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『私が選ぶ、私の死―終末期宣言のすすめ』

西村 文夫 19991125 角川書店,角川ソフィア文庫,232p.

last update:20110530

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■西村 文夫 19991125 『私が選ぶ、私の死―終末期宣言のすすめ』,角川書店,角川ソフィア文庫,232p. ISBN-10:4043521014 ISBN-13:978-4061494275 \630 [amazon][kinokuniya] ※ 8903og 0501st et a02i b01 a06

■内容

出版社/著者からの内容紹介
脳・ことば・心――
人間の内なる世界はここまでわかった

心がことばをつくり出し、ことばは心を統御する。失語症研究の第一人者が脳・心・ことばのメカニズムに迫る。

【ことばは心を組織する】――ことばは内なる世界(心)に生起する多様なる現象に名前を与えることで、心の諸現象を範疇化し、かたちあるものとして表象することができる。名前は理解の1つの形式なのである。相手に対する自分でも理解できないむしゃくしゃした感情を「怒り」とまとめられるのは、ことばのおかげである。いや、怒りではない「あせり」だとまとめることができるのも、ことばの働きである。あるいはそのむしゃくしゃした心の動きを人間関係の中で整理したならば、「嫉妬」とまとめられるかもしれない。感情に与えられたこれらの名前は、感情を分類する力を持つだけではなく、それがそのまま自分と世界を関係づけ、その関係を理解する手立てとなる。このように、ことばは心が生成する表象や、非表象性の変化(感情など)に名前を与えることによって、心を分類し整理する。ことばはそもそも心を記号化する働きでありながら、できあがった記号が今度は心そのものをその記号に従わせるのである。こうしてことばは心を組織する重要な手段となる。――本書より

--このテキストは、 新書 版に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
脳死、臓器移植、ガン告知、延命治療…。将来死に直面したときに、自分の受けたい医療のあり方や、自分への医療情報の受け方を、あらかじめ書面に記し登録しておく「終末期宣言」。これを広める運動を、自らのガン体験をもとに、また医師の立場から、提唱し推し進める著者が、「個人としての死」「家族の一員としての死」「社会の一員としての死」という視点から、人間の生と死の理念をつきつめ浮き彫りにした出色のエッセイ。

内容(「MARC」データベースより)
誰もがいずれ迎える終末期。そのとき、どのように「死」を迎えるか。自分の死に方は、自分で決めて、それを書き残しておく「終末期宣言」を提唱。個人の満足する生と死のために。〈ソフトカバー〉* --このテキストは、 単行本 版に関連付けられています。

著者紹介
1939年、兵庫県生まれ。神戸大学大学院医学研究科修了。医学博士。現在、東北大学医学部教授。専攻は神経心理学。失語症を中心とした高次機能障害を研究。著書に『神経心理学入門』――医学書院、『脳からみた心』――NHKブックス――など。

--このテキストは、 新書 版に関連付けられています。

■目次

はじめに

一章 終末期宣言への歩み
 私の「死ぬ瞬間」
 大手術の前夜
 全身麻酔での手術のとき
 調査「満足な終末期のために」
 勤評闘争を契機に
 わが老後をどう生きるか
 人権としての社会教育を背景に

二章 なぜ「終末期宣言書」か
 一、「終末期宣言書」とは
  これは人権宣言です
  自己決定した意思が変わったらどうする?
  終末期とは
  「尊厳死の宣言書」との違い
 二、「終末期宣言」の有効性
  自己決定権と医師の裁量権
  社会的合意の形成
  医師と患者・専門家と素人の関係
 三、「終末期宣言」の必要性
  いま、なぜ「終末期」なのか
  医療技術の発達がもたらしたもの
  死のタブー視と戦争
  若者こそ書くべきもの
 四、「終末期宣言書」の書き方
  自由に書くか、チェック方式か
  試験の答案ではない
  書いてからどうする

三章 書いたらどうなる
 一、生き方が変わる
  「がん告知イヤ」意思を尊重
  苦痛除去の懇願、ようやく応諾
  晩酌の話題が変わる
  茜いろの坂
 二、周囲の対応は変わるか
  つれあいは変わる
  医師は訪問診療に出かけるか?
  訪問看護師への期待
  家族は変わるか
 三、市民として生きる
  くにたち豊かな老後をつくる会
  講座「ホスピスをつくろう」
  アメリカの「死の教育」の発展と人権運動
  ホスピスとは何か
  人権としてのホスピス
  「死」を学ぶ市民学習の高まり

四章 選択をどうする
 一、延命治療拒否と苦痛の除去
  いたずらな延命治療
  蘇生術とは
  点滴・輸液
  植物人間の命は絶つべきか
  延命中止を求める家族
  苦痛の除去
 二、がんの告知
  人権と告知
  基本的倫理感覚の違い
  告知についての意思表示の意味
  医師は患者の希望を察知していない
 三、終の場所
  在宅死か病院死か
  公的介護保険のめざすもの
  在宅死は可能――本人の意思表示が第一歩
  「望ましい在宅死」のために
  市民として動く
 四、脳死状態での臓器移植
  脳死と臓器移植
  脳死は人の死か?
  脳死判定のあいまいさ
  納期提供を迫られる家族
 五、自由記入欄
 六、代理人委任状
  代理人委任状とは
  カリフォルニア州の「持続的権利」
  自己決定権法にもとづく「事前の指示」

五章 尊厳死・安楽死・自殺幇助
 一、尊厳死と安楽死
  苦痛に満ちた終末期を迎えたら安楽死は
  安楽死・尊厳死・自然死の用語の整理
  「リビング・ウィル」の運動は消極的安楽死を目指すもの
 二、自殺の権利
  自殺をどう見るか
  尊厳死としての自殺
 三、積極的安楽死の法制化
  医師による自殺幇助・オレゴン州尊厳死法
  世界の動き(オランダ・オーストラリア)
  日本での法制化の見通し

六章 ヒトはどこから来て、どこへゆくのか
 一、ヒトの生死
  ヒトは生物の一種である
  平均寿命は何歳まで延びるか
  人類の生命は永遠ではない
  人間が不死であれば
 二、星・宇宙の生と死
  地球・太陽の生と死
  宇宙の生と死
  自然な死の受容と不自然な死の拒否
 三、ヒトはどこへ行くのか
  農業革命以後のヒトの歩み
  環境破壊
  人口爆発
  遺伝子操作

七章 満足な生と死は可能
 一、寝たきりにならない
  寝たきりになった時の療養の場所
  寝たきりにならないために公的介護保険制度
 二、痴呆になっても
  ボケて死にたくない
  痴呆性老人と老年痴呆
  うつによる仮性痴呆は治る
  ボケてもこれだけは分かっている
  痴呆性老人への対応
 三、生きがいは死ぬまで持てる
  高齢期は暗いか
  明るく生きる
  八五歳を過ぎて寝たきりになっても
  学習と遊びの一体化
  老人の遊びと学習
  死期が近づいても
 四、限りある生を全うする
  充実した老後を生きて天寿を全うし
  家で安らかなフィナーレを

おわりに
解説

■引用

■書評・紹介

■言及



*作成:樋口 也寸志
UP:20110530 REV:
『終末期医療――自分の死をとりもどすために』 ◇『今後の終末期医療の在り方』 ◇安楽死・尊厳死 euthanasia / death with dignity ◇公的介護保険 ◇ぼけ・ぼける・呆ける・痴呆・認知症 ◇老い身体×世界:関連書籍 1990'  ◇BOOK
 
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