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『開かれ――人間と動物』

Agamben, Giorgio 2002 L'aperto: L'uomo e l'animale, Torino, Bollati Boringhieri
=20040715 岡田 温司・多賀 健太郎 訳,平凡社,208p.


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Agamben, Giorgio[ジョルジョ アガンベン] 2002 L'aperto: L'uomo e l'animale, Torino, Bollati Boringhieri=20040715 岡田 温司・多賀 健太郎 訳,『開かれ――人間と動物』,平凡社,208p. ISBN-10: 458270249X ISBN-13: 978-4582702491 2520 [amazon][kinokuniya] ※ b

■内容(「BOOK」データベースより)
人間と動物が交錯する未決定な「例外状態」の閾を、バタイユのアセファルから、コジェーヴのスノッブ、ユクスキュルのダニ、ハイデガーの倦怠へと縦横無尽に描き出す、生政治の超克と人類学機械の停止へむけた壮大な系譜学。

内容(「MARC」データベースより)
人間と動物が交錯する未決定な「例外状態」の閾を、バタイユのアセファルからハイデガーの倦怠へと縦横無尽に描き出す、生政治の超克と人類学機械の停止へむけた壮大な系譜学。「剥き出しの生」のさらなる探究。

■目次

第1章 動物人
第2章 無頭人
第3章 スノッブ
第4章 分接の秘儀
第5章 至福者たちの生理学
第6章 経験的認識
第7章 分類学
第8章 序列なし
第9章 人類学機械
第10章 環境世界
第11章 ダニ
第12章 世界の窮乏
第13章 開かれ
第14章 深き倦怠
第15章 世界と大地
第16章 動物化
第17章 人類創生
第18章 あいだ
第19章 無為
第20章 存在の外で

■引用

第4章 分接の秘儀

 「フーコーが示したように、近代国家は十七世紀以来、その本質的な任務のうちに人民の生の管理を取り込みはじめ、そうすることによって政治を生権力へと転換させる。そして、このとき近代国家がその新たな使命を実<0029<現するのは、とりわけ(いまや民族という生物学の遺産と合体する)植物的な生という概念を、徐々に一般化し再定義化することによってなのである。今日もなお、臨床上の死の基準の法的な定義をめぐる議論で、ある身体が生きているとみなされうるのか、それとも、移殖という究極の大逆転にゆだねられるべきかを決定するのは、このような――あらゆる脳内活動からも、またいわばあらゆる主観=主体からも分断された――剥き出しの生のさらなる同定によるのである。
 かくして、植物における生と関係からなる生、器質的な生と動物的な生、動物的な生と人間的な生の分割線は、動く境界線として、とりもなおさず生きた人間の内部に移動するのであり、このような内的な分割線を欠くならば、人間的なものと人間的でないものとを決定するということ自体、おそらく不可能になろう。
 […]人間と動物のあいだの分割線がとりわけ人間の内部に移行するとすれば、新たな仕方で提起されなければならないのは、まさに人間――そして「ユマニスム」――という問題なのである。[…]われわれが学ばな<0030<ければならないのは、これら二つの要素の分断の結果生じるものとして人間というものを考察することであり、接合の形而上的な神秘についてではなく、むしろ分離の実践的かつ政治的な神秘について探求するということなのである。もしつねに人間が絶え間のない分割と分断の場である――と同時に結果でもある――とするならば、人間とはいったい何なのか。」(Agamben[2002=2004:29-31])

第17章 人類創生

 「西洋哲学の人類学機械に関するわれわれのこれまでの読解の暫定的な帰結を、テーゼのかたちで表してみよう。
 (1) 人類創生は、人間と動物のあいだの中間休止や分節化の券かとして生じたものである。この中間休止は、なによりもまず人間の内部で起こっている。
 (2) 存在論、あるいは第一哲学は、人畜無害の学科科目などではなく、むしろ、人類創生、生物の人間化を実現させるような、あらゆる意味において根本的な操作である。形而上学は、当初からこの戦略に絡めとられている。すなわち、形而上学(メタフィジカ)は、まさしく動物の自然(ピュシス)を人間の歴史へと止揚し温存させるようなメタに関わっている。この止揚は、一挙に成し遂げられた事象ではなく、むしろ、つねに進行中の出来事なのであり、それこそが、たえず個々人をそれぞれにおいて、人間と動物、自然と歴史、生と死とを決定づけているのである。<0119<
 (3) […]開かれとは、開かれざる動物の捕捉にほかならない。人間はおのれの動物性を宙づりにし、そうすることで、生が例外領域へと勾留され置き去りにされる=追放されるような、「自由で空虚な」領域を開くのである。
 […]
 (5) 現代の文化にあって、あらゆる他の闘争を左右するような決定的な政治闘争こそ、人間の動物性と人間性のあいだの闘争である。すなわち、西洋の政治学は、その起源からして同時に、生政治学なのである。」」(Agamben[2002=2004:119-120])


■書評・紹介・言及

◆北川 裕二 20040826 「ジョルジョ・アガンベン『開かれ――人間と動物』・1――開いた傷口としての宙づりの生」
 http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/daily/content/200408260001/

◆中山 元 20050921 「書評:『開かれ――人間と動物』」
 『書評空間 KINOKUNIYA BOOKLOG』
 http://booklog.kinokuniya.co.jp/nakayama/archives/2005/09/post_2.html

http://diarynote.jp/d/49497/_0_190.html(2004/10/27)

http://nob-kakigi.cocolog-nifty.com/vermischtes/cat4704027/index.html(2005/08/31)

http://illcomm.exblog.jp/2516568/(2006/01/12)

http://eboshi.s140.xrea.com/MT/2007/03/post_65.html(2007/03/09)

◆立岩 真也 2007/08/25 「死の決定について・8」(医療と社会ブックガイド・74),『看護教育』48-08(2007-08):-(医学書院)

http://retrosection-lesimage2.blog.drecom.jp/archive/234#BlogEntryExtend(2007/09/08)

◆立岩 真也 2007/12/25 「人間/動物」(医療と社会ブックガイド・78),『看護教育』48-(2007-12):-(医学書院)

美馬 達哉 20070530 『〈病〉のスペクタクル――生権力の政治学』,人文書院,257p. ISBN-10: 4409040863 ISBN-13: 978-4409040867 2520 [amazon][kinokuniya] ※ ms

 「われわれはアガンベンを超えてさらに踏み出さねばならない。なぜなら、彼自身は、しばしばゾーエーの領域を、人間と動物の中間、あるいは動物に近い状態の人間として描いてしま<0255<っているために、この領域に内在している希望のモメントをとらえ損なっているからだ(『開かれ』平凡社)。そのペシミズムに抗して、われわれがアガンベンの議論を徹底化させることではっきりと主張したいのは、人間のゾーエーとは人間と動物の間に位置づけられるべきではなく、動物以下の存在として理解されなくてはならないという点である(少なくとも、本能的欲望のままに生きて自然=世界と予定調和的な関係を保つことのできる動物という意味では)。」(美馬[2007:255-256])

◆立岩 真也 2013 『私的所有論 第2版』,生活書院


UP:20070624 REV:20071029,31 1103, 20130122
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