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『異文化を生きる』(こころのライブラリー 6)

宮地 尚子 20020216 星和出版,235p.

last update:20110625

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宮地 尚子 20020216 『異文化を生きる』(こころのライブラリー 6),星和出版,235p. ISBN-10:4791104676 ISBN-13:978-4791104673 \1680 [amazon][kinokuniya] m ptsd

■内容

・出版社/著者から
精神科医である筆者が、異文化をモチーフに綴るエッセイ。ボストン留学中、海外の日本人のメンタルヘルスを調べるなかで聴いた、幾多の声、語り。葛藤しながら生きる人々の姿を鮮やかに描いた、珠玉の一冊。

・「BOOK」データベースより
精神科医である筆者が、異文化をモチーフに綴るエッセイ。ボストン留学中、海外の日本人のメンタルヘルスを調べるなかで聴いた、幾多の声、語り。そこに見えてきたのは、葛藤しながら生きる人々の鮮やかな姿、そして日本社会のありようだった。この一冊に、7年余の熟成を経て紡がれた、珠玉の物語たちが詰まっている。

・「MARC」データベースより
ボストン留学中、海外の日本人のメンタルヘルスを調べる中で聴いた、幾多の声、語り。そこに見えてきたのは、葛藤しながら生きる人々の鮮やかな姿と日本社会のありようだった。精神科医が異文化をモチーフに綴るエッセイ。

■目次

孤独の物語
アメリカン・ドリーム
移民候補生
リミナリティ
PTSD
ステレオタイプ
恋愛と結婚
邦人援護
二〇歳の人生落伍者
謎の女
パレスチナ
レクイエム
GOOD BYE=THANK YOU

■引用

では、日本は?PTSDという概念が発達していないということは、医療化をせずに「こころの傷」や人々の苦悩に社会がうまく向き合ってきたということなのだろうか?それとも「こころの傷」がおきてるということに気付かない、もしくは気にしないほど、感覚が鈍麻していたことの証なのだろうか?アメリカでならPTSDと診断される症状を持った人たちは、疾患概念がないことで、日本の社会においていきやすかったのだろうか?生き難かったのだろうか?p.89

中原君は鑑定書のなかの「回復の見込みは二〇パーセント」という一文にショックを受けていた。けれども同時に「ぼくは病気なんでしょうか?」と、私に幾度か問いかけてきた。「病気というより傷、ケガなのだ」というメタファーの変換を提案して、私は彼を見送った。p.90

外傷体験は必然的に自己イメージを変え、他者の反応(排斥や支援)、社会との関係性を変える。自然災害より人的被害のほうが重症のPTSDを生みやすいこと、事件後の社会支援の存在が症状を和らげることも多分そのためだ。ただ、自責の念や怒りは、外傷的体験に付与される社会的意味、当事者の道徳性と密接につながっている。責任の所在はどこにあるのか、そもそもなぜ自分にこんなことがおこったのか(Why me?)という実存的な問い。本人とまわりの間で、解釈と再解釈が果てしなく続く。客観性を重視する医学の枠組みや、DSMという最大公約数的な知の様式に、そんな厄介な問題、意味の主観性や文脈の個別性を盛りこもうとするのが無理なのかもしれない。盛り込もうとすれば外傷の概念が広がってしまって、操作的定義が崩れていくのかもしれない。p.98

PTSDの言説は道徳的中立を許さない。加害者・被害者の二分化。被害と本人の脆弱性の関係。事件や記憶の信憑性。訴訟や補償との関連。治療関係における外傷の再演。「傷」というメタファーの功罪。ストーリーを作りやすいことも、問題を外在化しやすいことも、他の精神疾患より「正常性」(異常な体験への正常な反応という説明)を主張しやすいことも、時に回復を妨げる。回復のイメージさえ政治性を帯びてしまう。p.102

■書評・紹介

■言及



*作成:山口 真紀
UP:20110625 REV:
精神障害/精神医療  ◇PTSD  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
 
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