HOME > BOOK


Inclusion and Democracy

Young, Iris Marion, Oxford University Press.


このHP経由で購入すると寄付されます

アイリス・ヤング集中講義


■Young, Iris Marion 2000: Inclusion and Democracy, Oxford University Press. ※
・紹介を見てみる
 http://www.oup-usa.org/isbn/0198297556.html

◆裏表紙にある要約の訳(作成:小林勇人*)
 *http://www.ritsumei.ac.jp/~ps010988

  民主主義的な平等が必要とするひとつの原理とは、基本的な利害が諸政策によって影響を被る人は誰もが、その政策の形成過程に包摂されるべきだ、という原理である。しかし諸個人や諸集団がしばしば異議申し立てをするのは、決定・形成過程が社会の中で幾つかの利害や観点のみによって独占されているということだ。包摂の理念とは何なのだろうか。その際その理念とは、それを通じてそのような批判がなされるべきであり、また、より包括的な政治実践を導くであろうものだ。本書が考慮する問いとは、民主主義的なコミュニケーションの規範、表象やアソシエーションの過程、行政区の範囲がどれくらいの広さであるべきなのか、という観点からの問いである。
  民主主義の理論家が十分に注意を払ってこなかった様式があり、それが障壁となって、討論や決定・形成の過程がしばしば諸個人や諸集団を周辺化するのだが、それは政治的議論の規範がいくつかの表現形式に対して偏見を抱いているからなのだ。「包摂と民主主義」は、我々の民主主義的なコミュニケーションの理解を広げるが、それは物語、修辞的に位置づけられた訴え、公共の異議申し立て、といった肯定的な政治的機能を反映することによってなされる。「包摂と民主主義」が再構築するのは市民社会や公共的領域の諸概念であり、例えば大規模な諸社会において討議する市民の間での多元的なコミュニケーション形式を制定するような概念である。
  本書が考慮している政治形態の範囲という争点は二つの次元からなる、すなわち世界規模と地域の次元である。政治形態の範囲は拡張するべきであるが、その広さは、正義の問題を生じさせる社会的経済的相互作用の範囲と同程度にまでである。今日これが含意するのは、世界規模の民主主義的な制度が必要であるということだ。より地域的な次元では、居住の分離待遇の諸過程や、地方自治体の管轄区域の設計はしばしば、一地域の諸行動が他の地域の諸行動に影響を及ぼすことを可能にする。しかしそれは過程を作成する決定において影響を被る人々を包摂しなければならない、という決定を作成する諸行動を伴わない。それ故、重要な地方自治を保護する主要都市の政府は、政治的平等を促進することが必要であるかもしれない。

◆書評
 Mookherjee, Monica 2002
 Radical Philosophy 115(September/October 2002):45-47


 「[…]彼女は承認と再分配をめぐるナンシー・フレーザーとの論争に立ち返る。ヤングは、フレーザーとともに、民主的な平等は資源の再分配の水準だけでは達成されえないことを言う。[…]」
 承認と分配 相補的
 たんなる承認というのは間違い。

 ヤング:再分配と承認とが結びついている
 「差異」を「資源」として概念化

 差異が分裂を帰結するのではないかという懸念に対して

 「人が自己発達するafffective capacityは多様性が内在的に価値付けられるような政治的文化を要求する。」
 第5章
 自己決定 と 自己発展 の区別

 自己発展:「その人の価値に基づいて行動する能力であり潜在的にはそれを覆す能力」

 「才能や技能を伸ばすための機会の不平等を強化することによって、我々の非−公共的な組織はときに我々の発達や成長のための条件を止めたり壊したりする。[…]多文化主義と多元主義は女性にとって悪いものではないかということを巡っての近年の議論」

p.46」

 集団を基礎とする正義に彼女が焦点を当てていることは、彼女が、不可避的に、深い文化的差異そしてジェンダーの差異の条件に関わらざるをえないことを意味する。こうした条件のもとで、彼女は(彼女が定義するものとしての)自己−発達に与えられたところの「第一義性」を正当化できるのか。普遍主義と文化相対主義についての形而上学的な議論に不可避的に導かれると言おうというのではない。もちろん、ある集団やアイデンティティは自己−発達をまったく価値あるものとしないかもしれないという問題はあり、それはたしかに解決不可能な形而上学的な論議を引き起こすことになるかもしれない。しかし、広い民主的な教えをそうしてまったく否定してしまうことはヤングにとって興味のないことだろう――そこでは対立はゼロサムゲームの形をとってしまうだろう。彼女の理論にとってもっとせっぱ詰まった困難は、ある文化、伝統あるいはジェンダーが、自己−発達についての異なった解釈を支持するかもしれないこと、あるいはその成員たちがこの価値よりも連帯を優先するのではないかということである。私はこうした対立が彼女が提案する民主的な枠組みによってどのように解決されうるのかわからない。さらに、これはただ諸集団の公共的な要求についての彼女の説明にとっての問題であるだけではない。同じく、その内部に多様性をゆうする社会において人々 その個人的なアイデンティティを決めていく過程のなかで継続的に作っていく価値におけるトレードオフをどう理解するかを示しているのかもはっきりしない。
 後半の章において制度に優先的に焦点が与えられていることは、ヤングが幾つかの中心的な問題をそっくり避けてしまっていると感じさせる。例えば、自己−発達への能力に内容を与えるという問題が残っている。例えば、それはヌスバウムのような華々しい、後続の思想家による普遍的な構成要素(constituents)の一覧を意味するのだろうか。この問題に関わるよりは、自己決定とグローバル・ジャスティスについて論ずる最後の章は、責任と再分配についてのより大きな規模の制度的な問題の方に移っていっている。グローバルな諸問題が重要でないと批判したいのではない。反対に、それらは重大な問題だから急を要する問いである。しかし、これらの問いに目を向けることは、幾つかの基本的な前提が説明されないままに残されているという読者の感覚をより強めることになる。少なくとも自律、自己発達と文化的な価値に由来する行為に対する欲望の普遍性を護ろうとする  深い文化的な多元性のもとでは、人間の本性あるいは心理学についての批判はただ明示すされうるものではない、それは明確な議論を要する。

*メモ

 差異とか集団的なアイデンティティを言う場合に必ず出てくる疑問がこの書評でも表出されているのだと言えるだろう。つまり、各々が各々大切にしているものを大切にしよう、そんなことを言うと、それぞれが衝突してしまったりすることがあるのではないか、と言われる。
 むろんそのように言われることはわかっているのだから、何かそれに対して(あるいは先回りして)何かを言うことになる。とすると次にその話がうまくいっているのかということになる。さて→


UP:20031129 REV:20040113
BOOK
TOP(http://www.arsvi.com/b2000/0000yi.htm) HOME(http://www.arsvi.com)