『作業療法の世界――作業療法を知りたい・考えたい人のために』
鎌倉 矩子 20010620 三輪書店,204p.
■鎌倉 矩子 20010620 『作業療法の世界――作業療法を知りたい・考えたい人のために』,三輪書店,204p. ISBN-10: 4895901483 ISBN-13: 978-4895901482 3300+ [amazon]/[kinokuniya] ※ r02. m.
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内容(「MARC」データベースより)
作業療法とは、人がそれぞれ体と心と脳を使ってその人にふさわしい作業を営むことができるように、助け導くしごとである。その精神、イメージ、感触を伝え、ノウハウではなく意図を紹介する作業療法概論。
目次
序章 私は作業療法士
1 作業療法の生い立ち
2 わが国における作業療法の発展
3 作業療法の現在
4 作業療法実践の枠組み
5 作業療法モデル論
6 作業療法の進化
終章 よりよい作業的存在の支援をめざして
■引用
2 わが国における作業療法の発展
2・2 作業療法の再建と新生
2・2・3 生活療法の登場
田島明子による引用(を若干増補・訂正)
http://www5.ocn.ne.jp/~tjmkk/seikatsuryouhou.html
「生活療法は、1956(昭和31)年に初めて小林八郎によって提案された(小林,1965;関,1981;臺,1984)。モデル病院の役割を果たしたのは、国立武蔵療養所および昭和大学烏山<0047<病院である。
小林は当時国立武蔵療養所医務課長の任にあった。彼のいう生活療法(くらし療法)は、生活指導(しつけ療法)、レクリェーション療法(あそび療法)、作業療法(はたらき療法)の3つから成るものであるが、作業療法が長い伝統があるのに対して、生活指導、レクリエーション療法は”戦後の混乱”の中から生まれてきた非常に新しいものであると言い、由来を次のように説明している。
「われわれがレクリエーション療法の重要性に気付いたのは1952年(S27)年頃からである。それより先、昭和25年に、精神外科手術を終えた患者に、その後療法として行った生活指導が功を奏したことを認め、手術をしていない荒廃患者にも生活指導をはじめた。昭和26年には専門の生活指導病棟ができた。生活指導が行き届いていることはレクリエーション療法の最もよい下地である。」(小林,1965,p.175)
当時行われていた精神外科手術とは前頭葉白質切裁術(ロボトミー)である。術後の退行状態を示している患者に対し、環境の設定と適切な生活指導によって人格の再形成が可能であると当時は考えられていた。一方、当時の経済的窮乏によって精神障害者の生活は惨状を極め、人間らしさの一切を失ってしまったと思わせるほどの人格荒廃をきたしていたので、彼らにも同じ指導を適用してみようと考えたのである。したがって、生活療法の基本は”患者のしつけ”の思想で貫かれている。
小林の生活療法の中で”生活指導”は中核的な位置を占める。その”生活指導”とは、患者が起床してから就寝するまでの日課のすべてを、つまりは食事、清潔、身だしなみ、清掃から、レクリエーション参加、作業参加、余暇活動、社会活動(社会見学、患者クラブ、患者懇談会、患者自治会のようなもの)に至るまで、日課のすべてを、規律正しく活動的に過ごさせるための関与の一切である(小林,1965)。厳密な生活時間表が作られ、職員の指導指針が作られ、働きかけはマニュアル化されていた。ゲーム時の人員配置でさえもが壁に貼られていた。レクリェーション療法も作業療法も日課の一部であり、これもまた徹底した管理が図られていた。今日の感覚をもって小林の生活療法の著者を読むと、その徹底した規律主義、管理主義、全体主義に息がつまるのを覚えるほどである。
一方、用語の問題に触れて小林は「生活指導・レクリエーション療法・作業療法は、それぞれ異なる治療状況を持つもので・・その領域とねらいは違う。ところが日本でもアメリカなどと同じように、上記三者のほかに心理劇その他までを含めて作業療法と
する者がある。従来、日本では作業療法の概念は非常に狭いものなので、この狭義の作業療法と広義の作業療法とはまぎらわしい。とりわけ作業療法ということばは名が実を表していない。(この広義の作業療法に対して)われわれは生活療法ということばを選びたい」と述べている(小林,1965)。
生活療法は、この時代の精神医療者の熱気を示す一現象ではあったが、2つの問題を内在させていた。ひとつは作業療法をめぐる概念の拡散と混乱、もうひとつは善意の管理主義の中に<0048<ひそむ重大な危険と過ちである。生活の一切を”療法”と見なしてこれを管理する手法は、ひとたび安定した生活環境と職員の倫理を失うなら、たちどころに患者の使役と収奪に転落していく危険をもっている。それはすでに19世紀末の米国において実験済みである。
1966年(昭和41年)、国立武蔵療養所長に就任した秋元は、職員に生活療法の総決算を働きかけ、”生活指導”は看護に、”その他”は作業療法に還元させた。しかし生活療法は、現実には国内の多くの精神病院にゆきわたった。関英馬は、「1960年前後からしばらくの間、『生活療法』を実施しない精神病院はないといってよいほどであった」と述べている。浅野も「昭和30年代から40年代へかけてわが国の精神病院を特徴づけたのは生活療法であった」と述べている。後述するように、わが国の国策として”新しい”作業療法の移入が図られたのは1960年代のことであるが、その1960年代とはこのような生活療法全盛の時代であったことを知っておく必要がある」(鎌倉[2001:47-49])