『生命科学の近現代史』
廣野 善幸・市野川 容孝・林 真理 編 20021020 勁草書房, 375+18p.
last update:20160612
■内容
□Hirono, Yoshiyuki (廣野 喜幸) ;
Ichinokawa, Yasutaka(市野川 容孝) ;
Hayashi, Makoto (林 真理) eds. 2002 The Modern Hisory of Life Science(『生命科学の近現代史』, Keiso Shobo (勁草書房)
◇Takahashi, Sakino (高橋 さきの)
2002 "Biology and Feminism Science Studies"(「生物学とフェミニズム科学論」), Hirono et al. eds. [2002] <523>
■内容
社会史的観点からのアプローチを重視した、新しい視点による生物学史研究入門。 生命科学・医学史研究の最新の成果を、トピックごとにそれぞれわかりやすく紹介。
とりわけ社会史的な観点からのアプローチを重視した、新しい視点による生物学史研究入門書。
■編者略歴
廣野 善幸
1960年生まれ。東京大学教養学部教養学科(科学史・科学哲学)卒業。東京大学大学院理学系研究科(相関理化学)博士課程修了。
現在、東京大学大学院総合文化研究科助教授。理学博士。専攻、科学史・科学論
市野川 容孝
1964年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学大学院総合文化研究科助教授。
専攻、社会学(医療社会学)
林 真理
1963年生まれ。東京大学教養学部教養学科(科学史・科学哲学)卒業。東京大学大学院理学系研究科(科学史・科学基礎論)博士課程単位取得退学。
現在、工学院大学工学部助教授。専攻、科学史・科学論
■目次
はじめに――生命科学・医学の歴史を知ることの意味
第一章 近代生物学の思想的・社会的成立条件 林 真理・廣野 善幸
第二章 近代生物学・医学と科学革命 廣野 善幸
第三章 近代医学・生命思想史の一断面――機械論・生気論・有機体論 廣野 善幸・林 真理
第四章 生命科学と社会科学の交差――十九世紀の一断面 市野川 容孝
第五章 中世ルネサンスの医学と自然誌 小松 真理子
第六章 人種分類の系譜学――人類学と「人種」の概念 坂野 徹
第七章 優生学の歴史 松原 洋子
第八章 生態学と環境思想の歴史 篠田 真理子
第九章 生物学と性科学 斎藤 光
第一〇章 生物学とフェミニズム科学論 高橋 さきの
第一一章 概念史から見た生命科学 金森 修
おわりに――読書案内とともに 編者
人名索引・事項索引
■引用
第四章 生命科学と社会科学の交差――十九世紀の一断面 市野川 容孝
第一節 生命科学と社会科学
生命科学と社会科学が十九世紀のヨーロッパにおいて、どのように交差していたかを概観
■ローゼン
「医学(医療)」と「社会(科)学」が渾然一体の時期があり、そこから両者が分離した。
■本章で行われること
1.十九世紀のヨーロッパの生命科学を筆者なりに概観する
2.十九世紀に誕生した社会科学がどのように交差していったかを見る
第二節 「デカルト的二元論」という偏見――脳死問題を例として
■一つの偏見――人文社会系の人びとに特に流布している偏見――
西洋近代の生命観を「デカルト的二元論」のみで語ることは偏見であり、これをもとにした立論は素朴に考えておかしい。
1889年の医学事典の「仮死」という項目。最も確実な死の徴候は「腐敗の開始」で、18世紀後半に確立。いわゆる三徴候死(呼吸の停止、心拍の停止、瞳孔の散大)は「腐敗」に最も近接したものとして採用された。脳死概念が登場する20世紀後半まで、西洋近代医学の内部で原則として維持された。
■「脳死概念が登場する20世紀後半」も不正確
ビシャ『生と死に関する生理学研究』(1800)
「心臓の死」「肺の死」「脳の死」
「動物的生命」=「外的生命」=中枢器官「脳」→「ほとんどいつでも信用できない偽りの徴候」
「有機的生命」=「内的生命」=中枢器官「肺」「心臓」→「死一般の確実な徴候」
■脳死問題で真に問うべき(だった)こと
脳死を人の死と認めてよいのか、認める/認めないとすればその根拠は何か、である。安易な比較文明論を振り回すことではない。
第三節 「個体=不可分体」という概念
■ビシャ「個体」という概念
ビシャの「生命」の定義
「生命とは、死に抵抗する諸機能の集合体である」
諸機能の「集合体」としての生命、身体器官を「不可分」な形で結びつける力
■フーコーのキュビィエへの言及
単なる「生物」ではなく「生命」という概念が誕生したのは19世紀。博物学の「分類学的概念」から、生命体に関する「総合的概念」への転換。
ビシャもまた「総合的概念」で生命を見ている。ビシャの〈 individu 〉には、「個体」という訳語とともに、愚直に「不可分体」という訳語を付すことが適切である。
■ヴィルヒョウ「原子〈 Atom 〉と個体〈 Individuum 〉」(1859)
分割してはならない単位。いくつかの分割可能な単位で成り立っているが、それらを相互に不可分な形で結びつける力によって支えられており、その力の消滅と同時に非存在になってしまう統一体がヴィルヒョウの考える〈 Individuum 〉である。「個体」における分割不可能性を「共同体」と表現する。「個体」と「社会」は、ヴィルヒョウにおいて、互換可能なものとして表象される。
ヴィルヒョウは、疾患は「統一性という幻想をすべて打ち砕いてしまう」と言う。「個体」を支える要素間の協働は、いつでも解体されうるもの、脆く、壊れやすいもの」という指摘は重要である。
■実体論(論者の例・ショーンライン)
1.健康と病を両立不可能なものとしてとらえる
2.病はあくまで部分現象であって、病という概念を生命個体の全体に適用できない
ヴィルヒョウは、ショーンラインを批判。健康も病も、ともに等しく生命現象であって、違いは、どのような条件下で、どのように機能しているかだけである。病を部分現象としてとらえることも批判する。
■グリージンガーの精神と身体の不可分性
グリージンガーの「精神疾患は脳の疾患である」という命題だけが一人歩きしている。グリージンガーは、疾患の「全体的」理解を強調。「個性を形づくる生活史の全容がつきとめられなくてはならない。疾患は(略)その全体に帰せられるべき」グリージンガーは、「精神医療ほど、強固な個性化が求められる」「一人の病める人」「躁暴になった人」が治療の対象であると主張する。グリージンガーの「個体=不可分体」概念は、精神と身体の不可分性をも含意している。グリージンガーは「肉体的現象と精神のそれとの直接的な一体性」を見失わないことを目指したのであって、デカルト的二元論という偏見は、ここでも失効する。
■最低限の確認
西洋近代医学=デカルト的二元論と図式化はできない。志向を異にするさまざまな線分が複雑に絡み合って、いわゆる西洋近代医学は出来上がっている。
第四節 社会科学
「個体=不可分体」概念は、同時期に誕生した「社会科学」を基礎づける概念でもあった。
■デュルケーム『社会分業論』(1893)
「類似」を前提とした「機械的」連帯
「差異」を前提とした「有機的」連帯
デュルケームとジンメルは、分業の発展によって大きく変容する社会を、「有機体」という生命科学の根本概念によって理解した。しかし、社会科学と生命科学の交差は、19世紀の終わりよりも前に始まっている。
■コント『実証哲学講義』(1839)
コントは「数学」「天文学」「物理学」「化学」「生物学」の順に論じ、しかも学問はこの順番で進化すると説いた。「社会学」は、最後の「生物学」において生じる「無機的思考」から「有機的思考」への転換を土台として、初めて成立可能となるとした。コントの「社会学」は、「実証的」科学ほどの含意がある。コントが新しく「社会学」という言葉を作ったのは、「有機的思考」、すなわち諸要素を不可分な形で結びつける思考に規定されていたため、「原子」モデルに立脚した統計(学)と混同されることを強く嫌ったためである。
第五節 病める生命=社会
異なる諸要素が、しかし相互に不可分な形で結びつく集合体としての「個体=不可分体」「有機体」という生命科学の根本概念に依拠しながら、19世紀の社会科学は社会を語ろうとした。
だが、19世紀の社会科学にとって、それは現実の社会の記述する概念というよりも、むしろ到達すべき目標、理想だった。当時の現実の社会において、全体的調和が破綻しているという認識だったからである。
■当時の社会の認識
デュルケームは、生物学に依拠しながら、アノミー的分業を「癌や結核」になぞらえた。ヴィルヒョウは、生命個体における「疾患」概念がそのまま社会に適用できることを自覚している。
■ヴィルヒョウの見たもの
1848年のコレラやチフスの流行で、ヴィルヒョウが目の当たりにしたのは、病める生命個体(個人)ばかりでなく、それ以上に病める社会だった。社会学者のジンメルに先立って、医学者のヴィルヒョウは、19世紀が分業を前提とした「差異」の個人主義の時代の本質を「格差=不平等」である、と洞察した。ヴィルヒョウは医師として「社会的殺人」の現実に直面し、「医学とは一つの社会科学であり、さらに政治とは広義の医学に他ならない」と言った。
■医学から提示された「社会的」なもの
格差と不平等をもたらす力としての「社会的」なもの、人間自身が生み出した力としての「社会的」なもの、それゆえに、格差や不平等を是正していくために課せられる実践としての「社会的」なもの――そういう意味での「社会的」なものが、医学の側から提示されている。
■言及
◆立岩 真也 2013/05/20 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版,973p. ISBN-10: 4865000062 ISBN-13: 978-4865000061 1800+ [amazon]/[kinokuniya] ※
■関連書籍
■書評・紹介
*作成:北村 健太郎