「多文化主義(multiculturalism)ということばは、1970年代の初めにカナダとオーストラリアで新たな国民統合の形態を示す国是として採用されて以来、急速に普及した。もちろん新語であって、英語の辞書(Randam Houseの新版)によれば65年、フランス語の辞書(Le Petit Robertの新版)によれば71年の日付が記されている。この英語とフランスの日付のずれは、多文化主義が英語圏からヨーロッパに広がっていったことを想像させると同時に、地域による多文化主義の差異を予想させる。英語やフランス語の多文化主義は一般的には、ある集団や共同体のなかで複数の文化が共存している状態を指すと同時に、そのような多文化の共存を好ましいと考え積極的にその推進をはかろうとする政策や思想的立場を意味する。
多言語主義(multilingualism)も新語であり、現在では多文化主義にともなってあらわれ、多文化主義ほどに定着していない印象を与えるが、実際は(197)多文化主義より古い用語である。[…]文化には言語が含まれる。したがって、多文化主義政策は論理的には多言語主義をともなうはずである。だが、多文化主義は現実には、カナダは二言語多文化主義であり、オーストラリアは一言語多言語主義であることからも分かるように、必ずしも多言語主義を含まない。一見明らかなこの論理矛盾をどう考えればよいのだろうか。そこには文化と言語の一様ではない複雑な関係が示されていると同時に、多文化主義のある種の詐術が隠されている。」(pp.197-198)