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『「弱者」とはだれか』

小浜 逸郎 19990804 PHP新書83,222p.


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■小浜 逸郎 19990804 『「弱者」とはだれか』,PHP新書083,222p. ISBN-10: 4569607268 ISBN-13: 978-4569607269 657 [amazon][kinokuniya] ※

■内容(「BOOK」データベースより)
「弱者に優しい政治を」「差別のない明るい社会を」といった、だれも異議を唱えることのできないスローガン。しかし、現代社会における「弱者」とは、ほんとうはどういう存在なのだろうか?本書では、障害者、部落差別、マスコミの表現規制など、日常生活で体験するマイノリティの問題について、私たちが感じる「言いにくさ」や「遠慮」の構造を率直に解きおこしていく。だれもが担う固有の弱者性を自覚し、人と人との開かれた関係を築くための考え方を「実感から立ちのぼる言葉」で問う真摯な論考。

内容(「MARC」データベースより)
障害者・部落差別など、日常生活で体験するマイノリティの問題について感じる「言いにくさ」や「遠慮」の構造を解き起こす。誰もが担う固有の弱者性を自覚し、開かれた人間関係を築くための考え方を問う論考。〈ソフトカバー〉

■目次

第1章 「言いにくさ」の由来
 「弱者」というカテゴリー
 個別性への鈍感さ
 ほか
第2章 「弱者」聖化のからくり
 建て前平等主義
 部落差別をめぐって
第3章 「弱者」聖化を超克するには
 共同性の相対化
 言葉狩りと自主規制問題
第4章 ボクもワタシも「弱者」
 既成概念の見直し
 新しい「弱者」問題

■引用

◆『「弱者」とはだれか』
 PHP新書 1999年8月初版 9月3刷

「カバー」より

 「弱者に優しい政治を」「差別のない明るい社会を」といった、だれも異議を唱えることのできないスローガン。しかし、現代社会における「弱者」とは、ほんとうはどういう存在なのだろうか?
 本書では、障害者、部落差別、マスコミの表現規制など、日常生活で体験するマイノリティの問題について、私たちが感じる「言いにくさ」や「遠慮」の構造を率直に解きおこしていく。
 だれもが担う固有の弱者性を自覚し、人と人との開かれた関係を築くための考え方を「実感から立ちのぼる言葉」で問う真摯な論考。」

 「マイノリティの当事者以外は語る資格がないような空気」(p.11)

 ホームドアが「うっとうしい限りだ」(p.38p)
 「盲人対策としては、今までホームに点字ブロックを埋め込んできたのだから、それで十分」(39p)
 エレベーターは大変いい施設だが、ホームドアは「過剰な保護思想」であり、「生きていく上でだれもが必要とされる自立心、危険や不測の事態に対して自らを管理するという心構えを、封じてしまう」と主張する。(p.40)

 「私たちがまずできること、必要としていることは、感情として個人の中に深く入り込んでいるさまざまな「共同性の観念」が、いたずらに他者どうしのバリアーを高くしていないかどうかを、冷静に検討することである。そしてその冷静な検討のためには、それぞれの人がどのような「弱者性」を背負っているのか(あるいはいないのか)を、接触体験や対話や自己への問いを通して、深く知ろうとするものでなくてはならない。」(p.217)
 以上、つるたまさひで (鶴田雅英)さんのメイルからの再引用

■言及

◆立岩 真也 2003/02/25  「障害学?の本・1」 (医療と社会ブックガイド・24),『看護教育』44-02(2003-02):132-133(医学書院)

 「もう忘れた人もいるかもしれないけれど、この前年、1998年の秋に乙武洋匡の『五体不満足』(講談社、271p.、1600円)が出て、ベストセラーになった。内輪で売れたと喜んだ『招待』の 300倍より出たはずだ。本人も誰もそれがその翌年にかけ一番のミリオンセラーになると思いはしなかった。彼の友人から、こんな本が出るからホームページで紹介してほしい旨のEメイルをいただき、宣伝文を掲載したくらいだ。
 みなさん読んだはずなので紹介の必要はないだろう。『ロスアンジェルス・タイムズ』からなぜこれが日本で受けているのか言いなさいという(日本語の)電話取材があって、ファックスで返信しますと言って送ったことがある。はたして実際の紙面に載ったのか確認していないが、次のように書いた(口答でコメントするとまったく違ったニュアンスの文章になることがあるので、できるだけ文書を送るようにしている)。
 「「五体満足でないと不幸だ」というきまりごとに日本人もまた息苦しさを感じているのではあり、そこに、乙武さんが「五体不満足であることは不便であるだけだ」と言い、実際にそのように暮らす姿を示したことは、ある種の解放感をもって受け止められたのだと思う。と同時に、彼は十分にハンサムであり、頭がよくて、その意味で現代の社会の価値を脅かすことにならない。このちょうどよいバランスがベストセラーの一因になっていると思う。」
 こちらはおまけですと言ってもう一つの版も送った。「さんざん苦労し困難を乗り越えた末の成功物語という従来の描かれ方はもう流行らないと思っている人々にとって、彼の青春の記は、さわやかで軽々とした、しかし障害があることはやはり大変だろうと思う自らにとっては十分に立派な、克服的でない克服の物語として受け取られることになる。」  私も根性がねじれているのかもしれないのだが、そしてこの本の明るさは小浜逸郎(『「弱者」とはだれか』、PHP新書、1999年、222p.、657円)あたりからいちゃもんをつけられることにもなるのだが、しかし、障害があるのは不便だが不幸ではないというメッセージは、やはりまず「まる」、ではないか。そしてそのとき私が思ったのは、このことが言われたのは最初ではないということだった。そして、そんなふうにまず言い切ってしまうところから、障害者の運動の歴史が新しく始まって展開してきた。前回まで紹介してきた精神病・精神障害の人たちのしてきたこと、その人たちの本もその流れの中にある。そして「障害学」とやらもそれと無縁ではない。」

◆立岩 真也 2009 『(題名未定)』,生活書院 文献表


UP:20081025 REV:090703
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