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『ドキュメント アルコール病棟――昭和大病院からのレポート』

中谷 和男 19990615 『ドキュメント アルコール病棟――昭和大病院からのレポート』,白亜書房,292p.


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■中谷 和男(なかたに・かずお) 19990615 『ドキュメント アルコール病棟――昭和大病院からのレポート』,白亜書房,292p. ISBN-10: 4891726539 ISBN-13: 978-4891726539 2000 [amazon][kinokuniya] ※ alc. m.

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内容(「BOOK」データベースより)
300万に迫る依存症者たち!!職場を家庭を、肉体を精神を破壊しつくし、のたうつアル中の煉獄。迫真のドキュメントを世に問う。

内容(「MARC」データベースより)
晩酌なしには一日が終わらない、それはすでにアルコール依存の始まり。職場を家庭を、肉体を精神を破壊しつくし、のたうつアル中の煉獄。アルコール依存症者の実態を、最先端治療を駆使する昭和大学烏山病院で徹底追求する。

■目次

序章 飲むなら樹海で飲め
第1章 慢性自殺者がなぜあらためて、また自然を図るのか
第2章 自らを破壊する
第3章 自らを再構築する
第4章 さまよう女たち
第5章 おいたち
第6章 家族というもの
終章 残した深い傷跡

■引用

 「日本経済が高度成長期に突入し、生活にゆとりが増すとともに、アルコール消費量も増大し、それにともなってアルコールの弊害が社会的に問題になりだした一九六一年、酩酊者規制法の付帯事項として、アルコール中毒の国立専門治療施設の設置が義務づけられたのでのである。また「アレコール中毒者」の定義は、「依存する者」にまで振大され、肉体的・精神的に中毒症状を呈し拘束を必要とする者だけでなく、アルコールによって日常的なストレスやトラウマから逃避しようとし、家庭・職場をど社会に具体的なマイナス影響を与える者も指すこととなった。
 そしてアルコール依存症は、「冶癒」する可能性のある精神障害として認定されたのである。<0128<この付帯事項に基づいて二年後に開設したのが、国立久里浜病院のアルコール専門病棟。そしてARP(アルコホーリズム・リハビリテーション・プログラム)を導入したのが、精神科医で作家のなだいなだである。赴任にあたっての教授の歓送の辞は、
「アルコール中毒は治らん。教授のわしがやっても治らんものを、お前が、治せるとは誰も思っとらん」
 なぜ、これまでの閉鎖病棟を「開放」したか、なだいなだは当時を回顧する(『アルコール問答』岩波新書)、
 「患者に逃げてもらおうと思ったんです。三人以上集めちゃいけないといわれていた患者を、四十人も集めてしまう。三人なら逃走ですむだろうが、四十人では暴動になる。とうてい閉じ込めてはおけない。看護婦になにをされるかが心配だ。そもそも看護婦から勤務を拒否されてしまう。じっさい組合ではそういう動きもあったんです。退院させてくれ、病院から出してくれとうるさい患者を閉じ込めておけば、何をされるか分からない。それで扉を開けておいて、そういう患者には自由に逃げてもらおうと思った」
 ところが病棟をいくら開放的にしても、患者は誰も脱走しない。そこで、院長や事務長の猛反対を押し切って、金を持たせることにした。それでも患者は逃げようとしない。
「開放して、お金を持たせておいたほうがよかったのだ」となだは思う、
「かれらは飲もうと思えば、入院中だって飲めたんです。でも飲まなかった。ブレーキを自分<0129<でかけていたんですよ。飲んで帰ったら、看護婦さんに嫌われるだろう。もう病院には入院させやられない、などといわれるかもしれない。色々考えてね。つまり、入院中飲めるんだけど飲まない、そういう訓練をしたんです。家にもどっても状況は変わらない」
 逃げることも飲むこともできるのだが、病院にいることで、「むしろ気持ちに余裕ができて、どうしてここにいるのか、自分はこれまでどんなことをしてきたか、なんて考えはじめる。そして退院していくわけです。病院を出ても、酒で失敗して来たんだから、これからは、酒に注意しなければ、などと考えるようにもなります」

 この久里浜病院の治療方針、いわゆる久里浜方式が評価され、他の病院でも取り入れられていくが、それをさらに一層「開放」的にしたのが烏山病院である。
 烏山で実施される治療法式はKSP(カラスヤマ・ソリユーシヨン・プログラム)と称され、「アルコールの問題にとらわれる事なく、自分自身が設定したゴールを達成させるための技法を基本とするプログラムです。退院後の生活を改善するために、面接・ロールプレー・ミーテイング・作業・奉仕活動・外泊などを通じ、自分の解決能力を集中的に試み、伸ばす機会としています」(『入院のしおり』)。やめるやめないの問題ではなく、「アルコールの問題にとらわれる事なく」生活を送れるように、人格そのものの改造を目指しているから、医師もケースワーカーも看護婦も、酒については、「飲みましたか」と過去形で語ることはあっても、「飲んで<0130<るか」窮んではいけません」とか現在形・未来形では、絶対口にしない。
 一九九六年四月、安部康之医長が烏山病院のKSPを発案した時、念頭には「インフオームド・コンセント」の理念があった。これを精紳障害にも適用しようと思ったのである。手術すれば治るガン患者でも、患者が拒否すれば、外科や内科の医師としては、手をこまねいて死を待つしかない。治療にあたっては、医療側の情報公開に基づく患者の意志が絶対である。精神障害にも、自由な意志決定と治療への合意を求めようと、安部医長は考えたのだった。限りなく「強制」を排除する。
 これまでのアルコール依存症の治療は、「禁酒。抗酒剤。自助グループへの参加」が三本柱だったが、やめられない人は、医師がどんなに努力してもやめられない。そして苦しみに七転八倒しながら再入院を繰り返し、やめられる人はやめていく。夏口の場合でも、初診の医師も安部医長も、また担当の松葉看護婦も、「今受は何回目の入院ですか」と奥さんにロをそろえて尋ねたという。
 安部医長がこの治療方針を、烏山病院に併設される歯科医に話すと、
「虫歯が痛いのに、どうしても抜きたくないという患者には、僕は、それじやシッカリ痛みを噛み締めてくださいって言うんですが、しばらくすると患者は、はれ上がった頬を押さえて、やっぱり抜いてくださいってやって装る。それと同じことですね」
と納得したという。」(

■言及

◆立岩 真也 2013 『造反有理――精神を巡る身体の現代史・1』(仮),青土社 ※


UP:20130804 REV:
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