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『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』

斎藤 義彦 20021225 ミネルヴァ書房,240p.


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斎藤 義彦 20021225 『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』,ミネルヴァ書房,240p. ISBN:4-623-03658-8 2000 ※ [amazon][kinokuniya] ※ d01.et.t02

■引用

第7章 「末期」「尊厳死」概念の混乱 (の冒頭部分からの引用)

 「「痴呆症にも尊厳死」
 「重度痴呆になったら延命措置はやめて――。リビング・ウィル(延命措置に関する事前指示書)で末期状態の延命措置を拒否する「尊厳死」を、日本で広めようと運動している「日本尊厳死協会」(事務局・東京都)は、一九九三年、協会の発行するリビング・ウィルを変更し、「重度の認知症になったら尊厳死」を行う条項を加えるかどうかの検討を行なった。会員から「生き恥をさらしてまで生きていたくない」「介護で家族が苦しむ」などの声が寄せられたためだ。同年に内部に委員会を設置、リビング・ウィル修正を検討し始めた。一九九五年には会員に対するアンケートも実施。八五%の賛成意見が寄せられた。そこで、リビング・ウィルとは別の紙に「重度老年期痴呆になったら延命措置を拒む」ことを書く試案が作られた。日時や場所を認識で <148< きない/徘徊(ルビ:はいかい)する/夜中騒ぐ/便を食べたりする――などの症状が出て、複数の医師が「重度の老年期痴ほうで回復の見込みがない」と診断したケースで、他の疾患を併発した場合などに延命措置を断るとしている。たとえば、肺炎などの合併症が出ても抗生物質の投与など治療は行なわず、体が衰弱しても栄養補給の措置はとらないこと――などを求めることができるという。
 一見、リビング・ウィルは痴呆症にも有効のように見える。しかし「痴呆症の尊厳死」は、「延命措置中止」の基準から大きく逸脱している。前章でみた東海大病院事件の判決にある通り、消極的安楽死を含めた「治療行為の中止」が社会的に許されるためには、@治療を中止する時点で患者の意思表示がある、A患者が回復不可能で、死が避けられない末期状態にあること――が最低条件だ。しかし、痴呆症は「死が避けられない」状態でも「末期状態」でもない。死が迫っていない人が肺炎などを起こした時、故意に治療しなければ、それは間違いなく「殺人」だ。本人からの要請があるといっても、自殺ほう助や嘱託殺人罪に問われる可能性が高い。
 この修正案は痴呆老人を支える家族に強い衝撃を与えた。この問題がマスコミで取り上げられたことをきっかけに、一九九六年七月、市民団体「呆け老人をかかえる家族の会」が「『ぼけ』への偏見、誤解がある」として「ぼけ」を「尊厳死」の対象としないように求め、尊厳死協会に申し入れを行なった。申し入れは@ぼけは死に直面していない、Aぼけの人が重篤になれば、症状は他の病気と共通で、わざわざ「ぼけ」をうたう必要はない、B「ぼけ」は、周囲の対応の仕方や福祉の充実で人間らしく生きていくことができる、Cぼけに対する保健・医療・福祉の充実が <149< 先決――と訴えた。

くすぶる危うい議論
 同協会は理事会で対応を検討。一九九六年七月、リビング・ウィル修正を「時期尚早」と見送った。この問題はそこで終了しているはずだった。しかし、議論はその後もくすぶり続ける。協会の理事長は当時、成田薫弁護士がつとめていた。成田弁護士は一九六二年、寝たきりの父親に殺虫剤入りの牛乳を飲ませ、死なせた男性に、嘱託殺人の有罪判決を下した名古屋高裁の裁判官の一人だった。元々、より刑の重い尊属殺人で起訴された事件だったが、裁判所の主導で、訴因が嘱託殺人に変更された。この判決は安楽死が許される六つの要件を示し、それは、東海大病院事件の判決で出された積極的安楽死を認める四要件の基礎になった。
 成田理事長は、同年九月、「家族の会」に申し入れの回答を送った。回答は議論の打ち切りを知らせてはいたが、「痴呆症の尊厳死」への強いこだわりを示していた。「議論の中心は、助かる見込みのない重度老年期痴呆に限られており、しかもその人の人生最後の、唯一の願(事前の自己決定)を容れて、延命措置だけをやめるなら、法的にも人道的にも、それがむしろ当然の措置でなんら問題はないはず。どうしてこれが世間の一部の人が言うように、弱者の切り捨てになるのか、どうして福祉の充実に逆行するというのか全く理解しがたく、誤解も甚だしいと評する外ない」。「家族の会」との認識のズレは一向に埋まっていないことを示す内容だった。<150<
 成田弁護士は一九九七年、毎日新聞のインタビューに応じ、「重度老年期痴呆は尊厳があるとは言えない。理性も知性も失われた動物に近い状態で生き恥をさらしたくない、という会員の願い強い。痴呆条項について、時期尚早として議論を打ち切ったが、否決したわけではない。数年後に、議論する時期がくる」と、協会が議論を蒸し返す可能性を示唆した。
 (中略)<152<
 重度の認知症は立派に生きている人間だ。そして医療の「自己決定権」は「死ぬ権利」ではない。末期でも、死が迫っているわけでもない人間に「痴呆症はみじめでいや」「介護の負担が大きい」など、一方的な価値観や社会制度の貧困を理由に「死」をもたらしてもよいとする論理は、「生きる価値がない」と障害者を大量に安楽死させたナチスと変わりがない。」(齋藤[2002:148-152])
 cf.日本尊厳死協会

■書評・紹介・言及

◆立岩 真也・有馬斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.

◆立岩 真也 2003/08/25 「その後の本たち・1」(医療と社会ブックガイド・30),『看護教育』44-08(2003-08・09):682-683(医学書院)


UP:2002 REV:20071220(ファイル移動) 20080411, 20150206
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