『お迎え来た…ほな行こか――老いと死、送りの医療』
早川 一光 19980925 佼成出版社,214p.
■早川 一光 19980925 『お迎え来た…ほな行こか――老いと死、送りの医療』,佼成出版社,214p. ISBN-10: 433301865X ISBN-13: 978-4333018659 1400+ [amazon]/[kinokuniya] ※
■目次
第1章 素晴らしい別れ
枕辺から見える死
いずれ別れるからこそ尊い出会い
死はすべてを押し流していく
ほか
第2章 「いい死に方」って確かにあります
「いっそ死んでしまいたい」
人間は死ぬのが下手やな
死に方は一人ひとり違う
ほか
第3章 「いい死」のためにどう生きるか
人の死は千差万別
生きたように死んでいく
人生の起承転結
ほか
第4章 わたしが考える「送りの医療」
家の中に吹く温かい風・冷たい風
小便・前掛け・おまる
親を看取るのは人間だけ
ほか
第5章 これでよし!こういうもんや
生老病死、プラスアルファ
子どもに見せたい死
老いが来たら意識を切り換える
ほか
■引用
「尊厳死とリビング・ウィル
あるとき、、ひとりのおばあさんが一通の封書を差し出しました。
「せんせ、これ読んで、持っていておくんなはれ」
堀川病院の前身である診療所に勤めていたときですから、ずんぶん昔のことです。まさかラブレター?!――ヒヤッとしましたが、遺言書でした。
「わたしは満八十歳をすぎましたので、いまの気持ちを書きます。わたしには財産らしいものは何もありません。生命保険にも入っておりません。それで、わたしが不治の病になったら、いつでも死なせてください。八十歳になったいまはとても幸せです。戦死者の妻であったころの苦労も忘れ、気ままな生活を送らせていただいております。もういつ旅立ってもかまいません」
そんなことが書かれていました。▽082
老齢になり、自分なりに「死に方」を考えたのでしょう。
「よしよし、わしがあずかった。こうして、ずっと持っとるしな。あとは死ぬまで元気に生きや」
と言ったら、「おおきに」と嬉しそうに帰っていきました。
この遺言書が法的に有効かといったら、有効ではないでしょうね。わたしだって、手紙にあるように一服盛って死なせるわけにいきません。おばあさんのことばにウカウカのって、そんなことをしたらひどい目にあいます。
でも、おばあさんの意志はできるだけ尊重したいと思います。
死にゆく人の意志を、まわりの人が厳しく受け止め、尊重しようというのが尊厳死。生命維持装置を外すだけが尊叢死なのではありません。
「生命維持でも何でもかまわん。わしゃできるだけ長く生存したい」
という意志の方もいらっしやるでしょう。
このおばあさんの場合、いまならわたしも、そのいのちのカーブの着地点をしっかり見定め、”ここぞ”というところで、点滴を外すぐらいのことはするでしょうね。ご家族の同意があれば、たぶんすると思います。
▽083 しかし不治の病とわかっても、それで一服盛ることはできない。「おばあさんがそう言ったから、ロウソクを吹き消してやれ」とはなりません。
ですからご本人の生前の意志、英語でリビング・ウィルと言うそうですが、リピング・ウィルがすべて実行されるわけではないのです。
それでも自分の意志、ウィルをはっきりさせておくことは、死の訪れがいっあるかわからないわたしたちには、年齢にかかわらず、、大切なことであろうと思います。
どこで死にたいか。どう死にたいか。死んだあとはどうしてほしいか。死にゆく人の意志を、送る側がくみ取れないのでは、尊重したくても尊重できません。」(早川[1998:81-83])
「安楽死事件を考える
末期のガン患者に筋弛緩剤を投与した京都の病院の前院長も、患者さんの苦しみを▽175 前にして、冷静ではいられない医者のひとりだったと思います。
その前院長が不起訴と決まりました。投与した筋弛緩剤が致死量でなかったというのが不起訴の理由です。「よかった」と、ともあれ胸をなでおろしました。
前院長は、わたしの大学の後輩で地域医療一筋に生きてこられた方です。取り調ぺられたときは病院近くの道路に、町民が立てたに違いない、無罪を訴える立て看板がしくっも並びました。そのことからも、この先生が地域の人びとから、いかに慕われ信頼されていたかがわかります。
筋弛緩剤の目的が何であったかは問いますまい。ただ、「送りの医療」を考えるわたしには、ひとつ気になることがあるんです。批判するとか非難するというのでなく、一緒に医療を担う仲間として、あえて取りあげてみたいと思います。
だって、他人ごとではありませんもの。
わたしも、いつ逮捕されるかわかりません。病室の外、つまり新聞記者や警察の目から見たら、「三途の川の渡し守」なんて言っている医者は、いちぱん疑わしい存在です。
この。事件。は、そこの病院で働く看護婦さんが、筋弛緩剤の投与を新聞記者に通報したことに端を発しています。「なぜ医療スタッフのひとりが:::」という思いが、わたしには拭いがたくあります。
スタッフは互いにかばい合うぺきだ、と言いたいのではありません。
医師、看護婦、家族、そして患者さん。もしかしたらそれぞれが、てんでの立場で、バラバラに医療に参加していたのではないかと想像するのです。
「患者さんを救えるのは医師だけだ」
わたしが患者さんを助ける」そういう思いが、前院長におありだったのではないか。
わたしだって、そう思いたい誘惑にかられるときがあります。「医者が患者を救う」という古い倫理観で、医学を学んできたわたしたちは、みんなそうです。
でも、医者は患者を救えない。
臨床四十五年にして、やっと気づきました。虫垂炎や結核なら救えるでしょうね。でも、老いや死からは救えない、救うすべがないんです。
では、医者に何ができるかといえば、一秒でも寿命を延ばしたり、苦しみを見かねて死なせてあげることでもありません。▽177
お盆の終わりに、送り火を焚きます。燃え尽きるまで火を見つめながら、亡き人の霊をじっと見送るように、死にゆく人を送ってあげることだろうと思います。
送るのは、医者だけではないんです。何よりも、長いあいだ一緒に生活し、苦楽をともにしてきた家族が送る。喧嘩ばかりしていた連れ合いや、互いに努力してもついに仲よくなれなかったお嫁さんであってもね。
そして、病気や老い、あるいは迫りくる死と、ともに闘ってきた医者や看護婦も送る。お盆の送り火も、みんなで、大勢でかこみますでしょ。
家族と医者、看護婦。その意志統一というか、送る心のハーモニーがなければ、しい別れにはなりません。」(早川[1998:81-83])