HOME > BOOK >

『若者が《社会的弱者》に転落する』

宮本 みち子 20021121 洋泉社 184p.


このHP経由で[amazon][boople][bk1]で購入してい ただけると感謝。

■宮本 みち子 20021121 『若者が《社会的弱者》に転落する』,洋泉社 184p. ISBN-10: 4896916786 ISBN-13: 978-4896916782 ¥ 756(税込) [amazon][kinokuniya]

■ 内容(「BOOK」データベースより)

就職しない、家を出ない、結婚しない―。社会に参画するチャンスが永遠に持てない膨大な層を生む元凶は、中高年との膨大な経済・就業格差、自立を促せない 親、そして、いま直面している事態を見ようとしない社会の意識だ!パラサイト・シングル論ではもはや解明できない、フリーターやひきこもりなどの問題に通 底する、看過しがたい「危機」の本質を、経済学・社会学・家族心理学の視点から指摘、新たな方向性を示唆する。

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

宮本 みち子
1947年長野県生まれ。71年東京教育大学(現・筑波大学)文学部経済学専攻卒業。73年同学部社会学専攻卒業、75年お茶の水女子大学家政学研究科修 士課程修了(家庭経営学専攻)。ケンブリッジ大学社会政治学部客員研究員を経て、現在、千葉大学教授。社会学博士。専門は青年社会学、家族社会学、ライフ コース論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

1. 若者たちは崖っぷちに立っている
「独身貴族」の出現――八十年代
パラサイト・シングル論――九十年代
フリーターと未婚現象
親と子の果てしない逡巡
欧米諸国の「若者状況」の警告
真の危機とは何か――若者がなだれをうって社会的弱者に転落する

2. 若者の危機が隠蔽される社会
若者バッシングと言う現象
仕上げは会社――日本型自立のプロセス
【経済】
欧米で若者の貧困化はどのように起こったか
ヨーロッパでは若者の危機をどう分析しているか
日本型「自立の仕方」はなぜダメになるのか
教育費が強める親子の絆
若年vs中高年の経済格差が広がる
【心理】
「大人」の定義が変わった
若者も大人も「自分探し」?
古典的モラトリアムから、新しいモラトリアムへ
消費市場――モラトリアムの新しい天国
現実社会からの逃走
社会が責任を負わない仕組み――「自己選択・自己責任」に呪縛
【結婚・出産】
お互い結婚したくない男女が増えていく
パラサイト・シングルはどこへ行く
親子関係を支える基盤の崩壊
若者の自律に社会が責任を負うしくみを

3. 家族・親子から「若者の危機」を読む
 なぜ子育ては苦労な仕事になってしまったのか
 少子化――二〇五〇年、高齢者人口は三十五.七%に
 なぜ、子育ては苦労な仕事になってしまったのか
   家庭の教育力は低下しているか
 「親の責任」と「子供中心主義」の矛盾
 各国レポート「子供の現在」
 根っこのない日本の子供たち
 欧米のホームレスvs日本の家庭内問題
 子供の根っこを生活と社会の中に生やす
 生きる力と仕事の教育
 友達親子という困難
 親子関係を変えた家庭経済
 子供が「消費の王様」になる
 固形化と家族の変容
 消費だけがとりもつ友達親子
 友達親子に未来はあるのか

4. 日本の社会に未来はあるのか
 長期停滞時代の若者の選択
 からっぽの高学歴社会
 【提案1】教育コストは本人負担というしくみを
 【提案2】学生の仕事を職業につなげる
 若者の没落をふせぐために社会がすべきことは何か
 自立を「シティズンシップ」で計る
 【提案3】社会に若者を託すしくみ、若者が自分を試す時期をつくる
 スウェーデンにおける包括的青年政策への道
 日本での包括的青年政策の構築に向けて
 当事者、それは社会である

■要旨
 橋本幸太郎(立命館大学政策科学部3回生)

1.  若者が大人になる時期やなり方が急激に変化し、その定義さえ曖昧になってきた昨今、産業社会の構造変化により新たに出現したポスト青年期とはいかなるも のか。事の発端は高等教育の大衆化にある。法的成人年齢を超えても一人前の大人としてみられない若者が目立つようになり、独身貴族、パラサイトシングル、 フリーター、そして未婚、晩婚などの現象があらわれた。日本ではこの現象に対する意識が欧米諸国に比べかなり低く、懸念される。これらの現象は親世代への 依存により、豊かな生活を享受できるものであり、若者が自立する力を削ぎ落としてしまうことになる。このままでは若者がなだれをうって社会的弱者に転落し てしまう。

2.  近年、若者バッシングが増えてきている。深刻な少子化が進み、将来の社会保障が危機とされる中で、未婚、晩婚を選択する若者に対してや、若年犯罪やひき こもりなどの社会から退行傾向にある若者に対してである。若者バッシングとは親にパラサイトしたり、労働意欲のない若者の「甘えの構造」に強く傾向してい て、若者を取り巻く社会構造の変貌に気づいていない。その若者の危機を隠蔽している社会構造を解きほぐす。若者の自立は、社会・生活の中心となっている 「会社」と密接に関連している。即戦力にならない新卒の敬遠やアルバイトの増加などの労働市場の変化が、若者の自立を阻害する要因となっている。親への依 存という現象は日本に限らず先進諸国に共通するものであるが、日本では特にこの学校から職場への移行がスムースに行われなくなったことが顕著である。日本 の親子の絆が強いことの理由に教育費が非常に高いことと、若者とその親世代の給料に大きな格差があることが考えられる。この構造が親から子へと金が流れる 環境を育んでいる。心理面の変化も複雑に絡まっている。成人期において社会的・制度的地位の重要性が薄れた成熟社会では何をもって一人前とするのかがわか らなくなり、アイデンティティの模索に時間がかかる。また現代のモラトリアムも形を変えた。かつての半人前意識に悩み、禁欲的生活意識をもっていたもの が、全能感と開放の感覚を持つものとなった。晩婚化、非婚化に現れるように結婚したくない男女が増えている。一人でいる方がはるかに自由で、消費水準も高 いことと、結婚することで職業に重大な影響を与えることが理由としてある。これまでの常識が崩れつつある今、必要なのは若者の自立に社会が責任を負うしく みである。

3. 出生率の低下の理由はもはや晩婚化のためだと言えなくなった。早期に結婚したカップルでも子供はなしか一人のケースが増大している。それは子育てが楽しい ものではなくなってしまったという背景がある。なぜ子育ては苦労な仕事になってしまったのか。経済の格差が大きくない現在、子供の成功は親の教育次第とい える。教育は責任の重い仕事になってしまった。親の責任が大きくなったのと同時に、子供の意思を尊重しなければならないという価値観も広がっている。この 背反する二つの要素が親の肩にのしかかっていることが、子育てが苦労になってしまった理由である。親子の関係にも変化がある。子供の消費規模が拡大し、子 供が経済力を持つようになった。親と子の消費が同じようなものになり、友達親子が出現した。そのような状態で親の優位を保つためには子供を経済的な依存状 態に置かなければならない。それが自立を妨げる環境になっている。近年の晩婚化・非婚化はこのような親子関係の延長線上にある。これは経済のゆとりが生み 出したものでそのゆとりがなくなったときに、若者はどうなってしまうのか。そこに懸念がある。

4. 現在の高学歴社会は形骸化しており、大学は暗い社会に出て行きたくない若者たちの最終避難所となっている。大学卒の価値がその費用に見合ったものかどうか を学生が十分に考えているかは疑わしい。そこで教育のコストは本人負担というしくみにすることを提案する。日本の奨学金制度は先進諸国に比べてかなり水準 が低い。これを充足させることで学生の勉学意欲を高めることが期待できる。また、学生の仕事を職業につなげることも必要である。単なる小遣い稼ぎのアルバ イトではなく、インターンシップであれば、企業・学生双方にとっても有効である。学生が働くことを職業訓練の一環として位置付けることができれば、それが 若者の自立を促すものになる。現在、若者が置かれている環境では自立のための経験を培う土壌がない。家族と学校だけでは実社会に飛び出す力を育てることは できない。社会全体で、若者を成長させるしくみと、それに若者が費やす期間を作ることが必要である。これらのしくみを構築するためにはまず、時代に即した 新たな青年観を確立しなければならない。日本には包括的な青年観がないため、青年政策がばらばらで機能していないのだ。若者の没落の問題は、若者自身や親 だけの問題ではない。若者は次代の担い手である。社会全体が本気で取り組まなければ明日の日本は破綻する。

感想

 現代の若者に見られる特有の問題、就職しない、家を出ない、自立しない、結婚しない、遅い、子供を作らない、これらの原因はこの本を読むことでよくわか る。それに興味がなくても、今、モラトリアム期にある人で、充実した半人前生活を送れていない人や、疑問がありながらも、それに甘んじている人たちにおす すめしたい一冊である。何かしらの示唆を与えてくれると思う。この本で言う若者の没落とは若者世代がそれより上の世代の主に経済的水準を維持できなくなる ことを表す。そしてそれが危機なのだという前提に立っている。わたしはその大前提に疑問を抱いた。若者よ、我々世代と同じ生き方を選び、今の豊かな日本を これからも維持してくれという保守的な願いがあるように思う。この本に抜け落ちている若者の心理に、その否定はないのだろうか。なるようになってしまえと いうような。混沌への憧れのような。わたしは今一度、社会というものの意味を考え直す時期に来ていると思った。人類の進歩は折り返し地点を過ぎ、衰退を始 めているのかもしれない。


■引用(橋口 昌治

「一九九〇年代の初めにはポスト青年期は、豊かなモラトリアム期を謳歌する「贅沢な若者たち」のことであった。だが九〇年代後半には、深刻な経済不況と就 職難に直面して、学校から仕事へとスムーズな移行ができなくなった「不安定な若者たち」の層が増大した。成人後も親への依存が果てしなく続き、晩婚化・非 婚化も急ピッチで進み、出生率の著しい低下が進行している。二〇代、さらには三〇代すらも、いわゆる「一人前」に向かって前進する時期とは必ずしもいえな くなった。」(p.3)

「若者の就職難が顕在化・長期化し、にわかに社会的関心となったが、ここにも日本的特徴がみられる。就職難や失業という雇用および経済問題よりも、年々増 加を続けるフリーター現象への関心の方が高いのである。この現象が「大人になりたがらない若者」の象徴として、パラサイト・シングル現象とどこか重なる点 に世間は集まるのであろう。しかし、これらの議論は断片的で、若者を一面的にとらえる傾向が強く、問題の本質を踏まえたものにはなっていない。若年層の失 業に関しては、景気が回復すれば解決するだろうという甘い期待がいまだに少なからずある。」(p.4-5)

「年齢と社会的地位との間に明確な関連性がみえなくなった。就職、結婚、親になることなど、従来、年齢で枠付けられていたイベントが絶対的なものではなく なり、移行の順序も多様化したのである。また、年長世代の人生にはあった、長期的な安定性が消滅して、より個人化したリスクの多い「選択的人生」へと転換 した。」(p.37)

「「やりたいこと」は実はかならずしも「できること」ではないし、できることに比べ「価値あること」ともかぎらない。だが、親も子もその呪縛にとらわれ、 結果として現実逃避が続いていることに、問題の根があるのではなかろうか。」(p.81)

「子どもを育てるにあたって、親は当然、子育てのゴールを念頭に置くはず。ところが、社会が豊かで平和になると、親離れにかかわる規範や仕組みが明確でな くなり、ずるずると親子関係が続きがちになる。「自分のやりたいことを見つけなさい」という親がもっとも多い。じつは、自分たちの世代が体験してこなかっ た変動の時代のなか、自分たちには理解しがたいメンタリティをもつ子どもを前に、ゴールをどこに定めて子育てしたらよいのかわからなくなっているのだ。親 子関係は長期化し、いっそう先の見えない状態になっていく。」(p.148-149)

「子どもたちは、モラトリアムをあがなう費用がどれほど高いか、大学卒の価値が費用に見合うものか、さらにその先の展望までを考えることはめったにない。 それだけ費用をかけているのに、学生の勉学意欲は総じて低い。簡単に留年する。大学で学ぶ意味を探しあぐねて留年をつづける学生もいる。その結果、大学は 労働の義務と実社会の厳しさから解放されたレジャーランドになる。いや、不況下では、アルバイターの供給基地と化しているといった方がいいかもしれな い。」(p.156)


UP:20040216 REV:20070724
労働  ◇2003年度受講者作成ファイル  ◇2003年度受講者宛eMAILs  ◇BOOK  ◇1990年代
TOP(http://www.arsvi.com/b2000/0211mm.htm) HOME(http://www.arsvi.com)