HOME > BOOK >

『肉体美大全』

Julian, Robinson 1998 The Quest for Human Beauty,W. W. Norton & Company. Inc.
=20051031 伴田 良輔 訳,東洋書林,293p.


このHP経由で購入すると寄付されます

■Robinson, Julian 1998 The Quest for Human Beauty,W. W. Norton & Company. Inc.=20051031 伴田 良輔 訳 『肉体美大全』,東洋書林,293p. ISBN-10: 4887217013 ISBN-13: 978-4887217010 2940 [amazon][kinokuniya] ※ b02

■内容(「BOOK」データベースより)
ボディ・ペインティング、瘢痕、古典古代、古代エジプト、宮廷ファッション、「人類の進化と性淘汰」、アールヌーボー、戦後復興、ニュールック、スウィンギング・ロンドン、パンクスとアンドロギュヌスのポップ・スターたち、そしてSM、ボンデージ、ピアシング…魂と肉体の自由を追い求めるひとりの研究者が見たプリミティヴ・アートからモダン・プリミティヴズへと円環するファッションとボディ・アートのアラベスク模様。豊富な図版と資料を参照しながら時空を超えた無限世界を逍遥する。
内容(「MARC」データベースより)
ボディ・ペインティング、アールヌーボー、SM、ピアシング…。魂と肉体の自由を追い求める研究者が見た、ファッションとボディ・アートのアラベスク模様。豊富な図版と資料を参照しながら、時空を超えた無限世界を逍遥する。

■目次

献辞および謝辞
T 肉体礼賛 *Preface 6
U 装飾の歴史 *Traditions of Adornment 18
V 文明の刻印 *Marks of Civilization 68
W 社会のシンボル *The Symbols of Society 118
X 変化の理由 *The Reasons for Change 156
Y 符号の時代 *Current Coded Signals 188
Z 精神の美粧 *Embellishing the psyche 228
[ エピローグ *Epilogue and Acknowledgments 284
あとがき Afterword 伴田良輔 292
索引/図版資料原題/図版クレジット/邦訳文献一覧


■著訳者紹介(奥付より)
Julian Robinsonジュリアン・ロビンソン
ロンドン生まれ。在オーストラリアのファッション、ボディ・アート研究家。年少時より俳優として映画界に親しむ。RCAで学んだ後にファッション・デザイナーとなり、その傍ら世界中で奔放なフィールド・ワークを行なう。現在は、数々の経験から得た比類のない哲学と自身の豊富なライブラリーを駆使した著作を執筆する一方、ファッション・デザインの講義を持つ教師、多くの悩みに答えるセックス・セラピストとしても活動している。
伴田良輔はんだ・りょうすけ
京都府生まれ。主な著書は『独身者の科学』(河出文庫)、『奇妙な本棚』(筑摩文庫)、『絶景の幾何学』(ポーラ文化研究所)、『鏡の国のおっぱい―美しい日本の乳房』(二見書房)など。また、翻訳書に『世にも奇妙な遺言集』(ブルース・インターアクションズ)、カレル・チャペックの『ダーシェンカ/子犬の生活』(新潮文庫)などがある。独自の技法による版画家としても活動し、国内外で多数の個展を行なっている。


■引用

T 肉体礼賛

(pp12-13)
 それに対してわたしは「人間の肉体の美しさは、文化的認知作用と美の理想が相互作用したものであり、美は不変ではない」と返した。
 さらにわたしは付け加えた。「美に対する人間のあらゆる理想と概念は、それぞれの文化集団のシンボリズムの形式と、切っても切れない関係にある。新しい世代はそれぞれ、その他の文化的な事柄と同じように、各々の文化のシンボリズムの概念と習慣を学ぶのである。つまり肉体美の概念は、独自の知識と文化的伝統を備えた眼の中に存在し、肉体美を知覚する能力はそうした知識と文化的伝統によって養われるのである。つまり、なぜ西洋の肉体美に対する概念が時代によって大きく異なるのか、特に近年のわれわれは以前に比べ幅広い範囲のものを、『美』として受け入れているのはなぜなのかということに興味がある」と。
 このことをさらに裏付けるために、わたしはファッション界で異国的(エスニック)なデザインへの共感が急速に広がっていることを説明した。
 このときすでにわたしはデザイナーとしてもデザイン評論家としても活動していて、わたしの風変わりな作品は『ヴォーグ』や『ハーパースバザー』(Harper’s Bazaar)に登場し、ニューヨーク、パリ、ロンドンで販売されていた。教え子たちも(サリー・タフィン、マリオン・フォール、ジェームズ・ウェッジ、シルヴィア・エイトン、ブライアン・ゴッドボールド、ジャニス・ウェインライト、ウェンディ・ダグウォーシー、そしてまもなくザンドラ・ローズとビバの名で成功したバーバラ・フラニッキも加わる)、カーナビー・ストリート・スタイルと呼ばれるファッション革命を起こしはじめていた。
 アートとファッション分野での仕事、また俳優と職人としての仕事を通して、わたしは美の感性は商業資本と密接な関係にあると実感するようになった。マスメディアによってこれでもかと繰り返される宣伝が、美は金と引き換えにしか手に入れることはできないと人々に信じこませるのだ。美は細分化され、金で買うことができるもの、たとえばヘアトリートメント、化粧品、フェイスクリーム、ローション、爪磨き、香水といったものになったのである。そして新式の美容整形術、細身の靴、矯正下着、ぴっちりしたジーンズは、現在でも人間美の達成に必要欠くべからざるアイテムだ。


U 装飾の歴史

(p18)
 有史以前のはるか昔から、人類の男女は剥き出しの体を、時には痛みを伴うような方法で、変化させたり、美しくするための工夫を重ねていた。恋人を探す、部族の威信を高める、悪霊から身を守る、神々をなだめるといったことがその目的だった。
 当時からずっと、装飾したり、伸ばしたり、美しくしたりするために、肉体は容赦なく使われてきたし、そのためにかかる時間やコスト、伴う苦痛はほとんど無視されてきた。それぞれの個人、時にはコミュニティー全体が、肉体の形、色、手触り、サイズを、社会的信望を高めて性的に魅力的なものにするために変化させてきたのである。その対象は腰、臀部、鼻、眼、歯、髪、耳、頭部、胸、肌、手、指、手足の爪、乳首、唇、ヘソ、性器、肩、手首、首、すね、足、くるぶし、胸郭、頬、恥骨部分、輪郭など、体のほとんどの部分に及んだ。
 今日でさえ世界中の男女が、この排他的ではかなく疑わしいことの多い「向上」のために自分自身の肉体を捧げ、切除したり痛めつけたりしている。彼らは、骨格の矯正や破壊、血流や呼吸の圧迫、皮膚の破壊、衰弱に等しいダイエット、過度のエクササイズ、下剤の日常的服用やわけのわからない外科手術など、状況が違えば拷問として非難されるはずの苦痛に、自ら望んで身をゆだねている。ただ、仲間たちから羨まれ、異性から認められ、あるいは特殊な部族的、文化的グループの一員であることが一目でわかる外見を手に入れることのみが、その目的である。
(pp23-24)
 実際、この本のリサーチのために訪れたどの土地でも、美的・性的に魅力的だとされる形態の支配的な概念はそれぞれ大きく異なっていたため、どれが一番魅力的な肉体かという点で意見を同じくする社会はほとんどなく、土地によって美的基準が変わることが、わたしにとって当たり前と思えるようになった。男女のどちらがより美しいか、あるいは、自分の部族への忠誠や富、社会的地位を誇示することを個人の実力とするかどうかといったようなことは場所によって違うのだ。
 わたしは、パリで美しいと認められることがアマゾン上流では否定されることも知ったし、アマゾン上流における美がニューギニア高地では評価されないことや、ニューギニア高地に住む人々の喜びをケニアとタンザニアのマサイ族は理解しないこと、マサイ族が美しいとする類の肉体はタイ北部とその周辺に住むアカ、カレン、ヤオ、リス、シャンの人々には美的ではないということもわかった。そしてこれら各地の人々がそれぞれ美しいと感じるものは、ロンドンやニューヨークの住人の大多数には美しいものとは受け止められないのである。
 立派な画廊や美術館に展示されている作品を見れば、西洋文明の内部においてさえ、われわれ自身の美の概念が時代とともに大きく変化してきたことがはっきりわかる。われわれは装身具より衣服を重視する社会に暮らし、ノーマルな状況では裸体を嫌悪する伝統を持っているが、少なくとも芸術の分野では、剥き出しの肉体について完全に否定しているとは言えない。
 とはいえ、この見せてもよい体の部分と見せてはならい部分についての、文化的に生み出された嫌悪感は、はっきりと存在している。他の文化の芸術では賛美されている男女の生殖器の細部を隠すために、様々な体部分が修正されているのだ。
 しかし絵画や彫像の傑作は、われわれの祖先たちが自分の肉体をさらけ出すことについて、現代人のように潔癖で保守的だったとは限らないことを証明している。さらにこれらの傑作は、祖先たちがある時代にはある程度豊満な女性と豪華な装身具を好み、別の時代にはもっと痩せた女性とあっさりした装身具を好んだことも明確に語っている。それは男性の描写の変遷についても同じことが言える。長髪、引き抜かれた眉、長い襟首、パッド入りのコッドピースが流行った時代もあれば、薄い胸板、か細いなで肩、丸い尻、パッドの入ったふくらはぎと太股が一番の人気だった時代もあるのだ。
(p31)
 西洋社会にエロティック・アートは存在しないと言っているのではない。それがいつの時代にも存在したことは、ヴァチカンのビビエンナ枢機卿のバスルームにラファエロが描いた、いくぶん猥褻の気味があるフレスコ画や、ローランドソンやビアズレーといったアーティストによって描かれた、一八から一九世紀の膨大なイラストレーションによって明白である。しかし近年まで、この種の芸術は広く受け入れられたり、おおっぴらに公開されることはなかった。そして今日でさえ、自己決定と自由思想の宣言がなされたにもかかわらず、ある種のエロティックな作品の公開に厳しい検閲法が適用されているのだ。
 視覚的・倫理的感性が検閲制度によって守られている社会は、肉体について何を美しく、また美しくないとするかという態度に大きな影響を与える。肉体美に対するわれわれの考え方は、かなりの程度まで信条、慣例、信念、伝統、そして社会がわれわれに教えこんだシンボリズムの形式が混沌と混じり合ったものの上に成り立っている。
(pp35-36)
 性的能力やあるいは意に反した独身生活によるフラストレーションは、美的感覚を刺激し、あらゆる試みをしてみたいという気にさせるということは、わたしの研究からは明白である。絵画の場合、その成果は誰でも目にすることができるもので、美の領域にいる限りは、見るものを夢見心地にさせる。もう少し背が高かったら、あるいは低かったら、細身だったら、ブロンドだったら、青い目だったら、首が長かったら、とにかくもっと魅力的だったらきっと理想のパートナーに出会えただろう、とわれわれは夢想するのだ。そして自然の不公平を正すために、自分たちの創造的な衝動を行使するのである。
 人間美は、発明・美的本能の発露であり、人間性への祝福であり、内的精神の反映であり、あらゆる思考と分析を超越したものだ。生物学的な命令は神の力のようなもので、われわれの魂に刻みこまれていて、その現実性と効力を受け入れる以外に道はない。
それは個人的なアイデンティティーと、集団に共通のアイデンティティーをわれわれに意識させる行動、夢、慣習、不安、ライフスタイルの変化を、現実にも架空にもする特性がある。また、それはわれわれの本質の中の本質、人間の条件の謎の現れで、意識のもっとも深いところに刻みつけられ、理論を越えた重要な心理的メッセージを運んでくる。生まれつきの性質として遺伝子に記憶されているかのように、いろいろな理由で文化的な集団によって少しずつ異なっている。


V 文明の刻印

(pp72-73)
 そうした装身具にはもっと遠方から来たらしいものもあり、遠距離にわたる交易のもたらした貴重な結果だったことは明らかである。針穴のあいた骨と象牙の針と、非常に古い鋭い削り道具が発見されているが、後者は動物の毛皮の内側から不用な部分や脂肪を削ぎ取って皮をより柔軟にするために使用された。針は皮をつなぎ合わせて儀式用の巻衣などを含む様々なものを作るのに使われた。縫い合わせられていない皮も身につけられていて、肩にかけたり腰に巻きつけて結び、成果を上げた狩人への褒美や、長老やその家族の地位を表わすのに用いられた。これは、われわれが毛皮を地位のシンボルとか権威の象徴と常に位置づけることの起源に違いない。
 縫い針の発明は西洋の美の発展にとって重要なものだった。これにより、体を覆うように縫い合わされた型のものが作成できるようになり、また火の使用と相まって、寒冷地でも人の居住が可能になった。このような明確な、そして印象深い技術革新が、身にまとうものを手に入れられるものたちの間に優越感を生み出し、その過程で、衣服の美しさによって支配階級が認識されるヒエラルキーが形成されることとなった。その名残りは判事、公爵、君主といった高位の人々の正式な場でのローブなどに現在も残っていて、多くの人々から恭順の意を引き出しつづけている。
 しかしさらに重要なのは、衣服のそうした様式は性的な選択の分かれ道になった、ということだ。衣服は、男性の注意を女性の顔や上半身に集中させることになった。また、女性の注意を異性の潜在的な肉体的特徴からそらし、恋人、夫、父親、養い手としての資質のほうに向けさせた。
(pp75-76)
  子供時代を脱ぎ捨てて現代社会の大人として学び、合理的に機能するために、すべての子供は一度生まれ変わらなければならない。
 キャンベルと同じようにわたしも、彼らが認められ、尊重される儀式の形態を持たなければ、暴動、殺人、ドラッグの使用、無軌道なセックス、あるいは何らかのボディ・マーキングや肉体の切除などをも含めた儀式を作り出し、彼らの文化のもっと多くのものと争議を起こすことになるだろうと思う。
 最近まで、わたしたちの社会のように衣服を着ることを慣習とする社会では、新しい社会的地位を象徴する衣服や装身具のスタイルを変えることで節目をつけてきた。たとえば初めて長いズボンやハイヒールを履く、腕時計や金のブレスレットを贈られる、堅信礼用のドレス、口紅をつける、化粧をするなどといったことである。
 しかしこうした伝統は、最先進社会では全般に忘れられてきており、小さな子供たちは何の意識もなくそうした装身具を身につけている。また、子供たちは髪形も大人と同じ形に整え、玄関のドアの鍵を持ち、そう望むなら一晩中出かけていることもできる。もはや子供から大人へ変わるはっきりした一線は存在しないのだ。だから多くのヤングアダルトが大人の役割を拒否したり、大人として振る舞う能力がないのはたいして不思議なことではない。それにしてもそのような転換の儀式のどこに利点があるのだろうか。古いシステムのもとでは、転換の儀式が成人だけに与えられる権利をもたらしたが、今では子供のうちにそれらの権利は与えられている。しかし生物学的には、まだわれわれは「大人に見える」という権利を主張するいくつかの方法を、自分たちの身に刻印することを必要としているようだ。まるでDNAにその必要性が記憶させられているかのように。
(pp80-81)
 それにしても一般に理解されていないのは、われわれの社会のような非常に大規模に工業化された共同体が、現実には、必然的に重複してしまう多くの異なった文化と社会的集団の塊りであるということである。
 重複する生活様式、概念、理想などを補完し合うこともあれば、争うこともある。それぞれのグループは独自の人間美の理想を持ち、そしてその特徴を最大にするために、いかにして美は装飾されるべきかという方法を持っている。
 このためわれわれのような塊りの中に生きているものにとって他の集団への適切な讃美と理解を示すことが難しくなる。異なった形式や特色すべてを分類することの困難さばかりか、現代的なコマーシャルモデルを使って、絶えず一定の理想を置き換えつづける美にかかわる産業が生み出す概念によって、われわれの生活はさらに複雑なものになっている。このモデルは以前のものから作られた様々な文化的混合であることが多く、そのため新しいスタイルをまねたい消費者は、新しい製品を買わなくてはならなくなる。こうした創造品は、使い捨てのできる人工物の一形態で、これを売って他の使い捨てできるものに取って代わらせ、永遠に変化しつづける美とファッションの消費者に、終わることのない要求を生み出させつづけることのみを目的に作り出されるのである。
 この連続した変化の過程はまた、他の重要な人間関係にも影響を及ぼす。ひとり一人が頭の中に描いている姿と鏡に映る自分自身の姿。どんどん増えつづける評論家たちは、この関係がわれわれにとってもっとも重要であると信じている。飾りたて、装身具をつけて、あるいは完全に裸でわれわれが見るイメージは、われわれが現実には何であるか、社会のどの位置にいるのか、そしてわれわれの一般的な人間美に対する考えや概念を確認、再確認、定義、再定義する手助けとなる。
(pp108-109)
 部族の外見は、文化的情報やメッセージと共に社会的情報も伝える。刺青を入れたり傷をつけたりしている人々にとって、ちょうど同じことが西洋のドレスの形について確かにあてはまる。われわれ自身の肉体的様相は古代のマオリ族や刺青師たちの姿のように、まったく異様で不自然なのかもしれない。そして事実、それらは肉体的に苦痛で、時間がかかる点でも似ているかもしれない。
 たとえばわれわれは、子供たちが足の形を歪める靴を履いている、と主張する。女性たちは、くるぶしやつまさきを痛めつけ、大金のかかる整形手術が必要になる可能性のある、足に合わないハイヒールを履くことを自分たちに強いている。先進世界の男たちのほとんどは、小さな切り傷や擦り傷ができる危険を冒してまで、顔の毛を除去することに毎日時間をかけている。
 そして男も女も体型を変えるために危険なダイエットを行なう。サナダムシの小間切れやタマゴを食べる、自分の尿を飲む、動けなくなるまでエクササイズをする、あるいは脂肪吸引や美容外科手術を受けて、われわれ民族の理想に従った美を手に入れるのである。そう、われわれも結局は一部族なのだ。神に選ばれた民族であるかのように振る舞っているとしても。


W 社会のシンボル

(pp119-120)
 よりいっそう輝かしい時代に生まれ、比類のない自由を楽しみ、そして変化を当然のことと受け止めるわれわれの多くにとって、旅をする、家や土地を所有する、衣服のスタイルを変えるということが、かつては宮廷の特権であり、たとえたいへんな財産家であっても、高貴な生まれのものだけに許されたスタイル、織物、色、アクセサリー、美しい衣服のまねをすることは法律によって禁じられていたと想像するのは難しい。われわれは「買え、買え、買え」と間断なく流れるテレビコマーシャルや、新製品や変わった品物を宣伝する新聞の流行欄、エキゾティックなファッションの魅力を掲載する雑誌や本の蔓延に慣れてしまっている。勇気と金、それと美への探究心、社会的認知、進歩を試したい気持ちがあれば、それらのものを手に入れることができるとわれわれは信じている。
(p125)
 こうした拘束的な贅沢禁止法にもかかわらず、そしておそらくはその法を強制することが不可能だったために、どぎつく飾りたてた服をまとい、目が飛び出るほどに高価な宝石をつけた商人たちが数えきれないほどいた。ウルストンクラフトが言うように「彼らの工場、土地、船そして全収入が服飾品につぎ込まれた」のだ。
 また「スラッシング」(引き裂く)といったような新しいファッションの報告もある。スラッシングは、あるスタイルの服や一番高い布地が法で禁じられていようと、着ている者は自分の一番新しい服を全面的に注意深く切り裂くことによって破壊する財力があるのだ。皮肉にも、スラッシングは貴族社会で大流行するようになり、より高価で派手な色のシルクの紐(それは構造的には衣服の一部ではなかった)を引き裂いた穴を通して引っ張りだすことによって目立たせられた。これは下層階級がいわゆる上流の真似をする伝統的システムにおける最初の逆転のひとつだった。こうした目につきやすい消費動向と法を侮辱する行ないは教会から厳しく非難された。
(pp134-136)
 知識にもとづく伝統と法の強制によって、われわれは現代でさえ、自分たちの真の姿を認めることができないようだ。かわりに、セクシュアリティのサイン、シンボル、そしてサブリミナル・メッセージの熱心な信者になった。われわれはこれらを自分の衣服、アクセサリー、化粧品の様式中に貧欲に表現し、通常の環境では、性的興奮状態にあることを示す自分の肉体部分に注意を引きつけたり、その部分を強調することに利用している(実際にはいかなる形のセクシュアリティもそこには含まれていないのだが)。これはわたしが『ボディ・パッケージング―人間のセクシュアル・ディスプレーの手引き』(Body PackajingGuide to Human Sexual Display 一九八八)で扱っている事象である。抑圧的な文化の伝統によって、この嗜好はヴィデオ産業、多国籍企業などに独占されている、と言えば十分だろう。出版物に目を通す習慣のある人や、テレビ番組やテレビ・コマーシャルを常に目にする人は知っているはずだ。
 不幸なのは、われわれがそれをまた受け入れてきたことで、一般的には、人間の美しさは成熟した男女にではなく、若い女性に独占的に備わっているものと考えられている。そして若い女性の顔や、めったに、あるいは決して触れられることのない性器周辺を除く肉体のほぼすべての様相が、何かの売り込みに登場するのだ。他の文化にはこんな問題はなく、われわれが無視しようとするところを讃美する傾向を持つ場合もある。そしてこの文化的伝統における思考法のある部分は、旅行者が増え、ホナラクやカジュラホの巨大寺院のあっけらかんと描写された愛の彫刻や、南洋諸島のおおらかな性的行動を自身の目で見るものが増えるに従い、否定されはじめている。旅から戻った彼らが、旅の見聞の中で気に入ったことを試そうとすると、非常に疑わしい人物と見られたり、さらにはマルキ・ド・サドかそれより堕落した性的倒錯者、変質者扱いを受けることすらあるのだ。
 しかしわれわれの歴史で、ことに人間美の領域においては、性的選択に関することと同じように、永遠不変なものはひとつとしてない。そして一六世紀の性行動や、衣服とアクセサリーのスタイルは、海外探検と外国貿易の結果、たいへん急速に変化した。
(pp145-149)
 一九世紀半ばには、人間美の現代的概念への新しい影響が表面化した。それは力を強めつつある中産階級の子供に向けた本の制作拡大によって引き起こされた。一八三〇年代以前、児童書は相対的に高価で、挿絵もいくぶん特異で、市場は限られていた。しかし中産階級が豊かになり、教育への関心が高まってくると、書籍市場は急速に拡大した。加えて新型の蒸気印刷機と機械式の色刷の利用が増えたため、本の価格は安くなり、多くの子供にも手が届くようになった。子供たちの視覚的ボキャブラリーに最初に満足を与えたのは、ウォルター・クレイン、ケイト・グリーナウェイ、EVB(エリナー・ヴェレ・ボイル)、ユリウス・ハップナー、リチャード・ドイル、ギュスターヴ・ドレらの作品だった。
 この市場は、多くの西洋諸国がついに義務教育を様々な方式で取り入れはじめた一八六〇―七〇年代にすさまじい成長を見せた。義務教育の開始はあらゆる分野の出版にドラマチックな効果を及ぼし、時代が進むにつれて、その効果は重要性を増すことになる。マスメディアの成長、とりわけテレビの普及がわれわれの視覚的ボキャブラリーに与える影響については、誰もが気づいている。ブリジット・バルドー、ジェームズ・ディーンといった俳優や、ビートルズ、シンディ・ローバー、マドンナなどのポップ・ロックのスターが、わたしたちの服のスタイルやモラルに影響を与えたように、である。
 同じ種類の影響が、一九世紀中後期に、出版物とそれに伴うヴィジュアルイメージ、特に新しい絵画的表現によって幼少期の視覚的ボキャブラリーが満たされた若い世代を対象にしたものが多数出回るようになったことで、認識されるようになった。若い世代が大人になるとすぐに、その絵画表現はアイディアや装飾やファインアートの概念に計り知れない効果を持つようになった。ポール・ゴーギャンを含む後期印象派の画家たちには、ケイト・グリーナウェイやウォルター・クレインのようなイラストレーションが、彼らの絵画に与えた影響を受け入れる用意ができていたことを心に留めておくのは興味深いことだ。


X 変化の理由

(pp162-163)
 本書では「夢」という言葉の使用は重要である。人間美に対するわれわれの概念は、アーティストやデザイナー、写真家の理念や技術のみにより変化するものではなく、社会自体の変化や自分自身の希望、欲望、野心、「夢」の変化によっても変わるものだ。そのような変化は事実、われわれの誰もが自分や自分の生活をどう変えたいかということを目に見える形でもっとわかりやすく表現したものである。われわれは、新種の環境を創造し、違う服を身につけ、われわれ全員が関連する新しい偶像(イコン)を受け入れ、欲望のために最善をつくせば、それまでと違った人間になり、自分たちの夢見る理想に近づけると本能的に信じている.様々な試みは少なくとも部分的には成功しているようだ。社会評論家や多くの美術史家たちは、われわれの肉体が時代に呼応して実際に変化していることを興味深いこととして記している。それはわれわれの最新の「夢」の具体化に他ならない。
 服装や装身具、髪形、化粧によって、ある一連の夢を別の夢に一変させたいというこの願望は、過去の偉大な美が(ヌードのものもあるが)、ほとんどの場合、最新のファッションに欠くことのできない根本的要素をまとった形で数多く描かれている大きな理由と言えるだろう。最新のファッションを身につけたいという欲望があまりにも強固なので、画家たちは流行のモードを象徴するものを意図的に際立たせ、最新ファッションの裁ち方や型と、それが体形をどう見せ、様々な肉体的特徴をいかに変え、着ている人の体をその時代のしゃれたスタイルをいかに取り入れているように見せるかを描いた。いろいろな方面で、これらの絵画は大衆が時代精神と呼ぶものを目に見える形で示した。時代精神はまた、芸術の様々な面でももちろん顕著で、ガイステスヴイッセンシャフト(精神的・直観的知識)、ナトゥールヴィッセンシャフト(自然または科学的な知識)、そしてゲザムトクンストヴェルク(総合芸術作品)に対するわれわれの文化的態度であることが明らかであるが、それについては後で触れよう。
(pp171-172)
 しかし実際はと言えば、一九二〇年代の男たちが安全で心地よい家庭を求めている限り、そのほとんどはエキゾティックにも美しくも、それどころかハンサムにさえもなることはできなかった。ごく普通の環境の中で独身男性の数が十分な場合、若い女性たちは美しいかどうかよりも、男性が身のこなしや服装の選択で誇示する男性の社会的優越性のほうを重要視するようだ。社会的優越性とは、家族に快適な暮らしを保証する能力が確実にあるということ、つまり財産があるということで、そのため多くの女性たちは、無意識的、意識的にかかわらず、社会的優越性は性欲を刺激する特質があると考えた。
(pp179-180)
一九二五年までに彼らは、ファッションや装飾の世界で進行していた変化を宣伝するだけでなく、それに影響を与えるイメージの形式を創造し、読者や観衆の夢を膨らませる人間美のイメージを生みだした。
 彼らの成功の裏には、一段と信頼性を増した新しい印刷機械技術により、複製が容易になったことがある。特にカメラのメカニズム、照明技法、修正技術の実験を重ねる中で彼らはその技術を完全に習得し、ド・メイヤー、スタイケン、その他多くの写真家がモデル、映画女優の顔、容姿、ポーズのとり方に独自の手法を編み出した。顔や容姿のある一面だけを強調し、照明を巧みに利用し、さらには精密な編集技術を使って、まったく現実離れしたものでありながら、従来のものにはなかった説得力を持ったイメージの創作に乗り出したのである。
 このようなイメージの説得力について、批評家の中には、カメラは「創作のための優れた機械であり、美と性的魅力にあふれたスタイルを強要する機械」と言うものもいた。ここで、スタイルを「強要する」という言葉を使っていることに注目したい。つまり、いったん美しさや性的魅力、あるいはファッションの新しいスタイルが広く知られるようになると、一般の人は、そのスタイルを作り上げた人がそのように選択した結果であると考えるものだが、実際にはそのような選択はスタイルが公表され、計画された結果なのだ、というのだ。そうであれば、性的魅力とは写真のイメージによって誇張され、理想化され、強要されて作り上げた、美しさの代用形ということになる。
 一般に、このような理想化された容貌は、複数の、特に目立った特徴点を際立たせることを基本としている。たとえば、見る人の期待を満足させるために、美しさは、目と眉でひとつのイメージ、髪と唇でひとつのイメージ、さらによく張った胸と細く引き締まったくるぶしでひとつのイメージに作り上げ、これを効果的に見せるようなスタイルをとるように巧妙に演出するわけである。
 こうした美しく見せるための演出は模倣が可能であるが、それ以上に重要なことは売買の対象にもなり得ることである。ジーン・ハーローが髪をプラチナ・ブロンドにしたときに使った脱色剤、ジョーン・クロフォードが使ったリップスティック、ガルボが使った洗顔クリームとパウダー、ディートリッヒが使ったアイライナー。西欧の女性は自分も彼女たちのようになれるのではないかと期待に胸をふくらませ、同じ製品を求めて地元のドラッグストアに駆け込んだ。
 過去においても現在においても女性が性的魅力の模倣に走るのは、美しさを作るのは機械であるという考え方、その機械は購入可能であること、さらには、世の大勢がそのような時代の基準を進んで受け入れていると考えるからだ。明らかにこの分野においては、選択する以前に強要するという考え方を進んで認めていると思われるところがある。わたしが思うところ、いくぶんかの変更はあるにしても、ある種の類似点を共有している容貌、容姿は、人前に見せることを極力重視して、各個人が自らにそう仕向けたものと思うのだ。


Y 符号の峙代

(pp188-190)
 それはどちらかといえば不吉なはじまり方だった。ヨーロッパ諸国とアメリカの大半にとって、一九五〇年代最初の冬は厳しいもので、戦時下の配給の影響はまだ強く、暖房、食糧、衣類その他あらゆる生活物資が不足しており、店にはほとんど品物がなかった。ヨーロッパの大都市のほとんどでは、戦争による荒廃を払拭するために代用貨幣の試みが行なわれただけで、数十万の難民がそこかしこにあふれていた。冷戦はすみやかに進行中で、中東と極東では数え切れない反乱が起きていた。
 それにもかかわらず、それは過去よりもすばらしいものになると約束された新時代のはじまりであり、オプティミズムに包まれていた。軍隊からの復員もほぼ完了し、都市間を結ぶ鉄道網は通常運行を再開、国際航空路線も復活した。ロンドンでは一九五一年の英国祭に向けた建設が進んでいた。これはイギリスの芸術や製品を世間に広めるために企画された博覧会で、世界市場への進出が元々の目的だった。アメリカでは新しいジャンルの消費材が生み出され、ノーマン・べル・ゲッデス、ウォルター・ドーウィン・ティーグ、ヘンリー・ドレフュスらの流線型スタイルはあっという間に時代遅れとなった。パリではファッション業界が全開で、年に二回のコレクションには世界中からバイヤーがつめかけた。
 世界中の様々な場所で、テレビ放送が再開された。一九三六年にすでに放送がはじまっでいた国もあったが、戦争で一時中断していたのである。視聴者の数は数百万に達し、その影響は消費動向のみならず興行収入にも及ぶようになり、映画の観客動員数が四〇パーセントも減少した都市も出た。それは、戦時中は競争者がおらず、そのため一九三〇年代から進化していないアイディアと、高齢化した役者、監督、プロデューサーが居座っていたハリウッドをも直撃した。新しい才能のほとんどはチャンスをテレビ界に求め、ハリウッドは一時完全に崩壊するのではないかとさえ思われた。
 恐慌時代と戦時中を通じて、ハリウッドには競争相手がなく、プロデューサーや監督の多くは、自薦のアメリカ風紀連盟といった様々なロビーグループに喜んで譲歩して、自分たちの作品における肉体的・性的表現をトーンダウンしていた。しかし一九五〇年代の観客は、暴力と殺戮にはもううんざりしていたし、自分で金を払う娯楽に時代遅れのモラルを押しつけられることに、もはや黙ってはいなかった。テレビやステージ、あるいは文学性よりも刺激性を重視する新しいタイプの雑誌で、より強烈なものが見られるのだからなおさらである。
(pp197-198)
 翌週そのファッションジャーナリストと写真家、そしてわたしの三人は、ある高級雑誌の特集記事の準備にかかっていた。それは、モデルの衣装などよりモデルの目が重要な企画だった。そのときの「スウィート・トーキング」をわたしは全部記憶している。
 それは必要な効果を得るために写真家とモデルの間で交わされる、言葉による誘惑だ。写真家はモデルと軽くいちゃつきながら打ち合わせをはじめる。「君の素敵な写真は全部見ているよ」などと言いながら。次に彼は「君の目はすばらしい。唇は色っぽい。センセーショナルな容姿をしていて首は魅惑的だし、背中は本当に信じられないほど素敵だよ」と言うのだった。
 彼女が興奮してからでないと、彼は本当の撮影をはじめない。彼は「君には百万ドルの価値がある。夢は叶うよ。君こそ僕が人生を賭けて探し求めていたモデルだ」と話しかける。「君が欲しくてたまらないよ。君をさらいたい。誰が見ていようと構うもんか」。そして彼女に、もう少し唇を尖らして、お尻を揺らしてみて、あごを突き出して、それから背中を少しだけ曲げてくれ、と頼むのだ。
 撮影の問中ずっと彼はジャーナリストが記事のために求めている特別なきらめきを捉えるためにしゃべり続けた。写真家はスウィート・トーキングを続けモデルに脚を少し開いてみないかと提案した。その姿勢をとると、太ももの内側の柔らかな部分が露わになる。彼女はそれに応え、スカートを少し上げて服の前のほうがちょっと開くようにし、その手触りのよさそうな体をいっそう見えるようにした。写真家とモデルの間に起きた動物的マジックはクライマックスに達しつつあった。彼女は性的興奮を示すあらゆるシグナルを発していた。彼はカメラをファルスのように使っている。カメラを自分の体の一部として扱えるように改造していたのだ。ポップシンガーがマイクやギターを利用するのと同じやり方だ。こうして撮影した写真はあらゆる性的要素を備えたものになり、どんな読者をも興奮させた。読者が見るのは彼女そのもので、何を着ているかなど目に入らなかった。
 読者はまずその写真に魅了され、次にもし手に入る値段ならモデルが着ている服や彼女が使っている化粧品を手に入れようとする。そうすれば、彼女のように妖艶でセクシーな姿になれるかもしれないからだ。動作、ポーズ、仕草のどれもが性的で誘惑的な効果を意図して作られていた。モデルと写真家は羨望、賞賛、欲望、そしてさらに重要な購買者との同一化のシンボルを手にすることができたのだ。その写真は読者の購買習慣、願望、夢が手に入るという幻想を創り出した。
(pp203-205)
 こうした部族の人々は、自分の体に傷を入れるのは美装的理由によるものと考えているが、それらは同時にサバイバル・テクニックでもあり、このおかげで他の部族が消滅していった中、彼らは生き残ることができたのである。体に傷をつける長年の習慣は、免疫性を高める役割を果たし、傷痕を入れ終わったということは、その人物が痛みに耐えることができ、今後怪我や病気になつても生きのびる能力があることを表わすものだった。
 思春期を迎えた男女は、影に似た傷を肌に入れる。
 彼らが気候の温暖な地域とは異なる角度で日射しを受ける赤道直下に暮らしていることを忘れてはいけない。そのためはっきりした頬骨は、その上方に入れられた傷のために、より目立つようになる。鼻は他の傷の入れ方で高くも低くも幅広にも見せられる。顔、胸、肩、背中、脚に入れられた傷痕は、抜歯やボディ・ペインティング、オイルの塗布など部族特有の技法によって、それぞれの集団を独特な姿にする。西欧の基準からするとたいへん奇妙ではあるが、しかしテイヴ族やモンダリ族はその多様な伝統的手法で部族の独自性と誇りを表現している。
 こうした北アフリカの部族には、世界の他の社会のいくつかと同様に、傷をつけることで得られる特典がある。本当に美しい傷をつけた兵士が、たくさんの女性に子どもを産ませる名誉を得ることは多い。美しい子どもを得ることは、昔から夫たちばかりか、その家族と部落全体にとっても名誉なことなので、夫たちは自分の妻が美しい戦士の子を産むことに積極的であり、また、もちろん最上の戦士は最上の傷痕を持った戦士なのだ。
 他の多くの部族は、理想的な美しい身体装飾をより完璧なものにするために、非常に長い時間を費やす。
ヴィクトリア・エビンは、『身体装飾』(BodyDecorated 一九七九)の中で、ヌバ族の戦士の例を例に出して、身体装飾や化粧美のスタイルを完全なものとするために、極度に長い線を体につける部族集団が多いことを指摘している。
  装飾を施した体は、一個の美術品とみなされる。その装飾模様は美術品としての完成度を競い合っているのだ。
(pp213-215)
 それにつけても思い出すことがある。RCAの海外旅行奨学金を受けてパリにいた一九七五年ころ、わたしは一八、一九、二〇世紀初期の身体装飾に関連したファッションやモードの粋を集めたデザインブックや参考資料を買いそろえた。ところが、わたしが英国に帰るときに、その中の何冊かは税関職員に「ポルノ」の烙印を押され、押収し焼却処分すると言われたのだ。わたしは同じような一八、一九世紀の性愛文学本は大英博物館の図書室にもあるではないかと抗議したが、「それなら警察を相手に言ってくれ」というのがわたしの抗議に対する税関職員の回答であった。わたしはクウェンティン・クリスプの助言を思い出して、ことを荒立てないことにした。
 クリスプは、わたしがイーストロンドンの美術学校に入ったときにモデルをしていた人物で、いつもしゃれた服装で、髪を青く染め、爪にマニキュアをし、サポーターをつけずにモデルをつとめることを主義としており、それが一九五三年には「ポルノ犯罪」であるとして告発され、数カ月間刑務所で過ごすという、警察からひどい仕打ちを受けたことがあった。そのクリスプは「性に関係したことで決して警察や権力の挑発に乗ってはならない、やつらが勝つに決まっているのだから」と常々言っていたのである。
 当時わたしの学生仲間であったエリック・ヘッボーンは、クウェンティンと同じモデル仲間の「ビッグ・バーサ」という女性モデルの恥毛と性器を克明に描いた。彼はその絵をボンド・ストリートの美術商に売り飛ばしたが、その美術商は少しばかり化学処理を加えて年代物に見せ、最近発見されたばかりのルネサンス期の傑作と称して転売した。この美術商はさらにこの種の技術を磨き、ヘッボーンの作品は昔の巨匠の手になる掘り出し物の逸品として大きな画廊や美術館を飾ったほどである。
 わたしは、一九八三年にシドニー美術大学のデザイン科の学生に、部族による生殖器と恥毛の飾り方の違いについて写真を示してポルノをテーマにした講義をしたことがあるが、同じように恥毛や性器の克明な描写、露出であっても、ポルノの場合は今もってポルノと見られることに変わりがないことに気づかされた。わたしはこの講義をしたことで猥褻犯、ポルノ販売屋として告発を受け、デザイン学校の主任教授の座を追われた。この一件は、むろん警察の差し金であった。
 しかし幸いなことに、検閲反対グループやジャーナリストの友人たちの支援のおかげもあり、六〇年代以降、猥褻に対する考え方が変化してきたこと、たとえばポップ歌手のマドンナやマイケル・ジャクソンなどでさえもある意味で時代遅れのものだということをわたしは明確に示すことができたのである。わたしの意見はポルノそのものが目的ではなく、検閲という不合理性に向けたものであったが、わたしを非難する人たちは肉体表現の自由の自由の芽をつみたいと、そのチャンスを狙っていたのだ。六〇年代半ばには変化したとはいえ、メンズウェアに対する考え方にはいまだに性倒錯や同性愛といったものに対するタブーが生き続けている。しかし、わたしが期待したほど変化は早くなかったが、メディアは選択の幅を広げようとつとめてくれている。現在は「美しさ」、「美的センス」、「感性のよさ」といった言葉がメンズウェアについて語るときの流行語となっているが、デザイナーたちは九〇年代から二一世紀に向けての流行語は「何でもあり」になると言っている。
(pp223-225)
 それゆえ、現在はレイヴ、グランジ、ファンキースリーズ、ヒップホップ、テクノ、サイバーパンクス、スケーターズ、ニューエイジ・プリミティヴィズムなどが混在し、同じ好みのものによる集団を形成している。
 このような新しいアプローチがとりわけ隆盛を見たのがテディ・ボーイズ、モッズ、ロッカーズ、スキンヘッズを生んだロンドンであり、さらに東京、ニューヨーク、ベルリンである。このような新しい集団に身を置くものたちは、他の人間の介入を嫌い、ルールを知らない部外者を除外するために次々と新たな集団のシンボルを作り出し、伝統的な化粧美の世界でも行われる、ゲームにも似た「ドレスエチケット」を作り上げている。
 過去においては、メイクやドレスの基本スタイルは、若く、セクシーで頭がよいことをアピールし、背が高く裕福に、またスポーツマンで信頼できる人物であるように見せることが目的だった。スタイルを生み出す側は、そのスタイルが社会的に認められることを求めていた。しかし、新しい流行においては精神的な面を重視し、同じようなメイクをしファッションをする少数のグループの仲間だけが理解できればよいものとなっている。「われわれには自分たちにしかわからない見方というものがあり、われわれの象徴するものは最高のものだと自負している」とメンバーは言う。むろん、これは感性の問題で、他のグループのメイクやファッションよりも優れているとか美しいという実際の根拠はない。
 ファッションやメイクの仕方を含めて、異性の美しさにわれわれは賛嘆の目を向けることがあるが、そう見られた人たちは必ずしもそのためにそういったファッションをしたりメイクをしたりしているわけではない、ということも知っておくべきだろう。事実、ファッションのルールは、これまでも変化を重ねてきたのである。今日の女性は、ファッション、化粧品、ヘアスタイルを、キャリアを高めたり人間関係で優位に立つ手段としても選択している。


Z 精神の美粧

(pp228-230)
 もちろん、既成社会の決まりごとに従い、社会の場に合わせて自分を主張すればよいのであって、装飾においては簡素であるべきだと考えるものもいるだろう。このような人々は、装飾法は時代とともに進化してきたのであり、それゆえ現在の装飾の目的は性的に引きつけたり、個人の性的魅力を訴えることではなく、その装飾が自分にふさわしいからだと考える。また彼らは、ボディ・アートや身体を飾ることに美的な魅力を認めず、反対にそのようなことはばかげていて、不自然で野蛮であるとさえ言う。
 とはいえ、人間には、ボディ・マーキング、身体装飾、身体彩色などの方法を経験してきたいきさつがある。それが時代の経過とともに、あるものは時代遅れになり、他の方法に取って代わられたのである。一般にこのような変化は、突然、ドラマティックな形で起こるものではない。しかし、われわれの祖先の各種の装飾方法が花開いた過去千年の昔にさかのぼって考えてみれば、果たして社会の決まりごとに従って肉体を飾り、マーキングをすることが社会的に正しいという理由だけで当時の社会が受け入れたのだ、と言えるだろうか。われわれの祖先の目からすれば、現代のファッションこそ理解しがたいものと映るに違いない。
 その他多くの人間の美的表現と同様に、自分を美しく見せるという努力は、伝統的な考え方と個人の考え方が入り混じった、完全に主観の問題である。しかし、工業化された世界に住む人間にとっては、社会の規制の中で変わったものや新奇なものを血道をあげて追求することがひとつの文化なのだ。ここからファッションと呼ばれる変化が生まれる。そして、かつては目もくれることもなかった肉体に光を当て、人前にさらし、賞賛を受け、必要ならその部分を飾るための装飾やボディ・マーキングなどの新しいスタイルが生まれ、そして現在「ファッションそのもの」として、肉体の誇示を認めるようになったわけである。
 この変化は権力を持つ側に、その権力をもってしても抑制できない生き方、暮らし方があることを思い知らせる。このことが、変化に対して今もって権力の側が非難を浴びせ、また中世、さらには一七世紀に至るまで数々の法や勅令で変化を抑圧し、圧迫してきたことの理由である。また、それ以降も、たとえばドレスの長さや、身体の露出の程度を規制し、化粧品、香水、その他の美を作り上げる道具の使用を禁ずる法律が作られた。
(pp231-232)
 現在の変化の時代にあって、デザイナーの役割は大衆の心と道徳姿勢に挑戦し、社会の規制に新しい境界を切り拓き、この境界を行きつ戻りつしながらも可能性と認知の範囲を広げ、設定することにある。さらにまた、このような実験的なスタイルが、たとえ魅力のないものであろうと、いったん新しい境界が設定されれば、新しい世界を望む人やその追随者たちの目にはたちまち美しいものとして映り、迎え入れられることになる。反面、放棄されたスタイルは、旧世代の入や社会から疎外された人たちの目に郷愁を誘う美として残る。
 この変化の時代にあっては、新しいアイディアと社会的規制との相互作用、肉体を飾ることや心を飾ることが及ぼす影響を知りたいと思えば、欲望を煽り立てるマスメディアの果たす役割を知るべきだろう。メディアの役割は、変化の時代の最前線で論争を巻き起こすことだ。その論争こそが、すぐれた宣伝文句を生み、商品訴求力を作り上げているからだ。ジャーナリストや雑誌記者たちは、服装や装飾品について大衆が今どんな論議を交わしているのか聞きたがり、読みたがり、見たがっている。とりわけ、それが以前は無視されていた性欲を刺激する部分であったり、エロティックなものである場合はなおさらだ。彼らジャーナリストたちは、論争があるおかげで原稿が売れ、視聴者を増やし、雇い主に金儲けをさせることができるし、その結果ジャーナリストとしての自分の価値も上がることを知っている。メディアは、その巨額の収入を購読者・視聴者数や販売部数に応じて金を出す広告主に頼っている。
(pp233-234)
 広告というものはすべてがすべて「買え、買ってくれ、買うんだ」というメッセージを伝える。金を使うことによって得る楽しみは、新しいものを身につけたとき、他の人の羨望を買い、その羨望を知ることで幸福な気持ちになることにあるから、結局は装飾品そのものの美しさを誇示するよりも、装飾品を身につけることだけがその動機となっている。新しいもの、変わったものへの欲望に遅れまいとこれでもかこれでもかと尽きることなく新奇なものが行列をなして現われる。新しい、変わったものと称している割には、陳腐で時代遅れのものもあるが、それでも贅沢感、力、美しさ、冒険を与えてくれるばかりか、何よりも重要な選択の自由というものを与えてくれる。これこそが飽くことのない欲望をたきつけ、刺激してくれるメディアの効用である。金を使うことが、生きること、生活の理由のひとつになってしまったかの観がある。九六年半ばにアメリカのジャーナリストは次のように書いている。
  「ショッピング大好き、ショッピングって最高、わたしの神様はショッピングの神様。わたしにとってショッピングはスリル満点、セックスなんて目じゃない」と彼女は言い、次から次へと新しいドレスを買うときのスリルはセックスのオルガスム以上のものだとまで言った。
 各分野の専門家がすでに研究に取り掛かってはいるが、明らかに現代の消費社会は生活の根本部分で操作され、化粧法やモードに関して影響を及ぼしている。将来、ショッピング心理の新しいテクニックが開発されれば、それに引きずられ、人間と金は効率よく操作されることになるだろう。
 今は目の前にある方法だけで満足させないように仕組んだ新販売戦略もある。その戦略では、最新のファッション、最新のアクセサリー、最新の化粧品の購入や鼻の美容整形、色つきコンタクト、歯冠を被せることに将来性を託している。そうすることでますます美しく、好ましい人間に見えるであろうし、生活そのものもエキサイティングなものになる、というわけだ。
 心理的にも生理学的にも、今以上に金を使うように仕向け、心の引き金を引くように待ち構え、と同時にもっと働け、もっと稼げ、と言っているのである。現在の新しい店はそろってわれわれの購買欲をそそり、店の商品が本当に必要な新しい商品なのか、その商品を買うことによってよりよい、幸せな生活を満たしてくれるのかということなどお構いなしに、競って買わせることに懸命だ。
(pp242-243)
 最近になってメディアの強い関心を引いているものに服装倒錯者(トランスヴェスタイト)の存在がある。服装倒錯者(トランスヴェスタイト)のはじまりとその影響についても、マーク・ボラン、ビートルズからボーイ・ジョージ、デヴィッド・ボウイに至るまで様々な記事が現われている。普通とは少しばかり違った服装や化粧をしたい人たちが可能性の幅を広げようと世間の常識に風穴をあけたのだ。彼らはまた、現在のジェンダーを明確にした服装の決まりごとという半ば強制的な、ステレオタイプ化した考えを受け入れるよりも、自分たちの心理の別の面を表現したいと思っている。長い間このような選択を禁じてきたのは教会、法律であり、そうしたものと近縁関係にあったダンディズムであった。服装倒錯者(トランスヴェスタイト)は、女々しい、男らしさに欠けるものとして狂信的な人々から忌み嫌われたが、都会の裕福な者や有力者に縁故がある若者たちの間ではファッショナブルな存在だったのだ。
 たとえば、一七、一八世紀には、金も暇もある若いダンディたちは自分が思ったように自分の心を飾る方法に熱心で、そのために化粧室で長い時間をかけて、眉を描き、白粉を塗り、髪を整え、キャラコのシャツに香水を染みこませていた。粉末の軽石を使って手の肌荒れを防ぎ、手にはチキンの皮で作った手袋をはめて眠った。小さく、滑らかな肌の真っ白な手こそが、成金上がりの有閑金持ち階級を表わしたのである。また彼らはその経験と育ちを表わすために、つけぼくろ、ヒールを高くした靴、カールと色をつけたかつら、白粉、ルージュとリップスティック、アイシャドー、毛皮のマフ、さらに上品に見せるためにエキゾティックな扇を持った。このような環境で育ったことのない男性にとっては、たとえ同じような化粧をし、飾り立てたにしても、ある種の不安感を覚えるのは当然なことで、心を落ち着かせるものとはならないだろう。
(pp250-252)
 実際、思春期の歯科矯正にはじまり、ダイエット、フィットネスやエアロビクスの教室、胸へのシリコン注入、ペニス増大手術、鼻の整形、マニキュアやペディキュア、カラーコンタクトの使用、電磁波やレーザーによる治療、規則的な排泄、皮膚の剥削や脂肪吸引、ヘアドレッシング、さらにはナオミ・キャンベルそっくりの尻の形にしたり、クリスティ・ターリントンそっくりの唇にしてくれる美容整形医にいたるまで、専門家たちは完璧な顔と容姿を提供できるように日夜励んでいるわけだが、ときにわれわれ西洋人とっては、それがわれわれが考える「正常な」美に対するアプローチとは相当かけ離れたことのように思えることがある。また蓮華座に脚を組むことや長く伸びた首、カモノハシのような唇はわれわれ西洋人の目からすればあまりよいものとは言えないが、とにかく、そのような人たちを見た目で判断するよりもまず偏見をなくすことのほうが大事なのだ。われわれ自身も含めてあらゆる世界の部族は、思うように自分を飾る自由を持っている。中身がどうあれ、それを「よいもの」と考えて自分を飾る自由はあるのだから。
 このような新しい考え方とアプローチを導入したことで、美意識も不変のものではないことが明確になった。美意識とは、代々受け継いできた理想像を基盤としており、われわれの祖先が到達した文化的合意とでも言うべきものである。つまり、このような理想像は昔から定められた基準を受け入れることにほかならない。しかし、この基準もまた永久的に不変のものではない。われわれの文化が変化していることを見ればわかるように、必ず徐々に変化するものなのだ。それゆえ、あらゆる形態の美、あらゆる人間種族の美意識は、変化してやまない規範を認めることであると同時に、人間の願望に従って変化していくものということになる。
 均質な集団から離れたマニアの存在は、西欧各国でもますます増大の傾向にある。たとえばバイカーズ、サイバーパンク、サーファー、ロックグループの追っかけ、都会の野生人、スキンヘッドの復古主義者、特別なデザイナーが作った服だけを着るもの、ポルシェやハーレー・ダヴィッドソンを乗り回して仲間意識を誇示するもの、SMプレイやボンデージ・プレイのマニア、アレン・ジョーンズと彼の同時代人に夢中になっているもの、ラ・カージュ・オ・フォルやレ・ガールズの舞台が大好きなもの、さらに「モダン・プリミティヴズ」と言われるものなどはプレッピー(まじめな進学予備校生)やデビュタント(社交界入りする良家の子女たち)よりもはるかに昔気質の種族だと言えるだろう。彼らはコマーシャリズムに一撃を加えたのだから。
 この傾向は、若い世代にもますます顕著であるようだ。彼らは小さな共同体を作りたがるが、それはなぜかといえば巨大な密集した共同体の中で生きることに息苦しさを感じているからに他ならない。実際六〇年代にも同じような社会の分散、崩壊があった。この中からビートニク、フラワーチルドレン、ビューティフル・ピープル、ジェット族、モッズ、そしてロッカーズなどが生まれたのである。
 今日の大都会では、少数民族のグループが自らの文化を誇示するためにその民族の伝統衣装を身につける姿がよく見られる。民族の昔ながらの慣習に従って伝統衣装を身につけることでグループ内の異性の美しさを再認識するのである。しかし、皮肉なことに、非工業化国家では若い世代が自分たちの種族のシンボルを捨てようとしている。かわりに彼らは、自分の心を西洋人の恵まれたライフスタイルにできる限り近づけようとして、西欧のしるしである衣服や西洋流の食べ物をとっているばかりか、さらに進んで西欧流の美のスタイルを何とか取り入れようと涙ぐましい努力を重ねている。
 このような変化の流れは、"グローバル・ヴィレッジ"という名による文化侵略によって生まれたものだ。わたしは多くの国を旅行してきたが、その旅先で見たのは西欧工業化社会の影響力だった。変化の流れは確実に世界の僻地と言われるところまで達しており、そのような地で外界の状況を知らせるのは共同体が持つテレビであった。われわれ西洋人と同じように毎晩同じ番組やコマーシャルを見ることは当然、身体装飾や化粧の方法についても、心に深い影響を与える。
(p261)
 わたしは、早くから若者の中でも特に無力感を感じている人々がこのような感性を持っていることに気がついていた。また彼ら若者はわたしが行なった男女混合のセラピーの席でわたしにこう言ったものである。「自分たちの思考や行為と世代とは関係がない。この世界は自分たちが思うように変えることはできはしない」と。つまり彼らは現実と個性を剥ぎ取ってしまう過度に商業化された使い古しの暮らし方にもう飽き飽きしていたのである。
 若者にとっては、セックスでさえももうなんの珍しさもない経験である。考えてみれば、彼らは幼いころから珊瑚礁での深海潜水、ジンバブエでの写真撮影サファリ、パリのファッションショー、考古学上の発掘、壮麗な祝祭行事、それに男性、女性、動物、雌雄同体者などが入り混じった民族混合のお祭騒ぎなどをテレビや人間を介さない媒体で教育を受けていたのである。彼らの心は見馴れ、聞き馴れた経験のメモリーバンクになっているが、彼らにとって意味のあるものは何ひとつないのである。彼ら若者のしたことといえば、大量の前もって蓄積したイメージと、人間というよりはヒューマノイドになるように埋め込まれた方程式とをうまく組み合わせることであった。そうして彼らは人間としての個性を開発しようと思い、中には自分たちの体に相当の痛みを伴いながらも刺青(タトゥー)、ピアス、焼印をつけること(ブランディング)、傷痕をつけること(カッティング)でそれを個性としたわけである。まさに、痛みによってのみ自分の体というものを知るのだ。
 痛みは現実のものであり、自分たちのメモリーバンクがいかに膨大なものであろうと、頭の中で体験できるものではない。まさに身をもって知る衝撃であり、「今この身に起きていることなのだ」と実際に感じ取ることができるものである。それゆえ、この痛みこそが彼らにとって意味を持ち、自分の体を、自由な個性を発揮するものとしてはっきり自覚し、自分の体に好きなデザインを刻印する自由があるし、それを止める権利は誰にもないと考えるのである。


*作成:植村 要
UP: 20080708 REV:
身体  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
TOP HOME(http://www.arsvi.com)