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『ズバリ、「しょうがい」しゃ――わが人生に悔いはなし』

森 修 20001215 解放出版社,238p.


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■森 修 20001215 『ズバリ、「しょうがい」しゃ――わが人生に悔いはなし』,解放出版社,116p. 1260 ISBN-10: 4759261109  ISBN-13: 978-4759261103 [amazon]

■内容(「BOOK」データベースより)
本書では、ここにいたるまでの著者自身の生い立ちや、「障害」者解放をめざすさまざまな活動、著者自身が求める理想の介護体制などについて語っています。

■内容(「MARC」データベースより)
障害者として生きた50年あまりを振り返り、著者自らの生い立ちや、「障害」者解放をめざすさまざまな活動、自身が求める理想の介護体制などについて語 る。〈ソフトカバー〉

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
森 修
1949年、大阪府四条畷市に生まれる。「大阪青い芝の会」会長、DPI日本会議常任委員などを歴任。現在、「大阪青い芝の会」常任顧問。四条畷市を中心 に、地域に根ざした「障害」者解放運動を展開、現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

プロローグ                                   1
1………生い立ちをとおして
 幼年期のこと                                16
 学校教育から排除されて                         20
 最初の友だち                                23
 おじいさんのこと                             28
 掛川くんとの出会い                            30
 勤労「障害」者との出会い                          37
 「大阪青い芝の会」への入会                         47
2………「障害」者の解放をめざして
 国際「障害」者年と親子心中事件                     56
 「優生保護法」を考える                          62
 「障害」者施設について                          66
 養護学校義務化                               68
 野田事件にとりくんで                           73
 豊かな街づくりをめざして                         78
3………「介護」について思うこと
 "介護される"側から                             86
 "介護する"側と"介護される"側(テープ)                  89
 被差別の介護者に期待するもの                       105
 あとがき―編集にあたって 中尾健次                   112


T.本書の形式について
本書は、「みなさんにはわかるでしょうか、いつも見下ろされている感覚が……。」(p1)という衝撃的な一文で始まる。「プロローグ」は、著者の森がこの 「見下ろされる」恐怖とどのように付き合ってきたかについて、そして、結婚前後での自身の生活や考え方の変化について、著者が一人称で語る形式で、生々し く書かれている。タイトルにある「わが人生に悔いはなし」という言葉は、現在までの人生に対する著者自身の感覚であり、自分の妻にもそのような感覚を味 わってほしいと願っている。
この形式は、「プロローグ」のみで、以下の部分では、編集者の中尾健次との対話形式になっている。中尾は現在、大阪教育大学教育総合センター教授で、専門 は「江戸時代の部落史」である。彼は、1998年5月に、卒論指導学生が森の介護に入っていた関係で、森と知り合った。そして2人は、同年6月に、大阪教 育大学でパネルディスカッションを行った。森は、「障害」者解放の視点から、中尾は、部落解放の視点から、両者の共通課題を探ろうとしたのだった。翌7月 からは、月1回のペースで、中尾が森の「介護」に入ることになった。この「介護」は、いわゆる介護ではなく、精神的な介護、つまり、「おしゃべり」だっ た。この「おしゃべり」とパネルディスカッションの内容が本書の主なネタ元となっている。
著者は、1949年4月16日に大阪の天王寺にある警察病院で生まれた。生まれたときは、いわゆる「健全」者だったが、生後6ヶ月の頃に黄疸(おうだ ん)、引きつけ、高熱を発してその症状が続いたため、脳性マヒの「障害」もつようになった。重度の障害のため、彼は自分で文章を書くことはなく、専ら語る のである。だから、本書でも、できる限り著者の語りを忠実に再現するため、対話形式が採用された。「障害」者が1人称で語る形式の文章は、確かに面白いの であるが、ともすると独りよがりになりがちである。しかし、対話形式にすることで、本書は、比較的、客観性が保たれたものになっている。

U.「 1………生い立ちをとおして」について
1959年代、60年代の「障害」者に対する風当たりは今よりもはるかに厳しく、特に現代に生きる若い「健全」者にとっては、著者が紡ぎ出す、飾らない言 葉のすべてが衝撃的であり、ストレートに心に突き刺さってくるように感じるのではないだろうか。
「障害」者が、家の外に出るというだけでも大反発を受ける時代に、著者自身も様々な恐怖と戦いながら勇気を振り絞って外の世界へ出て行った。そのことに よって様々な出会いを経験することになる。もちろん、ひどく傷つくことは幾度もあったが、様々な人々との出会いが彼を変化させていった。ある出会いが、ま た新たな出会いを呼び、ドミノ倒しのように著者の今へと繋がってきているのは、とても運命的である。

V.「2………「障害」者の解放をめざして」について
1981年は、「障害」者の解放をめざす世界的な動きの幕開け、国際「障害」者年であった。著者自身もこの時期に24時間体制の在宅生活を始めている。し かし、日本を始め世界の多くの国々では、その後から現在に至るまで、依然として多くの「障害」者差別が残っているという現実がある。法律、国の施策、公共 施設など、そのほとんどが「健全」者の発想で作られている。著者は、「親子心中事件」、「優生保護法」、「母体保護法」、「養護学校義務化」、「障害」者 施設、「野田事件」といったキーワードを切り口にして、「健全」者中心の社会や、「障害」者に対する差別に対して厳しく批判している。彼自身も、そのよう な社会の状況を打破し、「障害」者の解放をめざして様々な活動に取り組んでいるが、まだまだ理想からは程遠い状況のようである。
現在では、少しはマシになってきているようであるが、当時の「障害」者施設の状況は、QOLのカケラもない相当ヒドイものであったらしい。「健全」者が当 たり前のように持つ感情を、あたかも、「障害」者は持っていないかのような扱いがまかり通っていた。このような施設での生活を経験した「障害」者の中で、 「いい思い出」を語ることのできる人は皆無である。骨形成不全の「障害」を持つ安積遊歩は、その主著『癒しのセクシー・トリップ わたしは車イスの私が好 き!』(1993年)の中で、施設での生活について様々な生々しい経験を語っている。「ギプスを巻かれるときも、おなじ屈辱をかみしめていた。私が骨折し つづけたのは大腿骨だから、ギプスは、足だけじゃなく胸まで巻かなければいけない。巻くときは、ちょうど分娩台のようなベッドに寝かされるから、お尻まで はベッドの上にあるが、両足はすこし広げて上にもちあげた姿勢をとらされる。その格好からしてまず屈辱的だったのに、小学校の高学年になるまでは、いつも 性器をむきだしのままにされていた。数人の男の医者にかこまれて、子どもの私がたとえ彼らを男だと意識していなくても、あのわけのわからぬ恥ずかしさ、恐 怖、そして、それを感じる自分への怒り―これは、レイプの犠牲者の精神状態だと思う。」(安積,p36-37)、これはその中のほんの一部である。これに ついての解説は不要であろう。
その他にも、彼女は、当時の「障害」者施設に当然のように浸透していた考え方について、「当時の施設での教育には、障害をもつことは「悲しいこと」「かわ いそうなこと」「社会にとって迷惑なこと」というのが無意識の前提としてあった。だから、もう四六時中、「障害をもっているのだから、迷惑にならないよう に生きなさい」と、こればっかり。そして、とにかく「ごめんなさい、ありがとう、すみません」を忘れるな、とたたきこまれる。そう言って生きるのが、"賢 い障害者の生き方"と言わんばかりに。」(安積,p27)とも語っている。そして、「「障害」者は社会にとってマイナスの存在であり、少しでも「健全」者 に近づくことがいいことである」という考え方に則って、苦痛を伴う治療やトレーニングが強要されていた。当時は、「「障害」者の"今"を認め、あるがまま の状態で、不自由なく生きていくための方法を模索していく」という発想は全くなかったようである。
「障害」者の解放を実現するためのヒントとして、著者は、「そういう「障害」者と「健全」者の一致点が、本当に些細なところにあるわけで、そこらあたりか ら、お互い共に生きていけるような世の中をつくっていけばいいと思う。」(p83)ということを述べている。これは、「ノーマライゼーション」の考え方に 近いと思われる。ただ、「ノーマライゼーション」という言葉自体を嫌っているのか、それとも、「ノーマライゼーション」という言葉だけが一人歩きするので はなくその内容自体が「あたりまえのこと」として実現されることを願ってのことなのか、その意図は不明だが、本書の中には、この言葉は登場しない。

W.「3………「介護」について思うこと」について
1997年に、著者と彼の介護グループ「野郎会」のメンバーが大阪教育大学でおこなった自主公開講座のテープの内容は、非常に率直なやりとりが交わされて いて面白い。司会者の学生が、「「障害」者と「健全」者が"地域で共に生きる"ってよく言うけれども…たとえば、ヘルパーが来る時間やヘルパーのすること があらかじめ決まっていて、「障害」者が食事したいとかトイレに行きたいとか思ったときに、ヘルパーがいない。どうしてもヘルパーが来たときにご飯を食べ ようとか、ヘルパーが来るまでトイレをガマンしようとか、そういうことにならざるをえない。 そんなことで、本当に「障害」者と共に生きるといえるんだろ うか。…人間らしく生きたいと思っても、実際はヘルパーに合わせて、いいかえれば"介護"に合わせて「障害」者が生きている。ここには、「してあげる人= 『介護』者」「してもらう人=『障害』者」という発想が貫かれているわけです。…」(p89-90)と言って議論がスタートしていく。
これは、「ボランティアか、プロか」といった議論とも関連する。単純に、「ボランティアはタダだからいい」とは言えないかもしれない。介護を受ける「障 害」者は、「タダでやってもらっているんだから」とボランティアに対して遠慮してしまい、「自分が本当にやってもらいたいこと」を堂々と主張することがで きなくなることが多い。逆に、相応のお金をもらっているプロの介護者に対してなら、ある程度、気を遣わずに主張できたりする。介護者と「障害」者の立場が 対等になることは難しいことではあるが、お金がその差を埋める役割を果たすこともある。
「野郎会」のメンバーは皆ボランティア(その多くは学生)である。最初は「自分はボランティアで、介護してあげているんだ」という風に考えていたメンバー たちも、実際に著者の介護をしていくうちに意識が変わってきたようである。それは、彼らが、著者の介護を通して、同時に著者から多くのものを得ていると感 じたからであろう。実際、著者が彼らのカウンセラー役になることもしばしばあったようである。そのような関わり合いの中で、徐々にお互いに対等なギヴアン ドテイクの関係が出来上がっていったのではなかろうか。もしかすると、このような関係性は、ボランティアならではのモノなのかもしれない。

■引用文献

安積 遊歩 19931120 『癒しのセクシー・トリップ――わたしは車イスの私が好 き!』,太郎次郎社,230p. ISBN:4-8118-0623-9 1800 [kinokuniya][amazon][bk1] ※ d


*作成:田邉 元(応用人間科学研究科)
UP:20070824
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