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>HOME >BOOK Exploring Implications of the Law for Individuals and Institutions Francis, Leslie Pickering & Silvers, Anita eds. 2000 Routledge Francis, Leslie Pickering & Silvers, Anita eds. 2000 Americans with Disabilities : Exploring Implications of the Law for Individuals and Institutions, Routledge. ・amazon ・Anita Silvers http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/silvers.htm ◆Disability and the Definition of Work Iris Marion Young pp.169-173 ADAは期待されたが、10年後の現実は、かえって法的に障害者としてカウントされる人を狭めてしまっている。 □差異のジレンマ(DILEMMAS OF DIFFERENCE) 1 歴史的に排除されてきた。社会運動が等しい尊敬と尊厳とを求めた。 2 10年以上前、マーサ・ミノウ(Martha Minow)は周縁化されている集団に対する偏見と差別とを解消しようとすることが「差異のジレンマ」を引き起こすことを述べた。一方で、差異のスティグマは無視によって作られる。他方、「平等な処遇」も。特定の人々のことしか念頭に置かれず制度が設計されるから。そこで「特別な処遇」。それも差異を。 3 ADAもこのジレンマに。 p.169」 4 この法的措置は新しいスティグマを。財政的その他の負担。その結果、隠された形態の差別。差異を逸脱とし、障害という範疇を固定(freeze)。なぜなら、特別な権利のために法が求めるほど十分に異なっているかどうかが争われることになるから。ここでは、有償労働(paid employment)に焦点を当てる。差異のジレンマと同様、これらの法的是正策は、誰が救済(remedy)を得るに値するかを巡る議論を惹起する。 □憤慨の政治(THE POLITICS OF RESENTMENT) 1 ADAを巡る議論や訴訟はコノリーらが「憤慨の政治」として理論化したものを燃え上がらせた。求める側は犠牲者として、他方の側はその加害に対する責任を負うものとされる。 2 特に訴訟の場合、法的救済の場合には多くの人の憤慨を引き起こす。 3 さらに「私も私も」("me-too-ism")ということになり、それに対する憤慨は、救済される人の範囲を狭くする方向に働く p..170」 4 雇用主の側は法の認める障害ではなく、してほしい仕事に適していないのだといって障害者を雇わない 5 他の労働者たちの潜在的な憤慨も。彼らの労働条件のわるさ。 □語られない前提:雇い主が仕事を定義する (THE UNSTATED ASSUMPTION: EMPLOYERS DEFINE WORK) 1 障害は論争的な範疇。多様。程度問題で、その境界は恣意的。「普通」の職場の要求に同意するようにということになる。 2 法のもとで、「普通」の職場の定義について雇用主は広い権限を有する。この単純な事実が、ADAがうまくいっていない主要な源。それを「憤慨の政治」が囲む。 3 組合は交渉するが、それは多く給料や労働時間や職場環境で、労働過程自体ではない。 p.171」 4 ADAに関わる判決はこの雇用主の権利に挑戦するどころか、支持してしまっている。例。こうなると障害者が、雇用主側が適切に対応すれば仕事を支障なくできると主張することが難しくなってしまう。障害を負う前にその仕事ができていたと証明できなければならないようなことになってしまう。 5 マーサ・ミノウ(Martha Minow)は差異のジレンマは語られない諸前提から発すると述べた。一つは、人々を異なるものとするのは他者たちとの比較によってではなく、その人に内在的なもの(intrinsic)なものだという前提。他の諸前提は、判断がなされる視点から。その視点が中立的で普遍的なものだとされる。 6 「元気で精力的な」(hale and hearty)労働者という規範。 7 憤慨の政治は少なくとも部分的にはここから。多くが負けるに決まっている競争の場に置かれてしまう。 p.172」 雇用者の権利に挑戦するのは次のステップ。「もし社会が、全ての成人が、その能力を最大に生かして社会に生産的に貢献することを望むのであれば、そしてそうした生産的な仕事に従事することが他者達の評価や自己評価の一つの大きな源泉であるのなら」、もっとと一般的な公衆の(public)議論と決定がなされるべき。 8 どのように。ADAの言葉は広いので解釈は可能。障害者と自己規定しない労働者にとっても雇用主の権限に挑戦することは意義がある。組合や他の団体も。 *メモ ・cf.ADA(アメリカ障害者法) ・どこまでを障害を理由にした(不当な)差別とするかという線引の問題が生じてきうること、実際生じていること、その結果、雇用の範囲が限られてしまうことは別の論者たちも指摘している。 杉野 昭博 20010901 「ADAとDDA――雇用問題を中心に」 障害者総合情報ネットワーク http://ipcres1.ipcku.kansai-u.ac.jp/~suginoa/houkoku/20010901.htm ・興味深い?のは、上記の「ADA」のファイルでも引用しているが、日本での(例えば 花田春兆の)ADAに対する批判と、ヤングの批判の仕方が同じでないことだ。前者は、ADAでは、うまく調節(accomodation)すれば「職務に伴う本質的な機能を遂行できる障害者」を排除してならないとするのだが、しかし、するとやはりその機能を遂行することができない障害者は結局排除されてしまうではないか、といったことが言われた。このようなことをどう考えるか。 ・上にあげた根本的?な疑問の他に指摘されてきたことは以下。この法律はつまり「仕事ができるなら、障害があるからといって差別してはならない」ことを言う。しかし障害にともなってかかる費用があるとして、さらにその費用は雇用主もちであるとするなら、雇用主の側は雇うのをためらう。それで雇わないでおこうと思い、雇わない。それで雇用されなかった人たちは困るのだが、それをADAは救えるか。このとき雇用主の側は、雇用しない理由は障害があるからではなく、当該の仕事が(他の候補者に比べた場合に)できないからであると言うだろう。さてその主張の是非はどのようにして判断されるのか。また誰に拠証責任があるのか。…。このようなことを考えたときに(様々な条件によって変わってくるのではあるが)なかなか難しいものがあることは容易に理解することができるだろう。そしてここでは「障害(が理由である)」ことを巡る争いが起こり、そのことによって、あの人たちは障害があることをかさにきて(本来、就職などできないはずなのに)就職できた、あるいは就職したいとごねている、このようなことが言われることになる。(ヤングもまたこのような場面が気になっているようなのではあるが、ただ問題はこのことをどのように言うか、言っているかである。) このような事情をみたとき、むしろ「割当て制」の方が、面倒な争いごとに巻き込まれる(そしてその争いごとに勝たなければならない)ことがなくよいのではないかという議論が現われることにもなる。これはこれでもっとな議論ではある。ただ、やはり、「障害者が特別扱いされている」という類いの議論はなくならない。(むしろより強くなるという可能性がある。) この辺りのことを問題にし考えているのは遠山真世(東京都立大学大学院)。最新の論文は『社会政策研究』(近刊)。私はその論文がうまくいっているとは考えていないのだが、読む価値はある。読んでいただきたい。また私が書いた文章もある。 cf.障害者と労働 立岩 真也 2001/12/25 「できない・と・はたらけない――障害者の労働と雇用の基本問題」 『季刊社会保障研究』37-3:208-217(国立社会保障・人口問題研究所) ・マーサ・ミノウ(Martha Minow)の「差異のジレンマ」についての『正義と…』における言及は以下。 「Martha Minowは、差異のジレンマとは、現在抑圧され不利を被っている集団のために正義を促進しようとする者誰もが直面するジレンマであると見ている。集団の差異を無視するような形式的には中立的なルールや政策は、その差異が逸脱として規定されてしまっている人々に対する不利益を永続化させることがある。だが、差異に焦点を当てることは、その差異がかつて帯びていたスティグマに再び力を与える危険がある(Minow,1987,pp.12-13;cf.Minow,1985;1990)」(p.169、堀田義太郎訳) 以下のように続いている。 「法や政策は、誰もが平等だと宣言しているのに抑圧が続いている[…]したがって私は、多くの集団にとって、そして多くの状況において、すでに社会的生活の中で実在している集団の差異を、政治的な生活のなかで肯定しそれを認知することのほうが、より力を与える〔empowering〕と考える。差異の意味そのものが政治的抗争の一つの領域になれば、差異を肯定しそれを認知することで人は差異のジレンマを避けるようになる。」(p.169) 次にミノウが出てくるのは以下。 「対立としての差異という本質化してスティグマ化するような差異の意味に対するオルタナティブは、差異を特異性(specificity)、バリエーションとして理解することである。この論理においては、Martha Minowが示すように(1985,1987,1990)、集団の差異は実体的なカテゴリーや属性によって規定されているのではなく、関係的なものとして理解されるべきである。」(p.171) 「メモ・2」の大川正彦による――ヤングの肩をもち、フレーザーの議論に疑問を呈する文脈での――言及を参照のこと。 UP:20031230 http://www.arsvi.com/b2000/0000fl.htm ◇ADA(アメリカ障害者法) ◇障害学 ◇アイリス・ヤング集中講義01/29 ◇アイリス・ヤング集中講義 ◇BOOK |