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『健康科学――医と社会の接点を求めて』

近藤 喜代太郎 20020320

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last update:20180614

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■近藤 喜代太郎 20020320 『健康科学――医と社会の接点を求めて』,放送大学教育振興会,290p. ISBN-10: 459513326X ISBN-13: 978-4595133268 1400

■内容

出版社HPより


■著者等紹介

■目次

■引用

 「近年、さまざまな分野でおなじ考えをもつ人々が集団で意思表示し、制度の新設・廃止などを求めることが多くなった。このような運動体には行き過ぎ、身勝手もあるが、多くの場合、激動する社会のなかで行政が硬直し、きめ細かい役割を果たせないことへの人々の告発でもあり、幅広い市民が共感を覚えるものである。[…]
 外国だけでなく、日本にも成功例がある。「日本筋ジストロフィー協会」は、昭和30年代に「進行性筋萎縮症児親の会」として発足し、結核病棟をどう転用するかを考えていた当時の厚生省に、筋ジス病棟を全国展開させ、総理大臣への直訴によって国立精神・神経センター創立の原動力となり、多くの筋ジス関係の研究班に巨額の国費が投じられる圧力となっている。」(近藤[2002:188])

■書評・紹介・言及

◆立岩 真也 2018/07/01 「七〇年体制へ・上――連載・147」,『現代思想』46-(2018-07):-

 「これから研究するという、その方法も定まらないのだが、「施設ケア」は、予め、強く肯定されている。この不思議な文章を書いた近藤喜代太郎(一九三三〜二〇〇八)という人は椿忠雄(次回)の東京大学から神経内科が新たに設置された新潟大学への転任に伴い、やはり東京大学から移った医師・医学者(後に北海道大学)。
 その著書では(「患者本位の医療の仕組み」といった題の章で)「患者の団体活動」を肯定的に述べている。

 ▼近年、同じ考えをもつ人々が集団で意思表示し、制度の新設・廃止などを求めることが多くなった。このような運動体には行き過ぎ、身勝手もあるが、多くの場合、激動する社会のなかで行政が硬直し、きめ細かい役割を果たせないことへの人々の告発でもあり、幅広い市民が共感を覚えるものである。[…]
 外国だけでなく、日本にも成功例がある。「日本筋ジストロフィー協会」は、一九五〇(昭和二五)年代に「進行性筋萎縮症児親の会」として発足し、空床がめだつ結核病棟をどう転用するかを考えていた当時の厚生省に、筋ジス病棟を全国展開させた。また、その時点の総理大臣への直訴によって国立精神・神経センター創立の原動力となり、多くの筋ジス関係の研究班に巨額の国費が投じられる圧力となっている。(近藤[2007:244-245]、近藤[2002:188]にもほぼまったく同じ文章)▲

 これまで見た多くの文章のように、この種の、多く施設経営者でもある医師・医学者は民間の(親の)組織を肯定する。それは施設を作らせ(使わせ)、研究の場を使わせ、そして「巨額」の研究費をとってくるのに貢献したからだ。
 この人の上役である椿は新潟水俣病を「発見」した人だが、その後認定基準を厳しくすることに関わった。近藤はそれを引き継ぎ、それを維持した。この二人、そして東京大学からやはり神経内科が新設された鹿児島大学――新潟大学と鹿児島大学の医学者は今でも国の難病政策に関わる重要な位置にいると聞いたことがある――に行き、後に国立療養所南九州病院の院長他を務める井形昭弘たちはこの立場を取り続ける。その人たちが、認定がどんなものであるべきかについての普通の科学知識をもたず、しかし反論に答えないままその主張を維持したことについては津田敏秀の著書等で詳しく示されている☆。このことは、水俣病に関わった一部の人たちには知られている。ただ他方の同業者たちは、そのことにはふれることなく、互いに讃えあい続ける。その一人である近藤にとって、一部の団体には「行き過ぎ、身勝手」があると言うのだが、そうであるかどうかはおのずと決まる、つまりは自分が決める、そして自分が決めていることに気づいていないようなのだ。自分が思っていることを隠さず言うという意味ではすなおではあるが、無思慮ではあり、そして文章としても論理として良質と言えないものがそのまま、報告書という「うちわ」の媒体だけでなく、文章となる。そうした研究・言論の水準が、先輩を讃え互いに肯定しあう空間の中で維持される。他方で肯定的に紹介されるのがどんな団体であるかはいま見て、再唱した通りだ。そうして讃えられる団体の人たちもまたこの医師たちを讃え続け、他で、例えば水俣病について何を言い何をしたかは知らないか言わない。
 こうして六〇年代から始まった動きから七〇年代以降の体制が作られていく。次回にそれを確認する。椿忠雄、白木博次☆、井形昭弘☆といった人たちが出てくる。やはり水俣病に関わった人たちでもあり、難病に関わった人たちでもある。なぜ椿が水俣病について厳しい態度に転じ、井形・近藤らがそれを継いだのか。それは水俣病への対応だけみてもわからないと思う。その人たちが占めることになった位置に関わるはずである。そのこと等を見る。

 ▼近年、同じ考えをもつ人々が集団で意思表示し、制度の新設・廃止などを求めることが多くなった。このような運動体には行き過ぎ、身勝手もあるが、多くの場合、激動する社会のなかで行政が硬直し、きめ細かい役割を果たせないことへの人々の告発でもあり、幅広い市民が共感を覚えるものである。[…]
 外国だけでなく、日本にも成功例がある。「日本筋ジストロフィー協会」は、一九五〇(昭和二五)年代に「進行性筋萎縮症児親の会」として発足し、空床がめだつ結核病棟をどう転用するかを考えていた当時の厚生省に、筋ジス病棟を全国展開させた。また、その時点の総理大臣への直訴によって国立精神・神経センター創立の原動力となり、多くの筋ジス関係の研究班に巨額の国費が投じられる圧力となっている。(近藤[2007:244-245]、近藤[2002:188]にもほぼまったく同じ文章)▲」

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社


*作成:立岩 真也
UP:20180614 REV:
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