Immigration and the Nation-State: The United States, Germany, and Great Britain
Christian Joppke, Oxford Univ Pr 1999
■Joppke, Christian 1999 Immigration and the Nation-State: The United States, Germany, and Great Britain, Oxford Univ Pr (Sd)
Amazon.co.jpよりBook Description
This important new study compares the postwar politics of immigration control and immigrant integration in the United States, Germany, and Great Britain. Against current diagnoses of nation-states diminished by globalization and international human rights regimes and discourses, the author argues that nation-states have proved remarkably resilient, at least in the face of immigration.
はじめに
利益集団による多元主義、自律的な法システム、特定の移民グループへの義務・・などによって移民コントロールで危機に瀕している主権は、「自己制約的になっている(制約されている)」と論ずる。
「移民の統合で危機に瀕している国民的市民権に関しては、その国固有の多文化主義的な図式によって修正されてはいる。にもかかわらず移民編入に関して国民的市民権は変らぬ妥当性を示している。」
「移民に直面して少なくとも、国民国家は顕著な柔軟性を証明している」
一章 移民と国民国家
・国民国家:移民の受け手というだけでなく、作っている面がある。1
一方で、国民国家は移民を規制している。(主権を侵害するから)
・国民国家:中に対しては民主的、外に対して排除的。
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移民と国民国家の関係は両義的だ。相互的であると同時に、排他的。
「グローバリゼーションは自由な「出国」と制限ある「入国」の二元論を再燃させ
・・・社会と個人の利益の根本的な緊張をもたらす。」3
これまでの市民権論をまとめ、批判 BrubakerとSoysalの中間の立場
Brubaker
国民国家、完全ではないが必要なものだ。3
移民への新しいメンバーシップ国民的市民モデルからの逸脱、いずれ修正されるべきもの。→著者批判:ネイションフッドが永遠であるかのよう。
Soysal
最近の移民は、世界レヴェルの人権によって導かれた「ポストナショナルモデル」におきかわるのを助ける。→著者批判「外在的な人権の義務に遭遇して国民国家は変化するのでなく、国民国家は外在的な人権と人民主権の間の内的葛藤を経験して変化するのだ
主権と市民権
BrubakerとSoysalは、市民権の研究するが、国民国家の第二の側面、主権をはぶく。
主権
主権はフランス革命から人民主権として、解釈されてきた。だから、移民のコントロールは、国家を正当化する国民的集団性を代表するものなのだ。これが右派(移民コントロールを主張)と左派(国家と人民の分離を主張)の対立を引き起こす。(デモクラシーは移民にとって脅威なのだ)
移民コントロールのディレンマは、国家の人民的制約と移民の人権擁護を和解させることの難しさである5
市民権
主権は国民国家の国家性、市民権は国民性に関連する。
市民権は国民的なもの(マーシャルの伝統)
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移民によって、外的な排除を強調するマーシャル的ではない市民権の観方が開かれた。
(永住民(デニズン)は、政治的権利以外ほぼ同等の市民権を享受する。)
・非市民的メンバーシップ(デニズンシップ)は、市民権(国籍)からの一時的逸脱だろうか、それとも新たな市民権だろうか?
・それらは国民国家に由来するのか、それともスーパーナショナルなものに由来するのか?
→国民国家に由来する:スーパーナショナルなものは強制力が欠如しているし、デニズンは国民政治から排除されている6
●アイデンティティとしての市民権:共有された価値と意見=文化。7
国民国家を後ろ向きで抑圧的と非難するが、メンバーに共有された単一価値の進化的達成を見過ごしている。この意義は、ミル、デュルケーム、パーソンズも認めている。
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単一文化に分化した世界のシナリオは架空かもしれない。移民がそのシナリオに対する根本的な挑戦であるに違いないことは明白だ。→分裂していく国民文化
8章 結論:弾力性ある国民国家
国民国家のふたつの観方
特殊主義的観点:国民国家は文化、経済の特殊主義の基盤。
一般的観点:伝統の違いにも関わらず、構造的同一性あり。
1、外国人を認めたり排除したりするリベラル国家の主権は弱まる兆候はない。262
2、戦後の移民への反応として確立されたポストナショナルなメンバーシップが国民的市民権の重要性を減じている証拠はない。262
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結論:この研究によって、国民国家が柔軟であることが分かった。つまり、国民国家が衰退しているというジャーナリスティックな診断は間違い。
自己制約的な主権
国家は、人権レジームによって規制される。(経済のグローバリゼーションと関連づけられる)
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・だが、これは間違いで、「国内的に制約されている」
理由1 国民国家システムのモデル化→無理。
理由2 居住権、家族権のような権利は国内法にルーツをもつ。266
米はヘゲモニーをもち、国際人権無視。
人権条約のある欧でさえ、国内法に基づいている。
Soysal 人権の観念は、世界文化の浸透的(普遍的な)側面になった。
法的、政治的に制度化されていなくとも、国家の道徳的制約として観念しうる。268
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だが、そんな外からの道徳的制約に国家はしたがうわけではない。
「そうではなくて、道徳的な考慮は特定の移民グループへの特定の国家責任といつも結びついているのだ。」268