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『リビング・ウィルと尊厳死』

福本 博文 20020220 集英社新書,204p. ISBN: 4087201317 693


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■福本 博文 20020220 『リビング・ウィルと尊厳死』,集英社新書,204p. ISBN: 4087201317 693 [amazon] ※

出版社/著者からの内容紹介
愛する人にも自分にも、確実にやってくる死をどう迎えるか。できるなら、必要以上に苦しまず、心安らかに逝きたい。生と死の境目がより複雑になった今日、自分の最期を自分の手に取り戻す方法を考える。

内容(「BOOK」データベースより)
人生の最期―愛する人にも自分にも、確実にやってくるその時を、どう迎えるか。たとえ不意に、剥き出しになってそれが立ち現れるとしても、できるだけ自然に任せて、必要以上に苦しまず、心安らかに逝きたい。科学、医学の発達の結実なのかどうか、生と死の境目で起こることが、より複雑に、より奇怪になっていくようにみえる今日、立ち止まって自分なりに考... 続きを読む

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■目次

第1章 最期の自己決定権
第2章 安楽死事件の衝撃
第3章 欧米の慈悲殺と死ぬ権利
第4章 日本の安楽死運動
第5章 終末期医療と尊厳死

■引用

第4章 日本の安楽死運動

 1976? 「協会が設立した二カ月後、早くもリビング・ウィルを活かす機会がおとずれた。会員登録第一号であった文京区在住の七十九歳の男性が、三年間の闘病生活に終止符を打ち、彼の意思通りに延命措置を中止して死亡したのである。」(福本[2002:137])
 *鈴木千秋[1978]では、会員登録第一号であったのは、鈴木千秋の母であったとされているが…? cf.立岩『ALS』

 197707  成田薫「安楽死について」 於:九州大学医学部
 「太田たちの安楽死運動に反対する急先鋒は、主に障害者運動の活動家たちであった。七七年七月、九州大学医学部で両者が対立する事件が起こった。太田と元名古屋高裁主任判事の成田薫弁護士によって「安楽死について」という議題の講演会が開かれていたときのことである。
 成田が論壇に立つと、車椅子に乗った日本脳性マヒ者協会福岡青い芝の会員の会員三名が会場に入り込んだ。「障害者を抹殺するのか」などと大声をあげ、場内は騒然となったのだ。さらに、彼らを支援する青年医師連合のメンバーが「安楽死立法化は障害者抹殺への道」というパンフレットを配って歩いた。/「安楽死は、障害者問題とはまったく無関係だ」/と成田がなだめても、彼らは聞き入れなかった。それどころか、成田に平手打ちを食らわせたのだ。話し合いになったが、議論は平行線をたどり、一向に噛み合わなかった。」(福本[2002:144])
 福岡青い芝の会は1977.3結成(『全健協』:24-26) cf.青い芝の会

 1978
 「太田は、七八年八月に京都大学の学生実行委員会から十一月祭シンポジウムへの出席を要請されていた。ところが、十月になって突如、主催者から学内に反対があって、身の安全も保障しかねるので降板してほしい、という連絡を受けた。
 「学内に障害者解放運動に敵対する団体が登場することは許すことはできない。講演を行なうことは構わないが、会場に於いてどのような事態が発生しても責任は一切負えない。」
 という全国障害者連絡会議からの反対声明がよせられたのである。」(福本[2002:145])
 *全国障害者連絡会議→全国障害者解放運動連絡会議

■言及

◆立岩 真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 [amazon][kinokuniya] ※ et.


UP:20050818 REV:0821
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