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『先天盲開眼者の視覚世界』

鳥居修晃・望月登志子 20001019 東京大学出版会,347p.


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■鳥居修晃・望月登志子 20001019 『先天盲開眼者の視覚世界』 東京大学出版会,347p.  ISBN-10: 4130111116 ISBN-13: 978-4130111119 5775 [amazon]

■出版社/著者からの内容紹介
内容(「BOOK」データベースより)
著者は、先天盲開眼者10人と比較的短い場合でも3年以上に及ぶ「協同実験」を積み重ねてきた。本書は、彼らの類まれな体験談と長期の「協同実験」を通して得られた成果であり、事物・顔を「何である」・「誰である」と特定する活動を問題の核心に据えている。
内容(「MARC」データベースより)
開眼手術を受けた先天性盲人は、何も見て取れない手術直後の状態から、色・大きさ・形等の物の属性をどう把握してゆくのか。綿密な観察と系統だった実験で視知覚の謎に迫り、視覚障害者の能力開発・形成の手立てを探る。

■目次

はしがき
序章 問題の所在と本書の課題 p1
0.1.はじめに p1
0.2.先天盲と開眼手術 p3
0.3.問題の発端とその展開 p6
0.4.実証的研究の幕開け p8
0.5.実証的研究の進展 p12
0.5.1.Sendenの文献収集とその比較研究(12) 0.5.2.日本における先駆的研究(18)
0.6.手術後の視覚学習 p21

1章 開眼手術前後の視覚障害状況 p27
1.1.開眼者との協同実験 p27
1.2.開眼手術後の視覚障害状況 p30
1.2.1.手術前後の視力(30) 1.2.2.手術後の視力の向上(31)
1.3.開眼手術後の視野 p36
1.3.1.手術後初期の状況(36) 1.3.2.手術後の視野の拡大(40)
1.4.眼球運動と眼振 p43
4.1.1.開眼前後の状況(43) 1.4.2.眼球運動の意図的制御(47)

2章 保有視覚と手術前後の視覚体験 p49
2.1.開眼手術前の保有視覚
2.2.1.はじめに(49) 2.1.2.開眼少女MMの言語報告(51) 2.1.3.開眼少女TMの報告(52) 2.1.4.開眼青年HHの報告(53)
2.2.保有視覚とその機能構成 p55
2.2.1.保有視覚に関するSH,NHの言語報告(55) 2.2.2.手術前の状況探索実験(56) 2.2.3.保有視覚と機能構成(61)
2.3.開眼手術直後の視覚体験 p62
2.3.1.単なる光受容の段階(62) 2.3.2.開眼少女MMの報告と視覚の状況(64) 2.3.3.開眼少女TMの場合(66) 2.3.4.開眼青年HHの体験報告(70) 2.3.5.SH,NHの体験報告と弁別・識別活動の増強(72) 2.3.6.SH,NHによる立体の弁別・識別(74)
3章 色名と色の対応 p79
3.1.開眼手術後の「色」の優位性 p79
3.2.開眼手術後の色名の習得 p82
3.3.色の弁別活動の形成 p94
3.3.1.初期の色光弁別実験(94) 3.3.2.提示色見本の変更と弁別活動の発現(96) 3.3.3.触覚のたすけによる定位と色弁別活動(99) 3.3.4.色調を異にする色紙の見本合わせ(101)
3.4.色の識別活動の発現と展開 p103

4章 図領域の探索活動とその展開 p107
4.1.問題の所在 p107
4.2.図領域探索活動の芽生え p108
4.2.1.基本方針(108) 4.2.2.明領域の形の弁別実験(110) 4.2.3.明領域の探索活動(111) 4.2.4.図領域(台紙上)の形に関する弁別実験(112) 4.2.5.図領域の探索活動(115)
4.3.図領域の延長方向の弁別 p117
4.4.図領域の形の弁別(開眼女性YS)
4.4.1.前段階での定位・弁別活動(126) 4.4.2.形の弁別課題と探索活動(131)

5章 立体の弁別と視点 p139
5.1.問題の発端と先行研究 p139
5.2.開眼後の立体の弁別 p144
5.2.1.基本方針(144) 5.2.2.提示材料とその種類(146) 5.2.3.提示方法の問題(149)
5.3.初めて「見た」立体(開眼少女TM) p152
5.4.立体の視・運動的弁別活動の形成 p155
5.4.1.Sendenの提言(155) 5.4.2.TMにおける立体弁別活動の形成過程(156)
5.5.視点の探索と「見えの形」 p165
5.5.1.視点移動と視点探索(165) 5.5.2.視点と「見えの形」(168)

6章 事物とその属性 p171
6.1.開眼直後ならびに初期の状況 p171
6.2.視覚以外の感覚への依存 p180
6.3.属性の抽出活動一「色」が優位となる段階 p186
6.4.「色」に依拠する識別 p190
6.5.複数の属性抽出への移行 p192
6.6.属性抽出活動の進展 p198

7章 属性の抽出とその統合 p217
7.1.属性を共有する事物 p217
7.2.属性の重ね合わせと重みづけ p219
7.3.属性の取捨選択 p222
7.4.「決め手」の探索 p224

8章 視覚の発生と非言語的交信行動の形成過程 p231
8.1.はじめに p231
8.2.初期の交信行動に対する視覚の関与 p231
8.3.視覚的応答性と交信機能 p233
8.4.視覚機能の制限下における交信行動 p234
8.4.1.先天盲児の視覚的応答性と表情表出(234) 8.4.2.弱視・全盲ザルの移動行動と社会行動(236)
8.5.先天盲の開眼直後における視覚的交信行動 p237
8.6.先天盲開眼者KTにおける視覚的交信行動の形戒過程 p241
8.6.1.視覚機能の一般的状況(241) 8.6.2.方法(242) 8.6.3.顔に対する関心と顔であることの認知(243) 8.6.4.顔の弁別と識別(245) 8.6.5.顔による表情の認知と表出(250) 8.6.6.姿勢と動作の認知(256) 8.6.7.事物の操作行動の認知(262) 8.6.8.身振りの表象的意味の認知(264) 8.6.9.姿勢にみられる情緒の認知(268) 8.6.10.非言語的行動の認知過程と視線の交信性一まとめにかえて(271)
8.7.おわりに p274

9章 鏡映像の知覚と定位 p279
9.1.鏡映像研究の系譜と問題の所在 p279
9.1.1.幼児の鏡映像認知一初期の研究による観察事実(279) 9.1.2.幼児の鏡映像認知一近年の実験的研究(282) 9.1.3.動物の自己鏡映像認知一観察事実(284) 9.1.4.動物の自己鏡映像認知一実験的事実(285) 9.1.5.鏡の道具的使用(287)
9.2.自己概念と視覚 p290
9.3.盲児の空間概念一鏡映像の空間表象 p291
9.4.開眼手術後における鏡映像の定位と知覚 p293
9.4.1.開眼者に関する先行研究(293) 9.4.2.問題提起(297)
9.5.開眼少女MOにおける眼疾患・視覚の状況と定位活動 p298
9.5.1.眼疾患(298) 9.5.2.平面および立体的な対象の定位に関する初期の状況(299)
9.6.MOにおける鏡映像の定位と探索活動 p300
9.7.MOにおける自己鏡映像の認知 p304
9.8.MOにおける他者鏡映像の認知 p307
9.9.手に持った対象の鏡映像の認知 p309
9.10.鏡の映像機能 p312
9.11.要約 p314
9.12.考察 p316

終章 残された課題と今後の展望 p321

引用文献 p327
参考文献 p339
人名索引 p341
事項索引 p343

■紹介・引用

p1
はしがき
 先天盲開眼者とは、本書では次のような人たち、すなわち、先天性もしくは生後早期の眼疾患(角膜・水晶体などの混濁)により、明暗の弁別ないしそれに加えて少数の色の識別が可能な程度の保有視覚のまま成長してのち、開眼手術を受けることができた人たちを意味する。手術後その眼が「初めて光に開かれたとき」(Diderot、1749)、その人たちはいったいどのような視覚体験をするのであろうか。これはMolyneux,W.(17世紀)以来の、多方面の研究分野にまたがる重要な探究課題であった。
 手術直後、触覚のたすけなしに、視覚だけで「立方体と球」を区別することができるのか、というのが最初の問題提起(モリヌークスの問題)であった。だが、Berkeley,G.の論考(Berkeley,1709)や18世紀以降の実証的研究を経て、「立方体と球」はもとより、保有視覚の状況しだいでは「2次元の形」も、「色」さえも弁別・識別が困難であること、さらに触覚を介して熟知している「日用物品、事物」を手術直後の眼では個物として特定し得ず、日頃接しているひとの「顔」の識別も不可能であることが次第に明らかになってきた。Senden(1932)の著書には、そのことを例示する実証的な研究報告(1930年代初頭までの)が多数引用されている。
 手術後上記のような障害状況におかれている先天盲開眼者たちの「色」、「2次元の形」、……等々の視覚的な弁別・識別活動の開発・錬成を促し、その形成を図るにはいったいどのような手立てを講じたらよいのか。これは上記の研究課題と並ぶ、あるいはそれにも増して重要な、実践的・理論的な探究課題である。その課題の遂行には長年にわたる綿密な観察と系統立った実験とが欠くべからざるものとなる。長期に及ぶという点がひとつの隘路となってか、Senden(1932)により引用された諸研究のみならず、それ以後現在に至るまでの内外の先行研究を見渡してみても、開眼後の、上記の諸活動に関わる開発・錬成・形成の過程を長期にわたって追究したものは、残念ながら蓼々たる状況である。

序章 問題の所在と本書の課題
0.1.はじめに
p2
 本書では所与の事物から「明暗、色、大小・長短、2次元の形、3次元の形態」などの諸属性を抽出する活動と、それらの担い手である「もの」そのものの識別活動とがいったいどのような仕組みあるいは原理で繋がるのかという疑問を解く緒を探っていくことにする。というのも、これら2種の活動が乖離する場合があり、しかもそれがいかなる理由によるかが十分に解明されぬまま取り残されているからである。

p3
0.2.先天盲と開眼手術
 先天盲(先天性盲人)とは、生まれたときにすでに失明状態にある視覚障害の人たちを指すこともある(Valvo,1971)が、心理学の分野では、視覚的経験の記憶があるか否かをおおよその基準として、(i)ない場合を「先天盲」、(ii)ある場合を「後天盲(後天性盲人)」と見なしている。(i)のうち、(a)出生時にすでに失明状態にあるときには「生来盲」、(b)生後数年(4歳くらいまで)の間に失明した場合には「早期失明者」とよぶが、しかし、一般的にはこの両者をあわせて「先天盲」と称することが多い。従来からの観察結果によれば、生後数年以内に失明した場合には視覚的経験の記憶が失われる(あるいは、欠く)という意味で、早期失明者は生来盲と共通の特性を有する、というのがその主な理由とされている。本書でもとくに断らない限り、この用法に拠るものとする、

p4  注 白内障に対する手術の歴史は古く、紀元前10世紀頃にまで湖ることができるといわれている。しかし、水晶体摘出法が考案されたのは18世紀半ば(1748年)であった(Dutt,1938;Rucker,1965)。

p6-8
0.3.問題の発端とその展開
 先天性白内障や生後早期の角膜疾患などの原因により上記の「先天盲」に該当することとなった人たちが、その視・運動系による定位・属性抽出活動に関して著しく制約を蒙ったまま成長してのち、開眼手術を受けたとする。手術が成功して、網膜はそれまでよりもはるかに多量の光を受容し得るようになったとしよう。手術を受けたあと「生まれつきの盲人の眼が初めて光に開かれたとき」(Diderot,1749〔平岡訳,p.92〕)、あるいは初めて「光に眼を開いた瞬間に」(Condmac,1754〔加藤・三宅,、下,p.57〕)、ひとはいったいどのような体験をするのであろうか。
 このような疑問に対する端緒を拓いたのはアイルランドの哲学者で、光学に関する著書もあるMolyneux,W.(またはMolineux,1656-1698)であった。彼は、1690年に出版されたLocke,J.(1632-1704)の『人間知性論』を読んで感銘を受け、Lockeに宛てて一通の書簡(1693年3月2日付)を送ったと伝えられている。その中で、のちにモリヌークス(モリヌー)問題(Molyneux'sProblem)として知られるようになった、以下のような問題を提起していた(Morgan,1977;Pastore,1971)。
 「ある生来の盲人が成長する過程で同じ金属のほぼ同じ大きさの立方体と球を触覚で区別することを教えられ、それぞれに触れるとき、どちらが立方体でどちらが球かを告げるようになったとする。そしていま、この盲人が見えるようになったとしよう。問い:盲人は見えるようになったいま、テーブルの上に置かれた立方体と球を、触れる前に、視覚で区別し、どちらが球でどちらが立方体であるかを告げることができるであろうか」(訳書:ロック『人間知性論』,バークリ『視覚新論』による)。>
 問題提出者であるMolyneuxは、「問い」に続いて「否」という見解とその理由とをすでに述べている。これを紹介している(『人間知性論』の後の版で)Lockeもこの問題に対する提出者自身の答えと考えに対して、「……それらを見ているだけの間は、(いずれが球で、立方体かを)絶対確実には言えないだろうという意見だ」(大槻訳、第2巻、第9章、第8節)と書き、Molyneuxに賛意を表明している、
 これに対してBerkeley,G.(1685-1753)はその著書『視覚新論』の132節で、上記のMolyneuxが提出した問題ならびにそれに対する否定的見解とLockeのそれらに対する意見を逐一引用したうえで、いっそう徹底した論考を展開した。すなわち、生まれつきの盲人が成長してのち「視覚を得た」あるいは「見えるようになった」際に、「立方体と球」だけでなく、「距離」、「大きさ」、「位置」、「事物」、「運動」などについても、これらを眼ですぐに知覚できるかどうかを一つ一つ問題にしている(『視覚新論』の41、42、79、92、95、100、103、106、110、128、135、137の各節および付録を、さらにのちの著作『視覚論弁明』(1733)の44、45、71の各節などを参照)、
(略)
 Condillac,E.B.de(1715-1780)もその著書『感覚論』(1754)の中(第3部第4章)で、MolyneuxおよびLockeに対して、彼らは「視覚に関する一切を展開するきっかけを与えた一つの問題を提起するにあたって、真理の一部分しか把えなかったように見える」(加藤・三宅訳,下〜p.57)と批判している。すなわち、「立方体と球」だけでなく、「距離、位置および大きさについても論を進めて、生れながらの盲人は光に眼を開いた瞬間に、これらのもののどれ一つをも判断しないだろうと結論すべきであった……」(同上,pp.57-58,一部改変)。なぜなら、「これらのものは球と立方体とのそれぞれの部分の知覚のなかにいずれも小さいなりに再発見されるから」で、「位置、大きさおよび距離を識別すべき眼が、形を識別することを知らないだろうと想定するのは自己矛盾である」(同上,p.58)というのである。そして、Berkeleyこそ「視覚がそれ自体ではこれらのもののどれ一つをも判断しまいと考えた最初の人である」(同上)と書いている。

P8 0.4.実証的研究の幕開け
 Berkeleyが上記の71節で引用している開眼事例報告の著者(Berkeleyは名前を挙げていないが)は、当時のイギリスの外科医Chesselden,W.(またはCheselden,1688-1752)である。そして、その報告は彼自身が執刀した、13歳の白内障(両眼とも)の少年に関する術後の視覚の観察結果をまとめたものである(Chesselden,1728)。少年は生れたときから(あるいは生後のごく早い時期から)の白内障であったが、手術前でも夜と昼の区別ができ、強い光の中では白、黒、scarlet(緋色)を区別し得るくらいの視覚機能をもっていたが、ものの形を知覚することはできなかった。ここで、このように手術前の視覚機能について記述されているが、「光」と「色(多少なりとも)」が区別できたということは、あとでも述べるように、この開眼少年のきわめて重要な特性の1つである。
 手術後初めて眼を開いたとき、この開眼少年にとっては「距離に関する何らかの判断を下すなど思いもよらぬことであったので、あらゆる対象が――ちょうど触れたものがその皮膚に接しているのとおなじように――眼に直接触れているように(少年の言語報告によれば)思えた」(Chesselden,1728,p.236)という。少年が自ら語ったといわれる、このような体験報告はChesselden以後の開眼事例研究に大きな影響(足枷ともいえる)を及ぼし、論争の的ともなった。(Senden,1932)。が、さまざまな憶測までもまき起こしたこの少年の体験報告には本書ではこれ以上深入りしないことにする〔詳しくは、鳥居(1990)および鳥居・望月(1997)を参照していただきたい〕。

p10
 注 このほか、上記で言及したこと、すなわち、すべてのものが少年の眼に「触覚の対象が皮膚に押し当てられているように、この器官に押し当てられているよう」(訳書,p.87)に思えたという報告も引用している。

p12
0.5.実証的研究の進展
0.5.1.Sendenの文献収集とその比較研究
 先天盲(主に先天性白内障)の開眼事例における手術直後の視覚体験報告に加えて術後の視覚の形成過程を何回かにわたって観察し記録した研究は、18世紀半ば以降、ヨーロッパを中心に次第に増えていっている。Senden.(1932)はそれらの文献を収集し、種々の設問に従って比較検討を加えた結果を『先天性盲人の手術前後におけ喬空間と形の把握』という著書にまとめた。彼が収集した文献の数は、11世紀のものが1編18世紀のもの7編19世紀33編、20世紀になってからが8編(ただし、1931年までのもの)となっている。各文献における開眼事例(手術を受けていない事例もある)は最古(1020年頃)の1人を筆頭に、その当時の最新(1931年)の事例を66番目として、巻末のリストにほぼ年代順に配列されている。

p14-16
 Sendenはこれらの事例に関する研究報告を比較検討するに先立って、まずそれぞれが手術前に保有していた視覚の下位機能を把握しておかねばならないと考え、これを「保有視覚または残存視覚(Restsehen)」と名づけた。前にも言及しておいたように、先天性白内障の揚合には、水晶体が最も強く混濁していても「明暗弁」の視力は残るといわれている、それに手術を受けるにあたっては「明るい、暗いの弁別」が可能であることというのが、その前提になっている。そのような事情からSendenは手術前に「明暗だけを知覚(nurHellig-keitgegeben)」していたことが確実だと思われる開眼者(すなわち、「色」も「形」も'見分けられなかった人たち)を1つの群にまとめた。これに加えて「光源ゐ方向」を適切に指示することができた人たちも、彼はこの群に属するものとした。以下、このような保有視覚の先天盲開眼者たちを一括して第1群(Sendenの基準による)とよぶことにする。
(略)
 次に第2群とされたのは、「明暗の知覚」だけでなく、それに加えて、「色彩(:Farbe)」をも見分けることが手術前に可能だった人たちである。ただし、色彩を見分けたといっても、わずか2,3種の色彩しか識別できなかった場合もあれば、もっと多くの色彩を見分けたという場合もある。(略)なお、上述のChesselden(1728)の少年の場合、この第2群に属する1人のように見えるが、Sendenは(手術前の吟味が不十会との理由からか)、ここには加えていない。
 「明暗」、「色彩」のほか、それらに加えて「形(Gestalt)」を知覚することが可能だった保有視覚の事例が何人かいることを見出したSendenはこれらの人たちをもう1つの群、すなわち第3群とした。(略)ただ、ここで「形」と言ってはいるが、少数の「2次元の基本図形」の「形」を見分けることができたというくらいの意味である(この点については、以下の該当する章であらためて論じる)。
 Sendenがこのように先天盲開眼者の手術前の保有視覚に注目したのは、1つには、失明中に「空間」をどこまで認知していたかに彼自身の関心があったからである(鳥居、1995a参照)。その一方で、手術直後の視覚体験には保有視覚が密接に関与していると考えたからでもある。とりわけ、手術直後に「単に光を受容しているだけ」とでも形容し得るような体験をするのは、保有視覚が第1群か、あるいはそれに近い開眼者ではないかと推定している。

p18
0.5.2.日本における先駆的研究
 元良・松本(1896)の「白内障患者の視覚に関する経験」はわが国における開眼事例研究の臆矢というべき論文である。迂闊にも筆者ら(鳥居・望月、1992)はそのことを長い間知らず、ようやく最近になって苧阪良二教授からその存在につき御教示を賜った(苧阪,1998)。Senden(1932)の著書が刊行される三十数年も前に提出された論文であるにもかかわらず、これがSendenによって集録・引用されていないのは、まことに遺憾と言うほかはない。元良・松本(1896)に続く日本のこの種の研究(黒田,1930)についても、同じく引用されぬままになっている、
 ともあれ、元良と松本はその論文の冒頭の箇所で、「吾人が攻究せざるべからざる問題は純粋に触覚より独立せる視的空間直覚なるものありや否や」(元良・松本、1896、695頁)にあるとし、「畢寛するにこの問題は視覚発達の初期における現象の如何を実験し、之に訴えて以て正確なる解釈を得るの外他に適当なる攻究法はなかるべし」(同上、一部改変)と説き起こしている。

p20
 黒田(1930)の開眼事例報告は本邦におけるこの種の研究の流れの中で元良・松本(1896)に続く論文である。Senden(1932)の仕事が上述のように、先行の開眼事例研究の収集とそれらの比較考察に終始しているのに対して、黒田は自らが出会った1人の開眼者(両眼とも先天性白内障で、42歳のとき手術を受けた女性)に関する調査結果について詳しく論述するとともに、Chesselden(1728)の報告を含む14編の先行研究(大半はSendenの事例リスト中にも含まれている)との比較考察を加えている。

p22
0.6.手術後の視覚学習
 開眼手術直後の視覚体験の様相を明らかにする試みとともに、Senden(1932)が力を注いだもう1つの課題は「純粋視覚」ともいうべき原初的段階での状態から、「色」を見分ける活動や「形」・「事物」を識別する活動の発現と形成の経過を見極めることであった。だが、手術後の視覚による上記の諸活動の形成を可能にするためには、何よりもまずその発現を阻む「壁」を克服しなければならない。その1つに、手術を受けたあと、それが期待し、予想していたような劇的な効果をもたらさないことによる、「眼を使う意欲の喪失」がある。実際何人かの開眼者について、そのような状況に陥ったことが報告されていて、Sendenは多くの具体例の引用に紙数を費やしている。

p22
 近年、Zekiはその著書『脳のヴィジョン』(1993)の中の「脳の可塑性」について論述している箇所(同書の22章)で、Sendenの著書からウィーンで手術を受けた14歳の女性の患者に関する初期の報告(1777年の事例[9]の文献)を引用して、開眼者が直面する上記のような困難な状況を伝えようとしている、その開眼女性は「今め状態のように、何か新しい物を見るたびに嫌な気持ちになるくらいだったら、以前の見えない状態にすぐにでも戻ってしまいたい」(河内訳、p。219)と訴えた、というのである。

p22-23
 これに続いてZekiは、Sendenの著書には集録されていないMoreau[1913]の論文を引用し、患者を手術後長期間にわたって追跡した結果に基づいてMoreauが次のように結論したことを紹介している。
 「視覚を回復する手術を受けた患者が、手術後に外界を見ることができると考えた私の仮説は、間違っていたのであろう。眼は確かに見る力を獲得したが、その力を働かせることは、最初の段階から訓練しなければならないのである。手術自体は、眼に見るための準備をさせるだけであり、眼を教育することが最も重要なのである。後頭葉は、訓練の後に初めて視覚印象を記録し、保持することができるようになる。先天盲の患者が外界を見ることができるようにするのは、外科医の仕事よりも教育者の仕事といえるのである」(河内訳,p.219)。

p24
 期待し、待ち望んでいた手術の結果が思わしくないことを知ることによって多くの開眼者が上記のような状況に陥るのをみて(視力が思うように改善されず、視野も健常範囲に達しないこともあるという事情を勘案して)、その理由を生後阜期の視覚遮断によるとする考えがある。Sendenはつとにその点に言及している。先天盲開眼者の場合、その視覚中枢が眼からの刺激を処理するに足る状態にまで達していないか、あるいは視神経の萎縮などが起こっていて網膜で受容したものを中枢にまで伝達することができない状態にあるのではないかとの懸念をひとは抱くかもしれない。だが、決してそうではないとSendenは反論して、その考えを斥ける。それは、原初的な「純粋視覚」の段階にいた先天盲開眼者の、「見る」ことへの関心ないし新たに得た視覚を活用する意欲をよびさますことがその周囲の者にはできなかったためである、と説く。その証拠に、周囲の適切な働きかけを契機として自らの「視覚」の増強・形成に積極的になり、成果を上げている開眼者が現に存在するではないかというのである。
 とはいえ、開眼者が見ることを学習する過程は決して平坦な道を行くようなものではなく、ときに、長期間に及ぶ学習試行の積重ねを要することも、十分に覚悟しておかなくてはならない。

p25-26
筆者らは、開眼手術後における各種の「属性の抽出」活動ならびに「事物・顔の識別」活動の発現・形成をたすけるのに適切な手立てと方策を探り、他方そのときどきの開眼者たちの言語報告およびふるまいにたすけられてそれらに修正・補整・転換を絶えず加えつつ、開眼者たちとの「協同実験」を1962年以来続けてきた。今日でもそれは継続中であるが、これまでの経過の一端を、以下の章で順を追って辿ることにする。

■書評・言及

作成:植村要
UP:20071117
BOOK
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