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『文化資本論――超企業・超制度革命にむけて』

山本哲士 19991028 新曜社,300p.,2850


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山本 哲士 19991028 『文化資本論――超企業・超制度革命にむけて』,新曜社,300p.,2850
・この本の紹介の執筆:横山真由子(立命館大学政策科学部2回生)

目次
序章:超制度の条件
(1) 企業が企業をこえる/大学が大学をこえる
(2) 20世紀型企業と21世紀型企業
(3) 超企業/超制度への条件―三つの資本
(4) 超企業/超制度の三つの経済
(5) 超企業/超制度の三つの技術開発
(6) 労働からアクション(行為)へ
(7) 超制度の経済設計哲学

第一章:《文化資本》経済の場
[T]経済生産と文化生産
(1) 経済の文化化
(2) 経済資本と文化資本の相反関係と逆立構造
(3) 21世紀の文化資本経済
[U]文化資本と資本構成
(1) 文化資本の意味と構成
(2) 文化資本を社会化する−社会関係資本
(3) 経済資本を増殖する象徴資本
[V]文化資本の領有経済
(1) 商品中心から資本中心へ
(2) モノ経済をこえる空間の経済
(3) 所有経済から領有経済へ

第二章:文化資本と想像的生産−分配システムの変容
[T]経済言説の超克
(1) 利益/利潤の深い意味
(2) 価値言説の消滅
(3) 労働経済から「アクションの経済」へ
[U]想像的生産と社会ビジョン
(1) 経済リアリティと「イマジネイティブな生産」
(2) 企業/制度の社会ビジョン
(3) 〈分配―流通〉の想像的生産
[V]場所の想像的生産
(1) 空間経済と場所経済
(2) 「人間の経済」から「場所人/男女の経済」へ
(3) 象徴的生産/想像的生産/経済生産の複合的構成

第三章:文化資本と仕事アクション−自己技術と自由としての仕事
[T]個的なアクションと文化資本
(1) 仕事―自由
(2) 企業/制度組織の閉塞性をこえる
(3) 企業組織の非連続的飛躍−巨大システムの崩壊
[U]コミュニケーションと文化資本
(1) 直接性と対のコミュニケーション
(2) 効率性をこえるコンビビアルな生産性
(3) 新しい組織ワークと戦略−横断的な超領域専門職の形成
[V]自己技術と文化資本
(1) 自己技術と自由
(2) 生産者と消費者の非分離―生活者=仕事人の創造行為
(3) 仕事と創造性―自己技術と社会技術の新次元

第四章:文化資本と文化技術−科学技術中心をこえる
[T]近代科学技術をこえる文化技術
(1) 科学技術の限界
(2) テクノロジーの複合的な世界
(3) 文化技術と近代学問体系の超克
[U]述語的な文化技術の構成
(1) 文化技術と場所の世界
(2) 生活技術
(3) 道具技術
(4) 身体の技術−欲望技術と倫理技術
(5) 思考技術の開発
(6) 歴史技術
[V]場所の文化資本経済と文化技術
(1) 場所経済と文化技術開発
(2) 地球環境経済と文化技術

第五章:文化資本の哲学文法
(1) 経済を哲学的に考える
(2) 「消費社会と資本主義」の価値言説をこえる
(3) 場所の述語的経済

・本文の内容

序章:超制度の条件

  「超制度」とは文字通り'制度が制度をこえる'という意味である。本文では、今日、大手企業までもが次々と破綻し不安の募る日本の組織体・社会を'産業社会経済の論理を高度に進めえた'社会とし、この産業社会システム時代が現在本質的な転換を迫られていることを示唆している。経済社会経済の基本である「大量生産」は、生産性を社会価値の中心とし〈分業−協業〉〈全国画一市場〉のシステムにより'無限成長・無限発展が社会を豊かにし、人々を豊かにする'といった一つの社会ビジョンを追求した。この大量生産の文化がつくりあげた社会では労働者諸個人の社会条件や社会関係を引きずり込むわけにはいかず、労働者の「労働」から「労働力」を切り離し「労働時間」として抽象的に抱え込む契約システムをつくった。この典型的8時間労働の間、個人の自由はない。マルクスは産業社会経済の労働を「疎外された労働」ととらえたが、労働という形態は意識的な対象的活動であって、人はもっと無意図的で自然な「行為=アクション」を行う。労働では、一義的な活動を要求されるが、アクションは多義的な自立行為である。超制度/超企業の経済活動では、労働がなくなっていき、アクションそのものが、その創造的で想像的な行為に大きな意味を持ってくる。

第一章:《文化資本》の経済の場

[T]経済生産と文化生産
  現在の企業経営を支えている中心的考えは「経済資本」が資本のすべてであるというものである。しかしながら「資本」とは経済資本だけでなく、多様な文化的・社会的資本が「さまざまな領域で働いていることが、研究者により示されている。経済資本つまり産業社会経済における社会が拝金主義のかたよった社会をつくりあげてしまったが、文化資本経済では、お金儲けのために企業活動を行うのではなく、「文化を創造しうる文化資本をもって、社会/生活/環境をよくする企業活動を実行した結果、最低限必要なお金が入ってくる」のだ。つまり拝金資本主義と文化資本主義では、目的と結果がまったく逆転しているのである。
  文化資本は、21世紀型企業の基幹エネルギーとなるものなのである。

[U]文化資本と資本構成
  文化資本は社員と組織システム、企業体の3つが構成するものである。軸となる社員は個人的な文化資本力能としてプロデューシング能力など5つの能力を求められるが、その能力とは一言でまとめてしまえば「お金と人に対して責任を持って仕事をする」ことである。また文化資本は個的なものに留まる限り機能しない。文化資本をより社会的に生かしうる社会関係資本へと関係資本のベクトルを変えていくことも重要である。それは場所を「場」に変形すると言ってもよい。

[V]文化資本の領有経済
  モノ商品経済/物流経済は〈所有〉の論理によって構成されていた。モノの所有・消費の繰り返しであり、システムとしてはそのモノを商品として換金へ交換可能なものとして生産し、流通・分配そして消滅させるというものだ。所有経済においては生産者側が優位に立つとされてきた。この所有とことなる〈領有〉を経済の基盤にすえるのが超企業/超制度の経済である。「領有」とは人が主体ではなく、場所/空間が主体となる。

第二章:文化資本と想像的生産−分配システムの変容

  文化資本は想像的生産によって形成される。「生産」中心のシステムから「分配」の変容が主導権を持つ社会システムへと変わることを意味する。

[T]経済言説の超克
  利益・利潤追求社会においてこれまでは、付加価値をつけることが重要視された。このような考え方においては価値は増殖することが前提となっている。超制度の経済活動においては比較して差異化しないことが要となっている。「よい」ものはそれで充分で「よりよい」ものを求めない時、価値言説は消える。また労働と生産は合致するものではなく、産業社会経済では「労働時間=生産時間」とし「労働時間外=非生産的時間」と見なしていたが、超制度ではすべてが生産=消費となる。

[U]想像的生産と社会ビジョン
  労働生産物=商品から企業経済が成り立つという考えから「アクションの経済」が中心となる時、創造性が企業を活性化するという意味を考える必要がある。生産とはモノが置かれた空間の場を生産することであり、モノのイマジネイティブな世界を生産することであり、イマジネイティブなものが現実的であるように生産することである。企業は「場所の経済」を実行せねばならない。

[V]場所の想像的生産
  モノ経済にかわるもの、それが〈空間〉そして〈場所〉の経済である。モノ経済において消費の場は国民市場全体であり、「モノをつくる場」じゃ企業生産に占有されてしまっている。が、「モノをつくる場」は生活の場所であり、工場ではないのである。「モノをつくる場=生活の場」とすることが求められている。モノ経済は男女の差のない「ユニセックスの経済」でありそこでは、個人ではなく効率化された中世的な人間とみなされる。一方場所経済は「ジェンダー経済」であり、相反補足的で、男女は一方なくしてはもう一方の意味がなくなる対的関係にある。

第三章:文化資本と仕事アクション−字補技術と自由としての仕事

  仕事とは本来自分自身の行為であって他人の為の労働でないはずだ。しかし一方で仕事とは与えられたことをこなすこと、決まった時間内でやること、結局自分のものでないこという産業社会経済の「労働」がある。つまり仕事とは労働様式の問題ではなく、「自己と非自己」をめぐる自己の自由の問題なのである。

[T]個的なアクションと文化資本
  仕事/労働は、個人のものとなっていること〈仕事の個人化〉と、社会的な労働として組み立てられていることの2つの生活の統合体としてみずからの仕事が成立している。産業的な労働と自己アイデンティティの双方が、根本から転じられていくことが求められている。

[U]コミュニケーションと文化資本
  産業社会経済のリーディングは、共同的なものを厳密に対象化/客観化し、それを内在化して優れた技能を従わせるものであるが、超企業/超制度の経済リーディングは、共同的なものを外在規制条件にすえた上で、対的な関係から個々人の創造能力を発揮させることを、全体性を演出させるポジショニングとして実行する。

[V]自己技術と文化資本
  産業社会経済は労働と経済をリンクすることにより、生活者存在を、生産者と消費者に分離することとなった。しかし労働時間と生産時間に分離はなくすべては生産時間であり、生産する場と消費する場の明らかな区別はすべきでなく、場所そのものを設定することで「生産から消費」に重きをおかれた場ではなく「使用」に重きをおかれた場が設計される。

第四章:文化資本と文化技術−科学技術中心をこえる

  企業経済/社会制度システムを変えていこうとするものであれば、資本・生産・労働の次に技術に取り組まねばならない。技術の基軸を科学技術から文化技術へとシフトさせることだ。「文化」を「技術=テクノロジー」においてつかみとることから、「象徴的なもの」と「均質的なもの」との区分をこえていくことができる。

[T]近代科学技術をこえる文化技術
  科学技術の主客分離/自他分離の論理は、根本的には環境破壊を不可避的に巻き起こすもので、実世界が複雑で多様なものであり、定義しえない、主客分離/自他分離しえない関係存在であることを見失ってしまっている。文化技術は、自然技術/社会技術/科学技術を統括し、それぞれの技術開発の方向性をディレクションする要となるものである。

[U]述語的な文化技術の構成
  文化技術は、生活技術/身体技術/道具技術/思考技術/歴史技術という5つのそれぞれ区分されながらも、分離されずに相互に関係しあう技術から成立・構成される体系である。これらの普遍的な基幹技術と個々の場所技術とのバランスをつくりあげていくのが文化技術の大きな役割でもある。

[V]場所の文化資本経済と文化技術
  超企業/超制度の経済は、環境的な生活を快であるように演出していく方法をつくりだす生産活動である。生産が優位に立つのではなく、生活が優位に立つ。生活の画一性をつくってきた産業社会経済の企業/制度とは本質的に性格を異にするのだ。文化技術が潜在している場が場所であり、場所の意志を空間的に出現させる技術が、文化技術である。文化技術が文化資本を開発し形成し、高めていく。

第五章:文化資本の哲学文法

  この本は、超企業/超制度計竿の叙述の背後にある言説空間の組み替えを「環境の設計」「資本の設計」「場所行為の設計」として実行している。非分離の想像的生産、述語的技術、自己テクノロジーなどのあり方は、場所の意志を〈文化資本〉として設計することからプラチックされ、新しい秩序となっていく。


・この本を選んだ理由
授業の内容から「私達はなぜ働くのか」という疑問が私達の中に少なからずわいてくる理由について、まず現在までの雇用制度からヒントを得られないのか、と思った。そして日本における企業の「年功序列・終身雇用制度」が崩壊しつつある今、私達はどんな社会制度へと移行しつつあるのか、また移行すべきなのかを考えたいと思い、特に興味のある、「企業から見た労働」を取り上げたこの本を選んだ。

・この本に関するコメント
今までの我々の労働というものは、やはりこの本の中に何度も登場したマルクスが「資本論」の中で述べた「疎外された」労働に近いものかもしれない。私は必ずしもこの本が言っているように「与えられた仕事」=「非自己的な労働」とは思わないが、現在までの慣習的な日本の労働制度のあり方から見れば、それが組織に属して仕事を配分されているだけの労働経済であり、自らの仕事へのインセンティブによるものではなくつまりこの本でいう「アクションの経済」ではないことには納得でき、また産業社会経済のシステムにおいて労働経済がもはや機能しなくなる理由についても理解できた。私達の世代には、働くことの意味が理解できずいつまでも職に就くことのできない人間や、一般的な仕事ではなくギャンブルなどで生計をたてる人間が多発している。そのことが良いか悪いかは別として社会の問題として浮上している原因にはやはり「場の文化」を形成せずに雇用を行ってきた産業社会があるのではないかと思う。私達、生活を営むもの皆が目的を持って、そして何より気持ちよく働くことには何が今問題で、何が足りないのか。この本を読むことでそれが理解できたと思う。


UP:20040205
労働  ◇2003年度受講者宛eMAILs  ◇ 

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