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『高校生文化と進路形成の変容』

樋田 大二郎・耳塚 寛明・岩木 秀夫・苅谷 剛彦 編著 2000221 学事出版 234p.


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■樋田 大二郎・耳塚 寛明・岩木 秀夫・苅谷 剛彦 編著 2000221 『高校生文化と進路形成の変容』,学事出版, 234p. 4900 ISBN-10: 4761906553 ISBN-13: 978-4761906559 [amazon][kinokuniya]

■内容(「BOOK」データベースより)
著者たちは、およそ20年の間隔をおいて、同一の高校群に対して、同一の方法による調査を行った。本書はその調査結果をもとに、高校教育の変動を論じたも のである。今回、1997年度・1998年度に行った調査では、高校を取り巻く環境の変化の中で、トラッキング・システムにどのような変化が起きたのか、 生徒は、制度やカリキュラムの多様化・個性化・弾力化等の変化に対して、どのように生徒文化を形成しているのか、そしてその結果、今日の高校生の生活と進 路形成はどのようになされているのか検討した。

内容(「MARC」データベースより)
1979年に実施した「高校生の生徒文化と学校経営」調査を、ほぼ同一の対象に対して同一の方法によって再度実施し、その後の高校生文化と進路形成の変容 を「トラッキングの弛緩」を主たるキーワードとして探る。

■目次

はじめに

第一章 問題の設定と調査の概要
 問題の設定
 調査の概要

第二章 高校教育改革の動向 ―学校格差体制(日本型メリトクラシー)の行方―
 学校格差体制の原型完成(戦後改革期〜高度経済成長直前)
 学校格差体制の完成(高度経済成長期)
 日本型メリトクラシーとしての学校格差規範
 学校格差規範のゆらぎ
 臨教審以降の教育改革:なしくずし学制改革
 自由化論の勝利の背景

第三章 高校格差構造の変容 ―1979年(昭和54)年から1997年(平成9)年―
 "大学希望者全入"で加速されつつある進学準備教育シフト
 進学準備教育シフトにおける地域格差
 進学準備機能における地域格差
 調査対象の格差構造の変動と対象校の位置
 調査対象校の位置

第四章 進路選択の構造と変容
 問題設定
 進路志望の変化
 進路志望を規定する構造の変化
 知見と議論 進路選択の変容と階層格差

第五章 学習指導組織・進路指導組織
 問題の設定
 進路指導の内容と方針
 学習の組織構造
 考察

第六章 高校経営と生徒指導組織の変化
 生徒による学校経営評価
 実際の生徒指導の変化
 高校経営の組織化原理の変化
 おわりに

第七章 教師の対生徒パースペクティブの変容と「教育」の再定義
 問題の設定
 全体的変化―「問題視型」から「許容型」へ
 学校ランク間の差異の変化
 対生徒パースペクティブの構造の変化
 対生徒パースペクティブの変容が持つ意味

第八章 学習時間の変化
 問題の設定
 学習時間はどのように変化したのか
 出身階層と学校ランク
 結語

第九章 学業へのコミットメント ―空洞化する業績主義社会についての一考察―
 業績主義社会の変容―問題設定―
 対象と視角―学業へのコミットメントとトラッキング
 分析
 むすび―空洞化する業績主義社会―

第十章 生徒文化―学校適応
 問題設定
 学校生活の変容―18年の変化
 トラックとしての学校―社会化の場の変容と維持
 考察―学校適応の現代的モード

おわりに

*資料:戦後高校教育年表

■引用

◆はじめに

「今日の高校教育の潮流を表すキーワードである多様化・個性化・弾力化は,20年前にはほとんど話題にならなかった。当時の高校生は,図式的に述べるなら ば,高校が意識と生活の大部分を占めるとともに,中学時の成績に応じて特色づけられた高校生活や進路形成をしていた。これに対して,今日,高校教育は制度 面でも,カリキュラム面でも多様化し個性化し弾力化した。高校は依然として重要ではあっても,意識と生活に大きくのしかかるほどのことはなくなった。そし て,高校生活や進路形成は中学時の成績にかつてほど強く特色づけられることはなくなった。」(p.9)

◆第一章

「A18歳人口の急減期を迎え,高等教育進学をめぐる状況や高卒労働市場も変貌している。大学・短大志願率の上昇にもかかわらず,高等教育収容力に対する 志願者の比率は低下を続け,一部のエリート・セクターを除いて高等教育の門は急激に広いものとなった。それに呼応して,高等教育進学率は上昇して,高校生 の進路における進学シフトをもたらした。他方,高卒就職者はその分減少を見たものの,高卒労働市場はそれ以上に狭隘化し,高卒求人倍率は顕著に低下した。 それは,90年代以降の高卒無業者の漸増の一因となっている。」(p.14-15)

「「トラッキングの弛緩」仮説が導かれたのは,主として以下の理由による。
@高等教育進学をめぐる競争が著しく緩和されたことを主たる原因として,高校教育における進路面でのトラッキングに対する機能的要請が小さくなったこと。
A多様化・個性化を理念とする教育改革が進展したことにより,学校の特色化が進んだであろうこと。それは,学校間の一元的な序列構造を曖昧なものとした可 能性がある。
Bそれと同時に,高校の特色化に応じて,中学校からのいわゆる偏差値輪切りによる進学が変化した可能性があること。
C青年文化の影響力が増して,学校格差に対応した生徒の下位文化が形成されにくくなり,学校間の生徒の行動様式の差異が縮小したであろうこと。
 私たちは,このような意味での「トラッキングの弛緩」を当初仮説として,調査研究に着手したのであるが,結果としてそれが「当初仮説」にとどまったこと を予め記しておきたい。調査結果は,ある部分この当初仮説に沿ったものであったが,しかしながら,多くのデータは私たちの当初仮説を裏切り続けた。それ は,「トラッキングの弛緩」という概念の曖昧さとそれを導いた推論の不完全さに起因する。」(p.15-16)

◆第二章

「総合制を目指す学校統合は,敗戦直後で教員や施設・設備が不足したなかで行われたため,専門の教員や設備を持たない職業学科が出現したり,専門の教員や 設備があっても自由選択制によって生徒の希望が普通科に偏る結果,それらがむだになることがまれではなかった。こうして,それらを効率的に運用し職業教育 の振興を図ることを目的として,1951(昭和26)年には産業教育振興法が制定され,それをきっかけに職業科の単独校化や,他学科併置校における職業科 の分離が進んでいった。」(p.23)

「これに対して,日教組中心の進歩的教育陣営は,進学適齢期の子供を持つ母親の不安を組織して,いわゆる高校3原則の順守などを要求する高校全入運動を 1962(昭和37)年から展開した。政府の工業科・商業科主体の後期中等教育拡充策を選別・差別の能力主義教育路線と批判し,普通科主体の高校増設と入 試撤廃(希望者全入主義)を要求した。
 この時期は,膨大な数の農村地域青少年人口が大都市工業地帯に移動した時期である。この人口は製造業や商業への就職のために職業教育を必要とした。ま た,この時期は高卒就職者は中卒就職者よりも数が少なく,その上位の"中堅職業人"に位置づけられた。それらの結果,この時期の高校志願倍率は普通科より 職業科が高い状況が,1965年まで続いた。職業科主体の高校増設は,経済人の人材需要のみならず,国民の進学需要にも合致したものだったのである。 (…)
 1966(昭和41)年から1967(昭和42)年にかけて7都府県で高校3年生に行われた進路意識調査は,この時期の高校生が雇用形態としては大企業 よりは独立自営や中小企業を好み,職業としては技術・技能職や製造業関連の専門技術職を好んでおり,そのような将来展望から普通科や職業科を選択して高校 に進学してきたことを描き出していた。このような進路意識の結果,この時期には高校進学後の生徒の学習意欲も高く,留年・中退率の推定値は2%程度まで減 少した。」(p.24-25)

「職業科は,1951(昭和26)年の産業教育振興法で中堅技能者=テクニシャン養成を目的に整備された。しかし,ドイツのような職人・徒弟資格体系を持 たなかったわが国ではテクニシャンの職業別労働市場は発達しなかったので,高校職業科がその地位を確保することは不可能だった。1962(昭和37)年に は高等専門学校制度が発足し,テクニシャン養成は,1つ上の学校段階に移された。1965(昭和40)年には高卒就職が実数・比率ともに中卒就職を上回 り,労働市場では"高卒現業員化"が言われるようになった。これを境に,職業科の志願倍率は普通科よりも低下を続け,職業科の人気は凋落した。」 (p.25)

「学校格差・偏差値序列の枠組みの中でなされる中学・高校の進路指導は,学校と親が一体となって子どもに努力することをしつける活動でもあり,努力主義・ 集団主義の価値を内面化させる社会化システムでもあった。さらに高校の学科や地域社会におけるランクは,そこに入学する予定の子どもたちに高校卒業後の進 路選択をさせる予期的社会化の作用をも持っていた。
 学校格差・偏差値序列のこの社会化作用および予期的社会化作用は,学校格差が単なる統計的事実でなく,生徒・教師・親の行動に規範として作用するという 意味での学校格差規範と呼べる。この学校格差規範の枠組みの中で行われてきた進路指導や進路選択は,客観的な学業成績に基づき厳格・公平に行われたという 点で,まさにメリトクラシーの原則が貫徹している。日本型メリトクラシーと呼ぶことができる。」(p.27-28)

「1974(昭和49)年には高校進学率が90%を超え,高校教育が準義務化したといわれるほどになったが,ちょうどその頃から,集団単位での,あるいは 個人単位での反抗や内攻が社会問題化するようになり,教育病理という言葉が一般に定着した。本書巻末の戦後高校教育史料によれば,それらが社会問題化した 最初のピークは以下の通りである。
 @集団的反抗:高校紛争(1969,70),非行(1974〜1983),校内暴力(1980〜1985) A個人的反抗:家庭内暴力 (1979〜1981)
 B集団的内攻:いじめ(1985〜)
 C個人的内攻:登校拒否(1985〜),中途退学(1987〜)
 平成11年版教育白書によれば,1990年代のなかばに入って教育病理現象のなかではいじめが減り,校内暴力と不登校・中退が増えつつあるようであ る。」(p.30-31)

「進歩的知識人による1960/70年代の能力主義批判は,高度経済成長とあいまって高校全入や大学拡張を正当化し,強制移動を増やすことに手を貸してき たといえるが,80年代に入っての臨教審以来の画一教育・偏差値教育批判言説は,ゲームのルールを変えることによって純粋下降移動を減らすべく登場したと もいえる。70年代半ばから社会問題化した教育病理の諸形態が学校格差規範に対する子どもの反抗・内攻だったとするならば,画一教育・偏差値教育批判の教 育世論は学校格差規範に対する高学歴化した大人の反抗だったといえる。」(p.45)

◆第三章

「以上にみてきたことは,高等教育市場および労働市場と高校との関わりの変化,ならびに家計の教育費負担能力の変化が,複合して作用し合った結果が「純粋 無業」の増加であることを示唆している。一方で,生徒減少期に入って大学が希望者全入時代に突入する中で,高校はますます通過駅の性格を強め,高卒就職と いう自己概念を形成しないまま成長する生徒層が増加している。他方で,バブル崩壊後の不況のあおりで家計の教育費負担能力は低下しつつある。この両方の板 挟みで金縛り状態に陥った生徒の行動の集積が「純粋無業」の増加であると考えられる。裏返せば,高校の"進学準備教育"シフトは,大学進学への学力要件の 関門が総体としてみると限りなく低くなり,家計の学費負担能力がほぼ唯一の関門になりつつある中で,起こりつつあるということである。」(p.52)

「平成10年現在の高校政策の目玉は,第2章でみたように単位制や総合学科である。しかし,それらの改革が画一教育打破,個性重視のかけ声で脚光を浴びる 一方で,高卒後の進路の実態面では,大都市圏が有力大学の進学機会を独占し,非大都市圏の高校をそこから締め出す傾向にあることを忘れてはいけない。」 (p.55)

「個性重視といった理念,あるいは総合学科といった施策は,高校の大規模な進学シフトを背景としたものである。生徒数減少による財政的余裕や高等教育の構 造変化(専修学校の成長,大学入試の多様化・弾力化),労働市場の構造変化(就職率減少,新規学卒一括採用の変化)などの条件が追い風となって,それらは 戦後改革期よりは実現可能性が高いと思われる。しかし,遅れて進学シフトしつつある諸県のうちで,私学が躍進する条件のない諸県の場合,競争力の強化は公 立高校に依存するしかない。その場合,それらの諸県は個性重視理念や総合学科施策と,進学競争力強化との難しい両立を迫られている。」(p.58)

■第四章

「上位校と中位校では,国公立四大志向に収斂し,この意味ではトラックの持つ意味は類似してきた。これに対して,専門校=就職校の性格付けは崩れ,特定の 進路と学校ランクの結びつきは専門校で弱まったといえる。ある特定のランクの高校に入ることによって特定の進路へと志望が収斂する――これを,トラッキン グの一つの帰結・特徴と考えるならば,進路形成面での1979年から1997年の間の変化は学校ランクの上層部分とその他の部分では様相を異にしており, トラッキングの弛緩といった単純な概念ではとらえられるものではないことがわかる。」(p.69)

「第一に,少子化の影響によって,実質的「無選抜」といってよい,専各・短大の大幅な増加を見た。そこでは,進学の意思が必要であることはもちろんだが, エリート・セクターへの進学に必要な学力,成績は問われない。とすれば,進学を可能とする家計の状態が,進学か否かを決定する重要な変数として浮かび上 がってくる。
 第二に,今回の調査でも明らかなように,97年に至ってかつて就職校としての性格を持っていた専門校が「進路多様校」へと変身した。今回の調査対象には 含まれていない下位校(下位トラック)においても,進学者の増加と就職者の減少によって,「進路多様校」としての性格を持つに至った高校が多いことは確実 である。そして,専各・短大への主要な人員の供給源は,進路多様校に他ならない。」(p.79-80)

■第五章

「(…)第三に,進路指導に関しても,これまでのように受験を乗り切ることを第1の目標とする指導から,「人間としての生き方在り方」を考えさせる指導に 転換していこうとする動きが強まっている。89年告示の学習指導要領では,「生徒が自らの在り方生き方を考え,主体的に進路を選択することができるよう」 「計画的,組織的な進路指導を行う」必要性が説かれ,特別活動のホームルーム活動で行われるべき進路指導の内容が,6項目にわたって提示された。こうした 状況で,高校における進路指導の内容も,少しでもレベルの高い上級学校に進学させる指導から,より長期的な将来展望を見据えた指導に変化している可能性が ある。(…)」(p.85)

「(…)このように,多様なガイダンス活動とは裏腹に,むしろ学校ランクの差をこえて大学進学に収斂した指導が行われるようになっているのである。こうし た見るとガイダンス内容の多様化の中で生じているのは,多方面から刺激を与えつつ,「進学を意識づける(B県上位校U,A県中位校U)」進路指導である可 能性がある。」(p.89)

■第六章

「(…)しかし,ここで忘れてはならないのは,そうした従来からの外面的・画一的な行動統制から,個別的・内面的な適応指導への転換が,現段階では,明確 な価値観と教師間の意見統一とを欠いたもとで行われているということである。このことは,高校教育がいわゆる社会化なき個性化の教育に変容してしまうおそ れを内包している。」(p.120)

■第七章

「(…)表7-1で見たように,教師の対生徒パースペクティブは,「問題視型」から様々な生徒タイプを認める「許容型」へと変化した。さらに言えば,教師 のパースペクティブは,生徒を教え込みや統制の「集団的対象」として見る見方から,学校的価値の押し付けを緩め「生徒個々人」の自律性を認める方向に変化 しているといえる。(…)」(p.136)

「しかし,このような「規範なき社会化」は,どこまで実行可能なのだろうか。様々な生徒タイプを認めるということは,それらをすべて「よい」ものとして取 り込むことである。その上で教師は,「生徒理解」を基盤とした「支援」という方法で,社会化を試みなければならない。今の教師は,79年的な教師役割から は撤退し,規範に従わない生徒を厳しく指導・統制するという負担からは逃れているように見えるものの,生徒の全てを肯定的に受け入れることによって,より 多くの緻密な指導を行う役割を背負い込んでいるように見受けられる。その仕事は楽になったどころか,肉体的・精神的負担を増している可能性があるだろう。
 しかも,以上の方法は,すべての教師が習得できる方法論とはいえないのではないだろうか。多くの生徒を相手にしている教師が,個人として生徒ひとりひと りを理解するには,相当の時間と労力とを必要とする。更に生徒個々人を「支援」することによって社会化するのは,至難の業である。現段階では確固とした ディシプリンはなく,教師個人の熱意と能力,資質がより重要になってくると考えられる。」(p.143)

■第八章

「第3に,本章での分析は,受験プレッシャーが低下する中で,学習時間の階層差が拡大していることを示している。学校外の学習時間が学力形成に寄与する重 要な「努力」要因だとすれば,その階層差の拡大は,学力形成の階層差の拡大をもたらしている可能性がある。生得的な能力や家庭の文化的環境を通じて身につ けた文化資本の階層差に輪をかけて,さらに学習時間の階層差によっても,階層間の学力差が増幅している可能性があるのだ。」(p.161)

「(…)個性重視と「ゆとり」をめざす教育改革の流れは,受験の弊害を取り除くことをめざしながら,その社会階層差の拡大に寄与しているのかもしれない。 そうした「意図せざる結果」をも,「自己選択」にもとづく「自己責任」として正当化する基盤が,おなじ教育改革のもとで準備されていることを,私たちは忘 れてはならない。」(p.162)

■第九章

「こうした文化的位相に注目する観点から業績主義社会を捉えると,業績主義的選抜が徹底されているかどうかといった,事実的秩序(factual order)とは位相を異にした問題設定が可能になる。業績主義的な規範的秩序が諸個人の戦略形成に及ぼす効果が,検討されるべき問題領域として浮上する のである。そして,これこそ,業績主義社会の変容を明らかにすべく,筆者が足を踏み入れようとする問題領域に他ならない。」(p.165-166)

「これらの背景には,学力言説の転回(生きる力!)や,高校生の消費主体化(消費市場への取り込み)があるのだろう。しかし,いずれにしても,こうした変 化を当初の問題関心に引き戻して考えるなら,業績主義社会の変容とは,競争の終焉を意味するのではない。起こりつつあるのは,競争的主体が形成されにくく なったことによる競争それ自体の空洞化,さらには学習行動が伴わないという意味での競争的主体の空洞化である。それに加えて重要なのは,「勝ち組み」「負 け組み」といった用語が流通するような競争の時代に入りつつあり,競争から降りることの意味が大きな違いをうみだしかねない時代に,特定の階層の子どもた ちが,あるいはそれと知らずに,降りることである。」(p.181)

■第十章

「(…)問題を解決すべく,多くを許容していく場に学校を変えることは,何が正統的/非正統的かを伝達し区別していく等の学校の社会化機能をそぎ落とすこ とと背中合わせである。その結果,正統的な行動をめぐって,派手な学校と生徒の対立図式はなくなって行くが,そこに出現したのは,不満もなくなるが張り合 いもなくしていくような生徒の変化であり,そうした穏やかな水面下で,見えにくい新たな問題が生じてきている学校の姿があるのである。「地位欲求不満」モ デルの説明力の低下はこうした問題状況と密接に結びついていると考えることができよう。」(p.207)

■おわりに

「高校教育改革の時代といわれ,個性重視の原則というベクトルをもった積極的な多様化,弾力化政策が矢継ぎ早に進められている。それらはいずれも,画一 的・硬直化した高校教育制度の中で,受験プレッシャーにあえぐことを余儀なくされてきた高校生を,解放するという政策仮説に根ざしている。だが,私たちが 手にした観察結果は,この政策仮説とは明らかに異質である。誤謬を含んだ政策仮説に依拠した教育改革が,いったい,日本社会をどこに連れて行くことになる のか。新たなトラッキング・メカニズムの出現と階層的秩序の再構造化という過程に,どんな役割を果たすことになってしまのか。私たちは観察を続けていく必 要がある。」(p.220-221)


UP:20070724
「若年者雇用問題」文献表 ◇1990年代
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