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『国の責任――今なお、生きつづけるらい予防法』

島 比呂志・篠原 睦治 19980715 社会評論社,213p.

last update:20110122

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■島 比呂志・篠原 睦治 19980715 『国の責任――今なお、生きつづけるらい予防法』,社会評論社,213p. ISBN-10:4784501568 ISBN-13:978-4784501564 \1600+税  [amazon][kinokuniya] ※ lep

■著者について

島比呂志(しま・ひろし)
1918年香川県生まれ。1940年大陸科学院勤務。1944年東京農林専門学校(現東京農工大学)の教員となる。1947年ハンセン病療養所大島實松園入圃、翌年星塚敬愛園へ転団。1958年より同人雑誌『火山地帯』を主宰。著者に、童話集『銀の鈴』(四国出版社)、作品集『生きてあれば』(講談社・絶版)、『奇妙な国』(新教出版社)、『片居からの解放』(社会評論社)、『来者のこえ』(社会評論社)、『「らい予防法」と患者の人権』(社会評論社)、『生存宣言』(社会評論社)、『らい予防法の改正を』(岩波ブックレット)がある。
現住所【編注:省略】

篠原睦治(しのはら。むつはる)
1938年東京都生まれ。和光大学人間関係学部勤務。臨床心理学、障害児・者問題などを担当。日本社会臨床学会、子供問題研究会の企画・運営に参加している。同学会編『他者への眼ざし』(社会評論社)、『学校カウンセリングと心理テストを問う』(影書房)、『施設と街のはざまで』(同)、同研究会編『アメリカ大陸横断旅行』の分担執筆。『脳死・臓器移植』問題に批判的な発言を重ねてきたが、『「社会臨床」の思索』でまとめた。後半2冊については下記に問い合せてほしい。
現住所【編注:省略】

■目次

※[]内はページ番号を示す。

まえがき(篠原睦治) [3]

第1部 いま、なぜ、らい予防法を問うのか(島比呂志、篠原睦治)
はじめに [12]
「らい」にこだわる [13]
発病の頃 [14]
田舎に帰る [16]
一番の敵は医者 [18]
強制された優生手術 [20]
三十数年、身を隠しつづけて [23]
新治療薬プロミンは大変な革命 [27]
「奇妙な国」だけれど [29]
「らい医療」は地域の病院で [33]
戦前から外来治療をしていた小笠原登 [34]
皮膚感覚に継承されてきた穢れの思想 [37]
らい行政に加担してきた医者たち [40]
国による補償を求めて [42]
病者とともに生きる社会 [45]
らい予防法を手本にエイズ予防法が [47]
赤瀬範保さんとの出会い [49]
差別のない社会を創る試み [51]
対談をふりかえって [53]

第2部 いま、なぜ、らい予防法廃止を問うのか(島比呂志、篠原睦治)
二年問をふりかえって [66]
廃止法には"国の貴任"が明記されていない [70]
廃止法は「奇妙な」法律 [73]
おあずけになった国民健康保険 [76]
自己批判のないらい学会見解 [80]
いまもありつづける"危険手当" [82]
「生存宣誉」をして生きる [84]
家族をとりまく病いの陰 [86]
懲戒検束規定のもとの闘争 [90]
療養所を解き放つために [94]
なおざりにされたマイノリティの人権 [98]
「社会復帰」とは何か [101]
らい者も「人間」だ [103]
廃止法と優生保護法「改正」 [106]
いま、思うこと [109]

第3部 裏切られた人権回復――らい予防法廃止の問題点(島比呂志)
1 「らい予防法」廃止が積み残したもの――依然変わらぬ「ハンセン病療養所」の呼称 [122]
2 保険証おあずけ――納得できない厚生省事務次官の「依命通知」 [125]
3 国会だました厚生省 [131]
4 なぜ、国民健康保険任意加入を求めるのか [133]
5 退所者への平等な補償を [138]
6 支援方策とは何か――ハンセン病療養所入所者の社会復帰を考える [141]
7 再び、法曹の責任を問う [151]
8 やっと燃えた怒りの火――ハンセン病訴訟・告訴宣言 [156]

資料
1 らい予防法の廃止に関する法律 [162]
2 らい予防法の廃止に関する法律案に対する附帯決議 (参議院厚生委員会) [167]
3 らい予防法の廃止に関する法律の施行について[依命通知 (厚生事務次官) [169]
4 らい予防法の廃止に関する法律の施行について(各国立ハンセン病療養所長宛) (厚生省保健医療局長) [175]
5 らい予防法の廃止に関する法律の施行について(各都道府県知事宛 )(厚生省保健医療局長) [178]
6 九州弁護士会連合会への申立書「らい予防法・優生保護法について」 (島比呂志) [181]
7 シンポジウム「らい予防法廃止問題を考える」主催者挨拶 (九州弁護士会連合会理事長 久留達夫) [183]
8 人権の回復を求めて――ハンセン病問題シンポジウムに参加して (九州弁護士会連合会人権擁護委員会 井上滋子) [185]
9 ハンセン病療養所入所者への国民健康保険任意加入を求める請願書 [189]
10 社会復帰支援方策調査検討会中間報告 [192]

解説 鶴見俊輔 [205]
あとがき 島比呂志 [209]

◆本文より

まえがき

一九九六年四月一日、「らい予防法の廃止に関する法律(以下、廃止法)」が実施された。「らい」者を強制隔離し「らい」者に優生手術を強要したことに集約され象徴される歴史の経過は、永年にわたって、らい予防法とそれを補完する優生保護法のもとで進行してきたことはご存知と思う。
島比呂志さんは、この事態を自ら体験し、それゆえ執拗に批判してきたが、ぼくは、島さんの小説『海の沙』に出会って以来、島さんのものをいくつか読んでは、この事態を考えてきた。
島さんは、「らい」に対する差別と偏見を解くために、例えば、「らい病はめったにうつらず、たとえうつっても、すぐに治る病気である」と繰り返して述べてきた。ほくは、「たとえ治らなくても、また、たとえうつしてしまうことがあっても」シャバで生き合うという展望とイメージを突きだすわけにはいかないのだろうかと思いめぐらしてきた。
一九九四年九月、ぼくは、そんな問いをいくつか抱えて、国立らい療養所星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)に暮らす島さんを訪ねた。そこで語り合った内容が「第1部 いま、なぜ、らい予防法を間うのか」である。
この折り、島さんはらい予防法「改正」の動きを察知していた。そして、これがうまく展開することをひたすら願っていた。ついに、翌々年、廃止法が出来たのであるが、なおも、島さんの顔色は浮いている様子がなかった。早速、島さんは、この廃止法は強制隔離に対する謝罪も補償も明記していないし、社会復帰に対する積極的な姿勢も打ち出していないと、マスコミなどで発言しだした。
「篠原さん、もう一度、話してみましょう」と、今度は、島さんのほうからお声がかかった。第一回対談からちょうど二年経っていたが、事態は急激に展開したあとだった。そこでの対談が「第2部いま、なぜ、らい予防法廃止を問うのか」であるが、その展開の様子については、島さんが対談の中で丁寧に話している。
ところで、このとき、らい予防法下の「国立らい療養所」は、廃止法成立後ということで「ハンセン病療養所」と名称が変わっていたが、すぐわかるように、「療養所」という名称、性格はそのままに、「らい」が「ハンセン病」に言い換えられただけである。
第二回対談で語り合っているが、島さんがぬか喜びした、廃止法に伴って可能と思われた国民健康保険の加人は、従来通りの医療体制を保障するという言い訳とともに、実現しなかった。「国民のひとりとなる」、「町中で堂々と医療を受けられる」といった、島さんの熱い、しかしあまりにもあたりまえな想いは、いまのところ、水泡に消えている。
島さんは、今度は、「国民健康保険の任意加入」を実現する署名運動を展開することを提案した。ぽくも、その呼び掛け人のひとりとなったし、多くの署名が集まった。しかし、厚生省は、いまのところ、この声に耳を傾けている様子がない。島さんは、この間、あちこちでこの問題をめぐって発言しているが、それらは「第3部 裏切られた人権回復――らい予防法廃止の問題点」としてまとめた。
そのなかには、「やっと燃えた怒りの火――ハンセン病訴訟・告訴宣言」が載っている。この宣言が強烈に伝えているが、よわい八〇歳を迎えようとする島さんは、いまも、いや、いまこそ、「らい」者として生きてきた歴史と現実にしっかり落とし前をつけようと必死である。
ぼくはと言えば、「らい療養所」の外に暮らしてきて、らい予防法・優生保護法体制を黙視し支えてきた痛みを引きずりながら、「国の責任」を問いつつも、ぼくらの生活世界をじっくり振り返るよい機会になっている。読者の皆さんには、そんな観点からも、本書を経いてくださると幸いである。
こうして、ぽくたちは、「らい予防法は、いま、なお、生き続けている」という厳粛な現実を内外に抱えつつ、その軸にある「国の責任」を問うために、本書を糧んだ。題名を『国の責任――今なお、生きつづけるらい予防法』としたわけはここにある。(篠原睦治)


*作成:箱田 徹
UP:20080208 REV:20110122
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