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『万博とストリップ――知られざる二十世紀文化史』

荒俣 宏 20000123 集英社(集英社新書0011),238p.

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■荒俣 宏 20000123 『万博とストリップ――知られざる二十世紀文化史』,集英社(集英社新書0011),238p.  ISBN-10: 4087200116 ISBN-13: 978-4087200119 680+税  [amazon][kinokuniya]

■内容

美女があでやかな笑みを浮かべながら官能的に舞うストリップ・ショー。そして二十世紀機械文明を象徴するような万国博覧会。 この二つが実は切っても切れない深い因縁で結ばれていたとは! いや、かつて、国家的イベント万国博覧会は、ストリップなくしては発展しえなかったとさえいえるのだ。 ロンドン、パリなどを舞台に繰り広げられた万博とストリップの発展史になぜか登場する明治期の女優川上貞奴…。ジプシー・ローズ・リー、 黒豹の女王ジョゼフィン・ベーカーなどの名花のエピソードをちりばめながら、万博とストリップの出会いの必然を鋭く読み解く。本書は著者初の新書への書下ろし。

■目次

プロローグ 演劇博物館と川上貞奴
万国博覧会とストリップ、その因縁は意外なほど深い
早稲田大学演劇博物館に最初期のGストリングがあった!
川上貞奴、パリ万博でセクシーに踊る

第一部 万国博覧会に咲いたストリッパーたち
一九三三年 シカゴ万博
第一章 サリー・ランドの冒険――裸のゴティヴァ夫人を演じたストリッパー
裸で白馬にまたがり万博会場に乗りこんだ謎の美女
大不況のただ中に浮かれる上流階級へ、“からだ”を張った抗議

一九三九年 ニューヨーク万博
第二章 興行師ノーマン・ベル・ゲデスの挑戦――ヌードに未来を見た男
明日の世界は完璧なユートピア、とうたい上げた博覧会
「ストリップこそ未来のアート」

一九三九年 ニューヨーク万博
第三章 名花ジプシー・ローズ・リー登場!
ピンチ! サリー・ランド、ライバルのサンフランシスコ博覧会に出演
ニューヨーク側、セクシーな水中レビューで対抗す
ジプシー・ローズ・リー VS ビリー・ローズ、因縁の対決

第二部 さかのぼって一九世紀パリ。万博とセクシーダンスの誕生
一八五一年 ロンドン万博から一九〇〇年パリ万博まで
第一章 それはパリ万博に始まった
第一回ロンドン万博からほの見えたヌード志向
万博とセクシーダンス、ついにパリで結びつく
世紀末の万博は、教育的展示から娯楽の祭典へ

一九〇〇年 パリ万博
第二章 光の女魔術師、ロイ・フラー
アールヌーヴォーのパリで誕生した女性美のダンス
万博のたびに繰りだされた、刺激的な新しい踊り
不運なダンサー、ロイ・フラーを大金持ちに変えた偶然の事件
ロートレックやロダンを使った画期的なPR
ロイ・フラーの最大の武器は“光”と“色”

一九一四年 第一次大戦下のパリ
第三章 ミュージックホール――戦争のさなかの歌声
大スターダンサーから群舞のヌードレビューへ
舞台のヌードガール登場は学生のばか騒ぎから
戦火の下、ヌードレビューに若い兵士たちが

一九二〇年代 パリ
第四章 黒豹の女王ジョセフィン・ベーカーの衝撃
“ミュージックホールの小林幸子”ミスタンゲット
野生の気品を漂わすジョセフィン・ベーカー
一九三七年パリ万博はベーカーのレビューで大成功

第三部 そして一方、日本の博覧会にもヌードの影が
一九〇三年 内国勧業博覧会
第一章 明治三六年のロイ・フラー

一九一四年 東京大正博覧会
第二章 大正博覧会の覗き部屋

一九二二年 平和記念東京博覧会
第三章 ベリーダンス、ついに登場

第四部 そもそも欧米のストリップは、どのように成立したのか
一八五〇年 ロンドン
第一章 夢の世界ミュージックホールが生まれるまで
遊園地、ミュージックハウス、「市」がその母体
“いかがわしい”ミュージックホール誕生

一九八〇年代 パリ
第二章 幻想的なヌードは、やはりフランスから
パリのミュージックホールの象徴フォリ・ベルジェール
一八九三年二月九日がパリにヌード誕生の日?

一八六〇年代〜 アメリカ
第三章 「バーレスク」から生まれたセクシーダンス、ストリップ
始まりは、金髪美人による脚線美ショー
一九二六年のある夜、シカゴでストリップ誕生?

一九四五年 第二次大戦後
第四章 日本のストリップ奮戦記
「額縁ショー」進駐軍とともに流入したストリップ
風呂桶ショーに養老院慰問。浅草派の独自の進化
取り締まり強化と不入りを打開した外人パワー
日本ならではの境地を開拓したスターダンサーたち

エピローグ なぜ万博とストリップなのか
一、肉体を愛する者たちへ
二、機械の花嫁たち
三、万博とストリップの末路

あとがき
主要参考文献

■引用

エピローグ なぜ万博とストリップなのか

一、肉体を愛する者たちへ
 万国博覧会に限定されるわけではないが、近代の宣伝活動すべてにいえることは、 産業と文化を適度に混ぜこんで国際的にアピールするエンターテイメントをつくりだすことを主眼とした、という事情であった。いい換えれば、 一国の総合的実力を宣伝する場こそ、万博をふくめたエンターテイメントの真相だったのである。
 その場合、博覧会で行なわれたアピールの手段、二つの大きなイベントがあった。一つは、コンテスト、もう一つは、アトラクションである。
 コンテストについては、最もよく知られているものが、金メダル、銀メダル、銅メダルという賞牌を創案した万国博覧会であった。 金・銀・銅メダルなら、オリンピックではないのか、と思われる方もおいでだろう。しかし、 実はこの三メダルを“発明”したのは万国博のほうであって、古代ギリシアのオリンピアードでも近代オリンピックでもなかった。
 むしろ、万国博覧会自体がオリンピックを余興に利用したのである。というのは、近代オリンピックは第二回から第四回まで、 各地で開催される万博のアトラクションとして同時開催された。各国が自国の産品や文化を競いあい、宣伝しあう場は、肉体を競いあう国際>224>競技大会にも、 よく似合っている。すなわち、オリンピックを「肉体の万博」と位置づければ、これほど万博の目的にかなうイベントもなかった。
 そこで、万博はオリンピックを同時開催し、すぐれた肉体に、すぐれた産業製品に与えられたのと同じ金・銀・銅メダルを授与したのである。
 この発想の下には、二十世紀に生まれた最も特徴的な人体観が宿されている。人物を物と見る発想である。物であるから、魂や霊や人格とは切り離して、 鑑賞することが可能となる。物であるから、人格とは別に改良や研磨が可能となる。また、その人物の人格とは関係なく、その肉体だけを愛することすら可能となった。 二十世紀にファッションやスポーツ、あるいはセックスが意味変換したのも、このような下地があったせいである。そのとき、キイワードとなったのが、「機械」であった。
 機械は工業製品だが、肉体もまたその機能は「生きた機械」として測定可能なのである、と。なかでも注目されるのが、「若さ」への崇拝である。二十世紀は老いを悪とし、 若さを善とした、人類史上でも目新しい世紀となった。若さとは若い肉体を意味し、機械的能力のまさった最新鋭機種のことである。 労働力としてもすぐれていた。(pp.223-224)

[…]あらゆる物に対する「愛」が堰を切った水のように、社会にあふれはじめた。同性愛もそうだし、ナルシシズムのような自己愛、また極端には死体愛までが登場した。 なかでも強力だったのが、フェティシズム、すなわち物心崇拝の流れであった。物を神として崇拝することである。むろん、人体各パーツもまた、物なのである。
この結果、脚だけを愛したり、乳房やくるぶしに異様な執着をみせる傾向も生じた。二十世紀の美女観の中核をなすセクシーガールの理念は、こうして生まれたのである。 肉体を誇示するヌードダンサーやストリッパーは、まさに生まれるべくして生まれた新しい「美女」の典型であった。(p.225)

[…]アトラクションとは、文字通り「誘惑」である。客の目を魅(ひ)く見世物のことである。コンテストにおけるキイワードが「機械」であったとすれば、 こちらのキイワードは「エンターテインメント」しかない。もてなしのことである。目と心をもてなす、スペクタクルな光景。
 そのために、万博会場では、ありとあらゆるシンボリックな建物やモニュメントが建造された。あれは「目で見る」万博のメッセージだったといってよい。 これを見た人々が、未来はすばらしい、楽しい、と思ってくれればよい。その未来に、魅惑という色彩を提示したのが、人体の中の人体――すなわち女体であった。(p.226)
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二、機械の花嫁たち
 さて、ベル・ゲデスが舞台デザインを手がけていたという経歴は、車とセックスの結合を運命的に完遂させた。 かれは当初から人工的でなく自然に見えるデザインを心がけていたが、一九二七年に工業デザインに転じ、自動車のスタイリングを研究しだしたときから、 一つのこだわりをもった。それは、機能的というよりも美術的に「見た目のよい」デザインを創ることであった。したがって、かれがすぐに流線形にのめりこんだのは当然である。 ならば、流線形のなかでどのようなフォルムが最も美しく、自然だろうか。
 とんでもないヒントが、かつて仕事の舞台に転がっていた。安ピカのセクシー女優である。体の線をぴっちりとあらわしたアールデコ・ファッションの女性たち。 流れるような線で縁どられ、丸みを帯び、突きでたり角ばったりしたところもなく、安心感があって優雅でもある形――それはつまり、女体であった。
 ベル・ゲデスが発見した最も完璧な流線形。それが女体であった事実は、一九三〇年代以降のエロティシズムを決定的に変えた。(p.230)

 一九三九年ニューヨーク万博は、まさに流線形をあらゆる産業製品、イメージ、フォルムに応用する実験会場となった。 そしてこの万博のデザインを仕切ったベル・デゲスが展示した現代最高の「美品」とはなんであったか? 書くまでもなく女体であった。 かれは流線形のバスを輸送網とした「フューチャラマ」なる未来館と並んで、そのしなやかな肢体を惜しげもなくさらすストリップショーを、 万博最大のアトラクションに位置づけたのだった。(p.231)
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三、万博とストリップの末路
 しかし、第二次大戦の勃発は、万博とオリンピックがイメージした「国家」や「未来」の、皮肉な現実化となった。
 だれもが万博に失望した。
 だれもがオリンピックに失望した。
 科学は人間を幸福にしない。
 国と国の競争は、結局政争にまきこまれ、戦争に終わる。
 したがって、一九五八年にブリュッセルで久びさに開催された万国博覧会は、まことにみじめな失望に終わった。開催国ベルギー国内ですら、 万博に対する反発が激しかった。というの>233>も、そのテーマである「ヒューマンスケール(人間の尺度)による世界の建築」とは裏腹に、 建造された会場はル・コルビュジェの建築を筆頭に、どれもこれも人工的で、人間らしいうるおいに欠けたものだったからだ。
 当時の人々は、鉄や機械のつくる未来を、もはや「悪夢」としか受けとれなくなっていたのである。
 ル・コルビュジェが設計したフィリップス社のパビリオンは、閉会直後に破壊された。(pp.232-233)

 次いで一九六二年のシアトル万博は、ジョン・F・ケネディ大統領指揮による「人類の宇宙生活」というSF的テーマに、一気に飛んでしまった。だが、 宇宙への飛躍を科学の新しい魅力に据えたアメリカの方針は、ようやくのことで万博の意義を盛り返すことに成功した。
 こののち、一九六四―五年に開かれたニューヨーク万博、一九六七年のモントリオール万博、>234>そして一九七〇年の大阪万博は、 ふたたび「未来」と「進歩」のショーケースとしての役割に邁進していった。
 一方、ストリップだが、本国アメリカではバーレスク劇場の売りものだった時代も過ぎ、どんなクラブやキャバレーでも演じられる、 ごく消費的なパフォーマンスとなった。毒気も、気迫も、創造性も、ストリップからは失われていった。さらに、そのエロティックな刺激すらも、 他の過激なメディアに奪われていった。
 ストリップそのものが、ごくありきたりの見世物へと降下してしまったのである。いい替えれば、ストリップは「未来」ではなく「過去」になった。
 こうして、第二次大戦後の万博とストリップは、二度と、たがいの存在を高めあうような関係を持つことがなくなった。
 万博は「未来」のイメージを他にもとめ、今や、未来そのものの訴求力すら失うこととなった。ストリップは、もはや、進歩しないことの代名詞となった。(pp.233-234)
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■関連文献

◆古川 隆久 19980315 『皇紀・万博・オリンピック――皇室ブランドと経済発展』,中央公論社(中公新書1406),247p.  ISBN-10: 4121014065 ISBN-13: 978-4121014061 700+税  [amazon][kinokuniya]

◆椹木 野衣(さわらぎ・のい) 20050225 『戦争と万博』,美術出版社,349p.  ISBN-10: 4568201748 ISBN-13: 978-4568201741 2800+税  [amazon][kinokuniya]

■書評・紹介

■言及



*作成:北村 健太郎
UP: 20150807 REV:
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