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『尊厳死か生か――ALSと苛酷な「生」に立ち向かう人びと』

畑中 良夫 編 19990315 日本教文社,248p. 1619円+税 ※


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http://www.nanbyou.or.jp/library/als-4.htmlより

尊厳死か生か
ALSと過酷な「生」に立ち向かう人びと
初版発行:平成11年3月15日
編著者:畑中良夫
発行者:中島省治
発行所:株式会社 日本教文社
    〒107-8674 東京都港区赤坂9-6-44
    電話:03-3401-9111(代表)
定 価:(本体1,619円+税)

国立療養所高松病院の院長が編著者になり、ALSに立ち向かう患者とその家族、医療メンバーの苦闘、ALS医療確立までの道程を報告した貴重な記録。

目次より
第1章 難病医療の現在
第2章 患者さんとご家族の声
第3章 医療従事者たちの苦闘
第4章 ALS医療から学ぶ貴重な体験
あとがき

内容(「BOOK」データベースより)
医療費削減、病院の統廃合…、吹き荒れる逆風の中で、真に患者の声を主体とした医療を確立し続ける地方国立病院が、全力で実践してきた「魂の活動」の全記録。「生きる」ことを選択した人びとの過酷ながらも、尊い生のドラマ。

内容(「MARC」データベースより)
医療費削減、病院の統廃合等、吹き荒れる逆風の中で、真に患者の声を主体とした医療を確立し続ける地方の国立病院が全力で実践してきた「魂の活動」の全記録。「生きる」ことを選択した人々の過酷ながらも、尊い生のドラマ。

 

◆第1章 難病医療の現在 畑中 良夫 pp.11-60

◇無力の時代
 「一九七〇年代前半[…]筋萎縮性側索硬化症(ALS)や、重症筋無力症、筋ジストロフィー症などの神経難病には、まるで打つ手がなく、患者さんは食事の摂取ができなくなったり、自力で呼吸ができなくなった段階で亡くなるのを、地団駄を踏みながらただ見ているより他にしかたがなかった。」(p.15)
◇技術の進歩と臓器移植
 「一九八〇年代に入ると、技術の進歩が医療に反映されるようになった。人工呼吸器が臨床の場に普及し、人工透析が日常的に行われるようになったのである。」(p.15)
 cf.人工透析
◇医道の師
 「一九七八年[…]その頃、私が所属していた愛媛大学附属病院の神経内科外来には、神経難病の患者さんが県下から受診してくるようになり、三人のALS患者さんにも入院してもらって、検査と治療をさせて頂いた。もちろん三人とも、自力で呼吸ができなくなっていった時点で亡くなっていった。」(p.22)

 「典型的なALSの診断[…]自体はそれほど難しくない。(p.31)
 この場合、重要なのは[…]除外診断(鑑別診断)である。[…]鑑別が十分になされないと、たとえば、脊髄の病気とみなして手術をしてしまい、術後にALSと分かって、公開しなければならなくなるケースもある。逆に、はじめはALSと診断されていたが,脊椎の病気と分かり、手術して喜ばれた……というケースも私は経験している。」[31-32]
◇本当にALSの患者さんは死を望んでいるのか
 「国立療養所高松病院では、一九九二年四月にALSの患者さんである国方さんに、初めて人工呼吸器を装着した。当時はまだ人工呼吸器がポピュラーになっていなかった頃である。このような処置は、今でも一般には単なる延命措置に過ぎないものとして見られる傾向があり、社会的には賛否両論がある。」(p.35)
 「神経難病医療だが、昭和六三年までは、入院患者は一〇名を越えることがなく[…]年に一人か二人、入院してくるALSの患者さんも、呼吸器がないことや、呼吸器管理ができないことなどの理由で、やがて自力呼吸ができなくなり、この段階で、全員死亡退院を余儀なくされていたのである。」(p.52)
 「それから四年後の平成四年五月に、前述の国方さんに、ALS患者として初めて、人工呼吸器を装着した。この結果、ALS患者さんの長期療養がはじめて可能になったのである。その後は、自力呼吸不能になったALS患者さんが、全員呼吸器装着を希望するようになった。平成十一年一月現在、二三名のALS患者さんが、呼吸器を装着して療養している。」(p.52)

●国方正昭
 →国方正昭


◆三、医師としての想い 副院長 藤井正吾 140-151

 1989頃
 ▽「畑中院長が「つぎにALSの人工呼吸器管理をやろう」と言い出された時には、さすがに私も、
「えーっ! 無理とちがいますか」
 と思わざるをえなかった。なぜから、それは大変な困難を要するからである。
 私が、麻酔科をやめる頃の話だ。一〇〇〇床クラスの某大学病院で、人工呼吸器管理を受けていた慢性閉塞性肺疾患の患者さんが、何年もICUで暮らしていたからである。理由は、病棟の看護婦がケアに自信がないことだった。それから三年も経っていない時期である。わずか三〇〇床の当院で、そんなケアができるとは到底思えなかった。
 また、当時の神経内科の雑誌でも、
「ALSには人工呼吸器をつけるべきでない。なぜから不治の病であるから」
 というような見解を、学会の権威者が堂々と発信していた時代であった。あとから考えれば、人工呼吸器管理の実際を知らない、いい加減な発言に過ぎなかったのであるが、いつの時代でもそうであるように、権威者の発言に逆らうような行為をあえてするのは、勇気がいるも(p.142)のである。
 私自身、まだまだ神経内科の勉強の途上にあったわけである。なのにそれと直接関係のない人工呼吸器管理に「参加せよ」と言われても、「喜んでやります」という気持ちにはなれなかった。また、大学病院などの基幹病院で行なわれている神経内科の診療からみても、それは「傍流」といえる仕事にしか思えなかった。もし私がもう少し若ければ、転勤願いをだしていたかも知れない。」([142-143])△

◆六、回想――元病棟婦長の述懐
 現国立療養所香川小児病院附属看護学校教育主事 中村明美 166-193

 ▽「ある高齢のALSのご婦人Aさんは、家族の強い希望によって、病名を告知されることなく、人工呼吸器もつけることなく亡くなっていかれました。  主治医の市原医師は、最後の最後まで、人工呼吸器をつけてはどうかと、ご家族に説得しましたが、それは受諾されませんでした。」[185]
 「今でも、あの時ご家族の反対を押し切って、Aさんに「あなたの気持ちは……」と話していたら……もっとよい結果がでていたのではないか……と、考え込んでしまうことがあります。……今もAさんの笑顔が忘れられません。」△[187]


REV:20021005,06,15,20030107
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