◆加藤久雄, 200307, 「臓器不足と生命倫理 Lack of organ and bioethics」『生命倫理』13(1):36-43.
(p37)
このワークショップのコーディネーターである粟屋剛教授は、その線密な実態調査に基づく、まさに驚愕すべき内容で埋まる著書『人体部品ビジネス―「臓器商品化時代の現実」』(講談社選書メチエ1999年60頁以下)の「第2章:囚人の臓器を買う神父―フィリピン臓器売買事情」では、「臓器売買発生の原因」として5つの条件を挙げて検討している。(1)需要:国内外に臓器を必要とする多数の患者が放置されていること、(2)供給:ドナーとなる多数の生活困窮者が海外にいること、(3)医療技術:移植技術と移植ができる医療設備が整備されていること、(4)禁止立法:法律による臓器売買が禁止されているが、いまだにその規定による摘発もなくその実効性はないこと、(5)社会的風土1臓器売買を容認する風土があること、の5点である(62頁)。ただし、(5)の社会的風土の評価は、買手の側の論理で賛同はできない。
◆倉持武, 200510, 「訳者あとがき」 Kass, Leon R, ed. 2003 Beyond Therapy: Biotechnology and the Pursuit of Happiness: A Report of The President's Council on Bioethics,New York: Dana Press(=200510, 倉持武 監訳『治療を超えて――バイオテクノロジーと幸福の追求:大統領生命倫理評議会報告書』青木書店).
(pp392-394)
市場の社会的深化のもう1つの側面が,身体および精神の市場化であり,資源化である。身体の資源化の代表が,移植医療,細胞と核移植クローン技術に基づく再生医療,SNIPsの解析に基づくテーラーメイド医療である。臓器移植医療は自由市場原理とは整合しないし,奇形腫やミトコンドリアDNAの問題を考えれば,再生医療も危うく,薬物に対する反応の違いなどの身体の個性が一塩基多型だけに還元できるとも思えないので,注文仕立て医療にもそんなに期待はかけられないと思うのだが,これらの研究にはともかく膨大な税金がつぎ込まれている。核融合研究や超伝導研究の二の舞とならないことを祈るばかりである。現時点で唯一成功している身体資源産業は,組織加工業だろう。これは,無償で提供された身体諸組織を加工,保存し,心臓弁は1つおよそ83万円,アキレス腱は1つおよそ30万円,血管は長さによっておよそ24〜36万円と定価をつけて販売する企業である。ちなみに,組織加工業の雄であるクライオライフ社は1998年に,『フォーブス』によって「アメリカにおける200の最優秀株式上場小企業」に選ばれ,同年の同社の総収入はおよそ72億円であった(F)。
身体の市場化は精神の市場化に先行したが,両者はパラレルな関係にあるので,日本国内に目を向けながら,同時に簡単に見てゆこう。両者の市場化を支える思想は予防とその延長線上に位置づけられた増進または促進という観点である。身体の市場化は「健康増進法」によって法的根拠さえ与えられており,そのリーダーは,本人の自覚はともかく,生き方上手」の先生である。同法第2条によって,健康増進が「国民の責務」と規定され,国民は少なくとも健康診断から逃れられなくなった。結核対策から始まり,がん対策に応用された「早期発見,早期治療」の思想が,有効性の科学的検討さえ欠いたまま全身に拡大され,普通の生活を営んでいる者であっても,病気につながるサインはないかと鵜の目鷹の目で調べられることになったのである。これによって健診産業は繁盛が約束され,受診者の何割かは確実に「異常」が発見され,医療機関にまわされることになるので,医療機関も一定の収入が保証される。病気につながるサインの原因が加齢から「生活習慣」に変わったのだから,受診者の自己責任と自己負担は当然増えることになる。増加一方の監視カメラは国民の身体にも向けられて,国民は健康か病気か,ではなく,病気になりそうな徴候があるか健康が増進される方向にあるか,という観点から調べられることになるのだから,普通の状態も医療の対象になり,社会の医療化が一段と促進され,表向きのかけ声とは裏腹に,必然的に医療費総額も増加する。健診で採取された血液も先に挙げたSNIPs解析とデータベース作りのために,さまざまな理屈をつけて,利用されていくことになるだろう。