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『悩む力――べてるの家の人びと』

斉藤 道雄 20020416 みすず書房 241p.


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■斉藤 道雄 20020416 『悩む力――べてるの家の人びと』みすず書房,241p. ISBN:4-622-03971-0 1800 [amazon][kinokuniya][kinokuniya] ※ m,

■内容説明[bk1]

北海道、浦河。海辺の過疎の町に、精神障害者たちが共同生活を営む「べてるの家」がある。「そのままでいい」と語り、弱さを絆に新しい生き方を模索する人 々を、共感を込めて取材した1冊。

■著者紹介[bk1]
1947年山梨県生まれ。慶応義塾大学卒業。TBS社会部・外信部記者、「ニュース23」プロデューサーなどを経て、現在「報道特集」ディレクター。著書 に「もうひとつの手話」等。

■引用

◆「薬の使用」に該当する箇所の抜き書き

p4
マイクをもつ手がずっと揺れるように震えている。薬の副作用だろう。幻聴の激しい大坂君は、抗精神病薬を使っている。

発音がところどころ不明瞭なのはこれまた薬のせいだが、極端な省略を重ねたかのような話はいつもよりさらに難解だ。

p26
けれどそんな佐々木さんもいまだに病気とのつきあいはつづいている。薬をやめて病気が再発し、入院するという「失敗」をなんどもくり返しているからだ。

p47
もっとがんばろう、がんばってまともな暮らしをしようと思いつづけて働き、そしてこれだけ働けるようになったのだからもういいだろうと、薬をやめることに したのである。退院してから五年目だった。医者は「様子をみながらにしよう」と提案したが、佐々木さんは自ら考えを固め、薬を飲むのをやめてしまった。横 で見ていた美智子さんは、いち早く変調に気がついた。

私によくね、やっぱり薬飲んでて結婚するってのはよくないよねっていうふうな相談をされてたんですよ。私、だから、いやあそれでもね、薬飲んでたって結婚 してる人いっぱいいるしって。そうはいってたんですけど、佐々木さんの気持ちのなかでは、やっぱり薬はよくないと思ってたんでしょうね、きっと」

誠実人間の佐々木さんは、さらに誠実であろうとして薬をやめてしまった。当然のように病気の症状が出てくる。

p150
「入院したんですけれどね、薬と名のつくものは一粒も飲んでたまるかって、がんばってたよね」
「最初は薬飲んでたんですけど、ぐあい悪くなって“れろれろ”って感じになって」
副作用がいやで、松本さんは薬を拒むようになった。そもそも病気だと思っていなかったのだからむ
p151
りもない。けれど病院ではだれも薬を飲めと強制はしなかった。

「それで薬も飲まないし、夜もあんまり寝れてなかったの」
「うん」
 精神科の薬はよく体がぎこちなくなったり、ろれつがまわらなくなるといった副作用をともなう。しかもがまんして一ヵ月、二ヵ月つづけて飲んでいないと効 果が安定しないことが多い。二十二歳の青年はそのことがわからなかった。薬を拒み、入院前とおなじ不眠と混乱のなかでつらい毎日を送っていた。かつての激 しい野球の練習が、いまや拒薬という形をとってつらい精神病との戦いになりかわっていた。

p152
それも一日二日のことではなく、何年もつづく緊張と混乱と不安、あるいは恐怖や不眠。それに耐えながら薬を飲んでいた松本さんには、幻覚や不眠だけではな く摂食障害もあらわれていた。

そしてだれにもいわれるのでもなく、自分で納得して薬を飲もうと思った。

p153
けれど川村先生も向谷地さんも、八ヵ月間薬を拒否する松本さんを、じっと待っていた。自分自身で決めるまで、薬を強制しようとはしなかった。

p156
抗精神病薬を飲みながらの社会復帰は、わずか一、二時間のアルバイトでも信じられないほどの負担になる。

p158
薬は飲まないと決心したのに、つらさに耐えかねて薬の力を借りるようになった。

p172
薬さえ飲んでいれば、つらくなることはない。その安心感。

p200
私は、とにかくつらくて安定剤がほしくて精神科に通っていました。栃木の病院では、先生は「調子はどうなの」としか聞いてくれず、もし私が「きょうは調子 がいいです」といったものなら薬が減らされるのではないかと心配で、ほんとうのことをいえませんでした。

p218
 誤解のないようにつけ加えるのだが、もちろんべてるの人びとといえども薬は飲んでいる。医療や福祉を否定しているわけではない。すすんでその恩恵に浴し ている。そうしながらもしかし、診察を受け、薬を飲んでいるだけでは精神病は治せないことを彼らは自分自身の経験をとおし骨身にしみて知っている。

p220
 夢よもう一度、というのは、たとえば佐々木實さんが服薬をやめたときのことだ。退院してから何年もたって症状も安定し、もういいだろう、ここまでくれば だいじょうぶと思って薬をやめたとき、まちがいなくあの病気は目をさますのであった。

◆「精神障害者がグループを形成する時の困難な点」に該当する箇所の引用

p13
事実、べてるの家もかつては荒れ放題で問題だらけ、トラブルだらけだった。混乱の中で発作が起こればなにもわからず「ぱぴぷぺぽ状態」になる早坂さんは、 そのたびにだれかれの見境なく突き当っていた。
 「俺もいきがっててね。で、岡本さんとやったんだわ。何回かケンカしたんだけれどね、鼻かじった

p14
り耳かじったりしてた仲なんだ。

 「最初入ってすぐにケンカやったんだ。僕ばかりじゃなくて、そのへん見てるところでだれでもやってだんだ。

「戦争」がおきると、共同住居のガラスが割れ、ドアが破られ、パトカーや消防車がやってくる。出刃包丁が突きたてられたこともあった。「戦争」は必ずしも ケンカだけではない。調子をくずしたメン

p15
バーがひとりでわめいたり暴れたりすることもあるし、引きこもった仲間を助けるためにみんなでドアを破ったこともある。

ビール瓶は吹っ飛んでくるし、出刃包丁は吹っ飛んでくるしさ。すごいところなんだよ、ケンカはあるしね。



p16
同住居は、あるいはべてる全体は、あいかわらず争いやもめごとの絶えない問題だらけの場なのだ。たとえば別の日に共同住居を訪れてみると、佐々木實さんが 額に大きなバンドエイドを張りつけて居間のソファにすわっている。「紳士の岡本さん」に殴られてしまったのだという。それも、額と耳が裂けて血だらけにな り、病院にいって四針もぬう大騒ぎだった。佐々木さんによれば、発端はささいなことだった。

そんな分別ごみの分け方がわからない岡本さんがムシャクシャとなって十三年ぶりに人を殴ってしまったのだ。

p18
 この二十年、べてるの人びとはけっして平和に仲よく暮らしてきたわけではない。おだやかな笑いに終始した日もあったろうが、多くは騒ぎと争いと、病気と 発作と混乱と、あとをたたないもめごとに満たされた日々だった。それはいまでも変わらない。べてるはいつも問題だらけだったし、これからも問題だらけだろ う。

p21
 もめごとや口論やつかみあいがあり、脅したり脅されたりのあいまに幻覚妄想が行き来したりと、話題に事欠くことがない。

p32
 ちゃぶ台が舞い上がり、窓がこわれ、ドアが飛ぶ。共同住居べてるの家にとっては苦難の時代だったが、暴れている早坂さん本人もつらかったにちがいない。

p72
 かつて共同住居のなかに、ひとり乱暴なメンバーが住んでいたことがあった。若くて腕力があり、なにかといってはほかのメンバーを殴ってしまう。小さいと きから親に暴力をふるわれてきたせいか、金がないといっては殴り、パチンコで負けたかたといっては殴る。だれかれのみさかいもなく殴るので住人は生傷が絶 えず、パトカーがやってくることもあった。もうたまらない、出ていってほしいと声があ

p73
がり、みんなでミーティングを開くことになった。話し合いは予想通り苦情の声が続出し、川村先生によれば彼には共同住居から出ていってもらおうということ でいったんは決まりかけていた。

p75
 そしてさらにすごいのは、そうやってお金を渡しても問題は解決されなかったということなのだ。その後も彼はべてるの家の住人を殴りつづけていたのだか ら。

p168
 それは日赤を退院し、べてるの共同住居で暮らすようになってからのことである。自ら「恋愛依存症」というように、退院してからの彼女はまことに“情熱的 な生き方”をくりひろげるようになった。とにかく、ひとりでいるということができない。その容貌といい雰囲気といい異性の目には強く浮き立

p169
つ存在だったから、松本さんをはじめとして言い寄る男は後をたたず、そのだれもが一見華々しい“恋愛関係”に巻きこまれていった。けど彼女の焦燥感にみち ためまぐるしい遍歴のなかで男たちはいずれも最後には見放され失意の底に落ちる。

p224
また一方、そうした生き方を変えなかったからこそ、そこになじめず去っていったものも少なくなかった。そもそもなじめるかどうかは以前に、病気が悪化して 閉鎖病棟にもどったのもひとりふたりではない。

■書評・紹介・言及

◆立岩 真也 2002/10/25 「『べてるの家の「非」援助論』・2」(医療と社会ブックガイド・20),『看護教育』43-09(2002-10):782-783


UP:20070717 REV:20081101, 20090712
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