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『新潟水俣病の三十年――ある弁護士の回想』

坂東 克彦 20000125 NHK出版,219p.

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last update:20180517

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■坂東 克彦 20000125 『新潟水俣病の三十年――ある弁護士の回想』,NHK出版,219p. ISBN-10:4140804920 ISBN-13:9784140804926 1600+ [amazon][kinokuniya] ※ m34

『新潟水俣病の三十年――ある弁護士の回想』表紙

■内容

弁護団長辞任

 私は一九六五年(昭和四〇年)以来、新潟・熊本水俣病事件にかかわり、闘い続けてきましたが、「新潟水俣病共闘会議(水俣共闘)」、「新潟水俣病弁護団」、「新潟水俣病被害者の会(被害者の会)」が事件を「和解」によって決着しようとしていることに納得できず、一九九五年(平成七年)一一月、第二次訴訟の提起以来つとめてきた弁護団長を辞任しました。
 以後、私は水俣共闘、弁護団、被害者の会とのかかわりをもっていません。
 三二歳の秋、阿賀野川左岸の公民館での患者の寄り合いに参加してから、被害者とともに歩み、闘い続けてきた私にとって、このようなかたちで自ら身を引くのは残念なことではありましたが、その選択は間違っていなかったと考えています。
 近年、水俣病事件の貴重な記録・資料が、関係者の執念ともいえる努力によってまとめられてきており、また、事件に深くかかわってこられた方々による貴重な著作や写真集が出版されてきてい > 008 >ます。
 熊本水俣病被害の公表から間もなく半世紀になろうとしています。水俣病事件の渦中に飛び込んで真実を追い求め、そこで何を見、何を考え、何をしたのか、そして、その結果がどうなったのかを、二一世紀に生きる人たちに伝えたいと思います。
(坂東:8-9より)

■目次

第一部 新潟水俣病の三十年――ある弁護士の回想

第二部 忘れえぬ人びと

■引用

 「原告はすべて患者である

 弁護団は原告全員が水俣病患者であることを立証すると同時に、認定基準は医学的なものでなく、患者を切り捨てるために運用されていることを明らかにしました。
 白木博次(元東大医学部長)、原田正純(熊本大学)、藤野糺(水俣協立病院)、大島義彦(山形大学整形外科)、斎藤恒(医師団)、関川智子(医師団)らが原告患者側の証人に立ちました。
 白木は国際的に優れた神経痛理学者です。白木は次のように証言し、認定審査会を厳しく批判しました。
 「体内に入った有機水銀は全身に行きわたるのであって、これを神経細胞だけを冒す神経内科病としているところにそもそもボタンのかけ違いがある。認定審査会は患者の訴え(自覚症)を無視し、数値化、客観化された症状だけを症状と見るが、それは正しくない。医学は経験科学であって実証 > 078 > 科学ではない」
 原田は幾度も新潟を訪れ、新潟の患者を診察しうえ、新潟の原告も熊本の患者と同じく水俣病患者に間違いないと証言しました。
 斎藤、関川は主治医として原告らの病状を明らかにし、全員が水俣病患者であると証言しました。

 これに対して国と昭和電工は、共通の証人として椿忠雄を最初に尋問する予定でいました。
 椿は新潟水俣病を発見した入物です。その後厚生省特別研究班の一員として県衛生部の北野博一、新潟大学の滝沢行雄とともに原因究明に加わり、いち早く「工場排液説」を打ち出しました。前にも述べたように椿は弟一次訴訟で原倍側の証人を引き愛け新潟水俣病の原因は昭和電工であると証言し、裁判勝利に大きく貢献しました。
 ところが、椿はその後環境庁の側に立ち、一九△079 七七年(昭和五二年)、一九七八年(昭和五三年)の水俣病認定基準の見直しに深くかかわったぱりか、環境庁水銀汚染調査検討委員会健康調査分科会の会長をつとめて、有明海、関川など一連の第三水俣病問題では積極的にこれを否定ずる側にまわり、さらに熊本水俣病第二次訴訟では、原者らは患者でないとの鑑定書を書きました。そして椿が会長をつとめる新潟の認定審査会では、認定申請をした患者のほとんどを患者でないとしました。
 国と昭和電工は椿を被告側のトップバッターとして証人に立て、新潟の患者に対峙させようとしたのです。しかし、椿は証人申請が行われる直前に亡くなりました。
 椿亡きあと、国と昭和電工は椿にかわる証人として滝沢行雄(元新潟大学公衆衛生、その後環境水俣病研究センター長、生田房弘(新潟大学脳研究所)、岩田和雄(新潟大学眼科)、水越鉄理(新潟大学卒、富山薬科大学耳鼻科)、福原義信(新潟大学卒、国立療養所犀潟病院)、湯浅龍彦(元新潟大学神経内科、東京医科歯科大学)、近藤喜代太郎(元新潟大学神経内科、北海道大学公衆衛生)らを立ててきました。
 椿にかわる医学証人はすべて、審査会での患者切り捨てを結果として正当化する証言をしました。
 このうち近藤喜代太郎は、認定審査会の仕事は患者を「カットオフポイント」で切ることだと公然と認めたうえ、「診定にあたっては高度な神経学的知識が要求される。真の水俣病は神のみぞ知るであり、真実と一番近いのが認定審査会の結論である」と述べました。
 診定というのは、患者が認定基準にあたるかどうかという判断であって、患者の症状から何の病 > 80 > 気かを判断する診断とは性格が違うものです。
 滝沢行雄も、かつて新潟大学在職時には患者側に立ち、第一次訴訟で阿賀野川中流地域の死んだ猫の水銀値を分析した結果を証言しました。新潟水俣病研究会でもシンポジウムに参加し、第一次訴訟を一緒に闘った仲間でした。
 新潟市松浜は阿賀野川右岸河口にあって、日本海と阿賀野川に漁場をもつ古くからの漁師町で、裁判当時、認定患者が六一名、認定棄却者が一二六名いました。
 これについて滝沢は法廷で、「松浜の患者は姻戚関係とか勤務先の関係で移り住んできた患者であり、もとからの松浜の住民はいない。もともと松浜は疫学的な背景から見て、患者が発生するということば考えられない」と述べたのです。
 しかし滝沢は反対尋問では松浜の漁民が阿賀野川でも漁をしていたという事実さえ知らなかったことが明らかになりました。滝沢は中毒に関する証言をするのに何枚もスライドを用いましたが、そのスライドはすべて昭和電工が作成して提供したものでした。
 滝沢は数多くの政府関係の委員を歴任し、その後水俣市にある環境庁水俣病研究センター長になりました。
 椿門下の湯浅龍彦は新潟の認定審査会資料を解説し、原告二四三名のなかに水俣病患者は一人もいないと証言しました。しかし反対尋問において、私が患者が多発している千唐仁地区の住民検診の結果を数値をあげて尋問したところ、彼は「多発神経炎の症状をもつ者六九パーセントですか」、△081 「そして共同運動障害がそれに匹敵するほどの異常値があり、平衡障害が八五パーセント異常があり、かつ視野狭窄が二九パーセント、聴力障隼も六五バーセント、もしこういうのが個々にあれば、これは普通は水俣病と診断すべきですね」と答えて、被告の国と昭和電工をあわてさせました。
 かつて第一次訴訟において、横浜国立大学の北川徹三は「安全工学」の名のもとに昭和電工を擁護しようとしたのですが、第二次訴訟において国と昭和電工の立てた医学者たちは、「医学」の名のもとに原告らを水俣病患者でないと言って、昭和電工を免罪する役割を果たそうとしたのです。

 また弁護団は国の責任を明らかにするため大石武一(元環境庁長官)、北野博一(元新潟県衛生部長)、半谷高久(元東京都立大学)、伊藤蓮雄(元水俣保健所長)らを尋問しました。
 大石は第二代環境庁長官の時代に「水銀の影響を否定できない者は認定せよ」との環境庁次官通達を発して患者に救済の道を開き、また尾瀬の観光開発道路の建設を中止させるなど、公害・環緯問題に深い理解を示していました。
 私が大石を神田の事務所に訪ね、ぜひ新潟の患者のために証人に立つよう依頼したところ、大石はこれを快諾しました。
 大石は法廷で水俣病についての政府の責任を証言しました。国務大臣をつとめた人が患者側の証人に立ったことは、新潟の患者をどれほど励ましたかわかりません。
 北野は、新潟水俣病の原因究明の段階で通産省が行った調査妨害の事実を具体的に証言しました。」(坂東[2000:78-82])

■書評・紹介・言及

◆立岩 真也 2018/08/01 「七〇年体制へ・下――連載・148」,『現代思想』46-(2018-08):-

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社


*作成:岩ア 弘泰
UP:20180517 REV:20180701
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