キャプランらによる論文では、優生学の反対者の主張を3点あげ、それらについて批判をしている。
@権力や強制の現出への危惧
→確かに国家や機関、第三者が個人の生殖行為に関して、強制したり抑圧を加えることには、道徳的に反対である。しかしパーフェクトな心身を得たい、病気を避けたい、
健康を追求したいという、私的な優性思想を強制や抑圧の一つに含む必要はない。
A個人に意志に任された「パーフェクト」の標準の押し付け
→例えば身体のスタミナがあること、強いこと、スピードがあること、数学の能力があること、器用であること、容姿端麗であることなどの特質は、
どこの地域でも望ましいとされており、それは世界的に共通している。子どもに頭が良い子になるように、スポーツができるようにと望む親を、単に、
(そのような特質がない人への)差別心があるとは言えない。
B優生思想に基づく選択をおこなうことを許可してしまうことから生じる不公平の問題
→完全な人間(perfect people)が多くつくられれば差異はなくなるし、不利益を被るような欠陥や障害をもつ人びとはいなくなっていく。
(Caplan, A., G. McGee, & D. Magnus. "What is Immoral about Eugenics?" The British Medical Journal 319, 1999.)