ここまで読み進めてきた読者も、さすがに疲れを覚えておられるのではなかろうか。確かにこの種の議論を奉じたのは彼だけではない。ある意味でル・ダンテクは、十九世紀終盤から二十世紀初頭にかけてかなりの影響力をもった唯物論的一元論の典型的表現にすぎないともいえる。その外挿の仕方があまりに一律だったためだろう、さすがに科学論的言説空間においても、それに対する反論はいくつかでている。たとえば生物学者グラッセ(Joseph Grasset,1849-1918)は『生物学の限界(53)』という本を書いて、ヘッケルやル・ダンテクなど、生物学的出自に根ざした一元論的世界観を批判している。もっともその議論は慎重で順当であるだけにかえって凡庸に感じられる。だからむしろこう言おう、ヘッケルもル・ダンテクも、確かにその言説構成の手法には、ある種の機械的自同性があったのは否めない。だが、その華やかな筆致と人を面食らわせる派手な帰結の数々によって、彼らはその一時代を築いたのである。それを一言で〈科学主義〉と形容してその実質的内容を忘却するに任せるとき、われわれは彼らの言い過ぎや間違いを再び繰り返す危険をより大きくしているとはいえないだろうか。光も闇もちりばめられた思想史であるのなら、その両方ともをしっかりと見据えることこそが、後からくる者の義務なのだ。ちなみにル・ダンテクの名誉のために一言だけつけ加えておけば、彼自身は真理探求に全力を捧げ、人格的にも高貴な人だったということである……。
まるではかない燐光のように扱われた意識、環境の操り人形としての人間や生物、美や倫理性の貶下など、ル・ダンテク的世界がわれわれの前にさらす姿は、お世辞にも魅力的なものとはいえない。だが私にはより理論的見地から彼の仕事がもつ意味が気になる。彼は晩年、自分が若い頃の実験研究を放棄して一般生物学に移行し、そこで思いのほか長い時間をすごしてしまったことを回顧しながら、自らある種の感慨に浸っている。実験を懐かしまぬでもないが、結局自分の履歴に満足していると彼は告白する。個別的事実に拘泥するだけの実験科学者から離れ、より大胆に一般的射程をもつ問題に思索をこらすこと。彼は自ら述べる、「私は科学の冒険家なのだ」と(54)。確かにその〈冒険〉の仕方はあまりに一律で機械的だというきらいはあった。だからこそおそらくは、多くの行き過ぎを犯す判断を示した。だがもし彼が普通の実証科学者だけだったとしたら、おそらく私は彼のことを論じる気持ちにはなれなかっただろう。構想を小さくした上でその内部で確実なことだけを述べることと、失敗してもいいから構想の大きな議論をするということ。そのふたつのどちらを選択するのかは単に学問的問題だけではないのは自明だが、かといって単に審美的問題だけではないようにも思える。科学が、かつては自分もそうであったような自然哲学の姿をいま一度想起できる可能性を潜ませているのは、明らかに後者の方である。逆説的にも、当時科学主義者として派手な活動をした人たちは、現代に最も近い時代に活躍した一種の自然哲学者だったのである。科学的生産のもつ質や意味が再び問い直されようとしている現在、自然哲学的視座をもう一度蘇生させることは、単なる歴史的骨董趣味とはとてもいえない意味をもつ。理論の実証的中核と、概念的拡張とがもちうる一般的力学を構想すること。理論拡張の力線が辿りうる逸脱や誇張を制御するメタ理論を構想すること。それは現代においてもなお試みるに値する営為であるように思える。そしてわれわれは、その一般的構想が単なる空念仏ではなく実質的内容をもつようにするために、ル・ダンテクのような個別事例に綿密な視線を投げかける必要がある。
五〇才に満たない年齢で自らの生を終えようとするとき、ル・ダンテクは自分の肉体の細胞が機能的同化能力を喪失した当然の帰結として、自らの死を迎え入れたのだろうか、それとも痛みと悲しみのなかで生に離別の辞を捧げたのだろうか。無神論者を嘲る神父の常套に何もいまさら従うわけではないにしろ、後はただそのことが少しだけ気に懸かる。
第3章 ホモ・ホリビリス
□要旨(著者による)
『現代思想』 vol.24, no.2, 1996年2月号、pp.92-109.
心理学における行動主義がもつ操作性の含意についての批判的注釈をした後、現代精神薬理学の勃興のきっかけを与えた薬剤クロルプロマジンの発見の経緯と、その思想的意味についての分析が行なわれる。同時にその発見者の一人、ラボリの生命論も検討される。精神操作の多様な着想が顕わにする人間観は、ある種の暗さやおぞましさを備えており、まさに、汝恐ろしきもの、ホモ・ホリビリスよ、という命名が相応しい。この論文を執筆当時、あまりに「暗い」話題ばかりで頭を一杯にしていたので、精神のバランスを保つのに若干苦労した覚えがある。
なお、本稿は拙著『負の生命論』に掲載された。
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/~kanamori/RonYoshi.htm
□引用
(pp150-152)
ではこの事例について、いま彼の身になって考えてみよう。彼は女装を好んでいた。確かに社会的にも価値はなく、審美的にもあまり様にならない癖ではある。だが世の中にはもっと迷惑な癖はいくらでもあり、それに比べれば純粋に個人的レヴェルに留まる限り、目をつぶっていても大過ない癖だともいえる。しかし彼は妻の軽蔑という刺激を与えられ、妻への〈愛〉と自分の密かな癖とが与えてくれる刺激を天秤に掛け、妻への愛、ひいては妻からの愛の方がより大きな快楽を与えてくれると判断した。だからこそ嫌悪療法を施す心理学者に自ら進んで従った。嫌悪療法自身の経験はもちろん嫌悪の対象でしかない。それは密かな快楽を軽蔑の対象に変えるほどの効力をもっていた。そして何日か後に彼はかつては好んでいたものを「心から」嫌うようになった。だがその治癒経験自身は彼の意識的経験の一部をなしている。彼は何も知らない内に嫌悪療法にさらされていたわけではなく、自ら意識して、自分で好むものを嫌いになろうと思ってその療法を受けた。では療法が実際に有効だったということは実は彼の意図、つまり自分の好悪を変えようとする決心のなせる技なのか。だがもしそうなら療法自身はただの口実で、彼の〈意図〉こそが行動変容の原基的作動因となるのではないか(3)。彼はそんな療法を受けなくても、妻に嫌われたくないと思った瞬間に実はすでに自らの女装を嫌い始めていたのではないか。だがその一方でもしそれが正しいとするなら、あの催吐剤による一連の経験は何だったのか。それはすでに始まっていた本質的変化をこれみよがしに飾りたてる単なる修飾行動にすぎなかったのか。もしそれがただの気休めのようなもの、突然の変化を自ら避けるためにあつらえられた巧妙な〈前戯〉のようなものだとするなら、なぜ彼は単なるプラシーボではなく、実質的薬効を伴うアポモルヒネを必要としたのだろうか。
そしてもしいまこのような事態を的確に表現するために、私が「彼は自ら好きなものを嫌いになろうと自分の心を操作した」と述べるとすると、それは「心理学者は彼の要望に基づいて彼の心を操作して、彼の好悪を逆転させた」と述べることと比べて、妥当性の上で優劣の差をもつのだろうか。人は自分以外の物や人を操作するというのと同じような意味で、自分の心を操作できるのか。そしてもしこの問いに肯定で答えることができるとするなら、〈操作〉という概念はどのような意味の変容を受けるのか。そもそも操作とは何か。自分で何かをしたいと思うことさえ一種の操作であるのなら、いったい何が操作ではないものなのか。
衣装倒錯症患者の嫌悪療法についての以上のようなごく簡単な反省によっても、操作という概念がもつ思いのほか複雑な様態が明らかになったように思える。
(pp155-157)
このような文脈のなかでは自由という価値が蔑ろにされ、むしろ積極的に否定されるのを見ても別に驚くには値しない。彼はいう、自由を祭り上げる人たちはあらゆる統制が好ましくないものと盛んに喧伝してきた。だが彼らにはなんら嫌悪的性格をもたない統制もあるという事実がわかっていない。人類の福祉に欠くことのできない多くの社会的実践は、ある人物による他の人たちの統制という契機を含んでいる(12)。だが統制という性格があるからといってその種の福祉を放棄するのは馬鹿げている。問題は人間を管理そのものから解放することではなく、ただある種の管理から解放することに尽きている。
公平にいおう、これはなかなか興味深い視点である。確かにいまの時点で、あらゆる管理や統制を排除してもなんとか機能していける社会、そんな社会を想像するのは難しい。だから要するに問題は管理者や管理機関の質や〈倫理性〉を高めることに尽きているという意味のことをスキナーが述べるとき、その視点を完全な間違いだと断定する根拠はそう簡単には見つからないように思える。しかも彼は、トマス・ヘンリー・ハックスレー(Thomas Henry Huxley,1825-1895)のなかなか含蓄の深い言葉を引用することを忘れない。ハックスレーはこう述べたといわれる、「もしなんらかの偉大な力が私を一種の時計にして、毎朝起床の前にネジをまいていつも真実のことだけを考えさせ、正しいことだけを行わせることに同意するならば、私はすぐにその提案に応ずるだろう(13)と。どうせ何かに操作されるのなら、どこかの怪しげな〈教祖〉や愚鈍な役人にではなく何か素晴らしいもの(物あるいは者?)に操作されたいという、奇妙な、しかし切実な感情……。先に私は「自分の心を操作する」という視点がもたらしうる操作概念の意味の揺れについて簡単に触れたが、ここでの「優れた何かによって操作される」という視点もまた、常識的には否定的ニュアンスを伴うことが多いこの操作という概念に、ある複雑な意味を与えているという点を強調しておきたい(14)。もちろん純粋に自発的な実践という、より魅力的な契機が、この程度の分析によって無意味化するわけではないとはいえ、操作は思いのほか、われわれの本質に肉薄したものなのかもしれない。
(pp172-174)
こんなふうにことさらに書くと精神医学者や薬理学者は腹を立てるかもしれない。クロルプロマジンを投与するのは何も遅発性ジスキネジアなどを起こさせるためではなく、あくまでも患者が苦しむ精神症状を緩和するためだからである。しかも多くの教科書に別個にこの種の副作用が記載されているということは、それに対する対抗処置をどる体制がすでにできているということを意味している。つまりジスキネジアなどを目指してその症状を緩和する二次的薬剤の開発を迫求したり、副作用がでないようにそれが疑われる場合にはただちに投与を中止するなどということが、すでに可能になっていることをそれは意味している。私は、実際に何人の患者がたとえば遅発性ジスキネジアになったのかは知らない。だが以上の留保をした上でもなお、その何人かの患者たちの運命に思いを馳せずにはいられない。隣人たちが皆自分の悪口をいうと考えたり、自分の考えが何もいわないのに漏れてしまうように思えて不安になったり云々という悲しみから、まるで「ウサギのように」口をもぐもぐ動かし奇妙なダンスを踊るようになる悲しみへ。脳という不可思議な物質を化学的にいじることがもつ、ある本性的な危うさ。教科書のわずか数頁分の記載の陰の、何人かの人間の運命。
精神医学にとって、精神分析や行動療法がもつ限界をまったく新たな視点から切り開く精神薬理学の生誕が、いったいどれほど大きな熱狂をもって迎えられたのか、それはある意味ですでに陳腐化しているともいえる向精神薬の社会的利用状況がともすれば隠してしまいがちな、しかし厳然とした事実である。そのおかげでそれまでほとんど有効な治療法がなく漸進的人格崩壊に至っていた多くの精神病患者が社会復帰できるまでに回復した。それは間違いない。しかもなお、暴れている人間を静かにしたり無関心にしたりすること、あるいは落ち込んでいる人間に元気を与えてやるということが化学物質によってなされるという事実は、単に手放しで礼賛してばかりもいられない危険性を含んでいるというのも、また確かなのだ。悪用すれば狂人を正常人に近づけるのと反対のことをすることもできるわけだし、鎮静剤の治療的というよりは懲罰的な使用が問題になったことは一度に留まらない。ソヴィエト・ロシアにおける政治犯への戦慄を与える濫用は、われわれの記憶に新しい。またヒロポンやLSDが象徴しているように、精神変容物質が純粋に医学的な領域からただちにはみ出て社会的目的や享楽的目的のために使用されたという事実をみても、薬剤の射程を前もって見極めたり、その濫用を厳然と阻止したりするということがどれほど難しいかがよくわかる。すでに自らの論理に従って増殖しつつある精神薬理学。人間はひょっとすると知らない方がいい知識を手に入れてしまったのかもしれない。
オウム真理教が宗教儀式にLSDを用いたという報道がなされるとき、それを教祖の個人的性格に基づく、その意味で薬理学的には逸話的な事件にすぎないと考えることは間違いである。ある意味で精神薬理学という学問が存在すること自体が、オウムのような濫用例がいつか必ずでてくるという可能性を最初から抱え込んでいたと考えるべきである。オウムの事例は精神薬理学にとって偶然ではなくひとつの必然としてある。
外科手術の周辺から産声をあげたクロルプロマジンが図らずも開いてしまった扉にはどんな行き先が隠されているのか、それは薬理学者にも精神医学者にも、誰にもわかっていないのではなかろうか。
(pp175-176)
精神自身の物質的機序がある程度の水準まで自覚されてしまった場合、精神はそのことによって自らの反照をどのように意味づけするのだろうか。誰かを愛するとき、それを人は自らの内分泌系や神経伝達物質系のあれこれといった作動が起きつつある何かとして捉えるのか。そしてそれが物質的に特定されたある状態と結びつけられるようになるとき、愛のような感情でさえ操作の対象にならないという保証はない。子供の頃、媚薬という言葉を聞くとひどく倒錯性を覚え、同時になぜか性的に興奮したことを私はいまでも記憶している。〈薬的なもの〉とは最も関係がないはずの愛という感情と、薬との?神的な結合。
このようにして至るところで操作のための条件が、それもより有効で繊細な操作のための条件が整備されつつあることを思うと、私は戦慄とともにある種の絶望感を抱かざるをえない。これに比べれば無内容なことを冗漫にしゃべり続けることの方が、有益ではなくても無害である分だけまだましだなどと、シニカルな感慨を抱きさえする。
第4章 LSDの産婆術
□要旨(著者による)
「化学物質の産婆術」
『ユリイカ』1995年12月号、1995年12月、pp.118-132.
本稿は、1960年代世界中を席捲したサイケデリック・サブカルチャーを薬物面で支えた、代表的物質LSDをめぐる試論である。その偶然の発見をめぐる挿話、発見者の、ある意味では驚くべき、LSD服用の正当化をはかる精神主義的言説の分析などが行なわれる。精神変容物質という、本来かなり危険で、多くの社会問題をも生み出す物質をめぐるものではあるが、この論文はある種の解脱的な突き放しのトーンを備えたものになっている。若干、悪ふざけが過ぎる気もするが、私自身は愛着を覚える小編だ。
なお、本稿は題名を変えて拙著『負の生命論』に掲載された。
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/~kanamori/RonYoshi.htm
□引用
(pp202-203)
ホフマン自身、LSD体験の委細?末を回顧するなかでそれがもつ哲学的意味にまで踏み込んだ考察をしている(18)。彼は〈現実〉という概念がもつ自明性や一義性を疑問視する。彼はいう、いわゆる現実は実は普通思われているよりもはるかに多様なものであり、しかもより興味深い現実は普段は隠されている。LSD酩酊は普段は隠れたより豊かな現実を白日の下にさらしてくれる。幻覚剤はその意味で宇宙創造的な力をもつ。普段、自我とそれ以外の外界とを分断している境界は、酩酊の最中に取り払われ、自我は宇宙と融合する。酩酊体験がわれわれに思い出させてくれる神秘主義的で包括的な世界位相は、合理主義に支えられた一面的で物質主義的な世界像に冒されてしまった人間を、より健全な存在に回復させてくれる。―幻覚剤が与える体験に対し、このような神秘主義的位置づけを与えるということは、この文脈の議論のなかでは典型的なものだといえる。
(p206)
若干の危険は承知の上で、創造の霊感を手に入れるために脳を化学的にいじること。麻薬に耽るジャズミュージシャン。ビートルズのLucy in the Sky with Diamonds。〈創造行為のアルゴリズム〉などいかなる人間にも定式できるわけもなく、生産的霊感を与えてくれる女神の息吹はあくまでも気まぐれで人知を超えている以上、「見る前に跳ぶ」ことはいかなる創造者にも必須の条件だと考えて、後は「跳ぶ」ために〈薬品〉に頼るのか、〈普段の精進〉に頼るのかは二次的差異にすぎないと考えることもできる。だがその一方で、結果的に好ましい創造行為ができるのだから、仮にその過程で薬品に頼るからとはいえ、そこに何かの問題性をかぎつけること自体が保守的にすぎる、と断定することにも若干の躊躇を感じる。そこには、いかに芸術的創造あるいは創造一般が問題になっているとはいえ、与えられた自然な条件を人為的に変更させれば思いがけないしっぺ返しがあるかもしれない、と感じる、凡庸ではあるが健全な常識がある。だがさらにいえばその常識も、そんなことをすればいつかはひどい副作用が現れて廃人になるかもしれないからという、それ自身一種功利的で効用的な見方のなかでの発想だともいえる。その場合、個人は何よりも〈社会資本〉の観点から見た価値として捉えられているのであり、何も本当にその人個人の健康が気懸かりの的になっているわけではない。要するに、創造行為に介在する人為性の問題は、射程が大きく奥行きが深い問題だといわざるをえない。LSD酩酊による芸術的創造はその一特殊事例にすぎない。
(pp209-210)
しかも七〇年代以降、エンドルフィンに代表される脳内麻薬の存在を知るわれわれには、ある意味で脳が自分で必要な快楽や鎮痛を制御しているということがわかっている。脳は物質的に快楽を制御しながら、なおかつそれをエンドルフィンなどという化学的基盤をおもてに出さずにそうしている。精神という言葉も、さらには人間が生み出してきた多くの〈精神文化〉一般も、脳がそう考えれば快楽を感じられるからそう考えてきた、しょせんは脳内麻薬のなせる酩酊の結果なのか。イデアも弁証法も、テルペンチンの変奏にすぎないのだろうか……。謎は一層深まる。
私はLSDを離れ、幻覚剤一般さらには精神作用をもつ物質一般のことを射程に入れた議論を、いくぶん性急かつ軽率に始めてしまったようだ。これ以上この問題に踏み込むのは、本稿の枠組みではとうてい許されないだろう。だが以上のごく簡単な記述によっても、読者は、〈麻薬の思想〉が思いのほか多様な問題群に連接する重要性を秘めているという事実に、より敏感になってくれたはずである。
*作成:植村 要 追加: