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「二重結果の原理」の実践哲学的有効性――「安楽死」問題に対する適用可能性

山本芳久(2003)『死生学研究』,1: 295-316.


論文PDFデータ:http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/20464/1/da001013.pdf

■内容

第一章「二重結果の原理」の標準的な定式化とその具体的適用例
省略。

第二章「安楽死」概念の標準的な分類法
省略。

第三章「積極的安楽死」と「消極的安楽死」との区別の妥当性
「積極的・消極的安楽死の区別が無効であり、消極的安楽死が認められるのと同じように積極的安楽死も認められる。」というレイチェルズやクーゼの主張を批判。批判の論拠はビーチャムが積極的・消極的の区別は無効とする主張を批判する際に用いた(1)誤診の可能性、(2)滑り坂論法の二点による。

第四章「直接的積極的安楽死」と「間接的安楽死」との区別は可能か?
クーゼやハントによる「間接的安楽死(鎮痛剤投与による生存期間短縮を伴う治療)と直接的積極的安楽死の区別の無効性」の主張を紹介。

第五章 安楽死問題における「二重結果の原理」のより正確な定式化
クーゼやハントによる二重結果原理を安楽死問題に適用する際の批判が第二条件(意図/予見の区別に関する条件)のみに集中した偏ったものであることを指摘。二重結果原理の第三条件(悪い結果を手段・媒介として善い結果を得てはならない。)から安楽死の区別が可能であり、「間接的安楽死(著者の言葉では「非意図的積極的緩和死」)」は擁護できるが積極的安楽死は擁護できないことを主張。

結論 緩和医療における「二重結果の原理」の適用可能性と有効性
省略。


■引用

このような状況(註:善い結果を得るためには悪い結果が副産物として生じてしまうような状況。また、逆にいえば、悪い結果を避けるためには善い結果を諦めなければならない状況。)の中においては、すべての価値をそれに相応しく尊重することが不可能になり、どうしても何れかの価値を犠牲にせざるをえないように思われてくる。だが、同時に、どうしても犯しがたい尊厳を伴って我々に迫りくる価値というものもまた世界には存在している。安楽死問題に関して言えば、それは、「生命の尊厳」という価値である。だが、逆に、「生命の尊厳」に拘泥しすぎる生命至上主義においては、同様に重要な尊厳を持っている「生命の質」が犠牲にされてしまう。とりわけ、苦痛に満ちた余生を送らざるをえない末期患者において、このようなジレンマは顕著に現れる。このようなジレンマの中で、二重結果の原理は、単なる相対主義に陥ることなしに、ある種の絶対的な価値が、もう一つの絶対的な価値の実現のために犠牲になること、を可能にするのである。(301ページ)

このような仕方(註:二重結果原理の弱いバージョン、すなわち、善い結果の副産物として生じる悪い結果が確実に起こるものではないという場合においてのみ当該行為は倫理的に許容されるという考え方。)で二重結果の原理を適用することによって、「生命の尊厳」に基づく「無実の人間を殺してはならない」という絶対的・普遍的な原則が、その絶対性・普遍性を維持したままに、しばしば「生命の尊厳」と対置される「生命の質」の向上とも両立するより柔軟な形で、具体的な場面において具体的に表現されることが可能になるのである。このような仕方で、我々は、生命至上主義と自己決定権至上主義という両極同士の不毛な対立から完全ではないにしても解放され、或る種の心の痛みを抱えながらも、倫理的にも法的にも不正でない仕方で、「間接的安楽死」を遂行することを容認することができるようになるのである。(300ページ)


■言及



*作成:坂本 徳仁 
UP:20100427 REV:
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