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『他者の苦痛へのまなざし』

Sontag, Susan[ソンタグ、スーザン] 2003 Regarding the Pain of Others,Farrar, Straus and Giroux
=20030708 北條 文緒 訳 『他者の苦痛へのまなざし』,みすず書房,155p.

last update:20100510

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Sontag, Susan[ソンタグ、スーザン] 2003 Regarding the Pain of Others,Farrar, Straus and Giroux =20030708 北條 文緒 訳 『他者の苦痛へのまなざし』,みすず書房,155p.  ISBN-10: 462207047  ISBN-13: 978-4622070474 \1800 [amazon][kinokuniya] ※ v02

■内容

内容(「BOOK」データベースより)
写真は戦争やテロに対して抑止効果をもつのか?ゴヤからコソヴォ、9・11へ、自らの戦場体験を踏まえつつ、戦争の惨禍と映像の関係を追究した最新の写真論。

内容(「MARC」データベースより)
写真は戦争やテロに対して抑止効果を持つのか? 古くは南北戦争、ナチの強制収容所、そして2001年9月11日のテロまでを検証。戦争とメディアへの鋭い挑戦=映像論。

■目次

他者の苦痛へのまなざし (1)
 1 (1)
 2 (17)
 3 (38)
 4 (57)
 5 (72)
 6 (94)
 7 (103)
 8 (114)
 9 (120)
謝辞 (129)
原注 (133)
訳注 (138)
訳者あとがき (147)

■引用

「そもそも彼〔「ロンドンのある高名な弁護士」〕は、戦争防止についてあなたはどのようなお考えをおもちですか、と問うたのではなかった。どうしたらわれわれが戦争を防止できるとあなたはお考えですか、というのが彼の問いだった。
 彼女〔ヴァージニア・ウルフ〕の返信である『三ギニー』のなかで、ウルフがまず問題にしたのはこの「われわれ」である。相手が「われわれ」ということばを自明のものと考えることを、彼女は拒否する。……
 他者の苦痛へのまなざしが主題であるかぎり、「われわれ」ということばは自明のものとして使われてはならない。」(Sontag[2003=2003:5-6])(傍点強調を下線で示す:引用者注)

「苦しみを容認せず、苦しみに抵抗することは、何を意味するのか。
 苦しみの図像には長い系譜がある。描く価値があるとされた苦しみの最も代表的なものは、神ないし人間の怒りから生じたと考えられる苦しみである。(病気や出産のような自然に起因する苦しみなどというものは、美術史上、めったに描かれていない。あたかも手落ちないし不運による苦しみなどというものは存在しないかのように、事故に起因する苦しみが描かれた例は事実上、皆無である。)ラオコーンと息子たちが苦しみもがいている彫刻群、キリストの受難を描いた無数の絵画と彫刻、キリスト教殉教者たちの残酷な処刑の尽きることのない図像――それらは疑いなく人びとを感動させ、刺激し、教訓と規範を与えるべく意図されている。見る者は苦しむ人の苦痛を思いやる(キリスト教の聖人たちの場合には、規範的な信仰と身体に戒められ、霊感を与えられる)が、それは嘆いたり競ったりすることを超越した運命である。
 苦しむ肉体の写真を見たいという欲求は、裸体の写真を見たいという欲求とほとんど同程度に強い。何世紀ものあいだ、キリスト教美術においては、描かれた地獄がその二つの基本的な欲求を満たしていた。」(Sontag[2003=2003:38-39])

「[…]極度の実際の苦しみ〔顔を打ち砕かれた第一次大戦の退役軍人の写真のような実在の恐怖〕を見る権利があるは、その苦しみを軽減するために何かができる人々――例えばこの写真が撮られた陸軍病院の外科医たち、またそれから何かを学べる者たち――だけだろう。その他の者は、自分の意図とはかかわりなく、覗き見をする者である。」(2003=2003:39-40)

「美術画廊で他の人々の苦痛の心痛む写真を見るとき、彼らの苦痛を搾取しているように感じられる。」(Sontag[2003=2003:120])

「もっとも深刻な、または心を引き裂くような主題をもつ写真が芸術であるかぎりにおいて――どのような異議があろうと、壁にかけれるときに写真は芸術となる――写真は、公共の空間に展示された、壁にかけられあるいは床に置かれたすべての芸術作品と運命を共有する。つまり写真は、ふつうは連れを伴ったそぞろ歩きの途中の一地点となる。美術館や画廊の見学は注意を逸らす多くのものに囲まれた、社交的な場面であり、そのような状況の中で芸術が鑑賞されコメントを与えられる。このような写真の重みと深刻さは、或る程度までは本の中のほうが強く残る。本の中では、われわれは話すこともなく、一人で写真を眺め、しばし考えるからである。それでも或る時間がたてば、本は閉じられるだろう。強い感情は一時のものとなるだろう。最終的には写真家の特定的な告発は色褪せ、特定の紛争にたいする非難と特定の犯罪への弾劾は、人間の残酷、人間の野蛮そのものへの非難になるだろう。写真家の意図はこうした長いプロセスの中では意味を持たない。」(Sontag[2003=2003:122])

「死者たちは生きている者たちにたいして、自分の命を奪った者たちにたいして、目撃者たちにたいして、またわれわれにたいして、まったく関心がない。彼らがわれわれのまなざしを求める必要がどこにあろう。彼らはわれわれに何を言う必要があろう。「われわれ」――この「われわれ」とはこの死者たちの体験のようなものを何も体験したことのないすべての人間である――は理解しない。われわれは知らない。われわれはその体験がどのようなものであったか、本当には想像することができない。戦争がいかに恐ろしいか、どれほどの地獄であるか、その地獄がいかに平常となるか、想像できない。あなたたちには理解できない。あなたたちには想像できない。戦火の中に身を置き、身近にいた人々を倒した死を幸福にも逃れた人々、そのような兵士、ジャーナリスト、救援活動者、個人の目撃者は断固としてそう感じる。そのとおりだと、言わねばならない。」(Sontag[2003=2003:126-127])

■書評・紹介・言及

◆2010/04/25 第3回身体論研究会 「『他者の苦痛へのまなざし』を読む」発表者レジュメ

・1〜3章 レジュメ[PDF] 徳山 貴子
・4〜6章 レジュメ[PDF] 岡本 晃明
・7〜9章 レジュメ[PDF] 田島 明子
・第3回研究会記録


*作成:野口 陽平
UP: UP:20081003 REV:20100506, 0510
Sontag, Susan [スーザン・ソンタグ]  ◇暴力  ◇身体  ◇身体×世界:関連書籍 2000-2004  ◇BOOK
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