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『人体改造――あくなき人類の欲望』(NHKスペシャルセレクション)

寺園 慎一 20010125 日本放送出版協会,238p.

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■寺園 慎一 20010125 『人体改造――あくなき人類の欲望』,日本放送出版協会,NHKスペシャルセレクション.238p. ISBN-10: 4140805625 ISBN-13: 978-4140805626[amazon][kinokuniya] c19.

内容(「BOOK」データベースより)
動物臓器の利用から人工臓器の創出、クローン技術の開発にいたるまで、人間は自らの命をながらえようと、あらゆる手段を模索してきた。究極の欲望「不老不死」を獲得する日はくるのか?再生医療とバイオ産業の最先端からクローン人間創出を掲げる宗教組織までをワールドワイドに取材、その是非を問いかける衝撃のノンフィクション。
内容(「MARC」データベースより)
秒読みに入った、クローン人間誕生の瞬間。再生医療とバイオ産業の最先端からクローン人間創出を掲げる宗教組織までをワールドワイドに取材。その是非を問い掛ける衝撃のノンフィクション。


■目次

序章 到来する人体改造時代 5
耳ネズミの衝撃/赤ん坊の包皮から生まれる人工皮膚/脳の修理工場/「トロイの木馬」細胞/日本の人体改造研究/マイケル・J・フォックスの願い

第一章 ブタが人間を救う 25
「ピギー・ボブ」と呼ばれる青年/医師の決断・家族の賭け/奇跡が起こった/ヒト遺伝子ブタ農場/しのぎを削るバイオ企業/ベビー・フェイ/立ちはだかる壁/壁を突破するバイオ企業

第二章 利用される小さな命 53
臓器収集源を広げてきた二十世紀/アニッサ事伜/二〇〇〇年版アニッサ事件の衝撃/ひっぱりだこの胎児細胞/胎児細胞は宝の山

第三章 夢の万能細胞 79
未来医療を変える細胞/ES細胞の発見者/特許を独占する企業/ヒト組織生成への道

第四章 禁断の領域へ 99
アイオワから届く不思議な荷物/ウシなのか、ヒトなのか/不老不死を夢見る研究者/さらなる野心/ジェロン社の反撃/オーダーメイドの臓器/ES細胞研究に潜む危うさ

第五章 命の尊厳か、新たな医療の開発か 131
招集された委員会/たったひとりの反対派/ブリトー博士の妥協/クリントン大統領への答申

第六章 倫理空白地帯アメリカ 151
すべてはルイーズから始まった/受精卵をめぐる議論/アメリカの生殖ビジネス/ドリーへの反応/クローン人間をめぐる議論/アメリカの戦略

第七章 クローン人間製造の野望 177
森のなかのカルト教団/続々と立ち上がるクローン人間製造計画/生きるためにクローンを/家族をクローンで/動き出した「クローン製造会社」

第八章 アメリカを追え 追随する国々 203
猛追する中国のES細胞研究/イギリスの心変わり/立ち遅れた日本の対応

終章 衝撃の未来社会 217
遺伝学の人気教授/新たな階級社会の出現/すべては市場が決める

あとがき 232
参考文献 236


■著者略歴(*「奥付」より)

寺園慎一(てらその、しんいち)
1958年生まれ。81年、NHK入局。岡山放送局、社会情報番組部、スペシャル番組部勤務を経て、現在教養番組部チーフプロデューサー。これまで「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」などを主に担当。現在は、教育テレビ「にんげんゆうゆう」を担当し、新しい福祉番組作りを模索している。

■引用

序章 到来する人体改造時代
(pp9-10)
 ランガー博士は、他人の死を待つような現在の移植医療は次第に消滅していくはずだ、断言する。
 「医学の目的というのは、本来人間の持っている自己治癒能力を補うことです。ですから、細胞の再生能力をいかに引き出すかということに力を注ぐティッシュ・エンジニアリングは、医学本来の姿に立ち返ったものなのです。ティッシュ・エンジニアリングで生み出した器官や組織を身につけることは、やがてごく当たり前のことになるでしょう。ちょうど冠状動脈のバイパス手術のように。百年後には、現在のような移植医療は、『あんな野蛮なことをしていたなんて』と驚きをもって語られるようになるでしょう」
 いったん失われたら、決して取り戻せないと考えられてきた人間の器官を、ティッシュ・エンジニアリングは、再生可能にしつつある。けがや病気になったとき、壊れた「部品」を取り換えて命をながらえ、健康を取り戻す。今後、このティッシュ・エンジニアリングは、臓器不足に苦しむ現在の移植医療を根本的に変えていくことになるだろう。ランガー博土は、将来ティッシュ・エンジニアリングの市場は、アメリカだけでも八○○億ドルになると予測している。薄気味悪い耳ネズミは、二十世紀の医療の限りない可能性を示すシンボルなのである。

第一章 ブタが人間を救う
(pp31-34)
 一九九七年十月三日、朝八時三十分。ベイラー大学のアニマル・ラボのあるレンガ造りの簡素な建物に、生まれて十五週め、一一八ポンドのブタが用意された。外見は何の変哲もないブタだが、人間への臓器移植用に作られた特別なブタである。遺伝子操作によって、人間の遺伝子が組み込まれているのだ。
 ブタの臓器の大きさは人間とほぼ同じ、移植には最適である。しかし、種が遠く離れているため、移植をすると即座に急激な拒絶反応が起きる。移植されたブタの臓器を異物とみなし、人間の免疫システムがその異物を排除しようと激しい攻撃を仕掛けてくるのである。腎臓の血管が破壊されて穴が開き、その穴を埋めようと血液が凝固する。凝固した血液はブタの臓器への血液の供給を止めることになり、やがて臓器は死滅する。これは超急性拒絶反応と呼ばれている。この超急性拒絶反応をいかにして防ぐか。そのために考えられたのが、ヒトの遺伝子をブタに組み込むことだった。ブタの臓器を移植する際に攻撃を仕掛けてくるのは、人間の体のなかにある補体と呼ばれる蛋白質である。そこで、ブタの遺伝子に補体の働きを抑制するヒトの遺伝子を導入することで、補体の攻撃をかわそうというのである。人間の免疫システムをだまして、ブタの臓器を異物と認識させないようにしようという試みである。
 ヒト遺伝子導入ブタによるペニントンさんの体外灌流が成功すれば、ブタからヒトヘの臓器移植は、実現に向けて大きく前進することになる。ベイラー大学には、他の大学やブタを開発したバイオ企業からも研究者が駆けつけ、集中治療室は異常な熱気に包まれていた。
 リービー医師はまず、ブタから肝臓を摘出した。体外灌流のために用意したブタは全部で七頭。ひとつの肝臓を八時間ずつ使い、取り替えながら容態の悪化を食い止め、その間に人間のドナーが見つかるのを待つのである。麻酔技師がペニントンさんの首筋にプラスティックの管を差し込んだ。さらに二本目の管が彼のそけい部(足のつけ根)に注入される。そして摘出された重さ二ポンドのブタの肝臓がペニントンさんのべッドサイドに置かれ、管でつながれた。午後四時十分、体外灌流が始まった。ペニントンさんの作から出た血液は、ブタの肝臓を通り、再び体内へと戻っていく。そのスピードは毎分二クオーツ(一分間に約二リットルの血液を浄化)。
 効果はすぐに現われた。ペニントンさんの作から出た灰色がかった血液は、ブタの肝臓を通り、鮮やかな赤に変わっていく。リービー医師は、ブタの肝臓が確実に、ペニントンさんの血液中の毒素を取り除いていくのを確認していた。心配された拒絶反応も見られない。
 「すばらしい瞬間でした。医師チーム全体が大きな安堵感に包まれました。ブタの肝臓は、血液中の酸素を充分吸収していました。胆汁も生成されていたのです。血圧値も正常で、心臓も異常ありませんでした。腎臓は尿を作り始めていました。新たな医療の扉が開かれた、そう感じました」
 集中治療室での出来事をガラス越しに見守るシャーロットさんの目にも、ペニントンさんの血液が鮮やかな赤に変わっていくのが、はっきりとわかったという。
 「踏み台にのると、容器に入ったブタの肝臓が見えました。それは心臓が鼓動しているようにドックン、ドックンと動いていました。ああ、ブタがいま、孫を生かしてくれているんだ、そう思いました。奇跡が起こったのです」
 体外灌流が始まって六時間半が経過した頃だった。まだ一頭目のブタの肝臓は順調に機能していた。待望のドナーが、四〇〇キロ離れたヒューストンで見つかった。摘出された肝臓が、直ちにヘリコプターでベイラー大学に運び込まれる。肝臓の移植手術は無事成功、ペニントンさんは死の淵から生還したのである。リービー医師は、前人未到の治療を見事に成功させた。
 「ブタの肝臓は、溺れかかったボブのために、救命ボートの役割を立派に果たしてくれたのです。さらに、遺伝子改良されたブタの臓器が極めて有用であることも証明されました。私たちは賭けに勝ったのです。人間の命を救うために動物の体を使うという、まったく途方もない、信じがたい、まるでSFもどきの話を持ち出してきた我々医師を全面的に信頼してくれた家族には、本当に感謝しています。そういう意味では、本当に賞賛されるべきなのは、家族の人たちだと思います」
(p38)
 ホワイト博士は、一九七〇年代に登場し、移植医療を飛躍的に向上させた免疫抑制剤シクロスポリンの開発に携わった研究者のひとりである。そのホワイト博士が八○年代に入り、取り組んでいるのが、ブタからヒトへの臓器移植なのだ。(略)
 「すでに遺伝子導入ブタは、ほぼ完成しています。ここ数年のうちに、ブタ臓器の人間への丸ごとの移植を始めることができるでしょう。最初に行うのは、腎臓か心臓になると思います。腎臓は、たとえ手術が失敗しても、人工透析などの道が残されていて、死には至らないからです。一方、心臓の場合は、手術が失敗すれば患者は死んでしまいます。しかし、手術をしなければ死ぬ可能性が高い心臓病で、ブタからの移植に賭けたいと願う患者は多いはずです。臨床実験の希望者には、事欠かないでしょう」
(pp41-42)
 多くの企業が巨額の費用を投じて臓器移植用のブタの開発に取り組んでいるのは、巨大なビジネスが見込めるからである。一九七〇年代に免疫抑制剤シクロスポリンが登場して以来、ヒトからヒトへの臓器移植は急速に一般化した。その結果、深刻な臓器不足という事態が生じている。現在アメリカでは、年間におよそ二万人が移植を受けているが、その数はこの五年間、ほとんど増えていない。一方、移植を希望する人の数はこの期間、六万人に増えている。実際に行われた移植数に対して、その三倍もの人が、臓器移植を希望しながら叶えられないでいるのである。全米臓器分配ネットワーク(The United Network for Organ Sharing)によると、現在十六分ごとに新しい名前が移植希望者リストに加えられ、毎日十一名が移植を叶えられることなく死んでいくという。(略)
 このように供給源が限られている臓器をブタが供給できるとなれば、臓器一個が一万ドル以上で売れると企業では見込んでいる。現在の臓器移植は、ドナーからの無償提供という形で行われているが、ブタからの移植が軌道に乗れば、臓器は巨額の利益を生む商品へと変わるのだ。アメリカの金融機関ソロモン・ブラザーズが試算したところによれば、ブタ臓器の世界市場は、二〇一〇年までに六〇億ドルになるという。英米のバイオ企業の間で展開されている一番乗り争いは、二十一世紀に現われる巨大臓器産業のリーダーシップをめぐる戦いなのである。
(pp45-46)
 臓器移植用の動物にブタが選ばれたのには、いくつかの理由がある。臓器の大きさが人間とほぼ同じ、生命倫理上サルなどに比べ抵抗が少ないこと、などであるが、もうひとつ大きな理由がある。人間は何百年もの間、ブタを食用として利用してきたため、ブタの病気などについて知り尽くしており、安全性に問題がないとされているからである。衛生的な管理のもとで飼育すれば、ブタは最も清潔な動物なのだ。

第二章 利用される小さな命
(pp64-65)
 ドナーを得る目的で子どもを作るという選択は、水面下でこれまで数百という家族が行っているといわれている。生命倫理学者のアーサー・キャプラン博士は、このアニッサさんの事件をきっかけに、同じケースが起こっているのではないかと考え、調査を行った。その結果、ドナーを得るという目的で作られた子どもは、アメリカだけで最低でも四十人はいるということがわかった。しかも、その数字はドナー目的を認めた親だけで、実際には誰にも知らせず行うことがほとんどだという。なかには、組織が適合しなかったため、三度も子どもを作った親も  日本でも同じようなケースが起こっている。二〇〇〇年一月六日付の毎日新聞には、読者の女性からの、こんな投書が掲載されている。
 「第二子の長女が二歳を過ぎた頃、神経芽細胞腫という病気にかかり、治療を受けていた病院で骨髄移植の話が持ち上がった。家族にも骨髄バンクにもHLA(白血球の型)が一致するドナーがおらず、移植のため第三子を産むことにした。だんだん大きくなるおなかを、長女と一緒に毎日さすりながら出産を待ったが、妊娠八か月のときに、娘は亡くなった。そのときは、『いったい、この子がどんな悪いことをしたというのか』という思いしかこみ上げてこなかった。長女が一年七か月入院した病院で第三子を出産したが、何とも複雑な思いで小児病棟を眺めたことを思い出す」
(pp66-69)
 二〇〇〇年十月、ミネソタ大学で六歳の遺伝病の少女を救うための手術が行われた。少女の名前は、モリー・ナッシュちゃん。血液の遺伝病で、再生不良性貧血の一種であるファンニコ症候群にかかり、余命一年と診断された。骨髄か臍帯血(さいたいけつ)の移植が必要だったが、白血球の型の合うドナーは見つからなかった。そこで両親が考えた方法が、新たに子どもを作り、その子の臍帯血をモリーちゃんに移植することだった。ここまではアニッサさんのケースとまったく同じである。しかし違うのは、モリーちゃんの両親は、生まれてくる子どもの組織が、姉のモリーちゃんと適合するかどうか、心配する必要がなかったことである。
 両親が子どもを作るために選んだ方法は、体外受精だった。作られた受精卵は全部で十五個。それを遺伝子検査し、受精卵のなかから遺伝病がなく、血液型が姉に適合する受精卵を選んで、母親の子宮に戻したのである。その結果、弟アダム君が生まれた。当たり前のことだが、アダム君の組織は姉のものと完全に適合していた。移植手術は成功、モリーちゃんは無事退院した。両親は、モリーちゃんが回復した時点で、凍結保存した受精卵を使って新たな子どもを作るつもりだという。受精卵の遺伝子診断は、重い病気の子どもの出生回避などの目的で欧米で実施され、倫理的な論議を呼んでいるが、ドナーを作るためにこうした方法が使われたのは、初めてのことである。
 今回のケースに浴びせられた非難は、十年前のアニッサさん一家のときと同様、激しいものだった。新聞の見出しを拾ってみると、遺伝子技術の進歩を危惧するものが目につく。「画期的な治療なのか、神への冒トクか。遺伝子検査は倫理モンスターを生むかもしれない」(USAトゥデイ)、「奇跡の赤ちゃんが我々を倫理の泥沼へ導く」(ワシントン・ポスト)、「遺伝子ショッピング」(ボストン・ヘラルド)、「デザイナーベビー、姉を救う」(ベルファスト・ニュースレター)。またイギリスのサンデー・タイムズは「もし子どもがしつけられないのなら、しつけられる子どもを作ればいい」と皮肉たっぷりの見出しを掲げている。
 アメリカのテレビ局NBCでは、両親のリサ、ジャック夫妻にインタビューを行なっている。
 母リサ「モリーが帰ってきてくれた。本当にうれしい。去年は本当に病気がひどく、洋服にも興味がなくなっていたのが、いまはお酒落をしたがって。笑い、ダンスをして、本当に元気になりました。アダムもとても元気です。よく食べるし、体重もずいぶん増えました」
 ―アダム君のことを「オーダーメイドの赤ん坊」とか「デザイナーベビー」とか呼ばれることについて、どう思いますか?
 リサ「夫と子どもを産む決断をしたときに一番重要だったのは、私たち家族にとって最高の決断であるかどうかということでした。私たちは子どもが欲しかった。健康な子どもが欲しかったのです。私たちにとっては、最高の倫理的な決断でした。倫理を問う人たちには、『もし、自分の子どもが同じ状況だったら、どうするの?』と聞いてみたいですね。あなたも、自分の子どもを助けるためになら、何でもするのではないですか、と。そのうえ、ドナーとなる子どもが、なんの不利益も被らないというのであれば、なおさらでしょう、と」
 ―ジャック、あなたもこの決断に何の疑問もないですか?
 父ジャック「まったくありません。この決断は、健康な子どもを産むということ以外に、何の目的もなかったのですから。そして、どんな家族も同じ考えだと思いますが、自分の家族のためならどんな手段でもとりますね。モリーのために、私たちも、できることはすべてやりたかっただけです。その結果、いま私たちは健康な子どもを授かり、そしてモリーを助けることができたわけです。そして、モリーが生存する可能性は三倍にもふくらんだのです。これ以上、何も望むことはありません」
 インタビューの内容がアニッサさんの母親メアリーさんのものとまったく同じであることに、気がつかれたと思う。子どもや家族のためなら何でもするのが親だと。子どもを救いたいという親の願いの前には、「ひとつの命を救うために、別の命を利用してもいいのか」という、生命倫理からの問いかけは、力を持ち得ない。そしてその切実な願いに、遺伝子診断という最先端のテクノロジーが手を貸していく。

第三章 夢の万能細胞
(pp89-90)
 なぜジェロン社は、ES細胞の特許を独占的に手に入れることができたのだろうか。中絶胎児からES細胞を取り出したギアハート博士には、生命倫理上の問題から政府からの資金援助が出ていないことは先に述べたが、同様の理由で受精卵からES細胞を取り出したトムソン博士にも、アメリカ政府は資金提供をしていない。二人の研究者の財政的なスポンサーとなったのが、ジェロン社だった。
 この企業では、世界中で開かれるバイオ関係の学会や発表される論文をチェックし、これはという科学者と契約を結び、資金提供を申し出て、その見返りとして特許を手に入れるというシステムで研究開発を行っている。ES細胞の特許を手に入れたのもこの方法だった。雑誌に掲載された学会報告や論文などから、ES細胞研究に取り組むギアハート博士、トムソン博士に目をつけ、巨額の研究資金を提供する見返りとして、ES細胞を取り出した暁には、その特許をジェロン社のものとする契約を結んだのである。中絶胎児や受精卵を実験材料にしているため、政府から研究資金が出ず、大学からの資金に頼るしかなかった二人の研究者にとって、ジェロン社の申し出はとても魅力的なものだった。
 ジェロン社にとっても、こうした外部の研究者に頼って研究開発を行うことには大きなメリットがある。社内に多くの研究者を抱えて製品開発に取り組んだ場合、確かな成果が上がれば費用を注ぎ込んだ甲斐があるが、もし失敗すればダメージが大きい。社外に優秀な研究者を探し出し、研究開発を依頼するほうが、遥かに成果が上がる確率が増すし、もし失敗しても見切りがつけやすい。
(p92)
 アメリカはいま、産業の中心をソフトウェアに完全に移し、知的所有権の保護・拡大を原動力に世界経済の主導権を握っている。バイオの世界は特に基礎研究が産業に直結する分野である。そのため、海のものとも山のものともつかない基礎研究の段階で、片っ端から研究成果が特許化されるという事態が起こっている。ヒトゲノム計画を進めるアメリカの国立衛生研究所(NIH)が、同じゲノム解読に取り組む民間企業との激しい競争のなかで、正体がはっきりしないヒト遺伝子を次々と特許申請したのは、その典型的な例である。アメリカをリーダーとした、将来のビジネスを見越した激しい特許争奪戦が、世界で繰り広げられているのである。
 ところがジェロン社は、ES細胞の特許を入手した現時点で、すでに莫大な利益を得ている。株価の高騰である。ジェロン社がES細胞の特許を手に入れたことが明らかになったその日、株価は前日の九ドル八七セントから一七ドル二セントへ跳ねあがったのである。
(pp97-98)
 さて、それでは、ES細胞をもとに臓器が丸ごと作り出せるようになるのは、いつのことなのか。作り出された心臓や肝臓が、試験管のなかでプカプカと浮かんでいる、そんなSFのような光景が現実になる日は来るのだろうか。リブコウスキー博士は慎重な姿勢を崩さないが、必ずその日はやってくるという。
 「おそらく、臓器を試験管のなかで培養できるようになるのは、まだまだずっと先のことです。しかし、そうなる日が必ずやってくるでしょう。臓器を作る上で知っておかなければならないことは、臓器はいろいろ異なった種類の細胞で構成されているということです。この異なった種類の細胞がお互いに融合し、それぞれの機能を果たしています。ですから、ある臓器を作る際に、ひとつの細胞のメカニズムを理解するだけでなく、それがどのように相互作用をしているかを理解しなければならないのです。現在、世界中でティッシュ・エンジニアリングが発達し、人工臓器の研究は日進月歩で進んでいます。ティッシュ・エンジニアリングとES細胞を組み合わせる方法が有効なはずです。臓器を丸ごと作ること、確かにこれは夢です。しかし、いつか実現する夢であると私は思います」

第四章 禁断の領域へ
(pp114-115)
 ウシの卵子にヒトの皮膚細胞を核移植し、電気ショックを加えたものは、およそ一週間後には胚に成長する。実際にできあがった胚を見せてもらった。
 顕微鏡のモニターに映し出される胚は、四個、八個、十六個などに分割され、ヒトの胚そのものの姿をしている。外側はウシで中身はヒトという奇妙な細胞。ウエスト氏は中身がヒトのものである限り、この胚はヒトのものだという。それでは、この胚を子宮に入れたら人間が生まれるのだろうか。ACT社の研究者が不快感を示したその質問を、ウエスト氏にぶつけてみた。その答えは衝撃的なものだった。
 「これは完璧なヒトの胚です。ウシの卵子は工場の労働者で、なかに入れるヒトの体細胞は設計図のようなものです。設計図を与えると、労働者であるウシの蛋白質は、ヒトの細胞を生成するために働き始めるのです。そして時間がたつにつれ、ウシの蛋白質は排出されていき、完全なヒトの細胞になるのです。ですから、この胚をもし母体に入れたら、クローン人間が生まれるのです。この胚からクローン人間を作ることは、クローンを妊娠してもかまわないと思う女性がいれば、いつでも実現するでしょう。
 しかし私たちは、そんなことをするつもりはありません。目的はここからES細胞を取り出すことです。とはいうものの、科学者というのは好奇心の塊です。この胚のひとつが母体に着床すれば、クローン人間が本当に生まれるのだろうか、ということを考えています。いまは、みなES細胞の開発に専念していますが、誰もがその答えを知りたがっています。もちろん私だって、その答えは知りたいですよ。いつかその日がくると思います。いったい誰がするのかは私にはわかりません。私ではないと思いますよ。クローンを妊娠してもかまわないと思う女性と、少し高度なテクニックを持つ不妊クリニックがその気になれば、クローンはいつ生まれてもおかしくないでしょう」
(pp116-117)
 ウエスト氏がウシ―ヒト間の細胞融合を公表した数か月後、今度はジェロン社が強烈な反撃に出た。クローン羊ドリーを誕生させた、イギリスのロスリン研究所の関連企業であるロスリン・バイオメド社を買収したのである。一九九九年五月のことである。ジェロン社のねらいは、ドリーを生んだクローン技術の特許を手に入れることだった。
 ES細胞という科学者の夢を実現した会社が、今度はクローンという世界に衝撃を与えた技術をも手に入れた―。ジェロン社によるロスリン買収のニュースは、世界を駆け巡った。
 ロスリン研究所は、イギリス政府の特殊研究法人である。その前身は第二次世界大戦中に設立された国立動物繁殖研究機関である。ドイツによって海上封鎖された場合に備えて、国内で食糧増産を図るために、羊などの家畜改良に取り組んできた研究所である。戦後は農業の高度化が達成されると、バイオ・テクノロジーの研究の拠点へと役割を変えた。その大きな成果がクローン羊ドリーであった。しかし、サッチャー時代から敷かれた民営化路線で、研究者の給与こそ国の機関から出るものの、研究費は民間企業から調達することを政府から求められていく。そこでロスリン研究所は、民間からの投資を得るためにいくつかの関連企業を作った。そして、そのひとつであるロスリン・バイオメド社にクローン技術の特許を所有させていた。そのロスリン・バイオメド社にアメリカのジェロン社が目をつけたのである。
 ジェロン社は、ロスリン・バイオメド社の株を二五〇〇万ドルで取得、さらに向こう六年間で二〇〇〇万ドルという資金提供を申し出た。これによってロスリン・バイオメド社の研究資金は二倍に、研究者の数も二倍になった。社名も変わることになった。ロスリン・バイオメド社からジェロン・バイオメド社へ。ロスリン研究所はクローン技術の特許と引き換えに、巨額の研究資金を得るという選択をしたのである。
(pp119-120)
 ロスリン側にとって買収に応じることには、もうひとつのメリットがある。イギリスでは現在、ヒトの胚を使った実験は禁止されている。一方ジェロン社のあるアメリカでは、政府資金こそ提供されないものの、ヒトの胚を使った実験に制限はない。これまで羊やヤギなど家畜の胚に限られてきたクローン技術の研究が、ジェロン社のあるアメリカに行けば、ヒトの胚を使って行うことが可能になるのである。
 「我々の研究は、これまで家畜などの動物に限られてきました。医療のためであろうが、実験のためであろうが、イギリスではヒトの胚を使うことは禁止されているからです。それは仕方のないことです。しかし新しい医療の開発には、ヒトの胚を使うことはとても重要なのです。我々はいま、イギリス政府に働きかけ、ヒトの胚を使うことを認めるように法律を改正することを求めています。そうなると、ジェロン社のあるカリフォルニアと同じ条件が得られることになり、研究のスピードも上がるはずです」
(pp120-123)
 巨額の研究資金を提供してまで手に入れたかったロスリンのクローン技術。ジェロン社はなぜ、そうまでしてクローン技術が欲しかったのだろうか。それはES細胞作りにクローン技術を生かすことで、より完璧な臓器を作るためだった。(略)
 ジェロン社のねらいは、このクローン技術を動物ではなく、ヒトに応用することにある。用意するのは、ヒトの卵子。あらかじめ核を取り除いておく。ここに臓器などの組織の移植を望む患者の体細胞を核移植する。これに電気ショックを与えれば、分裂が始まり、胚に成長するここまではクローン羊ドリーの製造過程とまったく同じである。もし、この胚を子宮に入れれば、ドリーと同様に体細胞の提供者である患者のクローン人間ができあがることになる。しかしジェロン社の目的は、ここからES細胞を取り出すことである。このES細胞からさまざまな組織を作り上げ、患者に移植する。この方法だと、移植の最大の壁となってきた拒絶反応はありえない。なぜならこの組織は、その患者とまったく同じ遺伝子を持つ、完璧な複製だからである。
 このようにES細胞とクローン技術を組み合わせれば、患者自身のオーダーメイドの臓器を作ることが可能となる。自分の皮膚の一片を提供すれば、皮膚、骨、血液、臓器などの交換用の部品となって戻ってくる。しかも、この移植組織は免疫的に自分とぴったり適合する。つまるところこれは、自分自身だからである。
(pp123-124)
 ジェロン社のオカーマ社長はいう。
 「ES細胞による臓器作りは、クローン技術と組み合わせて初めて有効なのです。患者の皮膚から取った細胞からES細胞を生成し、それを培養させて臓器などの組織を作れば、その臓器は患者の遺伝子を持つ完璧なコピーになるはずです。移植医療最大の難関であった、拒絶反応の問題を解決できるのです。患者は移植後、免疫抑制剤を大量に飲む必要はありません。また臓器不足も解消できます。人々は、臓器の不全を抱える前に積極的に新しい臓器に取り替えるようになるでしょう。人間は誰でも齢をとります。しかし多くの人たちは、気持ちは若いままです。これからは体も若いままでいられるのです。健康で、介護の必要もなく、充実した人生を送ることのできる時間が、ぐっと長くなるのです。このことは老人医療費の国家負担を減らすことにもつながり、マクロ経済的に見てもプラスになるはずです」

第五章 命の尊厳か、新たな医療の開発か
(p132)
 一九九八年十一月、クリントン大統領は、その諮問機関である国家生命倫理委員会(NBAC)を召集し、ES細胞研究に関する検討を命じた。命の尊厳か、それとも新しい医療の開発はかりか。研究の生み出す倫理問題と医学的な利益を秤にかけるのが目的である。
(pp134-135)
 ブリトー博士が、中絶胎児やヒトの受精卵から作り出されるES細胞研究に反対したのは、小さな命を扱う彼の仕事を考えれば自然のことであった。そして理由はもうひとつあった。この研究を政府が積極的に認めていけば、貧しい人々がお金欲しさに、胎児や受精卵を売るようになるのではないかと危惧したのである。
 「私が恐れたのは、生命が商品化されるのではないかということでした。人体の部品が商品となるのです。すでに卵子には値段がつけられ、売られています。卵子の持ち主によっては、五〇〇○ドルから二万ドルという突拍子もない値がつけられているのです。生命に値段がつけられるということがあっていいのでしょうか。ES細胞研究を認めていくと、同じようなことが受精卵にも起きるのではないかと恐れたのです。また、お金に困った人が、お金欲しさに妊娠し中絶して、ES細胞の材料を提供するという、おぞましい事態が現実になるかもしれません。人間の命に値段がつけられ、売買されるようになってしまう。人間の生命が資本主義の対象となってはならないのです。保険にも入ることができないような貧しい子どもたちを診ている私にとって、連邦助成金をES細胞研究に出すよりも、ほかにしなければならないことが、もっとたくさんあると考えたのです」
(pp141-143)
 シャピロ氏を代表とする、ES細胞研究を推進すべきだという多数意見の前に、反対派のブリトー博士は次第に追い込まれていく。そしてブリトー博士にとって最も意外だったのは、本来なら研究に反対するだろうと予想されていた宗教学者までもが、研究推進を唱えたことだった。
 「人間の受精卵、人間の生命を操作することは、絶対に許されないという意見を持った最も強硬な宗教学者までも、ES細胞に関しては、自信なさげでした。最後には意見を曲げて、研究を進めてもいいのではないかといったのには、まったく驚きました。彼らの意志は曖昧でした最も頑迷な意見を持っているはずの人までも、『家族の誰かが病気になったら、ES細胞は必要だし…』という考えだったのです。これでは『受精卵を利用してもよろしい』といっているようなものです。『おいおい、ちょっと待ってくれよ』という気持ちになりました。一番極端な意見を持っているはずの人までも、ES細胞研究に賛成している。これを聞いて私は考えさせられました。私は受精卵を生命の始まりとして見ていました。その考えが揺らいできたのです。いったい、受精卵とは何であるのか。それは本当に人間の生命なのだろうか。それとも単なる細胞の集まりなのか。受精卵の研究から得られる恩恵を考えると、少しずつ自分の意見に自信が持てなくなってきたのです」
 委員会には、パーキンソン病や糖尿病などの患者団体も招かれ、参考意見を述べる機会が設けられていた。彼らは、ES細胞が治療困難な難病を抱えている自分たちを救ってくれるという、「期待」を熱く語り、その研究を進めるために政府が助成をしていくべきだと、切実に訴えた。ブリトー博士が、最終的に反対意見を引っ込めることになったのは、こうした患者の声を聞いたことが決定的だった。
 「家族や子どもが難病に苦しんでいる人がやってきて、ES細胞研究への熱い期待を語りました。私にとって、それは最も説得力のある言葉でした。自分の身に照らし合わせて考えました。もし私の家族が難病で衰弱したり、命にも関わる臓器の不全を患うことになったりしたら、私も愛する人を助けるために、ES細胞を手に入れたいと願うでしょう。私はES細胞研究への政府助成に反対を続けるのをやめました。それにES細胞研究を民間企業だけに任せておくと、その恩恵を受けられるのは、経済的に豊かな特定の人たちだけになってしまうでしょう。社会で最も弱い、健康保険にも入っていないような貧しい人たちが、ES細胞による治療を受けられなくなるのではないか、そう考えました。不妊クリニックで受精卵が捨てられたり、簡単に妊娠中絶を選択したりする人々が後を絶たないという現状を変えられない以上、それを何か有益な目的に使おうではないか。受精卵や中絶胎児をES細胞の研究に使うことにOKを出してもいいのではないか、という気持ちにもなりました」
(pp146-148)
 生命倫理委員会は、ES細胞研究への政府資金の提供を大統領に答申した。その答申を受けクリントン政権は、二〇〇〇年八月、ES細胞研究を容認し、政府助成を開始すると発表した。ES細胞研究に、明確な指針を設けて助成を決めたのは、先進主要国で初めてである。アメリカ国立衛生研究所(NIH)が、国家予算を研究機関に支給する形で助成は行われることになる。これに伴って、NIHには「ヒト幹細胞審査班」が設置され、今後NIHからの助成を受ける場合には、企業や研究機関は審査班に研究内容を申請し、審査を受ける必要がある。また生命倫理委員会の答申通り、受精卵の提供者への謝礼を禁止するなど、いくつかの条件も定められた。
 しかし、生命倫理委員会の答申が受け入れられなかった部分もある。答申では、受精卵を使ったES細胞研究全体に政府助成を開始するよう勧告するという内容だったが、アメリカ政府の結論は、政府助成をするのは受精卵から取り出した後のES細胞研究で、受精卵からES細胞を取り出す過程そのものには助成しない、ということになったのである。
 アメリカ政府はこれまで、反対派の動きを恐れて受精卵を使った実験への政府助成を禁じてきたが、ES細胞研究に関しても、この原則を形の上で貫こうとしたのである。実際のところ、受精卵からES細胞を取り出す研究者と取り出したES細胞の研究者はまったく同じ場所で研究を行っており、この奇妙な使い分けは、ある意味で非常に偽善的な政策である。しかしアメリカ政府は、こうした見え透いたご都合主義的な解釈をしてまで、ES細胞研究を推し進めたかったのだともいえる。生命倫理委員会のシャピロ委員長は、これを残念な結果だと受けとめている。
 「当初私たちも『使用』だけに連邦助成金を出し、受精卵からの『摘出』には出さないという報告にしようかと迷いました。しかしそれは、道徳的に筋が通っていないと考えました。第三者に摘出をさせておいて、自分は使用するだけだから知らないふりをする、などということはできないと考えたのです。この研究が、受精卵の犠牲の上に成り立っていることを、研究者ひとりひとりに自覚して欲しいのです。受精卵からES細胞を取り出すことと、取り出したES細胞をどう利用するかということは、基本的には同じことです。研究者は、受精卵の利用という重い事実から逃れることはできないのです。しかし大統領は、その考え方に賛同しなかったようです。大変残念でした。残念でしたが、私はこのことを長い目で見ていきたいと思います。私たちの考えが正しいのなら、すぐには理解されなくても、人々はわかってくれるはずです。最終的には、私たちの考え方が採用されることを信じています」
 政府からの発表直後には、中絶反対を掲げる共和党大統領候補のジョージ・ブッシュ、テキサス州知事が、倫理的に問題があるとして早々と反対の意を表明した。一方、患者を救う立場から民主党候補のアル・ゴア副大統領が支持するなど、このES細胞研究の助成は、大統領選の争点のひとつに発展した。

第六章 倫理空白地帯アメリカ
(p157)
 一九七八年のルイーズの誕生がその後、受精卵診断、ES細胞技術、さらにはクローン技術へとつながっていくのである。
 エドワーズ博士は一九七八年にルイーズを誕生させたとき、すでに、将来、人類のあり方を大きく変えるような技術が生まれることを危惧していたという。
 「今後、大変なことが起きるのではないか。それを考えると、自分がこれから行おうとしていることには、とても重い責任がある。そう思ったことを覚えています。そして実際に、当時では想像もつかないことが次々と起こってしまいました。哲学には、“slippery slope”という言葉があります。一度滑りだしたらどこまでも落ちていく、危険な坂道。そのときはそんなに急な坂道だとは思っていませんでした。結果的に、私が“slippery slope”を作った張本人になってしまったのかもしれません。不妊で苦しむ人たちを救いたくてやったことが、『パンドラの箱』を開けてしまったのです」
 ルイーズ誕生以後、女性の体内を飛び出し、研究のための格好の実験材料となった受精卵。この受精卵の取り扱いをめぐって、アメリカとヨーロッパは極めて対照的な対応をとることになった。
(pp158-160)
 イギリス政府は、一九八二年に哲学者マリー・ウォーノックを議長に、医師、法律家、神学者、社会科学者、一般市民から構成される委員会を設置し、この問題を諮問した。体外受精技術がもたらした社会的・倫理的な問題は、もはや医学界だけでは解決できない、人類全体の課題であると考えたのである。
 その答申の内容は、「体外受精、人工授精、受精卵の実験的扱いについては、法律で特別の許認可機関を設置すること」という極めて厳しい制限を提唱したものだった。そしてウォーノック委員会の勧告は、そのまま法制化され、一九九二年「ヒトの受精卵と胚研究に関する法律」(HFE法)が成立した。この法律によって、受精から十四日以降のヒトの胚を、何らかの実験に使うことが禁止された。さらに、保健省の外庁としてHFE庁が新設され、ここが生殖技術とヒトの胚の扱いを一元的に管理・監督することになったのである。
 またフランスやドイツでも同様の法律が制定され、ヒトの受精卵を実験に使うことを禁止している。いずれの国でも、体外受精の実施や方向づけを医師や研究者に任せるのではなく、国が設置した委員会が中心となって、国民的な議論をもとに、生殖技術に関してそれぞれ独自の法的規制を行うこととなった。
 こうしたヨーロッパの姿勢とまったく対照的なのがアメリカである。生殖技術に関して、アメリカが唯一実施している規制は、「生殖技術の研究に連邦からの資金を出さない」ということだけである。ヨーロッパの生殖技術法に見られるような、委員会を設置して国民の間で広範に議論し、何段階にも報告書を積み上げ、法律を制定するという手法は、本来アメリカが開発してきた手法である。なぜ生殖技術に関しては、この手法が取られず、規制を行わなかったのだろうか。
 アメリカでは、一九七三年に女性の権利の保障として人工妊娠中絶を認める判決が出された。それ以来、人工妊娠中絶の禁止をめざして、保守勢力が強力な反対運動を始めた。胎児の生命は受精した瞬間に始まり、人としての保護を受けるべきだという主張だった。その運動は熾烈を極めた。中絶手術を実施しているクリニックに相次いで爆弾が仕掛けられるなどの事件が頻発したのである。
 このように人工妊娠中絶をめぐる賛否があまりにも政治問題化し、その余波で「人間の命はどこから始まるのか」という問いに関しても、アメリカでは冷静な議論をすることが困難となった。そのため国民的なコンセンサスが得られなかったのである。そうした状況のなか、保守的な生命尊重派だったレーガン、ブッシュの共和党政権が具体的に取った方策は、国民の税金から成る連邦資金を生殖技術の研究には提供しない代わりに、国としての規制も行わないということだけであった。
 その結果、アメリカの生殖技術の研究は、営利機関から提供される資金に大きぐ依存したために、際限なく商業化が進むこととなった。さまざまな不妊治療の方法が開発され、精子や卵子は売買の対象となった。現在アメリカの生殖産業は年間一〇億ドルを超える市場に成長し、医療というよりは、むしろビジネスと化している。
(pp173-176)
 第五章で紹介したように、ES細胞発見を受けて出された生命倫理委員会の報告書は、ES細胞研究のためにヒトの受精卵を使った実験に政府助成を開始すべきと提唱しているが、この大きな方針転換もバームス氏が作った流れの一環である。結局生命倫理委員会の答申は、最終的にはNIHが検討した段階で後退し、「受精卵から取り出されたES細胞研究には政府助成をするが、受精卵からES細胞を取り出す過程については、これまで通り政府助成は与えない」という結論となった。しかし当時NIHの長官だったバームス氏は、本来は受精卵からES細胞を取り出す過程にも政府助成をすべきだと考えていたという。
 「実際のところ我々の多くは、政府助成金がES細胞を取り出す過程にも出されるべきだと考えていました。なぜなら、助成金が支払われればES細胞を取り出す研究も公的機関で行われ、政府が情報を集めやすくなり、最高の研究者によって行われるからです。いま政権を離れた身で個人的な意見を述べるならば、取り出したES細胞の研究にだけ助成をして、受精卵から取り出す研究には出さないというのは偽善的だと思います。これほど病気を抱えている人に役立つ研究であることがわかっていながら、どのみち捨てられてしまう受精卵を守るために、いま多くの命を救えるかもしれない研究を妨げ、見殺しにするのはおかしなことだと思うのです」
 バームス氏がNIH長官の座について一気に規制緩和が進んだバイオ研究。そうした動きが始まるきっかけになったのは、一九九一年に出されたひとつの報告書である。
 当時の副大統領クエール氏を議長とする大統領競争力諮問会議。この会議がバイオ・テクノロジーの連邦政策に関する報告書を提出した。そこでは、バイオ産業の育成を国家戦略に掲げ、当時二〇億ドルだったバイオ産業を、十年間で五〇〇億ドルに成長させることを宣言している。そしてそのために、バイオ研究に対して無干渉に近い規制政策と積極的な政府資金の提供を打ち出している。実際に冷戦の終結後、軍事産業に投じられていた政府資金はバイオ産業に流れ込み、成長の大きな力となったのである。
 その報告書が出されてから十年。ねらい通りにアメリカのバイオ産業は巨大化し、世界各国を圧倒している。バイオ企業の平均株価は、この三年間で四倍にも高騰し、好景気の原動力のひとつになっている。そして二十一世紀には、情報通信産業と並ぶ巨大市場に膨れ上がると予測されている。この爆発的な成長を後押ししたのが、バイオを二十一世紀の基幹産業と位置づけ、その育成のためには徹底的に規制を撤廃するという姿勢で臨んできたアメリカ政府の戦略であった。バームス氏はNIH長官として、その一端を担ってきたのである。
 「科学の成長のためには、政府の規制はじゃまものなのです。政府は研究機関とうまく協力していくことが、産業を成長させる鍵です。それはブタの臓器移植の進歩やヒトゲノム研究の成果で充分証明されました。アメリカのバイオ産業にはもともと大きな力がありました。しかし日本やヨーロッパも同様の力を持っていたはずです。アメリカのような柔軟なシステムのもとでは、力を持つものはどんどん成長していきます。反対にヨーロッパのように、法律で研究を禁止してしまうと動きがとれなくなり、科学の成長を妨げることになってしまうのです」
 バイオ産業の爆発的な成長をもたらしたアメリカの国家戦略。それは一方で、人間の命の商品化という事態を招いている。際限のない生殖技術のビジネス化。命の始まりと考えられていた受精卵は、研究のための実験材料と化している。この生命倫理の空白地帯ともいえるアメリカでいま、世界が恐れていたことが現実のものになろうとしている。実際にクローン人間作りが行われようとしているのである。

第七章 クローン人間製造の野望
(pp190-191)
 クローン羊ドリーの生みの親、ロスリン研究所のウィルムット博士のもとには、いまもクローン人間の製造を依頼する手紙が、しばしば届く。
 「私は議会での発言を後悔しています。私は『真剣に研究に取り組めば、クローン人間作りは可能かもしれない』といってしまったのです。『羊の次は人間を作る』というような誤解を与えてしまいました。そのために私のところには『クローンを作って欲しい』という手紙が届くようになったのです。なかには切実な依頼もありました。交通事故で子どもを失った両親が『生きていたら十五歳になる息子を、もう一度取り戻すことはできないか』というのです。私はそれに対して『子どもさんを失ってどんなに苦しんでいらっしゃるか。非常にお気の毒だと思う』と告げ、クローンについて正確に理解してもらうように努めました。『クローンを作っても息子さんを取り戻すことにはならず、遺伝的にうりふたつのコピーを作るだけのことなのですよ』と。遺伝的にうりふたつの双生児でも、まったく別の存在なのです。異なった方向に成長し、異なった興味を持ち、性格も異なってしまうのですから。
 ある子どもが非常にスポーツが得意であったり、バイオリンが得意だったりするとき、その子のクローンを作ったら、両親は同じ期待をクローンの子どもにも抱くのです。でもその子は、そうした才能を持たないかもしれません。そうなれば、親と子の間に緊張関係が生まれます。親のねらい通りに育てようとしても、子どもが期待に添えない場合、事態は深刻です。もとの子どものように育たないクローンは値打ちがないと思われ、その子ども自身も、うちひしがれてしまいます。これが、私がクローン人間に反対する理由です」
(pp195-196)
 話しているうちに、ショーナさんは涙で声をつまらせる。医師の診断では、現在の腎臓はあと六年しかもたないという。ショーナさんは、自分のクローンを作り、そのクローンから片方の腎臓を移植してもらえればと考えたのである。クローンの腎臓ならば、拒絶反応の心配もない。ショーナさんが各研究機関に書いた手紙の一節である。
 「死にたくないのです。みんなと、そして神とともにいたいのです。世界を驚かせるつもりはありません。ただ生きることを許して欲しいのです。そのためにはクローンしかないのです」
 しかしショーナさんのもとには、はっきりとした返答はまだ届いていない。ショーナさんは、ES細胞のニュースにも注目した。ES細胞によって将来、拒絶反応のない腎臓ができる日がくるかもしれない。しかし、その日まで生きられるだろうか。クローンから臓器をもらうという考えに大きな罪悪感を持ちながらも、ショーナさんは各研究機関や企業に手紙を書き続けている。
 「自分の病気が悪くなっていることは自覚しています。私が生きている間にクローンは実現しないかもしれません。いま私は、自分のためだけでなく、同じ病気を持つ人たちのた (pp201-202)
 今回、数多くの最先端の科学者への取材をするうちに、感じたことがひとつある。
 ES細胞など、クローン技術と紙一重のところにある研究が進み、その医療への有効性が明らかになるにつれ、科学者たちが抱いているクローン人間への抵抗感も、薄れつつあるのではないか。ウシの卵子に人間の体細胞を融合させてES細胞作りを目指すACT社のウエスト氏は、はっきりと、クローン人間製造への誘惑を口にした。また、ほかの何人かの研究者たちにも、クローン人間の可能性を尋ねたことがあったが、「自分はやるつもりはないが、ほかの誰かがいつか実現するだろう」というような答えが返ってくることが多かった。世界初の体外受精児ルイーズを誕生させたエドワーズ博士も、「今日、クローン人間が誕生したというニュースを聞いても、私は驚かない」と語った。こうした科学者たちのクローンへの意識の変化は、一般の人々の間に、クローンを否定するのではなく生殖技術として見ていこうという考え方が広がっていることと無関係ではないだろう。
 実際二〇〇〇年には、イギリスと日本で、人間よりも難しいといわれていたブタのクローン製造に成功したという報告がなされた。「科学の世界では、実現可能なことは、必ず実現する」という有名な言葉がある。二〇〇一年、果たして私たちは、クローン人間誕生のニュースを聞くことになるのだろうか。

第八章 アメリカを追え 追随する国々
(p209)
 受精卵の取り扱いをめぐる議論は、日本では立ち遅れてきた。欧米社会が宗教的な基盤から「人間の命はどこから始まるのか」という問題に熱心だったのに比べ、日本では、「人間の命はどこで終わるのか」という脳死問題に関わってきたことも、その一因である。
(pp213-214)
 バイオ・テクノロジーの爆発的な発展は、裏を返せば熾烈な特許獲得競争でもある。最近、ES細胞の発見者であるウィスコンシン大学のトムソン博士は、ES細胞を研究用に提供する窓口として、新たな団体を設立した。公的機関の研究者には実費五〇〇〇ドルで、民間企業にはライセンス契約を結んで、提供する業務を行うのである。すでに日本を含め、世界から百件を超える申し込みが殺到したという。
 トムソン博士のねらいは、ES細胞を積極的に研究者に提供することで、研究全体のレベルを上げることにある。バイオの世界では、ある研究者が自分の研究成果をほかの研究者に提供するという行為は、珍しいことではない。自分の研究が外部で発展し、商業化されたとき、特許料が手もとに入ってくるからである。トムソン博士の配るES細胞の特許は、ジェロン社が持っている。ES細胞を得た世界の研究者がそこから成果を上げ、実用化が進めば進むほど、莫大な特許料をジェロン社に支払わなければならなくなる。ES細胞は、治療困難な多くの病気を克服する可能性を持つと同時に、生命を特許という形で金銭に換算するという構造も生んでいるのである。

終章 衝撃の未来社会
(pp227-229)
 シルバー博士は、バイオ・テクノロジーは、二十一世紀、核兵器をしのぐパワーを人間社会に突きつけると予測している。しかも国家が管理し、巨大な費用がかかる核兵器と違い、バイオ・テクノロジーは実験室とありふれた薬品さえあれば可能、しかもその開発は、企業の自由な競争に委ねられている。誰もその意志を抑え込むことはできない。歯止めがあるとしたら、それは我々ひとりひとりの選択しかないというのである。
 ―アメリカはバイオ研究において世界を圧倒的にリードしています。しかし一方で、規制を緩め、生命倫理のいわば空白地帯ともなっていると思います。博士は、このことへの懸念は持っていらっしゃいますか。
 「まずそれについて語る前に、アメリカ人独特の価値観を理解してもらう必要があります。アメリカには、個人のしたいことは個人で決めることができるはずであるという非常に強固な考え方があります。基本的な原理として、誰かが何かをしたいと思えば、それが他人を傷つけるものでなければ、許される―それがアメリカのシステムの基本的な原理なのです。ですからアメリカでは、研究者が体外受精やクローン、胚の研究などを行うにあたって、連邦助成金を使うことはできませんが、民間に関しては規制がまったくないため、不妊の人々を助けるという目的のためなら、どんなことでも行うことができるのです。現在、アメリカの四十六の州で、クローン作成は合法です。つまりアメリカ国民は、生殖技術やクローンに関して規制されることを拒否したのです。実際、アメリカの女性は自分の卵子を売って多額の収入を得ることができます。男性も精子を売ることができます。個人の生殖に関しては、その個人が決定する権利があるという考えのもとに、何をやっても許されるのです。もはやアメリカでは、クローン人間が可能かどうかといった段階は過ぎて、いつ誰がそれを実行するかという段階に入っています。強力な技術は、それが何であろうと悪用される可能性がありますが、私個人の意見としては、もし、クローン技術を子どもを心から望んでいる人たちの不妊の解消を目的として使うのなら、価値あることだと思います。クローンは、手を尽くした完全な不妊症の人々に福音となるのです。子どもを授かるために、大金を惜しまない人々がいて、それに応える科学者や医師がいる限り、必ず実現するのです。バイオ・テクノロジーの世界で、新たな生命を操作する技術が登場するたびに、神の領域に踏み込んではならないと人々は脅えます。しかし、一九七八年に初めての体外受精児ルイーズが生まれたときのことを思い出してください。当初、人々は、この技術を大変に恐れました。なぜならそれは、生命を操作するという、とても異質なものだったからです。このように新しいバイオ技術が開発されると、人々はそれを本能的に恐れ、使用に反対するのです。しかし時間がたつにつれ、この技術が多くの人々を助けることがわかってくると、人々は自然に新しい技術を受け入れるようになるのです。ですから、クローン技術やES細胞の技術が、いかに人々を助けるために有益なのかということが理解されれば、次第に受け入れられるようになると思います」
 ―しかし、たとえ医療のためとはいえ、胚を実験材料にすることに対する懸念の声が上がっていますが。
 「宗教的な見地から見ると、胚は人間の生命の始まりであり、殺してはならないということになります。しかし私たち科学者から見れば、胚にはヒトの遺伝子は存在するけれど、意識も脳もありません。細胞の塊です。私自身はこれらの細胞を使うことに抵抗はありません。胚を使うことは、生命を奪うのではなく、むしろ生命を与える役割をするのです。ですから、多くの人命を救うという点で、この研究は倫理にかなっていると考えています。人間の持つ強い本能のなかで、おそらく一番強いものが自分の生命を守るという本能です。できるだけ長生きしたいという欲求です。この欲求をES細胞が満たしてくれることが証明された段階で、現在の胚をめぐる議論は決着するでしょう」
 ―となると、バイオ・テクノロジーは将来も、人々が望む限り、生命倫理を置き去りにしながら進み続けることになるのでしょうか。
 「そう思います。しかし重要なことは、誰がこの技術を支配することになるのかということです。バイオ・テクノロジーをどう使うかを決めるのは科学者ではありません。強力なテクノロジーの使用を科学者が決めたことなど、歴史を見てもありません。そしてこの使用を決めるのは、国家でもありません。人々の欲望なのです。欲望が集まってできた市場がすべてを決めるのです。遺伝子技術を使って、我が子を幸せにしたい、長生きをしたいという欲望は、誰にも止めることができないのです。その欲望をどこまで膨らませるのか、それはひとりひとりが決めるしかないのです。人類の特性そのものが変わっても我が子を幸せにしたいのか、それともそのままでいいのか。それは個人の選択に任せるしかないのです」

あとがき
(pp233-234)
 私はこれまで、ドキュメンタリー関係の仕事をすることが多かった。NHKのドキュメンタリー番組には、ひとつの「必殺技」と呼ぶべきものがある。誰かの「悪口」をいうことである。
 最近、その傾向はだいぶ薄れたと思うが、ドキュメンタリーといえば、何かに向かって批判するのが常だった。批判の矛先は、行政であったり、企業であったり、社会システムであったりした。なかで最も多かったのが、科学技術に対する批判である。もちろん数えたことはないが、おそらく「科学技術の暴走」というフレーズは、ドキュメンタリー番組のなかで最も頻繁に使われた言葉ではないだろうか。しかし科学技術への批判は、往々にして安直なものになる。科学技術がもたらす恩恵には目をつむり、そのマイナス面だけを強調するのである。
 ずいぶん前置きが長くなってしまったが、私は今回「人体改造時代の衝撃」を制作するにあたって、それだけは避けたいと考えていた。特にバイオ・テクノロジーは、生命を操作する技術だけに、多くの人が直感的に「嫌だな、怖いな」という感情を抱いてしまう。実際バイオを取り上げた番組のなかには、そういう論調で作られている番組もある。私は批判や警告をする前に、バイオの最先端の研究を腰を据えて観察し、何がどこまで可能になっているのか、その到達点をきちんと伝えることを番組の最優先課題とした。
 大きな批判を浴びながら行われている研究でも、実際に取材してみると、ひと筋縄ではいかないことが多かった。
 たとえばクローン人間。クローンを作ろうとする研究者を支えるのは、野心や、ある種の狂気である。一方、それを切実に望んでいる人がいる。自分の命を救うことができるのはクローンしかないと考え、クローンの誕生を心の底から願っている。そんな人に向かって即座に、「あなたの考えていることは間違っている」と断言することは難しい。
 私は、テクノロジーに対して、「礼讃」「否定」の二者択一ではなく、新しい技術の功罪を整理し、「何を選んで何を選ばないのか」を、ひとりひとりに考えてもらいたい、という思いで取材を続けた。果たしてその思いは、番組やこの本を通して、みなさんに届いたであろうか。


■書評・紹介・言及

◆立岩 真也 2013 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版


*作成:植村 要