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『リキッド・モダニティ――液状化する社会』

Bauman, Zygmunt 2000 Liquid Modernity,Polity Press.
=20010620 森田 典正 訳,大月書店,283p.


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Bauman, Zygmunt 2000 Liquid Modernity, Polity Press =20010620 森田 典正 訳 『リキッド・モダニティ――液状化する社会』,大月書店,283p. ISBN-10: 4272430572 ISBN-13: 978-4272430574 3990  〔amazon〕 ※ ds b

■内容(「BOOK」データベースより)
重く堅固な、「ハードウェア」型近代から、軽く柔らかな、「ソフトウェア」をキーワードとする時代へ。ゆたかなイメージを示しながら、著者は、「いま」という時代がどこへむかって流れてゆこうとしているのかを描きだす。現代のもっとも創造的な思想家による、はげしく変転する社会・政治生活条件についての才気あふれる分析。

■内容(「MARC」データベースより)
「重い」、「ハードウェア」に立脚した時代から、「軽い」、「ソフトウェア」をキーワードとする現代社会へ。「いま」という時代がどこへむかって流れているのかを描く。激しく変転する社会・政治生活諸条件を分析。

■目次
 序文――軽量で液体的であること(3)

 1.解放(21)
自由は祝福か呪いか(23)
批判の盛衰(30)
市民と戦う個人(40)
個人社会における批判理論の苦悩(50)
批判理論再訪(54)
生活政治批判(62)

 2.個人(69)
重量資本主義と軽量資本主義(71)
免許・車アリ(77)
説明でなく見本を!(82)
中毒となった衝動(94)
消費者のからだ(99)
悪霊払いの儀式としての買い物(104)
買い物の自由、あるいは、そうみえるもの(106)
ひとりで、われわれは買い物する(16)

 3.時間/空間(119)
見知らぬ者が見知らぬ者と出会うとき(124)
嘔吐的空間、食人的空間、非空間、空虚な空間(128)
見知らぬ人に話しかけるな(137)
時間の歴史としての近代(143)
重い近代から軽い近代へ(148)
存在の魅力ある軽さ(154)
瞬間生活(161)

 4.仕事(169)
歴史の進歩と信頼(171)
労働の発生と衰退(181)
結婚から同居へ(191)
追記――引き伸ばしの短い歴史(201)
液体的世界における人間の絆(207)
信頼欠如の永続化(214)

 5.共同体(217)
民族主義第二型(223)
類似による統一性か、差異による統一性か(227)
高価な安全(235)
民族国家のあと(238)
空白を埋めること(247)
クローク型共同体(257)

 注(261)
 訳者あとがき(271)

■引用
  1 解放
pp27-28
 依存と解放のあいだに矛盾がないだけではない。「社会に服従」し、規範にしたがうほかに、解放を追求する手段はない。社会に反抗していては、自由はえられない。たしかに、規範に反逆しても、反逆者がすぐ獣に変わるわけでも、状況を判断する理性が失われるわけでもない。しかし、反逆によって、周囲の人間の意図や行動はわかりづらくなり、みずから決断力の欠如にも悩むことになる。こうして、生活は生き地獄と化す。凝縮された社会的圧力が反復やルーチンを課すからこそ、人間はこうした苦悩をもたずにいられることになるのだ。推奨され、強制され、学習された行動様式の単調さ、規則性のおかげで、だいたいの場合、人間はみずからの進むべき道を知ることができる。ときとして、結果がどうなるのか確信がないまま、多くの危険をともなう、まったく道標もついていないような道を、みずからの責任で選ばざるをえない状況もあるかもしれないが、社会的反復やルーチンにしたがうかぎり、こうした状況の到来はまれでしかない。人生の目標と格闘する人間にとって、最悪の状況は規範の欠如、あるいは、その不明確さ、つまり、混沌(アノミー)である。規範は拘束であると同時に可能性でもある。それにたいして混沌は純粋で完全な拘束である。規範的拘束の軍隊が生活という戦場から退却すると、そこには疑念と不安だけが残る。

pp33-35
 液体的近代(リキッド・モダニティ)社会における批判にたいする寛大さも、このオートキャンプ場に近い。秩序に執念を燃やしていた、いま現在とは別種の近代が懐胎し、それゆえ、解放という目的を色濃く反映した古典的批判理論は、アドルノとホルクハイマーによって完成された。このときの古典的批判理論が対象としていた社会のモデルは、現在の批判理論の対象とするモデルと決定的に異なる。古典的批判理論のなかの社会とは、制度化された規範、慣習化した基準、義務の割り当て、行動の管理と、健全な経験的理性による批判意識がくみこまれた、いわば、家庭のようなものであった。われわれが生きている社会は、批判にたいして、オートキャンプ場の管理人が利用者に寛大であるようなかたちで、寛大であるだけで、批判理論の創始者たちのような批判には、けっして寛大でいられないはずである。ふたつの、ある程度関連した用語を使って、この状況をいいあらわすとすれば、さしづめ、「消費型の批判」が「生産型の批判」にとってかわった、とでもなるだろう。
 この重大なシフトを世論の変化、社会改革熱の後退、共同利益、よき社会像への無関心、政治参加の衰退、享楽的、自己中心的感情のもりあがりによって説明するのが、いまの傾向である。これらが現代社会に突出した現象であるのはたしかだが、現代的変化はこれらだけでは説明しつくせない。変化の原因はもっと深いところ、つまり、公的空間の決定的変容、近代社会の機能と、存続の形態の変容にある。
 古典的批判理論の攻撃目標であり、知的枠組みでもあった近代社会と、現代生活の骨組みである社会の違いに、分析者はだれでも驚くだろう。従来の近代社会は(現段階の近代社会が「軽妙」であるのにたいして)「重厚」であったようにみえる。あるいは、(「流動的」「流体的」「液体的」であるのにたいして)「固体的」で、(分散的、「拡散的」であるのにたいして)凝縮的で、そして、(ネットワーク式であるのにたいして)体系的であった、といったほうがいいかもしれない。
 古典的「批判理論」時代の重厚で、固体的、凝縮的、体系的な近代は、全体主義的傾向をはらむ。この時代の地平には、包括的、強制的均一性を特徴とする全体主義社会が、究極の目的地であるかのように、信管の除去されていない時限爆弾か、悪霊払いを逃れた霊であるかのように、不気味に迫っていた。この近代はまた、偶然性、多様性、曖昧性、不規則性を不倶戴天の敵とし、これらに共通する「変則性」に撲滅の聖戦を挑んだのだった。そして、聖戦貫徹のために、主として個人の自由と自立が犠牲とされた。こうした時代の象徴のひとつに、フォード主義式工場がある。ここでは、人間の行動は決められただけの、単純な反復作業に縮小され、労働者はみずからの知的能力を発揮することなく、自発性と、個人の独創性を埋もれさせたまま、従順に、しかも、機械的に作業を遂行する仕組みになっていた。マックス・ウェーバーが理想に近いかたちで描きだした官僚制に似た官僚制もまた、この時代の歴史的象徴のひとつである。近代官僚制において、人間のアイデンティティと社会的絆は、役所に入った瞬間、帽子や傘や外套といっしょに、手荷物預かり所に預けられるため、勤めるあいだは、命令と規則だけが役人の行動を決定する。または、監視塔の監視の目から、囚人が一瞬たりとも逃れることのできないように設計されたパノプティコン。天網恢恢、恭順な者を褒賞し、不敬者を処罰するのに熱心で迅速なビッグ・ブラザー。そして、最後に(のちに、強制労働収容所(グーラーグ)とともに、悪魔の万神殿(パンセオン)とでも呼ばれるべきものに加えられた)人間の順応性の限界を実験室的状況で試し、生命力がないもの、あるいは、ないとみなされたものを、飢え死にさせるか、消耗死させるか、ガス室や火葬場に送りだしたナチ強制収容所。
 批判理論は権威主義的特性をひきずる社会の、全体主義的傾向を抑制し、無力化し、望むらくは、完全に除去することを目標にしていたのだろう。批判理論の主要な目的は、人間の自立、選択と自己主張の自由、そして、独自性とその継続を擁護することにあった。離ればなれの恋人同士が再会し、結婚の誓いをのべるクライマックスにおいて、未来の「幸福な生活」を観客に期待させて終わるのが、初期ハリウッドメロドラマの定番である。批判理論もこれに似たかたちで、個人的自由が日常的反復の鉄の鎖から解き放たれるときを、また、個人が全体主義、均質主義、均一主義的社会の鋼鉄のしばりから救出されるときを、人間解放の究極のポイント、人間的みじめさの終着点、使命達成のクライマックスとみた。批判はこの目標達成に奉仕するためにあったのであって、その瞬間から先をみる必要もなかったし、時間もなかったのである。

pp37-39
 二十一世紀を迎えた社会が、二十世紀を迎えたころの社会より、より近代的だというのは誤りで、前者は後者とちがった意味で近代的となったにすぎない。いまの社会と、百年前の社会に共通する近代的特徴は、人間が共存するうえで、近代以前にはみられなかった現象をつくりだしたことにある。たとえば、止められない、永遠に未完成の、衝動的、強迫観念的、連続的近代化作業がそれであり、創造的破壊への(あるいは、いい方によっては、破壊的創造への)際限ない、抑制のきかない渇望がそれである(創造的破壊、あるいは、破壊的創造とは、「改善・改良」計画の御旗のもと、「古きものを一掃」することであり、生産力、生産性、競争力の向上のため、古きものを「削減」し、「合併」し、「処分」し、「撤去」することである)。
(略)
 しかしながら、われわれの時代の近代性には、ふたつの独自性がある。
 第一に、初期近代の幻想が、漸次、崩壊、衰退していったこと。この幻想とは、進歩に終わりがあり、歴史に獲得可能な目標(テロス)があり、あす、来年、来世紀には完壁さが達成され、公正で平和な社会が、部分的なりとも、形成されるだろうという信念だった。また、需要と供給の安定した均衡が保たれるときがくるという信念、すべてが適材適所にぴったりおさまった完全な秩序が到来するという信念だった。さらに、知るべきものをすべて知れば、人間の行動はすべて明確に究明され、未来が完全に人間の手中に掌握されれば、人間のおこなう仕事からは、あらゆる偶然性、不確実性、予想外の結末が消えるだろう、という信念だった。
 そして、第二の根本的変化は、近代化の目標と義務が、規制緩和され、民営化されたこと。理性はかつて人類共通の天稟、遺産だと考えられていたわけだが、理性によって担われる仕事は、いま、分割されて(いわゆる「個人化され」)、個人の勇気とスタミナ、個人的才能と、手腕にまかされることとなった。社会全体が責任をもち、規則や規制によって進歩を達成しようという試み(あるいは、現状維持を許さず、さらなる近代化を達成しようとする試み)は、完全に消えはしなかった。しかし、進歩の主な担い手(さらに重要なことに、責任の所在)は個人に移った。そして、倫理的・政治的言説の中心が、「公正な社会」建設から、個人的差異の尊重、幸福と生活様式の自由選択を保障した「人権」へと移行したことに、この宿命的変化は反映されている。

pp50-52
 近代化の衝動は、いかなるかたちであれ、衝動的現実批判である。同じ衝動を個人にあてはめれば、自己嫌悪的な衝動的自己否定となる。形式上の個人であることは、不幸をだれのせいにもできないこと、挫折をみずからの怠惰以外のせいにできないこと、救済手段を努力以外にみいだしえないことを意味する。
 自己嫌悪、自己否定と、日々、となりあわせに生きるのも容易ではない。個人の目はみずからの行動だけに向けられ、個人的存在の矛盾が生成される公的空間に向けられることはない。苦悩の原因をわかりやすくし、苦悩を克服するため、人間はそれを単純に考えようとする。それは苦悩の「個人的解決」が煩雑で、やっかいだからでなく、「体系的、社会的矛盾」の解決が、「個人のレヴェル」をはるかに超えるものだからだ。また、有効な解決がなされないなら、虚構でもいいから、解決法を探さなければいけないからだ。虚構であれ、本物であれ、すべての「解決法」を現実的なものにしたければ、「個人的」能力と責任の範囲内でみつけられねばならない。したがって、矛盾の個人的解決法のひとつは、怯える個人が不安を、たとえ一時的にしろ脱ぎすてて、ひっかけておける個人用「掛け釘」のついた、集団的コートスタンドを用意することにある。世間にスケープゴートの候補者は多い。私生活でスキャンダルをおこした政治家、貧民街や犯罪多発地区の人間、「われわれの社会のなかに住みついた外国人」などだ。いまは大きな錠前、盗難警報機、有刺鉄線でかこった塀、隣人監視、自警団の時代である。また、陰謀やスキャンダルをあさり、人々の鬱積した不満や怒りのよいガス抜きとなる「道徳的パニック」の、もっともらしい原因を探りながら、役者が消えた公の舞台を、実体なき幻影で満たそうとする大衆ジャーナリズムの時代である。
 くりかえしを恐れずにいえば、形式上の個人の現状と、事実上の個人――運命をみずから決定し、真の選択ができる個人――になれる見込みのあいだには巨大なギャップがある。そして、このギャップには現代生活を汚染する、有毒な匂いがただよう。これは個人的努力だけでも埋まらないし、自己管理的「生活政治」において手にはいる手段と能力だけでも埋まらない。ギャップを埋めることができるのは、大文字の政治だけだ。問題のギャップは生活政治が大文字の政治とぶつかり、個人的問題が公的言語に翻訳され、その集団的解決が議論され、合意され、実行される公(おおやけ)と私(わたくし)の中間点、公的空間、公共広場(アゴラ)が消滅したことによってあらわれたといっていいだろう。
 局面は変わったのだ。それにともなって、批判理論の任務も一八〇度転回した。批判理論のかつての任務は、個人的自立を「公共領域」の侵攻から守ること、非人間的国家の強力な抑圧、官僚制、小官僚制の触手から守ることであった。批判理論のいまの任務は、公共領域を防御すること、別のいい方をすれば、空になりつつある公的空間を改装し、人を呼び戻すことにある。公的空間からは「社会的関心のある市民」が消え、同時に、真の権力が「外部空間」へ流出しているからである。
 もはや、「公(おおやけ)」が「私(わたくし)」を占拠しようとしているとはいえない。あべこべに、個人的関心、嗜好、悩みの範疇からすこしでもはずれるものを排除、除外する後者が、前者の領域をおかしている。みずからの運命はみずから決定できると再三再四教えられた結果、人間は個人の枠をこえたもの、個人的能力をこえたものに、(アルフレート・シュッツがいうところの)「さしせまった重要性」を認めなくなった。それらに重要性を認め、それらにしたがって行動することが、市民のトレードマークだったにもかかわらず。

p53
 簡単にいえば、これが批判理論、さらに一般的には、社会批判の陥った苦悩である。批判理論と社会批判のあらたな課題は、個人化と、権力と政治の遊離によって破壊されたものを復元することにある。別のいい方をすれば、いまはひと気がほとんど絶えた公共広場(アゴラ)を、個人と集団、私的幸福と公的幸福の出会い、討論、交渉の場として設計しなおし、ふたたび人々でいっぱいにすることにある。人間の解放を目的としていた批判理論に、いまできることがあるとするなら、それは形式上の個人と、事実上の個人のあいだにできた深い溝に橋をかけることである。そして市民としての忘れられた素養を再学習し、市民としての失われた能力をとりもどした個人だけが、橋の建設者になれるということでもある。

  2 個人
pp78-80
 価値理性という概念が、ウェーバーの歴史観のなかでどのように使われていようが、現在の歴史的流れの内容を把握しようとする人間にとって、それは役にたたない。いまの軽量資本主義は道具的理性の理想形でなくなってしまったが、かといって、ウェーバーのいう「価値理性」的なものでもない。軽量資本主義はウェーバー的価値理性から、何光年も遠くへだたっている。価値が「絶対的に」信じられた時代が、歴史上あったとしても、いまがその時代でないことはあきらかである。重量資本主義から軽量資本主義への移行過程において、最高裁判所(ヨシュア記的言説に不可欠な、中心組織)によってくだされた、追求すべき目的の適否にかんする、上訴不可能な最終審判を、「絶対化」する権限をもった「政治局」の解体がおこったのだ。
 最高司令部が失われると(むしろ、多くの司令部が覇を競っていながら、あきらかな勝者がでていない、といったほうがいいかもしれない)、目的設定の問題が再燃し、際限ない躊躇と苦悩の原因をつくり、自信喪失、不確実性の予感、永遠の不安を生む。ゲルハルト・シュルツェによると、これは新しい型の「手段喪失の伝統的不安感にかわる、目的喪失の不安感」だという(6)。あたえられた目的にたいする手段(既存の、あるいは、これから熱くもとめられる)の有効性を、不完全ながら判断しようとする努力は、もはや、重要ではない。重要なのはもちうる手段の数と、その持続的有効性の限界を念頭におき、リスクを計算しながら、手のとどくあたりに(つまり、獲得可能だという意味で)浮遊する、魅力的な目的のどれを優先するかなのである。
 あらたな状況では、人間全体の生活、個人の生活のほとんどは、いかなる手段を選択するかでなく、いかなる目標を選択するかの悩みに費やされる。重量資本主義とは対照的に、軽量資本主義は価値執着が強い。「職求む」の欄に掲載される小さな広告の「免許・車アリ」のメッセージ、また、「解決法はみつかったから、つぎは、問題をみつけなければならない」という科学技術研究所、試験所の所長たちのことばは、手段があっても目的がない、新しい生活状況を、象徴的にものがたっている。「われわれになにができるか」という問題が、「しなければならないことをどうやってするか」という問題を圧倒し、すべての行動を支配するようになったのだ。
 世界の秩序を管理し、善悪の境界を監視していた最高司令部がみえなくなったいま、世界には可能性の無限の選択肢がある。世界という容器には、追跡すべき機会、失われた機会がいっぱいに詰まっているのである。ひとの一生がどんなに長かろうが、冒険的であろうが、勤勉であろうが、獲得はおろか、探求さえできないほどの選択肢、機会が世界には存在する。この機会の無限性が、最高司令部が消えたあとにできた真空地帯を埋めたのだ。

p82-84
 フォード主義型重量資本主義は立法、ルーチン設定、管理の世界であり、指導される人間が、他者の定めた目的を、他者の決めたやり方で追求する世界である。とするならば、それはものごとをよく知った権威の世界、事情につうじた指導者、ものごとのよりよい進め方を教えることのできる教師の世界である。
 消費者にやさしい軽量資本主義は、立法の権威を排除したわけでも、不必要な存在にしたわけでもなかった。逆に、限りない数の権威を生み、共存させた。その結果、特定の権威が権威の座に長くとどまることはもちろん、「特権的」な地位をえることもなくなった。元来、誤りはひとつだけではないが、事実はひとつであり、事実はそれが唯一絶対であることによって(つまり、事実になりうる他の可能性が、すべて誤りであると断定されたとき)、事実だと判断される。考えてみれば、「限りない数の権威」とは、矛盾したいい方ではないだろうか。複数の権威が存在するとき、権威同士はたがいを打ち消しあうから、それぞれの分野で結果的に最高の権威者となるのは、権威の取捨選択の権限をあたえられた者である。取捨選択する者のおかげで、権威予備軍はやがて権威となっていく。権威はもはや命令しない。取捨選択する者におもねる。そして、かれらは誘惑する。
 思えば昔、「指導者」は社会から腐敗、堕落を排除し、「幸福な社会」「公正な社会」を建設しようとしたときの副産物、補足物だった。マーガレット・サッチャーの、あの悪名高き発言、「いわゆる社会というものは存在しない」は、資本主義的性質の変化を敏感に反映したものであり、同時に、彼女自身の信念でもあった。この発言のあと、社会規制と社会保障のネットワークが、解体されていったことからもわかるとおり、彼女みずからが実現をねらった将来像であった。「社会が存在しない」ということは、ユートピアも反ユートピアも存在しないことである。軽量資本主義の教祖(グール)であるピーター・ドラッカーが、「もはや社会による救済はない」とのべたことには、当然、破滅の責任を社会にもとめてはいけないという意味がふくまれていた。救済も破滅もあなた自身がつくりだしたもの、あなただけの問題である--自由人であるあなたが、あなたの生活のなかで、自由にしたことの結果である。
 もちろん、事情通と自認する者が少ないわけはなく、事情通のなかの多くは多数の信者をかかえる。そうした「内情に通じた」人間、知識が信頼された人間でさえ、指導者とはなりえない。なりうるのは、せいぜい、助言者だ--指導者と助言者の重大な相違は、前者が信奉の対象であるのにたいして、後者が雇用、ときによって、解雇の対象だということにある。指導者は命令をくだし、規律への服従を要求できるが、助言者は、相手が意見をすすんで聞いてくれることに期待しなければならず、意見を聞いてもらうために助言者は、まず、聞き手の信頼をかちえねばならない。指導者と助言者の相違はこれだけにとどまらない。指導者は私的幸福と「われわれみんなの幸福」、また、(ライト・C・ミルズのいう)私的不安と公的問題のあいだの、いわば、通訳である。これにたいして、助言者はプライヴァシーの閉じられた領域から、一歩でも踏みだすのをためらう。助言者があつかう病(やまい)とその治療法、不安と不安解消法は、すべて私的なものだからだ。助言者の処方箋は生活政治にかかわりはしても、大文字の政治とは無関係だ。処方箋は診断をうけた人間本人が、本人のためにできることにしか触れていない--個人が結集することによって達成されるものには、触れてはいない。

pp85-86
 助言をうけようとする者の望みは、実例教育にあると気づいた助言者が、助言者としてもっとも成功する。問題の性質が個人的で、解決は個人的努力をもってするしかないのであれば、助言をもとめる人たちが欲する(あるいは欲したがっている)助言は、似かよった問題に直面した人間が、それをどう克服しようとしているかの実例であろう。しかし、かれらが実例を必要とするのには、もっと本質的な理由がある。「不幸せ」の原因を、正確にいえるひとの数のほうが、ただ「不幸せ」と感じているひとの数より少ない、というのがその理由である。「不幸せ」の感覚は、曖昧で、散漫で、とらえどころがなく、その原因は散在する。同じく漠然とした幸せの希求に、現実的な目標をあたえようとするなら、不幸せの感覚が、まず、「具体的」なかたちで実感されなければならない。他者の経験を参考にし、他者の苦難を垣間見ることによって、われわれはみずからの不幸の原因をつきとめ、それにラベルをはり、そして、それを克服するための方策を探そうとする。

pp100-103
 生産社会を構成する人々の遵守しなければならない基準が、健康にあったとするなら、消費社会のそれは体力にあるだろう。健康と体力は、しばしば、類語、あるいは、同義語として使われる。結局、両語ともからだへの配慮、望まれるべきからだの状態、そのために従わなければならない管理体制という概念と関連するからだ。しかしながら、健康と体力を完全な同義語としてとらえるのはまちがっている。それはすべての体力管理が「健康にいい」わけではないという事実からもわかるし、健康の増進を助けるものが、かならずしも体力増進を助けるものではないという事実からもわかるだろう。健康と体力はかなり異なる言説であり、異質の関心をいいあらわす用語である。
 生産社会の標準概念はすべて、「標準」と「標準外」を峻別し、明確な境界を設定したが、健康概念もまた例外ではなかった。「健康」は人間の肉体と精神の望まれるべき正常な状態、つまり、(少なくとも理論的には)かなり正確に定義され、価値判断をくだされた状態のことだ。健康とは社会が策定し、割りあてた役割を、継続して遂行できるだけの、人間の肉体状態、精神状態のことをいう。「健康である」とは、たいていの場合、「雇用可能であること」、工場で問題なく就業できること、肉体的、精神的に負担のかかる「作業に」、被雇用者が「耐えられる」ことだ。
 一方、体力とは、「非固定的」概念以外のなにものでもない。それは本質からして、規定も、定義もできるものではない。たとえば、「きょう、調子はどうだ」ときかれ、「体力が充実」していると感じれば、「気分はいい」と答えるだろう。体力は、しばしば、こうした状態のことをさす。しかし、体力のあるなしのほんとうの決定は、つねに未来にゆだねられる。「体力がある」というのは、柔軟性、吸収性、適合性があること、未経験の感覚、予想外の感覚にも対応できる準備があることだ。健康は健康であって、健康「以上」の健康も、健康「以下」の健康もないが、体力については、いま「以上」にすることもできる。体力はある一定の身体能力をさすのではなく、(望むらくは無限に)発達する潜在能力のことをさす。また、「体力」は例外的、非習慣的、変則的状況、とりわけ、予期外の、未知の状況に対処する能力のことをいう。健康が「規範の遵守」であるとするなら、体力とはこれらの規範の破棄、確立した基準の放棄だといえるかもしれない。
 体力について、個人差の客観的測定は不可能なのだから、個人間に体力の基準をもうけることもむずかしい。健康と異なり、体力は(外側から観察され、言語化され、伝達されるような状態、事象ではなく、「生きた」経験、「感じられた」経験という意味で)主観的経験と重なる。「体力充実」の経験を他人のそれと比較するのはもちろん、説明して他人にわかってもらうのは至難の業に近い。主観的状況とはそういうものだ。刺激や快楽は抽象的に把握しえない感情であり、まず、「主観的に」経験してみなければ把握できるものではない。刺激の強さや、深さや、快感が、となりの人のそれとくらべてどうなのか、確実に知ることはできないだろう。体力の増進は、掘ってみなければなにが出るかわからない鉱脈を掘り進むようなもので、しかも、鉱脈にたどりついたかどうか知りうる手段さえなく、まだかまだかと、永遠に掘り進むようなものである。体力増進を核とした生活からは、小さな勝利は期待できるだろうが、最終的勝利は期待できない。
 健康維持とは違い、体力の増進に自然の終焉はない。目標が設定されたとしても、際限ない努力の一段階を示すにすぎず、したがって、目標達成によってもたらされる満足も一過性でしかない。生涯にわたる体力増進の努力に休息は存在せず、体力増強達成の祝いはつぎなる段階を前にした、つかのまの安らぎにすぎない。体力増進を追求する者のもちうる唯一の確信は、体力の不十分さと、体力増進継続の必要性だけである。体力増進とは内省、自責、自己卑下、そして、際限ない不安でもある。
 健康は(体温や血圧のように、計測され、数値化された)基準によって規定され、「正常」「異常」の明確な識別によって定義されるために、上のような解消不可能な不安とは無縁であるはずだ。また、健康を守るためにしなくてはいけないのはなにか、いかなる状態が「健康」といえるのか、健康が回復し、治療の必要がないと判断されるのはいつかも明白なはずである。そう、理論としては……。
 実際、無限の可能性を特徴とする「流体的」近代においては、健康基準をふくむ、あらゆる基準の価値が激しくゆさぶられ、非実体化しつつある。きのうは正常、順調と思われていたものが、きょうは異常でないかと心配となり、加療が必要だと思えてくることもあるだろう。第一に、からだにまったく新しい状況がおこっただけでも、医師にかかる必要があると考えられ、それにあわせて、医学的治療もたえず更新されるようになった。第二に、かつて明瞭だった「病気」の定義が、しだいにぼやけ、曖昧になった。昔であれば、はじめがあり、終わりがある一回性の異常として理解されていた病は、いまや、健康の永遠の付属物、健康の「裏面」、つねに現存する脅威とみなされるようにもなっている。病気への警戒はけっして怠ってはならず、病気とのたたかいは昼夜をたがわず続けられねばならない、と思われるようになった。健康への配慮は、病にたいする永遠の戦いの一部だ。そして、最後に、「健康生活」はつねに変わらぬものではなくなった。たとえば、「健康な食生活」という概念は、つぎつぎ推奨される食品の効果が確認される前から、変化をはじめる。健康にいい、健康に害がないとされる食物が、その栄養効果のでる前から、長期的には健康に被害をおよぼすと指摘されたりする。病気の治療や予防が、別の疾病を併発させることもある。「医原性」の病が、さらなる医学的治療の必要性を生んだりする。ほとんどすべての治療には危険性がふくまれ、危険性をおかした結果おこったものを治療するため、また別の治療が必要となる。
 健康管理全般は、その本質に反し、体力増進と不思議に似かよってきている。継続的であること、完全な満足をみないだろうということ、現在の向かいつつある方向の正しさが確かでないこと、多くの不安を生むことにおいて両者は共通する。
 健康管理が体力増進に類似するようになった一方、後者は健康の目安となる計測数値、医療の進歩といった、確実性の根拠となりうるものを、むだではあるが、手にいれようとしている。たとえば、「体力管理」と称しておこなわれている多くのもののうち、非常に一般化した体重管理などはそのひとつだろう。数センチ細くなった胴回り、数十グラムおちた体重は、健康判断にとっての体温測定同様、体力管理の結果をある程度の正確さをもって数値化したものである。もちろん、健康と体力が似ているといっても限度がある。ある一定の数値よりもさらに水銀柱が下がっていく体温計や、下がれば下がるだけ健康の証になるような体温などは想像できないからだ。

pp107-109
 人生という粗末な材料を使ってこしらえあげた芸術作品は、「アイデンティティ」と呼ばれる。アイデンティティを云々する場合、われわれは頭のすみで、調和、論理、統一といったもののイメージを、おぼろげに連想しているものだ。みずからの人生の流れに絶望的に欠けているようにみえるのは、こうした要素である。アイデンティティの追求とは、流れをとめ、あるいは、流れの速度をゆるめ、液体を固体化し、非形態に形態をあたえる連続的闘いのことをいう。外見という表皮をめくると、そこはぐずぐずの流体であることを、われわれは必死に否定、あるいは、隠蔽しようとする。われわれは凝視するにたえない光景、うけいれがたい光景から視線をそらすものだ。しかし、アイデンティティによって流動はおさまるどころか、しずまりさえしない。第一、アイデンティティ自体、凝固するまえに溶解しまう、溶岩の上にのった、かさぶた岩のようなものでしかないのだから。そこで、別のとりくみが試される。手がかり、足がかりになりうるような、固くて持続性があるものに、アイデンティティをとにかく繋留してしまおうという試み。繋留地としての適切さ、永続性の期待は二の次である。
(略)
 アイデンティティのほとんどすべてが一過性的、非固定的であることを考えれば、それを空想的に形成するいちばんの近道は、アイデンティティのスーパーマーケットで「適当なものをみてまわる」こと、消費者の自由として、アイデンティティを選択し、好きな期間だけ所持することだろう。こうして人々は、アイデンティティを意のままに形成し、自由につくりなおす。あるいは、そうしているかにみえる。

pp111-112
 不安定なアイデンティティの原材料に、意図的にもろい材料が使用される世界においては、われわれはつねに臨機応変でなくてはならない。とにかく柔軟性と、外的世界の変化にすばやく対処できる適応性を保持しておかねばならない。トマス・マシーセンが指摘しているように、ベンサムとフーコーのパノプティコンの比喩では、権力の機能は、もはや、とらえられなくなってきている。時代はパノプティコン型社会からシノプティコン型社会へと移行している、とマシーセンは主張する。つまり、少数が多数を監視する社会から、多数が少数を監視する社会へと変化しているというのだ(24)。パノプティコン的監視は抑圧的な力を温存したまま、シノプティコン的見世物にとってかわられた。以前なら、強制的に人々は基準に服従させられたが、いまでは、甘言と誘惑が人々に基準を遵守(非常に融通のきく基準を、柔軟な適合力をもって遵守)させる。したがって、基準への服従は外圧によるものでなく、自由意思の発動によるものにみえる。

pp116-p118
 買い物中毒社会が究極の評価をあたえたのは、消費における選択肢の豊富さ、消費物資を選ぶように生活が選択できる自由だった。これらは逆説的にも、享受者たちより、傍観者たちにより甚大な影響をあたえた。選択の達人である、資産と才能に恵まれたエリートたちの生活様式は、映像化されるなかで決定的な変化をとげる。かれらの生活様式は社会的ヒエラルキーをくだって浸透していくのだが、そのさい、映像的シノプティコン、減少していく資産・能力のふるいにかけられて、一種の戯画、醜悪な代用品と化す。「浸透」によりできあがった生活様式は、もとの生活様式が期待させる満足のほとんどをはぎとられている--潜在的破壊性だけは残して。
 生活がおわりのない買い物であるならば、世界は、さしづめ、消費物資が天井まで詰まった倉庫だろう。気をそそる商品が潤沢に提供されたとしても、各商品の欲望充足の潜在能力は、時をへずして枯渇する。金持ちの消費者は幸運で、かれらは資産によって商品化のもたらす不愉快な現象から守られている。かれらは欲しいものを買ったときと同じくらい簡単に、不必要となったものを捨てることができる。急激なおとろえ、欲望に組みこまれた退行、欲望充足のはかなさからも、かれらは守られているのだ。
(略)
立場と権力のある者は、慣習的離婚調停、子どもの養育費負担といった制度によって、自由な男女関係につきものの不安から守られる。また、こうした制度によって、「損失を最小限」にとどめる権利、一度おかした罪や過ちのために、一生悔恨の日々をおくらなくてもすむ権利が手にはいるのだとすれば、残る不安がどんなものであったとしても、代償としては高くないだろう。拘束力の弱い新しい婚姻関係、パートナー同士の平等な満足に欠けた「恋愛関係」が、ヒエラルキーをくだって貧しい、弱い立場の人たちの層に「浸透」していったとき、多くのみじめさ、苦しみ、痛みを産みおとし、愛と展望のない生活破壊を残すことになる。

  3 時間/空間
pp126-127
 現在、都市には「公的空間」と呼ばれるものが無数に存在する。種類、規模はさまざまだとしても、これらのほとんどはふたつの範疇に分類されるだろう。どちらの範疇も、公的空間の理想とは大きくへだたり、それぞれ矛盾しながらも、相互補完的なふたつの傾向をもっている。
 フランソワ・ミッテランは(個人としでの欠点、大統領としての欠陥と、大統領職自体の威厳、栄誉を切り離し、かれの在任時代の記念碑とするために)ラ・デファンスとよばれる巨大な広場を発案し、建設させた。ラ・デファンスは公的空間であるが、「市民的」都市空間とは呼べないふたつの範疇のうち、一番目の範疇の特徴をすべて体現しているといっていいだろう。ラ・デファンスをおとずれた者はだれも、親近感が欠けている印象をうける。見渡せるものすべては、畏敬の念をもよおさせるかもしれないが、長くいたいという気持ちにはさせない。だだっぴろい、もののない広場をぐるりとかこむ、奇想天外な建築物は、みられるためのものであって、とどまるためのものではない。上から下まで反射ガラスをはられた建物には、窓も、広場につうじる扉もないようにみえる。建物は、巧妙にも、面している広場に背をむけている。これらの建物は傲慢に、鈍感にうつる。鈍感であるから傲慢なのであって、これらふたつは補足的、相互補完的な特質である。広場の均質で単調ながらんどう感を、打ち消すどころか和らげてくれるものなどなにもない。休むベンチも、照りつける太陽をさえぎり、涼しい木陰をつくる木立もない。(たしかに、広場のいちばん奥には、幾何学状に配置されたベンチがある。それらは広場の平らな地面から、数フィートもりあがった舞台のような台の上にのっている。したがって、座り、休む行為は、見物以外の用事があってやってきた人たちすべての、見世物となるだろう。)ときおり、地下鉄の単調な時刻表にあわせて、用事のある人たちが、アリのような隊列をなして、地下から這いだしてきては、広場をかこむ(あるいは、包囲する)光輝く怪物と、地下鉄駅の出口を結ぶ石の歩道を足早によこぎり、視界から消えていく。そして、つぎの地下鉄が到着するまでのあいだ、広場はふたたび空っぽになる。
 公的でありながら、非市民的である空間の、ふたつ目の範疇は、消費者のための空間、あるいは、むしろ、都市生活者を消費者に変身させる空間のことである。リサ・ウーシターロによれば、「消費者はなんの社会的交渉ももたずして、音楽会場や展覧会場、観光地、スポーツ競技会場、ショッピングモール、カフェテリアといった、消費空間を共有する(6)」という。こうした場所では、行動actionはおこっても、相互関与inter-actionはおこらない。似たような行動をとる人間の物理的空間の共有は、行動に重要性をくわえ、「数による承認」と意味をあたえ、行動を疑問の余地を残さぬまで徹底的に正当化する。しかしながら、人間同士の相互関与は、個人のおこなう行動にとって、有益どころか、障害、邪魔でしかない。また、相互関与は買い物の楽しみになにひとつ貢献せず、目的追求への集中もさまたげる。

pp132-135
 現代最高の文化人類学者、クロード・レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』のなかで、他者の他者性に対処する方法が、人間にはふたつしかなかったとのべている。ひとつが嘔吐的方法であり、もうひとつが食人的方法である。
 前者は根本的に異端とみえる他者を、体外にだし、他者との物理的接触、会話、社交、あらゆる種類の商取引、親交、婚姻を完全に禁止する方法である。「嘔吐的」方法のもっとも極端な例は、投獄、追放、殺害であった。空間的隔離、ゲットーの設定、空間的接近、空間共有の制限は、これのもうすこし賢く、洗練された例であった。
 第二の方法は異物の、いわゆる、「非異物化」にあった。つまり、異質な肉体、異質な精神を「摂取」し「食いつく」し、新陳代謝にかけることによって、食べた人間の肉体と同一化してしまうことにあった。これにも人食いから、文化強制、地方的慣習、地方暦、地方的信仰、方言、「偏見」、「迷信」の撲滅運動にいたるまで、多様な形態があった。第一の方法が他者の追放による抹殺を目的とするのにたいして、第二の方法は他者性の帳消しによる抹殺を目的とする。
 レヴィ=ストロースの二分法が、「公的でありながら市民的でない」空間の二分法と、みごとに共鳴していたとしても、驚くにはあたらないだろう。パリのラ・デファンスは(スティーヴン・フラスティによれば、新しい都市改良計画のなかでも、評価の高い、非常に多くの「禁止空間」とならんで(10))、「嘔吐的」方法の芸術化であり、「消費空間」は「食人的」方法の応用である。両者は、それぞれのやり方で、同じことに挑戦している。都市に生活するかぎり、見知らぬ人間と会う確率はたかく、これへの対処が、両者の挑戦なのだ。もし、市民的習慣が欠落しているか、十分発達していないか、しっかり定着していないのであるとすれば、対処には特別な「動力つきの」対策が必要となるだろう。二種類の「公的でありながら市民的でない」都市空間は、市民的能力の致命的欠落のおとし児である。両空間とも市民的能力の欠如が有害な結果をもたらす可能性に対応したものだった。しかし、対応は失われた市民的能力を研究し、回復させようというものではなく、それを都市生活に無意味で、不必要なものにしようというものだった。
 これらふたつの対応のほかに、いま、いたるところにみられるものを、三番目の対応としてあげねばならないだろう。これはジョルジュ・ベンコが、マルク・オジェーにならって、「非空間」(さらに、ガローのいい方をかりれば、「不特定の町」(11))と呼んだものである。「非空間」は、公的であっても市民的でない第一の空間と、いくつか特性を共有する。両者とも「定着」とは無縁で、植民も、同化もできない空間である。しかし、ラ・デファンスが通過と即刻の退去を唯一の目的とし、接近を制限し、迂回を勧める「立ち入り禁止区域」であるとしたなら、非空間は部外者の逗留、ときには、長逗留を許しながら、かれらをたんなる「物理的存在」、ほとんど無の社会的存在に変え、「通過者」としての特異な自我性を帳消しに、なしくずしに、無効にするような空間である。非空間に一時的にとどまる者は多様であり、おのおの個別の習慣と希望をもっている。しかし、ここでは、滞在中、そうした独自の習慣と希望は意義を失う。どんな差異があっても、部外者は行動の一定の指針にしたがわなくてはならない。いかなる言語を話そうとも、いかなる言語を日常生活の手段としようとも、だれでも読める行動を均一にする規則がここにはある。「非空間」ではさまざまなことがなされ、さまざまなことがなされる必要があるが、そこを真に居心地よく感じる者はない。にもかかわらず、かれらはまるで居心地がいいかのようにふるまう責任があると感じている。「非空間」は「アイデンティティ、関係、歴史の象徴的表現手段をもたない空間であって、実例としては空港、高速道路、個性のないホテルの部屋、公共交通機関などがあげられるが……歴史上、こうしたものがこれほど巨大な空間を占拠したことは一度もなかった」。
(略)
 差異は吐きだされるか、食べられるか、遠ざけられるかするだろうし、それぞれの方法にはそれが実践される特定の場所がある。しかし、差異をみえなくする、あるいは、隠す方法もあるだろう。これが「空虚な空間」においてとられる方法である。
(略)
 空虚な空間とは、なによりも、意味を欠く空間のことだ。空っぽだから意味がないというのではない。そもそも意味をもたず、意味をもつことさえ期待されず、そして、空虚だと(もっと正確にいえば、みえないと)思われているから意味がないのだ。そうした意味を拒否した空間では、差異の処理問題など生まれようはずもない。処理するような相手がいないのだから。空虚な空間における差異の扱われ方は、部外者の影響を抑制、排除するために、他の空間が考案した扱い方より、はるかに徹底したものである。
 コチャトキェーヴィチとコステーラがあげた空虚な空間は、取得されえない場所であり、また、設計、管理する者でさえ、取得したいとも、しようとも思わない場所のことである。重要な空間が建設されたあとに、とり残された空間といいかえてもいいだろう。この幽霊のような存在は、建設された美しい建築物と、きちんとした分類を拒む世界の乱雑さのあいだの、巨大なギャップに誕生する。空虚な空間は建築の青写真にはいらなかった余分な場所、都市計画のヴィジョンから忘れられた周辺だけとはかぎらない。実際、空虚な空間の多くは、たんなる邪魔とだけはいいきれず、つぎのプロセスに不可欠な材料、多種多様な利用者が共有する空間地図となる。

p137
 くりかえしを恐れずにいうなら、市民的であることの要点は、見知らぬ者と関係をもつにあたって、変わった点をかれらの欠陥と考えないこと、変わった点をなくすよう、あるいは、見知らぬ者を見知らぬ者たらしめている特徴を矯正するよう、圧力をかけないことにある。一方、前節でのべた四つの範疇に代表されるような、「公的でありながら市民的でない」場所の共通の特徴は、相互関与を不要のものとみるところにある。空間の共有という、ひと同士の物理的接近は避けられないとしても、意味ある出会い、会話、交際などという「絆」は、なくてすむかもしれない。

pp145-147
 人間の生活・労働のなかで、ほとんど同一のものとして扱われてきた空間と時間がなぜ分離し、遊離するにいたったか、その理由を歴史書でひもとけば、哲学者、科学者といった、理性の御旗をかかげた、勇猛果敢な騎士たちの偉大な発見にまでさかのぼるだろう。(略)時間、空間の絶対性が哲学者の目に突然とびこんできたということは、人間的行動の範囲と能力に、このとき、なにかがおこったからだ。
 この「なにか」とは、人間や馬の足よりもはやく動くことのできる乗り物の発明であったと想像される。人馬とちがい、乗り物のスピードは時につれて速くなり、われわれをより遠くまで、より速く運んでくれるようになった。人間や、動物以外の輸送手段があらわれたとき、移動にかかる時間は、距離の属性、柔軟性のない「生き物(ウェット・ウェア)」の属性ではなくなった。時間は輸送技術の属性となったのである。時間は人間が発明し、製作し、獲得し、使用し、管理する「機械(ハード・ウェア)」の問題であって、能力に絶望的な限界のある「生き物」、人間が操作できない、気まぐれで、予測不可能な風力、水力の問題ではない。同じ意味で、時間は陸や海の不動性、不変性とは無関係の問題である。時間は変化させ、操作することができるというのが、空間とのちがいである。時空の関係で動的なのは、時間のほうなのだ。
(略)
 かつて国王は廷臣より快適に旅行できたろうし、男爵は農奴より不便なく旅行できたろうが、国王も男爵も、廷臣や農奴よりはやく移動することはできなかった。生き物にたよった移動は時間的平等を生み、機械による移動は差異をもたらす。こうした差異は(筋肉の差から生じる差異とちがい)、これが能率の基準、さらなる差異を生む原因となるまえは、人間的行動の結果で、より意味深い、より明確な意味をもっていた。蒸気機関があらわれ、そして、内燃機関があらわれたとき、生き物的平等は失われた。ある人々は、他の人々より、目的地にずっとはやく着けるようになった。また、追跡から逃げることも、追いつかれ、止められることから逃れることもできるようになった。高速で動ける者はより大きな領域を獲得し、支配し、測量し、監視することができるだろうし、また、競争相手を排除し、邪魔物を領域にいれないこともできるだろう。
 近代の開始を人間の行動の変化にもとめる場合、その切り口はさまざまだろう。しかし、時間の空間からの解放、時間の人間的創造力、技術力への従属、空間征服、領土拡大の手段としての時間の利用をもって、近代の開始とするのも悪くない。

p154
 ハードウェアの時代、重い近代、マックス・ウェーバーのいい方では道具的理性の時代、時間は価値の獲得、すなわち、空間の獲得を最大限にするため、賢く節約され管理されるべき手段であった。一方、ソフトウェアの時代である軽い近代においては、価値獲得の手段である時間の効率化は極限をきわめ、このとき皮肉にも、すべての目的において、すべての価値が均等化されることとなった。疑問符は手段から、目的へと移った。すべての空間に、まったく同じ時間で到着できるとするならば(時間は「かからない」のだから)、特権的な場所も、「特別な価値」をもった場所も消滅せざるをえない。あらゆる空間へ、いつでも行けるとするならば、そこへある決まった時間までに行かなくてはならない理由はないし、そこに行くための資格をえる心配をしなくてもよい。行きたいところに、いつでも行けるとわかっているなら、行きたいところにくりかえし行く必要も、一生有効の切符を買うために、むだ金をつかう必要もないだろう。どこにでも簡単に行け、興味や「時流」にあわせて、場所をかえることも簡単なのだから、空間の維持・管理、土地の管理・耕作に、永遠の支出をつづける理由はないのである。

p157
重い近代は、資本と労働力を、だれも逃げだすことのできない、鉄の檻にいれていたのだ。
 軽い近代は資本と労働の片方だけを檻から解放した。「堅固な」近代は、資本と労働が共同歩調をとった時代だった。それにたいして、「流体的」近代は、離脱、乖離、逃避、そして、むだな追跡の時代だといえる。そして、逃げるのがもっとも上手な者、気づかれず自由に動ける者が、「流体的」近代の支配者となった。

p167
 瞬間性時代の「理性的選択」は、満足を追求しながら結果を回避する、とりわけ、結果にともなう責任を回避することをいう。きょう充足したとしても、それはあすの充足の機会を担保にいれて、借りだしたものにすぎない。継続性は財産から負債にかわったが、同じことは大規模なもの、堅固なもの、重厚なもの、つまり、動きを妨害し制限するものすべてにあてはまった。所有者の権力と財力の象徴だった巨大な工場と肥満体は、その役割を終えた。それらは加速のつぎの段階での敗北を予感させ、また、不能の兆候ともみられるようになった。贅肉のないからだと俊敏性、身軽な服装にスニーカー、携帯電話(「つねに連絡をとりあう」必要のある、遊牧民のために発明された)、もちはこび便利な、あるいは、使い捨ての所持品が、瞬間性の時代における主要な文化的象徴である。重さと大きさ、それらの原因とされている肥満(文字どおり、または、比喩的な)は、継続性と同じ運命をたどった。そうしたものはわれわれがつねに注意しておかなければならない、また、抵抗しつづけなければならない危険性なのであって、なによりもまず、近づくべきものではないのだ。

  4 仕事
pp177-179
 仕事を近代最高の価値に高めたさまざまな理由のうち、もっともあきらかなものは、形なきものに形を、はかないものに永続性をあたえる、仕事のもつ驚くべき、いや、魔術的力だった。混沌を秩序に、不確実性を確実性に変えるためには、未来を包囲し、制圧し、征服しなければならず、それが近代的野心でもあった。そして、仕事はその魔術性ゆえに、当然ながら、近代的野心から重要な、あるいは、決定的な役割を付与されることとなった。仕事の価値、そして、仕事のもたらす利益は少なくない。たとえば、富の拡大、貧困の除去がその例である。しかし、仕事のあらゆる利点に通底するものは、秩序形成、人類にみずからの運命を決定させる歴史的行動への貢献だった。
 このように了解されるとするならば、歴史形成において「仕事」とは、好むと好まざるとにかかわらず、人類全体が従事しなければならない行動であることがわかるだろう。また、「仕事」がこのように定義されるとするならば、人類のあらゆる構成員が例外なく参加しなくてはならない、共同の努力であることがわかるだろう。そして、以下はすべて、上記のことがらから派生した結果である。仕事に従事するのが「自然の状態」で、従事しないのは異常だと考えること。貧困、貧窮、没落、堕落の原因は、その自然の状態を離れたことにあると考えること。種全体の前進にたいしておこなわれた貢献の度合いによって、人間を評価すること。自己の道徳的向上と社会全体の倫理水準の向上をもたらすすべての行動のなかで、仕事を最高のものと考えること。
 不確実性が不変の状態となったとき、あるいは、そうみられるようになったとき、世界内存在は法に規定された行動、法を遵守する行動、そして、論理と一貫性をもった行動の一連の蓄積であるとはみられなくなった。世界内存在は「存在をつつむ世界」までもが参加したトランプでもしているかのように、手札を伏せて隠そうとする。どんなゲームでもそうだが、先の展開は変わりやすく、定まらず、気まぐれで、先が読めるのは数手先までである。
 人間の努力に完成の日がなく、また、努力が確実に結実する見込みもないなら、目標にむかって長期的、永続的に働きながら、「総合的」秩序を、コツコツ築いていくことには、ほとんど意味がないようにみえる。いま現在、足元がおぼつかないのであれば、未来を計画にふくめることはむずかしい。「未来」と名づけられた時間は短縮され、生活全体は短いエピソードに分割され、一度に扱えるのは、ひとつのエピソードだけになった。連続性は、もはや、進歩の特性ではない。進歩の属性であった蓄積と長期性は、エピソードごとに異なるような要請にとってかわられた。エピソードそれぞれの利点は、つぎのエピソードがあらわれるまでに、完全に使いきられなければならない。柔軟性を原則とする生活では、生活戦略、生活設計は短期的でなければならないからだ。

pp188-189
 堅固な近代は、資本と労働が相互依存の原理で、密接に連動しあう重厚な資本主義の時代でもあった。労働者は生活のため雇用に依存し、資本は生産と成長のため労働者に依存した。しかも、両者は同じ住所に共存し、住所変更は不可能だった。工場の巨大な壁が、監獄のように、両者を囲い込み、閉じ込めていたのである。資本と労働は、豊かなときも貧しいときも、健康なときも病んだときも、死がふたりを分かつまで、けっして離れてはならなかった。工場は両者の共同の生息地であり、同時に、塹壕戦がたたかわれる戦場であり、希望と夢のふるさとであった。
 資本と労働をひきあわせ、結びつけたのは、売り買いの取引だった。それゆえ、生き残るためには、それぞれ、取引をおこなえるだけの体力が必要だった。資本家は労働を買う資金をもたねばならない。一方、労働者は雇用者を失望させず、かれらに余計な支出をさせないだけの健康と、強さと、鋭敏さと、魅力をもつ必要がある。両者には相手を健康な状態にたもっておく、それぞれの理由があったのである。したがって、資本と労働の「再商品化」が、政治と、最大の政治組織である国家の、主要な関心、あるいは、任務となっても、なんら不思議ではなかった。資本家に労働を買うだけの体力があるか、賃金が資本家を圧迫していないか、国家は監視をおこたらない。失業者はほんとうの意味での「労働予備軍」であるから、景気のよいときも悪いときも、いざというときにそなえて、失業者として確保されていなければならない。その意味で、福祉国家は「自由主義、保守主義を超越」したものだといえるだろう。社会福祉という屋台骨がなければ、成長はおろか、資本、労働両者は存続さえあやういのである。

pp195-196
 利益、とりわけ、あすの資本となる巨大な利益を生みだす源が、物質的な物でなく、アイデアであるという傾向は、ますます強くなりつつある。アイデアは一度生産されると、富をもたらしつづける。そして、富の大きさは、原型にもとづいて製品を生産するために雇用された人間の数によるのでなく、何人のひとが購買者/顧客/消費者としてそのアイデアにひきつけられたかによる。アイデアにより大きな利益をあげさせようする場合、競争してかちとらなくてはならないのは、より多くの消費者であって、より多くの生産者ではない。とするならば、今日、資本の主たる関心が消費者に向けられていたとしても当然だろう。いま、「相互依存」をまじめに云々できるのは、この資本と消費者からなる領域においてだけである。資本の競争力、効率、利益率は消費者に依存し、資本の予定は、消費者の在・不在、消費者数拡大の可能性、アイデアにたいする需要の開発と増強にしたがうかたちで決定される。予定を策定し、資本を移動するにあたって、労働力の存在は、二次的な関心でしかない。地域的労働力の、資本にたいする(さらに一般的には、雇用情勢や求職数にたいする)影響力は、極度におちこむ結果にいたったのである。

pp202-203
 文化的実践としての先延ばしは、近代とともに登場した。先延ばしの近代的意味と倫理的重要性は歴史的時間、また、それ自体が歴史でもある時間にあたえられた深い意味に由来する。時間は異なった性質と、異なった価値をもつ、さまざまな「瞬間」のつながり、現在から、いまの現在とは違った現在(原則的にはいまより望ましい現在)への進行と認識されるようになったが、先延ばしの新しい意味も、こうした時間の新しい見方から生まれたのだ。
 近代において、時間は目的地にむけての行進、あるいは、巡礼とみられるようになった。端的にいうと、先延ばしは近代的時間から生じたのだ。近代的時間における瞬間の価値は、つぎに起こることによって判断される。いま、この瞬間にどんなに価値があったとしても、それは後にやってくる、さらに高い価値の前触れでしかない。したがって、現在の効用、あるいは、使命はそのより高い価値へと一歩近づくことにある。現在という時間は単独では無意味であり、無価値である。同じ意味で、現在という時間には、欠陥、不足、不完全さがある。現在のほんとうの意味は先にある。現在、われわれの手元にあるものは、「いまだ生まれきたらぬもの」、いまだ存在せざるものによって評価され、意味づけされるのだ。
 未来の巡礼者としての生活は、本質的にアポリア的である。それぞれの瞬間は、いまだ存在しない目標に奉仕せねばならず、また、奉仕にあたっては、目標までの距離を縮め、目標に近接性と緊迫性をもたせなければならない。しかし、距離が縮められ、目標がひきよせられた瞬間、現在はみずからの重要性と価値をすべて喪失する運命にある。それは巡礼者の生活で重宝され、評価される道具的理性が、最終到達点を眼前にぶらさげておきながら、けっしてわれわれを近づけさせない、終わりを目の前までもってきておきながら、それとの距離をけっしてゼロにしない、といういたずらをするからである。巡礼者の生活は達成点への旅であるが、「達成」は生活の意味の喪失でもある。達成点にむけて旅することは、巡礼者の生活に意味をあたえるが、あたえられた意味は、みずからの自爆衝動によって破壊される運命にある。意味は、意味として完成まで生き延びることができない。

pp209-210
 長期的安定がないから、「即座の欲求充足」が合理的な選択のように思われる。手にはいるものは、なんでもいますぐに手にいれようではないか。あすはどうなるかわからない。こうして、満足の先送りは魅力を喪失する。報酬獲得の観点からみるなら、労働や投じられた努力が、有益かどうかはなはだ疑わしい。また、いま、一見魅力的にみえる報酬でさえ、実際、手にしたときにもそうかというと、これもはなはだ疑わしい。われわれはこれまでの苦い経験から、財産も負債へ、名誉も不名誉になりうると学んだ。流行は猛烈な速度で登場し、欲望の対象は享受しつくされるまえに、流行遅れの、趣味の悪い、不快なものとなる。
 経済、社会情勢の不安定さによって、人間は世界を使い捨て、あるいは、使用一回かぎりの物ばかりを集めた器と認識するようになった。さらに、世界は使い手が開けることも、直すことも、修繕することもできない、密封された数々の「ブラック・ボックス」の集合のようにもみえてきたはずだ。今日の自動車修理工は故障した、あるいは、損傷したエンジンを修理する訓練をうけていない。修理工の仕事は磨耗した、あるいは、欠陥のある部品をとりはずして廃棄し、倉庫の棚にならんでいる一定規格の部品ととりかえるだけである。「スペア部品」の内側の構造について、その不思議な機能について、修理工はほとんどなにも知らない。

p212
 いいかえれば、連帯や協力は生産されるのでなく、消費されるものとみなされ、それには消費物にふさわしい取り扱いがなされる。連帯や協力も他の消費物資と同じ価値判断に付されるのである。消費市場では耐久製品に、「お試し期間」がつけられることがある。購買者が製品に満足しなかった場合、代金は返還される。関係(パートナーシップ)の当事者が、そんなようなことばで「概念化」されるとしたなら、「関係を機能させる」のは当事者たちの責務ではない――よいときも悪いときも、「豊かなときも貧しいときも」、病んだときも健康なときも変わらぬ関係をつづけ、幸せな時期にもそうでない時期にもたがいに助けあい、関係を長続きさせるためなら妥協と犠牲をいとわない責務。消費用につくられた製品から、満足をえることだけがかれらの任務となった。製品の提供する喜びが、約束どおり、期待どおりの水準に達していないとすれば、あるいは、ものめずらしさが、楽しさとともに擦り切れはじめたとしたならば、消費者の権利や公正表示法に訴えて、契約を解除することもできるのである。店で「新しい、改良された」製品をもとめずに、旧式で劣った製品にこだわる理由は考えられない。
 関係(パートナーシップ)は一時的なものにすぎなくなるであろうという予測は現実となった。人間同士の絆は、継続的努力と、ときおりの自己犠牲によって育つものではなく、買われた瞬間に、充足をもたらすものである――それは満足をあたえなくなったとき切り捨てられ、喜ばれるあいだだけ保持される。それならば、関係に投資することは「泥棒に追い銭」であり、関係を救うために、不快さと苦痛に耐えることはもちろんのこと、関係をもつこと自体、無意味である。小さなつまずきさえ、関係の崩壊、解消の原因となる。とるにたらない意見の不一致も、激しい衝突の原因となるかもしれず、わずかな摩擦も修復のきかない、根本的対立となるかもしれないのだ。

pp213-214
 不安定な世界の「消費化」と人間の絆の崩壊のあいだには、もうひとつのつながりがある。生産とちがい、消費は孤独な行動である。消費固有の孤独は、消費がひとといっしょにおこなわれても、消えるものではない。生産(原則として長期的な)には、協力が必要である――必要とされているのが、たんなる肉体的な協力だけだとしても。重い材木をひとつの現場からべつの現場に運ぶのに、八人で一時間かかったとする。だからといって、同じ仕事をひとりですれば、八時間(あるいは、X時間)でできる、といったたぐいのものではない。分業とさまざまな専門的技能を必要とする複雑な仕事の場合、協力の必要性はいうにおよぶまい。協力がなければ、製品は生産ラインから運ばれてこない。分散して存在する異種の行為を、生産行為にまとめあげるのが、協力の役目だといっていいだろう。しかし、消費に協力は不必要であり余計である。消費はすべて個人的におこなわれる。ひとでごった返した場所でおこなわれたとしても同じである。交際と社交の象徴とされている食事を、ルイス・ブニュエルの天才的ひらめき(『自由の幻想』のなかの)は、他人の好奇心の介入をまったくゆるさない、完全に個人的な秘密行為として描いたではないか。

  5 共同体
pp219-220
 共同体は自力で生き残れず、構成員が自主的に、責任をもって支えていかねばならない―この意味で、あらゆる共同体はつくられた共同体であり、現実であるより計画、個人の選択のまえでなくあとで成立するものである。「共同体論の描く絵」のなかに、共同体の具体的姿はみえないが、共同体論者には共同体をみせようとする意思も、現実に似た絵を描こうとする意思すらもはじめからないのである。共同体論の内在的な逆説はつぎのようなことである。「共同体に属せればいいな」という希望は、共同体の}部ではないことの裏返し、あるいは、個人が努力して、想像力の翼をひろげなければ、共同体の一部になれないことの裏返しである。共同体論的計画を遂行するためには、共同体論が否定した個人的選択にたよらなければならない。結局、共同体論者は悪魔を認め、一度否定された、個人の選択の自由を認めなくてはならないのだ。
(略)
 社会学的にいえば、共同体論は近代生活の加速度的「液状化」にたいする、あたりまえの反応からでてきたといえる。個人の自由と、個人の安定の均衡を徹底的にうばう液状化によってもたらされる数えきれない結果のうち、あきらかにやっかいだと感じられる一面に反応したのが共同体論だった。個人の安定を保障するものの供給は、またたくまに減少したが、その一方で、個人的責任(割り当てられても、実際には、果たされてはいないけれども)の規模は、戦後、前例をみないほど拡大した。個人の安定のためにもっとも欠けていたのは、他者とのつながりの弱さであった。絆のもろさ、はかなさは、個人的目的を追求する私的権利を手にいれるのとひきかえに、個人がどうしても支払わなくてはならない代償だったのかもしれない。しかし、それは同時に、効果的目的追求、追求の士気にとって、最大の障害となった。これは流動化する近代生活の根の深い逆説でもある。逆説的状況が、逆説的解決を挑発するのは、これがはじめてではない。流動的近代の「個人化」は逆説的性質をもち、この逆説にとりくむ共同体論からは、当然、矛盾した反応があらわれる。流動的近代の逆説は共同体論の矛盾を説明し、一方、共同体論の矛盾は、流動体的近代の逆説の結果であることがわかる。

pp223-224
 共同体論的立場における共同体は民族的共同体、あるいは、民族的分布にもとづいて想像された共同体である。こうした共同体を原型としたことには、それなりの理由があった。
 第一に、民族性の利点はその歴史を「自然の歴史」、その文化を「自然の事実」、その自由を「自然に理解された(うけいれられた)必然性」と考えうることにあった。これが他の統一のための基準と異なる点である。民族的帰属意識からは行動が生まれる。ひとは帰属するものにたいして忠誠を選択しなければならない―そして、懸命に努力して、あたえられた模範にしたがった生活をし、模範の維持に貢献する必要がある。しかし、模範は選択できない。選択できるのは帰属によっておこる結果でなく、帰属するか、根無し草になるか、家庭か家庭の喪失か、存在か非存在かである。共同体論が利用しようと望んだ(あるいは、強調する必要があった)のは、このジレンマだった。
 第二に、ある程度の確信をもって共同体と呼べる唯一の共同体、近代でただひとつ成功した共同体は、民族的均一性を他のあらゆる属性に優先して、第一の基準とした民族国家であった。国家の均一性と正統性を証明する論理的基礎である。民族性(そして、民族の単一性)は、民族国家の成功によって、歴史、的意義を獲得した。現在の共同体論は、当然、こうした歴史的伝統の利用を望む。昨今の国家主権のゆらぎ、国家にかわるあらたな主体の必要性をみるかぎり、共同体論のこうした望みも、あながち、場違いなものだとはいいきれないだろう。しかしながら、民族国家の成功と、その成功を利用しようとした共同体論的野心の共通点はここまでにすぎない。結局、民族国家が成功したのは、自立しようとした共同体を抑圧するのに成功したからだった。それは「地方性」、地域的慣習、「方言」を徹底的にたたきつぶし、そして、共同体的伝統にかわって、統一言語、共通の歴史的記憶等を奨励した。民族国家主導による文化闘争が徹底的であればあるほど、国家がつくる「自然な共同体」の成功はより完壁だった。さらに、民族国家は(現在の共同体予備軍とはちがって)この闘争に素手でのぞんだのでも、また、洗脳の力にだけ頼ったのでもなかった。民族国家による統一共同体の建設は、公的言語の法的強制、学校教育の統制、そして統一的法体系の整備によって支えられていたが、いまの共同体予備軍には、こうした手段は備わっていないし、備えられる見通しもない。

p228
 どの差異が「決定的に重要」か、つまり、類似性に優先し、すべての共通性を碩末に感じさせる差異(または、統一の可能性が討議される会議が開始されるまえから、敵悔心をあおる分離を絶対化してしまうような差異)はどれか考えてみよう。また、どの差異が小さく、派生的で、議論の出発点というよりも、結果論でしかないか考えてみよう。フレデリック・バースがいうように、境界線は、すでに分離線があって、その上に引かれるものではない。それは、原則として、分離が開始されるまえに、引かれるものである。まず、確執があり、「自分たち」を「かれら」からわける努力が必死になされる。そして、「かれら」のあいだにやっとみつけた特質は、自分たちとかれらの違いの証、相手の矯正できない異様さの証明となる。人間そのものは、多くの属性をもつ、多面的な顔をもった生き物であるから、本気でみつけはじめれば、特性を発見するのはさほどむずかしいものではない。

pp235-236
 繰り返しいわせてもらえば、共同体論者の描く共同体のイメージは、猛り狂う無慈悲な大海原にぽつんと浮かぶ、家庭的な、居心地のいい島といったものである。荒波をしずめ、海を鎮めることは非現実的な計画として、議論の対象にされないから、かれらの共同体像は魅力的なのであって、その信奉者もこの点について深く考えることもない。考えうる唯一の避難所であることが、そのイメージに付加価値をあたえて、生活の価値観が取り引きされる株式市場が、予測できない気まぐれな動きをみせるのに呼応して、その付加価値はさらに上昇するといっていいだろう。
 安全な投資先(あるいは、他の投資にくらべて危険でない投資先)として、いまや、投資家本人のからだをのぞけば、共同体の避難所的価値の右にでるものはない。昔と違い、からだはそれが身につける飾りや装いより、はるかに長い(実際、比較できないくらい長い)寿命をもつ生活世界(レーベンスヴエルト)となった。たしかに、からだが不滅でも永久でもないことは、昔と変わらないが、人間の短命さも、流動的近代がショーウィンドウや店の棚に並べては入れ替える、視座、判断基準、格づけ、評価の寿命にくらべれば、永遠のように思われるかもしれない。家族、仕事仲間、階級、隣人といった関係は、あまりにも流動的で、安定した視座にはなりえない。「またあした会える」という望み、そして、先を考えること、長期的に行動すること、かぎりある一生を綿密に計画された軌道にそって、一歩一歩あゆんでいく理由は、およそ頼りにならなくなってしまった。あした会うのが確実なのは、激しく様変わりした家族、階級、隣人、仕事仲間に囲まれた、自分自身のからだだけなのかもしれない。

pp237-238
 身体と、身体的満足の寿命は、デュルケムが社会組織の永続性に賛歌をとなえていた時期とくらべ、たいして長くなったわけではない。問題は社会組織を筆頭に、すべて他のものが「身体と身体的満足」より、短命となったことにある。寿命は相対的概念で、人間は、いまや、まわりの事物のなかで、もっとも寿命の長いもののひとつとなった(実際、ここ何十年間で、寿命を伸ばしているのは人間だけだ)。敵の集中砲火にさらされながらも、敵の手にわたらなかった最後の塹壕、流砂のなかの最後のオアシスとなったのが、人のからだであった。こうして、熱狂的、偏執的、狂信的な身体への関心が生まれたのである。からだと外的世界のあいだの境界線ほど、厳重に警護されているものはない。からだの孔(侵入点)とからだの表面(接触点)は、いずれやってくる死の自覚からおこる、恐怖と不安が集中する場所となっている。他の場所(たぶん、「共同体」をのぞく)に、恐怖や不安を分散することはできない。
 からだの重要性は、共同体のイメージ(確実性と安全をかねそなえた共同体、安全性の温室としての共同体のイメージ)が、理想的なからだをモデルにしていることからもよくわかる。均一性と調和がたもたれるよう、共同体の内部の消化しづらい異物は、すべて除去され、異物侵入の経路は厳しく監視され、管理され、守られる一方、外部は重武装され、完壁な鎧をかぶせられる。つくられた共同体をかこむ境界線は、ちょうどからだの外皮のように、内側の信頼と優しい思いやりを、危険と、疑念と、緊張の外界からわける線でもある。身体とつくられた共同体の両者は、内側がビロードのように滑らかで、外側が刺といばらだらけであることにおいても同じである。
 からだと共同体は、確実性、安定、安全をめぐる戦闘が、毎日、休みなくつづけられてきた戦場に、最後まで残った防衛基地だといえる。いまや、多くの要塞や砦のあいだで分担されていた任務は、からだと共同体がすべて継承している。運びきれないほどの重荷がそれらの肩にのしかかり、安全をもとめる人たちの不安を和らげる役目を果たすはずだった両者が、逆に、不安を助長してしまう結果となった。
 からだと共同体の孤立は、流動的近代におこった重大な変化に起因する。そのなかには、ひとつだけ、特別な重要性をもつ変化がある。それは国家が確実性と安全を提供するための、あらゆる主要手段と装置を放棄し、売り渡したこと、つづいて、確実性/安全への国民の願いを支援しなくなったことである。

pp249-250
 民族国家の主権の原理が信用を失い、国際法の法令集から削除され、国家の抵抗力が実質的にくずれ、グローバル・パワーにとってとるにたらない存在でしかなくなったとしたらどうだろう。この場合でも、超国家的秩序(世界経済を管理し、秩序づける抑制と均衡の世界政治制度)が、「国家の世界」にとってかわる可能性は、いくつかある筋書きのひとつである―しかし、今日的状況からみれば、あまり現実的でない。ピエール・ブルデューのいう「不安定化政策」が、世界じゅうに広まる確率は、これまで以上とはいわないまでも、これまで同様高いだろう。国家主権にくわえられた致命的な打撃の結果、抑圧(マックス・ウェーバーもノルベルト・エリアスも、これを近代的理性、あるいは、文化的秩序の特性、絶対条件的属性とみなしている)が、国家の占有手段でなくなったとしても、集団虐殺をふくむ暴力の総量が減少するわけではない。暴力は「規制緩和」され、国家のレヴェルから「共同体」の(ネオ民族的)レヴェルまで下降したにすぎない。
 組織に(ドゥルーズとガタリの比喩を使うなら)「樹木的」構造がなくなった結果、社会性は「爆発的」なかたちであらわれてこざるをえなくなった。組織は根をのばし、さまざまな長さの命をもつ形態を発芽させたとしてもすぐ枯れてしまう。それは組織の構成員の一時的な情熱と熱狂以外に、支えがないからである。基盤分弱さはなにかで補われねばならない。「爆発的共同体」がつづくかぎりにおいて赦される罪、処罰を免除される罪に積極的に加担した共犯者が、この場合、空白を埋めるのにもっともふさわしい。爆発的共同体は暴力が生まれ、暴力が存在しつづけることを必要とする。そして、爆発的共同体には、共同体をおびやかす敵、拷問し、八つ裂きにし、処刑すべき集団的な敵も必要なのである。しかし、敵に暴力をふるうほんとうの理由は、戦いにやぶれたときに、すべての構成員が人類にたいする罪の共犯者となるためである。

pp258-260
 クローク型共同体はばらばらな個人の、共通の興味に訴える演目を上演し、一定期間、かれらの関心をつなぎとめておかなければならない。その間、人々の他の関心(かれらの統一でなく、分離の原因となる)は、一時的に棚上げされ、後回しにされ、あるいは、完全に放棄される。劇場的見世物はつかのまのクローク型共同体を成立させるが、個々の関心を融合し、混ぜあわせ、「集団的関心」に統一するようなことはない。関心はただ集められただけで、新しい特性を獲得することもなく、演目がつくりだす共通の幻想は、公演の興奮がさめると雲散霧消する。
 重い、固い、そして、ハードウェア的な近代にあった「共通の大義」にとってかわった見世物は、あらたなアイデンティティ形成に甚大な影響をあたえた。また、見世物はアイデンティティ追求にともなってしばしば発生する精神的緊張、攻撃性の原因となる精神性外傷の非常によい説明となる。
 「カーニヴァル型共同体」というのも、いま、議論している共同体の呼称として、ふさわしいだろう。こうした共同体は、自己扶助の精神をうけいれた、あるいは、強制された「形式上の」個人を孤独な格闘の日々の苦しみや困難な状況から、いっとき解放してくれるだろう。爆発的共同体は日常的孤独の単調さをやぶる出来事であり、カーニヴァルと同じように、欲求不満のガス抜きである。興奮させる出来事、ガス抜きがあるから、お祭り騒ぎが終われば、もどっていかなければならない日常の仕事も、耐えられるのである。ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの憂馨な哲学的瞑想と同じで、爆発的共同体は「あらゆるものを、あったままにしておく」(実際に傷ついた犠牲者、「付随的被害」は逃れても、道徳的な傷をうけたひとがいることを除けば)のだ。
 「クローク型」と呼ぼうが、「カーニヴァル型」と呼ぼうが、爆発的共同体は近代の流体的風景に不可欠な要素であり、形式上の個人の孤独な苦しみ、事実上の個人になりたいという熱いが、むなしい努力の一部である。見世物、クロークのコート掛け、群集の集まるカーニヴァルは、あらゆる好みを満足させようとするため、その種類も多い。(略)クローク型/カーニヴァル型共同体は、「ほんとうの」(包括的、永続的という意味で)共同体の姿をまね、ほんとうの共同体をゼロからつくると(誤解をまねきかねない)約束をしながら、実際には、そうした共同体の形成を妨害する。クローク型/カーニヴァル型共同体は、社会性をもとめる衝動の未開発のエネルギーを集約するのでなく、拡散し、そして、まれな集団的協調、協力に、必死に、しかし、空しく救いをもとめる人間の孤独を永久化する。


■書評・紹介

■言及



*作成:植村 要
UP: 20080504 REV:
社会学 sociology 身体×世界:関連書籍 2000-2004 BOOK
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