『ニーチェを読む』
水野 清志 19991015 南窓社,196p.
■水野 清志 19991015 『ニーチェを読む』,南窓社,196p. ISBN-10:4816502513 ISBN-13:978-4816502514 \2940 [amazon]/[kinokuniya] ※ w/nf01
■内容(「BOOK」データベースより)
本書では、ニーチェ自身にとってはいうまでもなく、現代思想の領域においても、最高傑作に属する『このようにツァラトゥストラは語った』をほぼ中心にして、ニーチェが語るところをできるだけ綿密に考察しようとした。しかしニーチェ自身が述べているように、思想を学ぶにあたっては、それに主体的にかかわって、それをわがものとしていくことが忘れられてはならない。その意味で、ニーチェの語るところはまた、同時にわれわれ一人一人にとっての重要な課題でもある。
■著者紹介(本書奥付より)
水野清志(みずの・きよし)
1934年 静岡県菊川町に生まれる
1958年 東京教育大学文学部卒業(倫理学専攻)
1968年 東京都立大学大学院博士課程単位取得退学(哲学専攻)
現在 信州大学(医療技術短期大学部)教授
■目次
はじめに
方法
体系への意志は誠実性の欠如である
世界に心なし、あるはただ解釈――遠近法の問題
良心と知的良心
満足せる良心はやましい良心を持っている
汝は汝のあるところのものとなれ
ニヒリズム
一切は空しい、それは麦わらを打穀することだ
ニヒリズムとは、最高の価値がその価値を剥奪されるということである
神
人はおのれ自身に対して感謝するのであり、そのためにこそ神が必要となる
神々は存在するが、神は存在しない
神は死んだ
キリスト教
生の肯定を悪とみなす別の世界を捏造しなければならなかった
パウロの定式「神は世の弱き者を選び給えり」のいつわり
イエス
実践こそイエスが人類に残したものである
天国は心の状態である
あのヘブライ人はあまりに早く死んだ
愛
施し者を与えるほど貧しくはない
同情は小さな愛である
信仰
ひざまずいたままで聖なる階段をのぼれ
わたしに対する信仰はわたしを至福にしない
歴史
わたしは墓堀人であってはならない
現代における最高の精神のみが過去を解釈する
現代批判
こここそじっさいあらゆる絵の具壷の原産地なのだ
精神そのものが悪臭を放つにいたる
善と悪
一切の諸事物は善悪の彼岸において洗礼を施されている
最高の善には最高の悪がつきものである
身体
背中にこぶを持つ者からそのこぶを取ると、彼からその精神を奪うことになる
わたしはまったく身体であって、それ以外の何ものでもない
自己
エゴがエゴなしにどうして行為しえようか
自己は自我の支配者である
超人
人間は深淵の上にかかる一本の綱である
今やわれわれは超人が生きんことを欲する
権力への意志
人間は一つの不潔な川である
人間は超克されるべきところの何ものかである
永遠回帰
最も相似たもののあいだでこそ、仮象は最も美しく偽る
一切は行き、一切は帰って来る、存在の車輪は永遠に回転する
これが生であったのか、さあ、もう一度
高等な人間たち
大いなる希望を学ぶのでなければ生きることを欲しない(高等な人間たち)
大いなる疲労の告知者(予言者)
一切がまやかしで、腐っている(二人の王)
多くのことを生半可に知るよりは何事も知らない方がましだ(精神の良心的な者)
ニーチェの生涯と著作
あとがき
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:石田 智恵