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『家族再生』

西山 明 信田 さよ子 20001120 小学館,223p.


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■西山 明 信田 さよ子 20001120 『家族再生』,小学館,223p. ISBN-10:4093873194 1500 [amazon] ※ m,

■内容

(出版社 / 著者からの内容紹介)
第一線のジャーナリストと心理カウンセラーが、最近の「家族」をめぐる事件の背景となった「家族の危険性」を明らかにし、21世紀の「家族像」を提起する。内容は四章からなる。 第1章「殺意をはらんだ関係」で、音羽の春菜ちゃん事件を取り上げ、孤立する母親の拘束感から子どもの力を奪う親の実相に迫る。第2章「理解は支配」では、続発するストーカー殺人を中心に、なぜ加害者は一方的に思い込み、ストーカー行為に走るのか、被害者の防御の方法は?などに解答する。第3章「情けない父親」では佐賀の少年によるバスジャック事件から、父親の存在に焦点を当て親子関係の見直しを提起する。第4章「家族のSOS」では家庭内暴力事件の原因、対処法などを提起する。

(「BOOK」データベースより)
子どもが親を選べたら…第一線のジャーナリストと心理カウンセラーが、音羽の春菜ちゃん事件、佐賀のバスジャック事件、連続する家庭内暴力、相次ぐストーカー殺人などを通して、「夫婦・親子関係の危険性」を明らかにし、21世紀の「家族像」を提起する。

■目次

序章 なぜ「家族」といるのか 西山明

第一章 殺意をはらんだ関係――春菜ちゃん殺害事件を軸に
共依存の広がり/母親の拘束感/距離を遠くにとる/一直線の物語/「もう、自殺はできない」/「おれの恥だ」/逆支配/子どもの力を奪う親

第二章 理解は支配――ストーカー事件を軸に
所有の最大のテクニック/「むき身」のリベンジ/主観と客観証明/警察以外の第三者機関を/被害者が「救済者」

第三章 「情けない」父親――バスジャック事件を軸に
拘置所で安心感を/承認なき裸の王様/説明責任なき混乱/関係への断念/アダルト・チルドレンの提起/重なる児童虐待とDV/癒しには飛びつかない

第四章 家族のSOS――家庭内暴力を軸に
団塊の女性たちの復讐/戦場での父の傷/親子フリーマーケット/演技する家族/「双交通」への神話/ネットは無数の単交通/「とにかく逃げろ」/無料の緊急避難所を/家族の「延命措置」

終章 何故今、家族への援助なのか 信田さよ子
巻末資料

■引用

・家族の孤立化 「一九五〇年代から六〇年代にかけて就業人口が農業を中心とする第一次産業から第二次産業に移動した高度経済成長を迎えた。その成長期に国家と家族の間にある中間集団(コミュニティ)が解体し「家族の壁」が厚くなり「孤立化」といわれる現象が起きた。コミュニティがあるところでは、第三者による家父長権力への制裁や干渉が大きい。しかし孤立化した家族内部では、男女の性別役割分業が維持されて外部からチェックがない家長権力は強まったといわれる」p32-33

・責任が加害者になる
信田「加害者の個性も考えなくちゃいけないと思います。(…)「全て私が責任を負うべきだ」という、過剰な背負い込みをする人だということです。これは非常に責任感の強い人、真面目な人というプラスの評価になるのですが、裏側から見ると、背負わなくてもいいものまで背負い込んで、一人で悩んで一人でドツボにはまっていく自己責任過剰型の人です。これは生まれつきの性格というより、そのような責任を負うことで彼女自身が原家族に適応してきたということでしょう。」p.39
信田「何か困ったことが起こると、母親は「私のせいじゃないか」もしくは「子どもが悪くなったら私の名誉、うちの名誉はどうなるの」「夫から責められるのではないか」「子どもをなんとかするのが私の責任」と思って、子どもをなんとかまともにしようとします。このなんとかしようとする力は、子どもを変えようとすることです。それはコントロールであり支配で、ある意味では子どもを私物化した感情です」p.63
信田「努力次第でなんとかなるし、ならないのは自分が悪いと親や教師から言われて、「現実は自分次第でなんとかなるはずなのだし、ならないのは自分のせいだ」という発想をしていると、逆に「現実は自分の思い通りになってしまうのではないか」ということにつながっていくと思います。これは非常に怖い感覚です。」p.106-107

・理解は支配か
西山「子どもは誕生時は、生きていくための自己生成力しかなく、親から援助されます。援助を受ける側の発想は、「親が自分で産んだのだから当然援助は与えられるべきだ」ということです。この世に生まれたのは「自分のせい」ではない。だからこそ「親は援助して当たり前だ」と思う心のありようを「自尊心」と私は呼んでいます。子どもは自尊心を持つことで生きつなぐことができるということです。しかしどこかで親子の関係には、自尊心を守ろうという子どもの欲求をねじ曲げていく契機があるのではないかと考えています。それが多分家庭内棒直の場合、「私はあなたを理解している」「私はあなたを愛している」という親のメッセージではないか。(…)「理解は子どもにとって気持ちがいいのか」という思いが、家庭内暴力を見ながら湧いてくるのです」p.78-79
西山「理解というのは、親が絶えず子どもに最終責任を負わせ、親の「私に問題はない」という弁明が隠されているような気がします」p.80

・被害者から救済者へ
信田「「共依存」について“被害者から救済者へ”という新しいネーミングを考えつきました。つまり、傷つけた人を自分が逆に「救う側」に回っていくんです。これは傷つけられたことをカバーする最大の特効薬です。(…)アルコール依存症の夫と妻の関係はまさにそうですよ。」p.98

・親のせい、の先
信田「[ACが社会的に認知されたことで、「親のせい」という思考の活路を開いたが:引用者]問題はその先ですね。今はとりあえず親のせいとしていられるとしても、その先の大いなる責任に対する渇望が非常に高まっていると思います。だから、非常に危険な状況ではないかと考えています。「全部自分の責任だ」というところから「自分に責任がないんだ」と免責されたとき、行き先のないエネルギーが行き場を求めるでしょう。一部は宗教やなんとかイズムへ流れているんでしょうが。」p.125-126

・家族を問題にすること
信田「「あらゆる家族は機能不全である」と言ってしまえば、そこに行き着いたのかなという気がします。」p.150

・原因の除去ではなく(信田)
「 私たちは何かことが起きると「原因は何か」と考える。そしてその原因をなくせば結果としての困ったことがなくなり、解決すると考えがちだ。(…)しかし家族の中でおきていること、まして子どもにおきていることに対して同じように原因・結果が問えるだろうか。仮に問えたとしてもその原因をどのようにして除去できるというのだろうか」p.186
「[アルコール依存症では:引用者]誰よりも困っているはずの人が少しもその原因である行動をやめようとしない。死ぬかもしれないというのにそれをやめない。そして周囲の人、もっとも本人を必要とし本人も必要としているであろう人たち、つまり家族は、それをやめさせようとして悪戦苦闘して傷ついていく。(…)そんな悲劇はどこから発生しているのだろう。それは原因である酒をやめさせようとするからである。さらに言うなら、飲んでいる本人が原因なのだからと考え、本人を変えようとすることから起こっているのだ。(…)アディクション・アプローチでは「困っているのは誰か」ということを一番大切にする。つまり原因は何かと考えるのではなく、そのことによって困っているのは誰か」と考えるのだ」p.186-187
「原因結果を問わないということは次の大きな特色をもたらす。つまり援助を受けた家族がなすべき対処においてである。原因の除去という視点からは、とりあえず原因である事柄への接近が必要である。(…)原因の除去がもたらすものは本人に注目する結果、このように本人との距離が接近するという事態なのだ。暴力をふるっている息子との距離が極めて近くなるのだ。」p.189
「暴力をふるっている人を理解しようとしたり、その人を説得しようとすることは実に危険なことなのだ。そのことが暴力をさらに誘発し、結果的には親が暴力を受けることになってしまう。暴力をふるっている人からはまず離れなければならない。」p.190

■言及

◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon][kinokuniya] ※


*作成:山口 真紀
UP:20080704 REV:20081102
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