『人はなぜ働かなくてはならないのか――新しい生の哲学のために』
小浜 逸郎 20020621,洋泉社,285p. 740
■小浜 逸郎 20020621 『人はなぜ働かなくてはならないのか――新しい生の哲学のために』,洋泉社,285p. 740 [bk1]
・この本の紹介の作成:K(立命館大学政策科学部3回生)
著者経歴:1947年横浜生まれ。横浜国立大学工学部建築学科卒業。
家族論、学校論、思想、哲学などを中心に幅広く批評活動を展開。
他に『無意識はどこにあるのか』『大人への条件』『癒しとしての死の哲学』
『なぜ人を殺してはいけないのか』『「弱者」とはだれか』『これからの幸福論』
など。
第一問 思想や倫理は何のためにあるのか
第二問 人間にとって生死とは何か
第三問 「本当の自分」なんてあるのか
第四問 人はなぜ働かなくてはならないのか
第五問 なぜ学校に通う必要があるのか
第六問 なぜ人は恋をするのか
第七問 なぜ人は結婚するのか
第八問 なぜ普通に生きることはつらいのか
第九問 国家はなぜ必要か
第十問 戦争は悪か
第一問 思想や理論は何のためにあるのか
人間の意識特性が産み出した倫理と思想を社会的な関係から発生した食い違いを自己の中で消化、処理するための倫理、思想と読み直して考える。人間が互いの共存を前提とする時に起こる観念の営みとして、また、自らをより良い存在として「再編成」するための知的な営みとして取り上げてみる。
第二問 人間にとって生死とは何か
無限の時間概念を手にした人間が、射程に収めてしまう自らの生の限界。そこから生じる「不幸の意識」また、関係する存在の人間として、現世における関係と人間としての意味の解体としての死を分析的に取り上げる。誰も経験したことのない概念としての「本当の死」と、あらゆる人間的要素、倫理、社会、言語など人の生の在り方を規定し、かつ支えている「死」を「生」の意義や人生の位置付け方から考えてみる。
第三問 「本当の自分」なんてあるのか
自己超克、自己相対化の運動を繰り返す主体を「自分」自分とし現代社会が個人にもたらした自由によって個人がかえってどうしたらよいのか戸惑うような、屈折した心理状態としての「自分探し」に関する著者の考察。根源的な欲求である「他者から承認」を受けることによって得られる「自分」としての実感を「自分」の存在証明として解釈。また、現代に特有の情報技術の発達による情報インフレなどの問題が引き起こす「自分」の中での「観念」と「存在」の乖離を検証する。
第四問 人はなぜ働かなくてはならないのか
「十分な財力があったら、人は働かないか」という仮定を立てそれでも人は関係や生きがい、刺激を求め働き続ける。その理由を探るためモラルに労働の意義を求めてみる。つまり、社会的な自己を確立させるための手段としての労働。人間関係を形成し、将来に対する視野を広げ、アイデンティティーを承認されるための必須条件として労働を「食っていくための手段」を超えた人間の生における意義を検証する。
第五問 なぜ学校に通う必要があるのか
「学校」の権威、通学の自明性が壊れた現代において頻発する不登校から見る現代の教育体制のほころびを例に取り、現代の教育制度の限界と、続けることの意義。労働の場と共通するように、他人と触れ合うことによって自ら客観視し、人間関係や社会的人格を形成、適応力などを涵養するための準備段階としての学校という空間の有効性の見直しを図るなど。
第六問 なぜ人は恋をするのか
結婚と恋愛の異質性から思考を開始し、情熱による瞬間的な燃焼と、永続的な共同生活の両方の相矛盾する志向性をはらむ「恋」の矛盾。種の永続性を求める生物学的な本能に求めてみる考え方。本質的に不安定な恋愛関係などそれぞれに考察を加えつつ、「恋とか愛は生殖本能に人が翻弄される様を美化した言葉」という解釈では説明し切れない人間的特性、本人の内面性が醸し出す雰囲気の合致からみる恋愛感情の本質について触れる。
第七問 なぜ人は結婚するのか
結婚は性愛の排他性を社会的に承認してもらい、共同生活の永続性を社会的に保障してもらう制度として定義。全社会的に広まった結婚という制度の分析。また多様な関係を包含する社会における性愛の非両立性、危険性をなだめ、親の子供に対する教育を合理的に義務化する制度など。またその理由を「ヒトは大人になれば結婚して、働いて…」という社会通念に求める考え方を例に。
第八問 なぜ普通に生きることはつらいのか
一つの文化における標準的な生活様式を維持する精神態度をとり続けることの困難さ。経済不況は不幸感情として、個人の心理にどこまで影響を及ぼすか。普通に生きるために必要な人並みの「誠実さ」「責任能力」「目的意識と意欲」「智慧」について。虚無感情や不幸感情が付きまとう「普通」な生き方を貫くことにおける宗教や精神医療の意義。自分を相対的な存在として認識してしまう人間の意識特性からくる当然の「不幸感情」について。
第九問 国家はなぜ必要か
ヒト・モノ・カネの交流が発達した社会において、国家という共同体を自らの関係する組織としてひきつけて考えることの困難さや、「国家」と個人の接点の無さから考える「国家」の「遠さ」。私たちの内面に宿る内在的な観念をしての国家。私たちの精神面を規定する文化的価値共有空間、秩序の枠組みとしての意味を持つ「国家」などについて検証する。
第十問 戦争は悪か
社会の崩壊を呼ぶ「まずい」ことである戦争と社会の崩壊を食い止める「やむない」戦争の対立論や単なる平和理想主義や一面的な道徳観の下に絶対的には決められない「戦争」悪を考察。国際秩序の完全な確立が実現し、国家内の繁栄、秩序維持を犯す行為が認められて初めて普遍的な「戦争悪」といえる。これは国家内で罪を犯すのと一緒だからである。
コメント:
第六問、第七問の「人はなぜ恋をするのか」「人はなぜ結婚するのか」などに関しては、「なぜ人を好きになるのか」と聞かれても答に窮するような、人生経験的なバックボーンの無い状態で恋愛や結婚についてあれこれ考えるのは時期尚早かつ分不相応であると考え、サッと一瞥したのみである。この本の購入のきっかけになった本書の中心的な問いである「人はなぜ働かなくてはならないのか」であるが、このような根本的な問いに対して自分なりの解釈と意識を持つことは現在のように失業率5%を超える現代において非常に大きなテーマとしてクローズアップされるが、また社会人の直前期に位置する私たち大学生にとっても深く突っ込んでみることに非常に大きな意味のある問であるといえるだろう。
本の中では「十分な資力があれば人は働かないか」という問いを立て、覆してみることによって人が労働をする本質的な理由について説得的な論を展開していたが、日々就職活動に勤しむ学生のとりあえずの目標はなるべく多くの会社から内定をもらい、選択肢を増やし、たくさんの金を稼ぎ、自分の将来に繋げることである。残念ながら、自分の志向性に沿う労働を必死に求める私たちの中に、本書の中で論じていたような、人として他者からの承認の欲求を満たすために働くだとか、社会的な人格を形成したり、成長したり、視野を広げたりするためなどという目的意義を見出し、そこから自発的につらく厳しい就職活動最前線に乗り出す人はほとんどいないだろう。いくら確かな言葉で働くことの素晴らしさや人間の存在の奥底で労働と深く結びついているかを論じても現実は職にあぶれた人が生活保護ももらえない世の中や、たえがたい労働に自分を押し殺して生きている人が多く存在することが、社会不安となり労働に対する考え方がより実際的になったのである。
今回の本は実は著者の置かれている状況からの哲学的な「労働」に関する考察と、就職活動中という特殊な時期にある立場の違いから共感できる部分は必ずしも多くは無かった。しかし、もしかしたら労働という根本的なことについて人が本当に深く考えるときは、毎日毎日労働に明け暮れ、労働が当然のようにそこにあり、自分がなぜ労働をしているのか、何を目掛けて労働すべきなのかを見失ったときなのかもしれない。そのときには、この本の「回答」に深い共感を得られるかもしれないと感じた。