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『復讐と赦しのあいだ――ジェノサイドと大規模暴力の後で歴史と向き合う』

Minow, Martha 1998 Between Vengeance and Forgiveness: Facing History after Genocide and Mass Violence, Beacon Press
=20030930 荒木 教夫・駒村 圭吾 訳,信山社出版,275p.


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■Minow, Martha 1998 Between Vengeance and Forgiveness: Facing History after Genocide and Mass Violence, Beacon Press, $16.00, 0807045071 2051 [amazon] ※= 20030930 荒木 教夫・駒村 圭吾 訳,『復讐と赦しのあいだ――ジェノサイドと大規模暴力の後で歴史と向き合う』,信山社出版,275p. ISBN:4-7972-5081-X 3360 [amazon][bk1] ※ b e01
 マーサ・ミノウ

■内容説明[bk1]

弱者が発する憎悪、弱者に向けられた憎悪にいかに対処し、共生社会を築くかという問題・関心から、戦争犯罪やジェノサイドなどの大規模暴力について考察。9.11以後の社会を考えるための必読書。

■引用・メモ


◇認知(=真実が知られること)(=他者が知っていると知っていること)が重要だということ
 「認知は、何が起こったかを自身では既に十分に知ってはいるものの、他者が知っているという事実を知らない犠牲者にとって重要となることがあります」「生じたことについて、および何が生じ得たかについて影響を与える立場にあった人々が、起こったことを実は知っているのだという事実を知らない犠牲者にとっては重要となることがあります。」「認知の過程で、関与した人々は自分たちが関わった事実に直面させられるし、関与について責任をとらせられたり、赦しを求めさせられたり、または彼らが望めば償いをさせることもできるからです。過去の大規模暴力を公的に認知することは傍観者および将来世代にとってもきわめて重要となり得ます。どのようにしてでしょうか。真実の記録を確定し、歴史の記述に信頼性を付与することによってであり、そして、責任、補償、類似した暴力の防止について討論と行動を可能とすることによってです」(p.2)

 著者のスタンス:「積極的に関わろうとすること」の肯定と、具体的な対応策の比較検討という作業は、正確さや閉包(外在化…)に抗うこと。

 著者は、「何もしないでいることは誤りであろう。何の可能性も将来性もない抑圧された空間に住むことは受け入れられない。犠牲者に対して感受性が鈍いことにもなるし、待ち受けている将来にとっても無益である。」(p.17)と述べ、「何がしかの行為を行うということ」を肯定する。「傷」ついた生存者に対応することは、「残虐行為を確認して犠牲者のために行動しようとする」ことであると言う。
 また、「背景となる状況が問題であると言いさえすれば分析が終わるというものではない。それはむしろ、出発点でしかない」(p.18)のだから、具体的に今ある対応策の比較検討作業に努めることで、「正確さや閉包を示唆することに抵抗」(p.18)し、犠牲者が放置されるのではなく、共生可能な社会を模索する。
 「社会的対応措置は大量虐殺の後を生きる個人や社会の感情的経験を変えることができるのだという賭けにでるしかない」(p.225)

◇復讐では苦しいという話:加害のサイクルと尊厳の崩壊
 「我々は、悪行を行う者は報いを受けるべきであるという理由で裁判を行う」が、「復讐は、法の支配にのっとった制裁、つまり「代償を支払い終えた者、刑期を終えたものは赦す」という目標と合致する限りで認められる制裁、を超えた反応を巻き起こしてしまう」(p.27)
 「復讐の危険性は、まさに同じひとつの復讐動機がしばしば、人々を必要以上に悪意に満ちた怨念や物騒な攻撃に駆り立てると同時に、暴力の応酬に手を染めてしまったことによって自らを嫌悪してしまう状況に人々を追い込む点にある」(p.27)
 「復讐動機の核心は賞賛に値するものであったとしても、それは潜在的に底無しな何かを随伴するのである」(p.28)
 「応報は制限を必要とする。さもなければ、応報は、人格の尊重を破壊し、比例性と品格の維持という限界線を無視した加害行為へと発展しかねない」(p.31)
 「復讐に取って代わるもの――例えば政府によって遂行される訴追――を見つけることは、単に道徳的および感情的に重要であるだけではない。それは人類の生き残りのために緊要なのである」(p.33)

◇赦しは犠牲者にも被害者にも「厳しい」もの(のはず)だという話
 「赦すという行為は、加害者と被害者とを再び結び合わせ、関係を樹立ないし更新することを可能にする。それは嘆きを癒し、新しい建設的な連帯を醸成させ、暴力の連鎖を断ち切る」(p.33)
 「理論上、赦しは正義や制裁に取って代わるものではないし、取って代わるべきでもない」(p.34)のだから、赦していながら処罰を求めることは両立する。「ところが、実際には、赦しは往々にして制裁の免除を随伴する」(p.35)さらに、「赦しというものは、究極的には加害の事実を忘却し、帳消しにするものなのである」p.36「生存者に赦しを期待することは、彼らに新たな負担を負わせることになる」(p.37)
 「おそらく、赦しは、概念としても実践としても、それを行うのに相当な理由のある事例に限って保留されるべきであろう。相当な理由なき赦しは、自己を破壊しその価値を貶めることになる。」(p.39)
 *「更生」による赦し:日常的なものならば赦しの理由になるかもしれない。しかし集団的暴力のときには、大きな力が働いてしまっているだけに加害者自身の「更生」は無効化する。*「赦し」のための:加害者・被害者がそれぞれの役割を共有する中で双方が変化し、暴力の連鎖を断ち切ることが模索されるが、それでは正邪の均衡の回復は達成されないのでいつもは使えない。
 「赦し」が被害者に与える治療的効果もある。被害者が「傷みや怒りを管理し、消去することを学ぶこと、睡眠が取れるようになり生活をきちんと送れるようになること、かつての敵と共存しようとすること、これらは価値ある目標ではある。しかし、それらは赦しを要求したり、赦しに必然的に随伴するものではない」(p.42)。また、「一般的に推奨してしまうと、「功罪に応じて赦すという個別的措置を、条件をつけずに赦すという政策」と混同すること」(p.42)になる。

◇著者の関心
 「法的・文化的諸制度が個人および国民に別の方途を提供するならば、復讐と赦しの間にはどのような別の方途があるのか、あるいはあり得るのか?」p.44

◇裁判は、法の理論、法の支配でもって正義を貫く方法
 3つの批判
 1)遡及効:「裁判所の決定は問題となっている行為が行われたときに判断の基準となる規範内容を知らなかった人々に、それらの規範を適用せざるを得ないという性質」(p.63)
 2)政治化:「どのような国際裁判所であれ、それが存続し、資金の提供を受け、運営されていくためには、強大国の政治的な連携が依然として決定的に重要である。」(p.69)
 3)選択性:訴追される人とされない人が存在する理由を正当化することが困難
「裁判は、規範を明確にすること、および規範実現のために行動する責務を明確化するのにも有用」p.83「裁判は、規範の遡及的適用、政治的影響、選択的訴追の問題等によって損なわれたとしても、争点を公表し、公正の感覚をかもし出し、公的記録を明確にし、一定の責任感を生み出すことができる」(p.83)

◇真相解明委員会:証言と審問を通して、被害者を癒すことが目指される
 人権侵害に関する検証と報告を任務とする調査委員会。何が起きたのかという歴史を叙述することを中心的な任務とし、諸事例を横断的に見て犠牲者と加害者の双方の物語を結合する。 …以下、多くをジュディス・ハーマンのトラウマ理論に依る
 「真相解明委員会は、真相を語り、それに耳を貸す行為は癒しにつながるという想定を置いている」p.99 …個人のトラウマを癒す、という点で刑事訴追よりも有効である
 「2つの目標〔つまり、個人が自分の物語を十分聞いてもらうことによってトラウマから解放されることと、民族全体のトラウマや暴力の来歴を一貫した物語として提示することの2目標〕を実質的によりよく適合する」(p.94)
 「問題なのは、「真相」というものは「何が起きたか」という非常に困難な認識に直結するほど完全ではあり得ず、また十分に包摂的なものではあり得ないということにある」(p.100)
<期待される癒し>
*真相告白の修復力:「真相を語ることの修復力を信じて、被害者に自己の物語を語る経験を提供すること」(p.244)「流す涙を見られていることを知ることは、認知されたという感覚を付与し、その感覚は嘆きに込められる孤独と恐怖の度合いを低めてくれる」(p.108)
*共感を示してくれる証人:「聞く」人間を得ること
*加害者と傍観者の構成的役割:傍観者までもが癒しの対象であるということ

「トラウマを語ることは証言となる。真実を知ることは人を自由にし、病んだ社会の恐ろしい秘密を暴露することは社会を癒すことにつながる…というわけだ。が、このような主張は検証可能なのか、それとも職業的・文化的・宗教的信条の吐露に過ぎないのか?この問いに十分な解答がなされなければ、戯言にすぎないような証言がトラウマを吐露することの修復力を僭称ですることになろう」(p.106)

■書評・紹介


◆立岩 真也 2005/02/01 「二〇〇四年読書アンケート」,『みすず』47-1(2005-1・2)


*作成:山口真紀