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『人の子よ――ある医師の自分史』

吉野 住雄 20020915 『人の子よ――ある医師の自分史』,文芸社,266p.

last update:20101215

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■吉野 住雄 20020915 『人の子よ――ある医師の自分史』,文芸社,266p. ISBN-10: 4835542541 ISBN-13: 978-4835542546 1050 [amazon][kinokuniya] ※

■著者

吉野 住雄(よしの すみお)
1935年生まれ。医学博士。
岡山操山高校卒。東京医科歯科大学医学部卒。
同大学院病理学専攻修了。
日赤中央病院小児科、宮崎県椎葉村立椎葉病院、青梅市立総合病院内科医勤務を経て、青梅市に内科医院を開業。

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内容(「BOOK」データベースより)
信念を貫く医師の姿勢で誠実に使命を果たす。人と話さなくてよいと選んだ職業、よりよい治療を施すためには饒舌にならざるを得ない―医師の仕事に誇りを持ち、一人一人にもっとも適した医療を誠実に行うことを心がけ生きた著者の渾身の自分史。

内容(「MARC」データベースより)
医師という仕事に誇りを持ち、常に患者に最適の処方を行うことを心がけ、信念を貫く姿勢や誠実な接し方で、医師の本分としてその使命を懸命に果たそうとする思いを綴った自分史。

■目次

ふるさと広島と岡山
病理学教室時代
小児科医の頃
無医村の二年
青梅市立総合病院の頃
開業してからのできごと
幸運は偶然から生まれる
魔女の一撃
母、天に帰る
介護する人が働きやすい家を作る
幸運はつかみ、不運は避ける
成人に発症した気管支喘息
二十世紀が終る
なぜ自分史を書くか、なぜ医者になったか
自転車旅行
二回目の自転車旅行
山登り
音楽、絵、作文、ゴルフのこと
世情が知れる警察医
反応の少ない医師会
投稿いろいろ
家族
開業医としての私
長い道

■引用

第4章 無医村の二年
 1967年〜1969年6月末 宮崎県椎葉村立椎葉病院の医師に
「腹膜潅流法
 腎不全の患者さんが入院した。腎臓透析は一九六八〜六九年頃は九州大学でも試みの段階であった。椎葉村なぞではどうしようもない。医学雑誌にはその代わりの治療法として腹膜潅流法が記載されていた。私には経験がなかった。しかし患者さんのためにそれをやろうと決めた。腹の中にチューブを差しこみ、そのチューブを通して腹膜腔に潅流液を流しこみ、血液中の有害物質を潅流液に吸い取り、体外に排出するというわけである。潅流液は宮崎市にもなかった。ということは宮崎県でもまだ行なわれていなかったのである。潅流液は福岡から取り寄せた。<0070<
 お腹に穴を開けることは富村先生にお願いしたが、そのほかはすべて自分で行なった。誰にも教わることなく、医学雑誌だけが頼りであった。健康保険のレセプトを見た保険審査委員は、宮崎の山奥でこのような治療が行なわれたのを見てどう思ったであろうか。
 
 離婚を押しつける
 村の中学校養護教員のご主人が嚢胞腎であることが分かった。腹膜潅流法は行なったが、このままで先行きが暗い。人工透析が適応と考えられたが、何しろとんでもない費用がかかる。医療扶助の制度はまだできていない。教員である妻に負担できるわけがない。そこで一つの提案をした。
 「離婚してご主人を生活保護の状態にして、九州大学で透析してもらいましょう。多少学術研究に協力する必要があるかもしれませんが」  と申し添えて送り出した。
 それから二十数年たって、突然一枚の葉書が届いた。それには「腎透析では九州一の記録保持者です」と書いてあった。今もまだ存命であろうか。」(吉野[2002:70-71])
人工透析/人工腎臓/血液透析 1900-

第5章 青梅市立総合病院の頃
 1969年7月以降?
 「平局員では、東大一九六二年卒の黒岩卓夫先生がいた。東大時代に学生運動をしたせいで職場がなく、青梅に来たようであった。やたら頭のよい人で、とても私なぞ太刀打ちできる人ではない。彼はその頃不遇の真っ只中にあった。彼を見る周囲の目が冷たいようだった。院長は彼を非常に買っていたが、彼を引き留めることができないところが吉植院長の弱点であった。周囲は彼をいづらくさせた。彼を青梅から追い出したのである。追い出された彼は、新潟県の田舎の村の診療所に仕事口を見出した。彼はその村で、本当に短い間にその能力を発揮し、農村地帯の地域医療の典型となった「公立ゆきぐに大和病院」を作り上げた。今や彼は、地域医療では有名人である。彼に田舎へ行くことをすすめたのは私であり、私の経験上のアドバイスであった。」(吉野[2002:70-71])
 →黒岩卓夫

 「一九七一、七二年頃医歯大を卒業した後輩三、四人が、内科に加わった。彼らは大学紛争に参加したため大学の医局に入れず、青梅にやって来た。医師国家試験ボイコット、卒業延期とか苦難の道を歩んで来た人たちであった。なかには、東大安田講堂立てこもり事件の指揮者として有罪とされた人もいた。執行猶予になった彼は青梅市から追い立てを食って出て行った。有能な人材であったが、役所のモノサシは違うもののようだった。
 口に出すのはおおいに差し障りのある話なのだが、「この人は」と思われるすばらしい人ほどサッサと出て行く傾向が観察される。どの職場にもある普遍的現象と思う。」(吉野[2002:87])


UP:20101215 REV:20020928
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