『人間の行方――二十世紀の一生、二十一世紀の一生』
多田 富雄・山折 哲雄 20000428 文春ネスコ,237p.
■多田 富雄・山折 哲雄 20000428 『人間の行方――二十世紀の一生、二十一世紀の一生』,文春ネスコ,237p. ISBN-10: 4890361030 ISBN-13: 978-4890361038 1680 [amazon]/[kinokuniya] ※
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人間は努力すれば自分のDNAに勝てるのか―科学者と宗教学者が本音で語り合った“新しい生き方”のヒント。
人間は自分のDNAに勝てるか? 技術的に可能になったクローン人間の是非は? 免疫学と宗教学の雄が来世紀にむけて放つ大激論
■目次
1 人間の持ち時間
2 誕生・臨終をいつにするか
3 病気が高める生命力
4 美は脳の幻想か
5 男と女とY染色体
終章 ヒトゲノムの行方
■引用
2 誕生・臨終をいつにするか
「山折 […]
心臓死までの段階では、死というのはプロセスだという考え方が、まだしもどの民族、との文明圏にもあったと思うんです。
ところが生命のはじまりをある一点に定めたり、死の瞬間をある一点に設定したりするという、こういう時間感覚、時間認識は、明らかに西洋的な近代医学がつくりだしたものです。
私はそれを、「生まれ急ぎ、死に急ぎの思想」と名づけています。はたしてわれわれはそういう生死観を受け入れることができるのか、生から死人にいたる直線的な時間の流れ、そういう考え方<0044<に堪えうるのかどうか、ということがあります。ほんとうにそれで精神の安定を得ることができるのかどうか、この議論がかならずしも十分におこなわれていないままに生と死の定義がきめられてしまっているような気がしますね。
多田 そうですね。誕生というのも、長い時間をかけて生まれてくるのだし、死もたしかに、一時点ではなくて、死の過程がスタートしてからまわりにいる人たちに認知されるまでの長い時間があります。つまり両方とも長いプロセスなのです。が、いまはそうではない。ある一点にきめないと、法律的に困るとか、そういう終末期医療の現場の都合から、なんとかして一点に落ちつかせようとしているのです。」(多田・山折[2000:44-45])
「多田 昔は、衰弱して死ぬことがもっとも自然な死に方のひとつだったと思うのです。ものが食べられなくなって、寝たきりになって、まわりの人も食べ物がはいらなくなったからそのうち死ぬだろうと覚悟して、そしてある朝目覚めることなしに死んでいたという、そういう死に方がいちばん自然な死に方でした。
ところがいまでは、医療が衰弱を止める方法をつくりだした。当然昔だったら衰弱して死んでしまう状態、たとえばがんなどで食べ物が喉を通らなくなってしまったときでも、中心静脈栄養という生きてゆくために必要な量の栄養素を人工的に十分与えることができます。それから電解質なども必要なだけ与える。生命活動に必須なミネラル分のアンバランスも完全にコントロール<0083<できるわけです。ですから、死ぬべき人、いつまでも生かしておくことができるという状態が生まれるわけです。
生かしておくことによって、苦しみが長引くとか、クオリティ・オブ・ライフ=生命の質が低下することについてなど、考慮を払うべきかどうかを、医学教育では教えてはおりません。医学部の教育は、本能的に生命を救う、延命させる方法だけを徹底的に教えています。
延命させる、衰弱させない。これに関しては、技術が非常に発達しています。衰弱して死ぬという自然な死に方には当然逆行したやり方になります。」(多田・山折[2000:83-84])
「多田 そうですね。自分の意思を明確にどこかに書いておくとか、あるいは人に伝えておくことでしょうか。いましておけることは。
もちろん延命治療で、時間をとめることのメリットを無視することはできない。たとえば遠くにいる息子が来るまで生かしておくとか、たとえそういう状態でも、夫婦ふたりだけの時間を長引かせたいとか、そこには長引かせた生命のすばらしい価値が生まれます。
しかし、衰弱させない、死なせない、それが無制限におこなわれるという状態をほんとうに私たちは望んでいるのでしょうか。」(多田・山折[2000:85])