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『命があぶない医療があぶない』

鎌田 實 20010215 医歯薬出版,306p.


■鎌田 實 20010215 『命があぶない医療があぶない』,医歯薬出版,306p. ISBN-10: 4263232550 ISBN-13: 978-4263232552 1800+ [amazon][kinokuniya] ※

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内容(「BOOK」データベースより)
なぜ、この国の医療はこんな“カタチ”になってしまったのか。どうしてゆとりがなくなってしまったのか。平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞の鎌田実が緊急出版。

内容(「MARC」データベースより)
なぜ、この国の医療はこんな「カタチ」になっていまったのか。どうしてゆとりがなくなってしまったのか。日本の医療は、どこかで道を間違えてしまった。医療改革を行ううえでのヒントを、散り込める。

■目次

プロローグ 同級生からの二六年ぶりの手紙
第1章 鎌田実の思い
第2章 鎌田実の仕事
第3章 諏訪中央病院の地域医療
第4章 地域医療のパイオニアをたずねて
 VS 若月俊一 「ヴ・ナロード」を求め続けて
 VS 早川一光 地域医療の青い鳥を探して
 VS 増田進 ゾーンディフェンスで住民の運動を守る
第5章 二一世紀の〈命〉と〈医療〉のために
エピローグ 同級生N君への手紙

■引用

第4章 地域医療のパイオニアをたずねて


「早川 いやいや、そのころ〔早川が白峰診療所に行ったころ〕には社会運動をなさっていた先輩がたくさん復員して帰ってきてまして、いずこからともなく現れて(笑)、私たちに教えるわけですね。そして、「おまえ、あそこの診療所へ行け。おれはここだ」といった調子で決めていくわけです。そうやって学生運動を続けてきた連中が行った診療所が、京都における医療民主化の火付け役になっていますね。
 もっとも、私たちがその民主化運動のパイオニアかというとそうではないんですよ。あの戦時中の厳しい統制のもとで民主的な医療をやってきた、いわゆるヒューマニストの先輩がいたんです。宗教的な見地から民主化運動を実践なさった先輩がいた。これが私たちこち指針になりましたね。あの人たちがいなかったら、あんなにすんなりとはできなかったと思います。
鎌田 それは戦前から?
早川 戦争中ですね。亡くなられた松田道雄先生(小児科医・思想家)などは「結核というのは社会的な疾患である」と西陣の結核問題に取り組み、憲兵に目を付けられて一年ほど監獄に入れられている。そういう先輩が京都にはいたのですね。松田先生の実践や左久病院の若月俊一先生の取り組み――「農民と共に」ですね、これが私たちの指針だった。▽141 ▽142 若月先生が農民のなかにというのたったら、私も町衆のなかにありたい。そんな気持ちで燃えに燃えていたわけです。
鎌田 先生が西陣へ出るときには、若月先生の信州での活動をご存じだったのですか。
早川 風の便りで聞いています。お会いしたことありませんでしたが、そういう先輩から学んでいますから。奈良とか大阪には、いわゆる無産主義者がいるわけです。同和地区などで活動しており、若い私たちは大きな影響を受けています。当時の住民は生活が苦しく、シャウプ税制ですか、むちゃくちゃな税金に耐えられない。そんな現伏のなかで、自主申告をめざす納税の民主化と、国民皆保険をめざす医療の民主化に住民が乗り出す町衆運動が盛り上がっていくわけです。それと私たちの学生運動が結びついていく。税務署が入つて子どもの三輪車を差し押さえたというので、出かけたこともあります。税務署の車の前に寝転がって、轢くなら轢いていけと……。」(鎌田・早川[2001:140-142])

「早川 そうですね。税務署がくると、石油缶か何かをガンガンガーンと叩いて知らせるんです。それを私たちは聞きつけて、出て行って、あれが楽しかったな(笑)。その辺は民主化なんていう大げさな理論ではなくて、困っている人たちを黙って見ているふりはできないということかな。自分たちの生活だけを守るという運動ではなくて、「困っている人は皆一緒や」という連帯感が強かったですよね。あのなかから生まれてきた京都の民衆運動が、いわゆる民医連(日本民主医療機関連合会)の中核になっていくわけです。学区ごとに民衆の診療所ができていって、それらのユニットが民医連というかたちになっっていくんです。
 そのとき、大いに議論されたのは、「民主医療」なのか「民主的医療」なのかということです。民主医療にこだわる共産党の主張と、民主的な幅広い戦線をめざす開業医らも含めた主張が激しくぶつかり合った。
鎌田 どっちになったんですか。
早川 民主的医療なんです。開業医の先生のなかにも非常に憂丸た光圭がぉられて、一緒にやろうということになったんです。これに党が反対するわけです。大衆追従だとね。
鎌田 党が組織を守るために、一人ひとりの思いを無視していくようになるんですね。政党というものは、どの党もこういった体質を持っているのですが、特に共産党はこれが強い。主張していることはいいことが多くても、ぼくはずっと肌が合いませんでした。それ▽143 で先生は、党からだんだん離れていったわけですね。早川私自身も党の一員で、中央の決定には従わなければなりません。基本的にはアンチテーゼを出しながらやったのですが、大衆追随主義だ、党派性が失われるという批判が出てくるわけです。私ら、全然妥協しませんでしたけどね。政党からみれば困った存在だったかもしれない。

 京都市議会活動――小児麻痩ワクチンの緊急輸入が実現した

鎌田 京都の民医連から市議会議員に立候補されてますよね。あれは何歳のときですか。
早川 三三歳でした。そんな暇があったら往診するといったんですけどね。政党の勢力が拡大しても、住民自身が自分たちの暮らしを守るという意識変化を起こさない限りは世のなかは変わらない。ただ支配者が変わっただけ。真の民主化は住民からはじまるんです。
 でも、「おまえの医療が本当に住民に支持されているかどうか、住民に間うてみろ」といわれて、結局出馬したんです。選挙はおもしろかったですね。「私は議会に出るけれど、私が政治をするのではない。住民の皆さんが政治をずるのだから、必ず議題をあなたたちにところへ持っていく。自主的に市政協議会をっくって、議案を出してくれ。私は住民の意思を議会に持っていく」といって選挙戦をしたんです。「私ではダメだと思ったら、いつでもリコールしてくれ。それが民主主義だ。早川先生に治してもらったご恩があるから一票入れようなどとは考えるな」ともいいました。それではカにも何もならないですから。」(鎌田・早川[2001:143-145])

 「鎌田 住民が主人公の医療としての実践についてはだいぶわかってきたのですけれども、やはり経営や運営的なことを考えると、どうしたらそういう病院が成り立つのか。たとえば堀川病院の理事会の構成。住民から八人に対して病院代表は七名で、病院側の思いどおりにはならないすごい組織だと思いますが。
早川 これは、さっきの鞄や自転車と一緒なんですね。どうして八対七にしたかというと、必ず対立すると思ったのです。医療を受ける側と担当する側との利害が常に一致すぶるはヂはずがない。必ずこうしてくださいという要求が出てくる。医者も看護婦もたくさん働いてい▽171 るし、そんなふうにしたら病院が成り立たないと思っても、強い要求があれば赤字を出し・てでもやらざるを得ないわけです。しかし、そうなると住民側も、どうしたらよいのかということになる。患者さんがたくさん来れば大丈夫だということなら、地域の人たちが患者さんを集めてくれます。隣の人が病気だったら、「病院に頼んで診てもらおう」とすすめたり、受診していない人に受診をすすめてくれたりと、主体的な運動が展開されていくのです。
 経営をすべて公開して、こうしたらこうなるということをはっきり示せば、住民は自分たちでどうするかを考えるものなんです。」(鎌田・早川[2001:170-171])

第5章 21世紀の〈命〉と〈医療〉のために

 「ぼくたちは諏訪中央病院の病院づくりのなかで、市民の人にいつでも「ウェルカカム」(歓迎します)という方向性を出してきた。内容的にも〈開かれた病院〉をめざした。福祉や環境の勉強会をしたり、高校生のボランティア・サマー・キヤンプをしたり、健康に関する市民参加の催しを数多く開催してきた。ぼくらの病院は実に多様な戦術をもって、皆で自分たちの健康観や地域の健康観を変えていこうというテーマに取り組んできたのである。そこからは、全国的にみてもユニークな市民運動が生まれている。
 たとえば、主婦たちが中心となって運営する「ターミナルケア一一〇番」をはじめ一連の「いのちの有終支援活動」は、彼女たちが自主的に一クール一〇回にもおよぶ心理学、法律、介護の勉強会を開催していくなかから生まれたものであり、家族を失って心の傷が残っている人たちとグループをっくって、その話を聞いてあげたりする活動を続けている。
 「茅野市尊厳死を考える会」の活動もユニークである。日本尊厳死協会の永久会員になるにはそれなりの会費の負担が必要であるが、とてもいい活動であることを勉強したので、茅野版の尊厳死協会をつくろうという動きが高まったのである。お金はかけなくとも永久に尊厳死を保証しようじゃないかという運動である。尊厳死を自分の哲学にしたいと思っている人たちは署名する。すると、諏訪中央病院と茅野布市医師会が了解してくれたという証明カードができてきて、尊厳死が認められる仕組みができないかと、現在、模索中であ▽265 る。
 また、茅野市には「福祉21茅野」という住民主導によるまちづくりの推進組織がある。正式名称を、「茅野市の21世紀の福祉を創る会」といい、平成八年に矢崎和広茅野市長の呼びかけにより、市内の保健・医療・福祉関係者および障害者、高齢者、ボランテイア団体等々の幅広い市民や団体の代表者によって構成された団体である。茅野市の福祉のあり方を、市民が参加し協議してきた。民間主導、行政フォローというかたちで、保健、医療、福祉および生涯学習の各分野が連携しながら自ら検討し実践してきた。
 その一ニの部会の一つに「福祉21茅野ターミナルケア部会」がある。この部会が茅野市民に、命について、日ごろからの思いや普段はロに出していえないこと、生き方や死に方について考えたこと、感じたこと、感動や喜び、悲しみや怒りなどの一言を広く募集した。その結果、小学生から九〇歳代までの、四六〇もの「命の言葉」が寄せられた。無着成恭さんや甲府で在宅ホスピスケアを実践する内藤いづみさん、松本の神宮寺住職の高橋卓志さんたちが審査にあたり、一九九七年七月、『言いたい伝えたいいのちのちから』(オフイス・ェム刊)という一冊の本にまとめ発行した。
 このように、住民が自由に自分たちの意識で病院を利用して、自分たちの町を変えていく――つまり、病院がかつての公民館的な拠点になっていったのである。病院が一つのメデイアになったといい換えることもできるだろう。メディアというのは本来、双方向であ▽267 るべきで、病院が一方的に健康を与えるのではなく、病院という空間を中心として、公民館活動的なことを引き入れたり、情報を発信したりといろいろな空気が入ってくる。この地域の新鮮な空気が病院には必要なのである。病院が中心になって、一種の地域づくりが行われていくのである。
 病院は単なる箱ものではない。ソフトのない箱ものはほとんど前世紀的な遺物となるだろう。ソフトがない箱ものは、つくっただけで終わるケースが多い。問題は、そこに命をどう吹き込むかである。やりようによっては大きな可能性が期待できるように思う。」(pp.)


UP:20140730 REV:20140731, 0801
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