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『臓器移植の現場から――移植免疫のしくみから脳死移植の実際まで』

太田 和夫 19990601 羊土社,172p.


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太田 和夫 19990601 『臓器移植の現場から――移植免疫のしくみから脳死移植の実際まで』,羊土社,172p. ISBN-10: 4897068673 ISBN-13: 978-4897068671 \1890 [amazon] be ot-bg

内容(「BOOK」データベースより)
生命のリレー「臓器移植」。それはわたしたちが参加してはじめて成り立つ究極の医療の姿でもある…。いま臓器移植について一から知りたいあなたへ、臓器移植の歴史から免疫・拒絶反応のしくみ、臨床現場の実態、脳死移植やプライバシーの問題などを臓器移植第一人者の著者が臨場感あふれる文章で語りかける。
内容(「MARC」データベースより)
臓器移植の歴史から免疫・拒絶反応のしくみ、臨床現場の実態や脳死移植、プライバシーの問題などを臓器移植の第一人者が臨場感あふれる文章で語りかける。〈ソフトカバー〉


■目次

はじめに 3

第一章 移植ことはじめ 11
 1 死んでたまるか 12
  かけがえのない"いのち"/治る病気、治らない病気/移植医療の基盤
 2 可能性の探求が始まった 15
  スフィンクスの語りかけ/ウルマンの実験とカレルの追試/山内半作‐腎移植の先覚者/臨床応用が始まった
 3 移植の国の共通言語 19
  ドナー レシピエント グラフト 自家移植 同系移植 同種移植 異種移植 抗原抗体 免疫反応 体液性免疫 細胞性免疫 クローン 免疫寛容(トレランス) 自己寛容 キメラ 拒絶反応 GVH反応 感作 HLA MHC CD アポトーシス サイトカイン アナフィラキシー

第二章 自分のもの、他人のもの 25
 1 なぞ解きが始まった 26
  免疫って何だ?/自家移植と同種移植/メダワーの洞察/細胞が免疫反応をおこす/拒絶反応の主役/T細胞とB細胞
 2 臓器が体内に入ると 32
  拒絶反応にもいろいろある/自分と他人を区別するマーク"HLA"って何だ?/臓器移植と体の反応
 3 拒絶反応のメカニズム 40
  情報の伝達/拒絶による組織の破壊
 4 拒絶反応との戦い 44
  アザチオプリンの登場/免疫抑制剤とその使用法/シクロスポリン‐新しいスターの登場/免疫抑制療法を成功させるには/寛容の誘導[1 それはウシの双生仔から始まった 2 解き明かされる胸腺の働き 3胸腺学校での教育 4 胸腺の処置による寛容の誘導 5 その他の寛容誘導法]

第三章 移植の現場から 59
 1 臓器はどのくらい保存できるのか 60
  阻血時間って何だ?/浸漬保存か循環保存か?/保存液の工夫/凍結保存は可能か?
 2 腎臓移植-移植界のトップランナー 65
  生体腎移植の実際/拒絶反応とその対策/合併症と副作用/日本と世界の現状
 3 肝臓移植-部分移植もできる 82
  肝移植の実際/免疫抑制と拒絶反応/日本の現状
 4 心臓移植-心臓はポンプにすぎない 90
  これまでの経緯/心臓移植の実際/拒絶反応と免疫抑制/心臓移植の現状
 5 肺移植-咳はできるのか? 95
  肺移植の現況
 6 膵臓移植-糖尿病はどこへいく 98
  糖尿病にも種類がある/膵移植手術の実際/免疫抑制と拒絶反応/今後の展開
 7 小腸移植-残された分野 104
 8 その他の移植 106
  脳の移植/手、足の移植/生殖器の移植
 9 臓器移植-世界の現状 109
 10 新しい免疫抑制剤と複合移植 113
  新しい免疫抑制剤/二次移植と複合移植

第四章 移植医療と社会 117
 1 臓器移植のシステム 118
  提供された臓器を誰がもらうか/諸外国の取り組み/日本の臓器移植ネットワーク/移植コーディネータ 現場に不可欠の存在/ネットワークの抱える問題/ドナーカード-サインがなければタダの紙
 2 脳死をめぐる問題 126
  人が死ぬとき/生命の環/脳の構造と機能/脳死は人為的につくられたもの/脳死と移植の結びつき/わが国における脳死の判定基準/医療における死」の現場/死の進行には二通りある/脳死臨調とその答申
 3 臓器移植の法律 141
  国際的な状況/わが国の法律
 4 臓器移植をめぐる諸問題 144
  和田移植に対する不信感/脳死の受容をめぐって/宗教と日本の国民性
 5 今後の発展にむけて 151
  異種移植の可能性/人工臓器で代行できないか/再生工学の応用

第五章 新たな出発 159
 1 それは高知で始まった 160
 2 脳死判定のトラブルと臓器の搬送 161
 3 移植患者の選択時のトラブル 162
 4 現場からえた教訓 163

おわりに 165
参考図書 167
さくいん 172


■引用

  はじめに
(pp3-4)
 これまで、臓器移植に関する記事の多くは、国内で臓器が得られないため募金して外国に移植を受けに行くというものであったが、今年(平成一一年)の二月二八日に新しい法律に基づいた多臓器移植が初めて行われたため、これまでの報道内容とはかなり異なるものになってきた。
 ただこれらのニュースを見ても聞いてもそこに出てくるものは個々の例であったり、ある特殊な一面でしかない場合が多かった。従って、臓器移植の全体像を捉え、どこがどのようになっているのかを総括的に理解するには、何となく中途半端に感じられた方も多かったのではないだろうか。
 臓器移植を生物学的に見れば免疫反応に広く基盤をおく学問であり、拒絶反応一つとってもこれに関与する因子は多く、またそれを抑制する方法も多岐にわたっている。一方、これらの反応を抑えることは生体の防御機構を障害するもので、感染症や各種の疾患にかかる可能性があるのではないかと心配される。
 これに加えて、提供者がいなければ成立しない医療という点も極めて特徴的である。従って、社会の人たちが臓器移植の意義を認め、これに協力してくれることが普及の大前提となる。さちに心臓、肝臓などの移植については脳死を人の死として受け入れることが必須であり、生死の問題を国民に問いかけるという人文科学の面でも大きなテーマを投げかけている。
 さて、日本は臓器移植の後進国といわれて久しい。それでは外国はどうしているのか。その実際を知りたいという気持ちもあろう。
 本書はこれらの問題についてまとめたものであり、医学生や一般の方々にも十分理解できる内容にしたつもりである。
 ご一読いただければ、移植医療の実態を通して二一世紀の医療のあり方がわかるのではないかと考えている。

第一章 移植ことはじめ
(p13)
 ひと口に病気といってもいろいろあるが、まず腎臓病、肝臓病など、病気になった臓器によって分けられる。次に病変の性質によって炎症、腫瘍、変性、先天性異常などの分類ができ、またその病状の進行によって急性、慢性などの区別がある。例えば腎臓についていうと、急性の炎症は急性腎炎で、慢性の場合は慢性腎炎である。さらにこれを炎症をおこした部位を加えて慢性糸球体腎炎、慢性腎盂腎炎というようにすれば診断はより的確となる。
(pp16-18)
 この古代から空想の対象であった移植に科学の光を与えた最初の人は、ウィーン大学のエメリッヒ・ウルマン(図1-2)である。彼はイヌの腎臓を頸に植えかえても尿を出すことを示した。一九〇二年三月というから明治三五年のことだ。彼の報告に引き続き一九〇五年には血管外科の業績で知られたフランスのカレルが米国に渡り、グットリーらと一緒にイヌ、ネコを用いて移植の実験を行い、これが技術的には十分可能であることを示した。また同時に、自分の体内で位置をかえた"自家腎移植"と他の個体からの腎をもらった"同種腎移植"では生着日数に差のあることを認めている。
  山内半作-腎移植の先覚者
 それでは日本で臓器移植の研究が始まったのは何時か。筆者が調べた範囲では、一九一〇年(明治四三年)に山内半作(図1-3)が第一一回日本外科学会で発表したのが最初である。山内半作は京都帝国大学を卒業し、岡山医専の教授を経て秋田日赤病院の初代院長を務めた人物である。実験はイヌおよびネコを用いて実施した。移植はすべて自家腎移植である。このことからみても彼の関心はいまだ血管を吻合する技術面にあったようだ。

第二章 自分のもの、他人のもの
(p32)
 米国で出版された臓器移植の本を私たちが初めて翻訳したのは昭和四一年のことだった。「リジェクション」という言葉を「拒否反応」と訳してみたが、学会などで討論する場合、「否」という音が聞き取りにくいので次から拒絶反応という強く耳に響く言葉に変えた。この言葉はもう日用語として、「彼女が拒絶反応をおこした」などのように使われている。しかしその実態は彼女の心理と同様、まだ完全には解明されていない。
 この拒絶反応は@超急性、A促進急性、B急性、C慢性と大きく四種類に分けられるが、これは反応の発生時期とその進行速度を重要視したものである。この他、血管性とか間質性など病理的な所見による分類もある。

第三章 移植の現場から
(pp65-67)
 腎臓移植は臓器移植として最も早くから行われており(図3-1)、一九五〇年代からすでに成功例の報告がある。その理由として、腎臓は右、左と二つあり、片方を病気などで摘出しても十分な機能が残るため、生きている人からもらえるという利点があった。また、つなぐ血管も通常、動脈、静脈がそれぞれ一本と単純であり、また尿管と膀胱をつなぐ手術も日常的に行われていたため、とっつきやすいという面もあったろう。一方、この腎臓は血液より尿を濾過するところであり、一側腎に約百万個あるネフロンがその役目を担っている。このネフロンの始まりは糸球体という血管が糸球のような形をした構造をもっており、その下に尿細管という細い管がついている。糸球体で血液より濾過されてできた原尿は尿細管を通って腎孟に集まり尿管へと排泄される。この糸球体が炎症をおこし、次第にやられていく病気が慢性糸球体腎炎である。その他糖尿病によって腎臓がやられてしまう糖尿病性腎症をはじめ腎臓に多数嚢胞ができてその働きが障害される嚢胞腎、動脈硬化からくる腎硬化症など二〇を超えるいろいろな病気から腎臓の働きが低下し、腎不全から尿毒症(腎不全の末期で腎が排泄すべき老廃物により中毒をおこした状態で放置しておけば数日から数週間で死に至る)となって死亡する人は年間二万人以上も出るため、治療の対象となる患者さんが多い。この腎不全に対しては一九四〇年代の後半から、一九五〇年代を通じて人工腎臓の研究・開発が進み、いわゆる透析療法として一九六〇年代の後半から普及し始めた。わが国でもこの治療法が一九六八年に健康保険で支払われるようになってから患者数が急激に増加し、成績もよくなったため患者が累積し、一九九七年末で総数は一七五、九八八名に達している。このように腎臓の場合は、まったく働かなくなっても人工腎臓による透析治療を週二〜三回反復すれば生きていける。従って移植の登録をしておき、長時間にわたって腎提供を待てるという利点がある。手術は○才〜七五歳くらいまで、どの年齢でも可能であるが、極端に小さい子供は技術的に難しく、また老人では体力がないため余病が出やすいという問題がある。
(p70)
 生体腎ではレシピエントに適合するドナーが選択されるが、献腎ではドナーに適合するレシピエントが選択されるという逆の関係になる。
(pp88-89)
 脳死の問題がからんでわが国では脳死者からの肝臓移植が実施できなかったため、やむをえず一九八六年頃より米国やオーストラリアに患者を送っていた。
 図3-14は当時肝移植を希望してこられた三一名の患者さんたちのその後の経過である。外国へ行って手術を受けたいと希望した一七名のうち約八割の方が現在生きているが、国内で移植ができるまで待つという選択をした患者さんの七五%の方が三カ月以内に、またすべての方々が十カ月以内に死亡してしまった。肝臓移植のように生命の維持に必須の臓器の移植はこのようにはっきりと明暗を分けてしまう。
 しかし、一九八入年にブラジルで生体部分肝移植が開始され、引き続きオーストラリアや米国でも始まった。わが国でも同年一一月には島根医大永末助教授らにより第一例が行われた。この例は残念ながら二八五日で死亡したが、その松明(たいまつ)は京都大学の小沢、田中教授らに引き継がれ急速に症例数が増加し、良好な成績が発表された。
(pp95-96)
 肺移植は一九六三年にバーディらにより臨床応用が開始されたが、成績が不良であったため他の臓器移植にやや遅れて発達してきた。わが国においては一九六五年六月に生体よりの肺葉移植が東京医大の篠井らによって行われその後二例が追加されたが、いずれも一時的な機能を期待したものであり、それ以後長らく行われていなかったが、一九九八年十月に岡山大学で慢性気管支拡張症となった二四歳の女性に母親と妹の二人より提供を受けて生体部分肺移植が行われている。
 肺移植が他の臓器移植と異なる点は、まず咳漱(がいそう)反射や呼吸調節反射など神経系の関与が強いことがあげられよう。咳漱反射すなわち咳については貯った疾が気管支の吻合部を超え、自己の気管支のところまでこないと咳が出ないので疾が貯まり肺炎をおこしやすくなる。一方呼吸調節反射は一側の肺移植であれば自己の肺からの反射がおきるので問題はない。両肺の場合にも胸壁の神経や呼吸リズムの中枢性調節などで何とかなる。その他、肺では心臓などと異なり気管を通じて臓器が直接外界に開いているという点があり、それが感染などをおこしやすい要素となっている。一方術式としても心臓と肺を一緒に移植する心肺移植、両肺の移植、片肺のみの移植など変化に富んでいる。このような問題が多かったため、生着率は当初、他の臓器と比較して一〇〜二〇%低かったが、最近次第に向上してきた。
(pp104-109)
 小腸は腸閉塞などで大部分を切除しても機能的に大きな問題にならない。小腸移植が必要になるのは、広範囲に血管が閉塞して腸が壊死に陥った患者や、先天的異常で腸が短い場合、あるいはいろいろな複合病変があるため腹腔内臓器をそっくり入れかえてしまった方がよいと判断された場合、などである。従ってその適応となる患者数は心・肝などに比べて少ない。
 これに加え腸は、リンパ系がよく発達した臓器であるため強い抗原性をもち、拒絶反応も強くおこる。また通常の拒絶反応とは逆の免疫反応、すなわち移植された小腸のリンパ系細胞が宿主に対して免疫反応をおこし、これを拒絶しようとするいわゆるグラフト対宿主病(GVHD)もおきうる。このような悪条件のため、他の臓器と比較して生着率が低いという問題があった。
 このような背景からその臨床応用は苦難の道を歩むことになった。すなわち一九六四年にボストンのデタリングが行った最初の二例は残念ながら短期間で死亡した。その後、米国、ブラジル、フランスなどで数例行われたが、いずれも長期生着がえられず、アザチオプリンによる免疫抑制で生着させることは困難であるとの結論が出され、しばらく中断されていた。
 一九八五年になるとシクロスポリンを用いて再挑戦が開始されたが、なおごく一部の例に生着がみられるにとどまった。ところが一九八九年ピッツバーグのスターツルや藤堂らが免疫抑制剤としてタクロリムスを使用したところ成績が向上し、臨床応用へのはずみがついた。これらの臨床応用の過程で小腸移植は肝臓など他の臓器と一緒に移植する場合に生着しやすいことも明らかにされた。
 なお小腸についてはこれらの拒絶反応以外にも問題がある。その一つは蠕動運動であり、これにより、内容物を肛門側に送り、消化吸収していくが、このような運動機能については移植により神経が切断されるため、十二指腸など上部消化管の動きが移植腸管に伝わらず、術後しばらくは腸内容物のうっ滞がおこる。またリンパ液の流通や脂肪の吸収に重要な役目を果すリンパ管は吻合できないため、リンパの流れが再構築されるまでは脂肪の吸収が低下し、リンパ液が残留して浮腫が生じやすい、などの問題が残されている。このような種々の事情から現在でも症例は依然として少ない。米国でも年間五十例程度の手術が行われるのみである。
 わが国では一九九七年に京都大学田中らが第一例を行ったが、残念ながら術後、四八四日目に患者は死亡した。なお同大で一九九八年八月に実施された第二例はなお生存中である。
  8 その他の移植
 これまで紹介した以外の移植について触れてみたい。
  脳の移植
 よく「脳の移植はできるのか?」と聞かれる。これは一応可能である。私がかつていた大学の脳神経外科ではイヌの頸部に仔犬の頭部を移植する実験をしていた。頸動脈と頸静脈を短時間で吻合すれば数日間にわたり移植された脳は働く。しかし脊髄はつながらないのでたとえ頸から上のすげかえに成功しても体は動かせない。このように脳の移植は技術的には一応可能であるが、考えてみれば自分の首から上に他人であるドナーの頭がついたらどうだろう。世間では首から上でその人を認識する。すなわち頭の移植ではドナーとレシピエントの立場が入れ替り頭をもらったレシピエントは、実際には首から下の体を提供したドナーとして認知されてしまう。すなわち頭の移植は逆方向への身体全体の移植にほかならない。
  手、足の移植
 絵画として残っている最も古い移植の光景は足を移植しているところである。このように手、足の切断により身体障害者になった者にとっては手足の移植は是非実現させて欲しいものであろう。しかしこれはなかなか難しい。手足は骨、筋肉、神経、血管、皮膚などからなっている。この中で難物は皮膚と神経である。
 臓器移植の実験はしばしば皮膚を用いて行われてきた。ところがこの皮膚は非常に抗原性が強く、免疫抑制剤を使っても拒絶反応を抑えにくい。移植の領域では「皮膚は暴君」といわれているのだ。しかしこれは考えてみれば当然かもしれない。単細胞の時代はもちろんのこと、その後の生物の進化を考えてみると皮膚は外から進入してくる外敵とまず戦うところだ。胸腺やリンパ腺など免疫を担当する組織が分化する前は皮膚が体の防衛の第一線として活躍してきた。きっとその名残であろう。同様に、体内にあるが、実際には体外と同様の環境にあり、細菌や毒素が常に侵入してくる可能性のある腸には前述のようにリンパ系組織が豊富にあり、拒絶反応もおこりやすい。両者には何か共通のものがあるのだろう。
 一方、神経は腎・肝の移植では再建もしないし、またほとんど問題にならない。心臓は交感神経、副交感神経を受けており、興奮したり驚いたりするとドキドキしてしまう。また肺は無意識でも呼吸運動を反復し、また気管壁の刺激により咳嗽反射をおこすなど神経の関与が大きいが、手術に際して神経を縫合することは事実上できないし、また実際にも行っていない。
 しかし手足の場合、まったく動かなくなってしまえば、これは無いより都合が悪い。ところが手足の神経の細胞は脊髄にあり、移植で切断した部位はその枝の先であり、ここが切れてしまえば、これが再生するには長時間かかり、その間に拒絶反応でも受ければ、うまく再生はできない。神経が行き渡らなければ筋肉は動けないし、皮膚は感覚がない。最近フランスで脳死者からの手を移植したという報告が出されたが、その後の結果についてはなお報告に接していない。こんなことで骨や太い血管など形があればそれで役立つ場合をのぞき、四肢などいわゆる組織の複合移植はまだ日の目をみることができない状態に留まっている。
  生殖器の移植
 さて一体何が出てくるのか興味をもたれるかも知れないが、これは睾丸(精巣)や卵巣の移植である。これらのうち睾丸の移植については実施例があるが、卵巣については具体例を知らない。睾丸を移植され子供ができたとすればこれは法律的には自分の子供になるが、実際にはドナーとレシピエントの配偶者との間に生まれた子供となる。卵巣の場合もまったく同様で実質的には卵巣を提供した人の子供となる。
 こんな面倒なことをしないで人工受精したり、代理母をお願いすればと思ってしまうが、実際に本人が必要としたものは男性ホルモンの補給であって、そのため睾丸は移植しても精管は結紮している。従って患者の真の希望は陰嚢内に睾丸があるという外見とホルモンの力によって男らしくなるという二つであったのだろう。ただし最近は男性、女性とも各種のホルモンを使ってかなりのところまで本物に近づける。また男性の腹膜に受精卵を着床させ(子宮外妊娠)、ホルモンを注射し続ければ男性でも帝王切開で子供が生めるということも技術的には可能といえる時代になってきた。こんな進歩があったので、生殖器の移植手術は今後行われることは少ないと考えられる。

第四章 移植医療と社会
(p118)
 従来の医療は患者と医師という二者の間で行われてきた。しかし、臓器移植ではそこに提供者という第三者の存在が欠かせない。この第三者は肉親か、または亡くなられた不特定の人であることが多い。言葉を換えれば社会の人たちがこの医療を認め、臓器の提供に協力してくれなければ成り立たない医療ということになる。さて、その実際はどうなのだろうか。
(pp122-124)
 臓器移植はドナーが発生し、その臓器を必要とする患者がどこにいるのかが把握されなければ実行できない。また必要とする者が多数であれば、どの患者にこの臓器を移植すればよいのか、みんなが納得できるシステムにより決定することが必要である。
 臓器移植の研究開発の段階では移植を必要としている患者さんを大勢かかえている医師が救急や脳神経科の医師に個人的にアプローチし、脳死者の情報を得てはその病院に赴き、遺族と接触して提供を依頼していた。しかし症例が増加してくるに従って医師は多忙となり、また臓器を摘出する医師が直接遺族にお願いすると遺族に圧力をかけると受け取られる可能性もでてきた。そこで移植病院などに臓器提供に専門的に関わる人たちが自然発生的にでてきた。彼らは脳死者が発生したとの情報を得て、その病院に行き、遺族と面談して臓器提供の意思を表示しているドナーカードの有無、遺族の提供の意思などを確認し、それを移植医に連絡するという部分を受けもち、それぞれの地域で活動を開始した。
 これが"移植コーディネータ"という職種の成り立ちであり、現在では移植医療に必須の存在となった。
 現在この職種にはドナー側を担当するいわゆる「プロキュアメントコーディネータ」と、移植を受ける側を担当する「レシピエントコーディネータ」の二種類があり、前者はネットワークやブロックセンター、都道府県の腎バンクなどに所属し、提供情報を受けて活動する。後者は移植病院に所属し、その病院の患者がレシピエントとして決定されれば、スムーズに移植手術が受けられるよう手助けをする。現在わが国では全体で約七十名のコーディネータが活動している。
  ネットワークの抱える問題
 はじめにネットワークは公平、公正に臓器を配布すると書いたが、公正とは何か。何をもって公平とするのかについては明らかではない。
 腎移植についていえば、現在約一三、三〇〇名が登録をすませ待機している。一方、年間に提供される腎臓の数は一五〇〜二〇〇程度に過ぎない。従って年間に移植を受けられる人は七五〜一〇〇人に一人ということになる。これでは世間の常識からみてもとうてい公平とはいえない。
 このような場合、世の中で公平というのは先着順か、あるいは公開抽選だろう。ところが腎臓の場合HLAの適合度によって生着率に数パーセント程度の差がでてくる。従って成績を向上させるには適合度のよい人に移植することが望ましいといえる。前述したように現在調べているHLAは六個であるが、この抗原が完全に一致した場合には最もよい成績が得られるので、まず全国レベルでその有無を調べ、いない場合にはそれぞれのブロック内で可能な限り適合性のよい人を選ぶことになる。従って結果的に腎臓は同一ブロック内の他府県に送られることが多くなる。わが国で現在、最も腎提供の多い県は愛知県であるが、ここでは提供された腎の約半分は他府県に送られてしまう。努力した県にはそれなりのメリットがなければ、努力が続かないという批判がある。また心、肝の移植実施病院数を全国で心臓三施設、肝臓二施設と厳しく制限してしまった。これにより地域的な偏重もさることながら、重症患者を遠隔地まで移送しなければならないなどの問題も多い。
(p133)
 わが国でも一九七四年に脳波学会で、植木幸明教授を中心として、脳の急性一次性粗大病変における脳死の判定基準がつくられたが、さらに一九八三年四月には竹内一夫委員長のもとに、わが国における脳死の判定基準をつくる作業が開始され、一九八五年十二月に発表された。これを竹内基準といっているがその概要は図4-6、表4-1に示してある。その主なポイントは大脳、小脳、脳幹と脳のすべての部分が不可逆的に障害された全脳死(図4-5参照)をもって脳死とすることとし、判定の対象となる人は四つの必須条件を満足し、また除外側に該当しないものとした。このように対象となる症例を厳しく限定し、間違いのおこる可能性を可能な限り低くしている。国際的にみても最も厳しい基準の一つとされている。
(pp141-142)
 わが国での脳死論議が堂々巡りをしている間に、ヨーロッパの国々ばかりでなくアジアやラテンアメリカを含めた世界の多くの国々で臓器移植の法律がつくられてきた。これらの法律は臓器提供の承諾形式により二つに分けられる。一つは「opting in」ないしは「contracting in」といわれる承諾意思表示方式であり、もう一つは「opting out」ないしは「contracting out」といわれている反対意思表示方式である。すなわち前者は提供したい人がドナーカードなどでその意思を表明するものであり、後者は提供したくない人が反対意思を表明するカードをもつか、あるいは登録しておく方法である。世界的にみると承諾方式をとっているのは米国を中心にスウェーデン、デンマーク、オランダなどの国々であり、一方反対意思表示方式はノルウェー、フランス、ギリシャ、トルコ、スペイン、ポルトガル、フィンランド、イタリア、ベルギー、ルクセンブルグ、オーストリアをはじめ東欧諸国などで広く分布している。アジアではシンガポールがこの方式を採用している。この方式では本人が反対の意思を表示していなかった場合には提供の意思が推定され(presumed concent)、臓器の摘出が可能になる。この法律には家族の意思で提供を拒否できる場合とできない場合の両者がある。
(p156)
 このように人工臓器はなお機能的には移植に及ばない。しかし人工臓器があるからこそ移植臓器を待つことができるという利点があり、また腎移植の場合など腎が拒絶されても再び透析に戻ればとりあえずは生きていけるという保護ネット的役割は大きいといえる。

おわりに
(pp165-166)
 筆者は一九八九年に「臓器移植はなぜ必要か」という一般読者向けの本を講談社から出版した。その後の十年間を振り返ると、わが国も脳死を前提とした臓器移植法が成立し、システムの構築がなされ、この本の上梓と偶然にも時を同じくして脳死者からの多臓器移植が実現した。
 この医療はこれまで臓器不全で死ぬ以外に道がなかった患者に新しい命を、また人生を提供できるという素晴しい面があることはいうまでもないが、同時に社会の様々な分野に大きな影響を及ぼすことになる。
 近年、交通が発達し人々の移動が激しくなった。またコンピュータの発達により情報の伝達も早くなってきた。しかし一方では人間の直接的な触れ合いや深い付合いは減り、お互いに疎外感を持つようになってきたという印象がある。
 今世紀の始めにその萌芽がみられ、約百年をかけて試行錯誤を繰り返しながら、成熟してきたこの臓器移植の医療をただ単なる部品の交換的な発想で捉えている人もいる。しかし、実際に臓器を提供することによって人類が得たものは、ただ単なるレシピエントの救命のみではない。これは身を尽して見知らぬ人に命をつなぐ生命の連携であり、究極の助け合いでもある。このようにしてまた新しい人々の連帯が生れていくことを期待したい。  わが国においてこの医療は残念ながら諸外国と比べて大きな遅れをとった。その理由にはいろいろあるが、私たち医師はその根底に横たわっている医療不信を重視しなければならない。
 振り返ってみると、これほど社会が注目している中で行われ、自分自身がレシピエントとして、あるいは、ドナーとして直接にかかわりをもつ可能性を秘めた医療はこれまでになかった。提供された臓器は社会のものと考えられ、これを適正なシステムを通して公平、公正に配分して行くことが強く要望されている。またその結果はプライバシーを侵さないよう注意を払いながら公表し、論議して、あるべき姿を求めていく。このような過程を通じて臓器を提供した遺族が、これでよかったと納得し、一般の人々の理解がえられなければこの医療は普及しない。また逆にこれが医療が実現できれば医師の信頼性を高めることになろう。これらの観点から私達はこの臓器移植こそがわが国の医療を新しく、国民に信頼されるものとするための最を有力な手段になるのではないかと考えている。
 医療は患者のためにある。それぞれの患者が自分の希望する治療を受けられるようわれわれはこれまで以上の努力を続けなければなるまい。


*作成:植村 要