HOME > BOOK >

『自由のハートで』

Cornell, Drucilla 1998 At the Heart of Freedom: Feminism, Sex, and Equality, Princeton UP
=20010322 石岡 良治・久保田 淳・郷原 佳以・南野 佳代・佐藤朋子・澤 敬子・仲正 昌樹 共訳,情況出版

last update:20100921

このHP経由で購入すると寄付されます

Cornell, Drucilla 1998 At the Heart of Freedom: Feminism, Sex, and Equality, Princeton UP
=20010322 石岡 良治・久保田 淳・郷原 佳以・南野 佳代・佐藤朋子・澤 敬子・仲正 昌樹共訳,『自由のハートで』、情況出版、本体3200円、ISBN4915252523
 ※ *
ISBN-10:4812293081 [amazon][kinokuniya] ※ **

■内容

資本主義社会の女性の平等、そして社会主義諸国における女性の平等、いずれにも欠けているものがある。それは、各人のイマジナリーな領域の保護-。「イマジナリーな領域の保護」を軸に、フェミニズム法学を論じる。

■目次

序 イマジナリーな領域
第1章 フェミニズム、正義および性的自由
第2章 解放:プライヴァシー、性的自由、そして良心の自由
第3章 ジェンダー、および性差の同等な評価
第4章 養子とその所産:家族法、ジェンダー、性差を再検討する
第5章 何がどのように父を作るのか? 平等vs.徴収
第6章 やっかいな遺産:人権、帝国主義、女性の自由
第7章 フェミニズム、ユートピア主義、そして政治哲学における理念の役割
境界のユートピアニズム――At the Heart of Freedom 解説にかえて 岡野八代
訳者あとがき 仲正昌樹

■引用

「イマジナリーな領域とは、心(heart)の問題について深く思い悩んでいる性化された生き物としての私たちが、自らが誰であるかを判定し、表象することが許される心的・道徳的空間なのである。」(p.8)

第1章 フェミニズム、正義および性的自由

 「ジェンダー不平等についてのフェミニズムの実体主義的な理論が自由を掘り崩すのではないかという反論をリベラルな分析哲学者が繰り返してき(p.46)たわけだが、これに対抗して私たちは聖域としてのイマジナリーな領域という理念を用いることができる。」([46-47])

 「フェミニズムの分析における多くの困難、およびフェミニズムが要請する女性の性差をめぐる様々な争点は、ひとたび私たちがイマジナリーな領域という先行する空間を承認するならば、容易に解決される。」([36])

 「ジェンダー不平等についてのフェミニズムの実体主義的な理論が自由を掘り崩すきではないかという反論をリベラルな分析哲学者が繰り返してき(p.46)たわけだが、これに対抗して私たちは聖域としてのイマジナリーな領域という理念を用いることができる。」([46-47])

第2章 解放:プライヴァシー、性的自由、そして良心の自由

 「本書全体を通して私が論じるのは、政治的にリベラルな社会において異性愛・一夫一妻の結婚の高潔さが宣伝されることは、人格性の聖域、つまりイマジナリーな領域を侵害しており、したがって違法である、ということである。」([82])…リバタリアン批判…「イマジナリーな領域は[…](p.82)プライヴァシーの価値を、”干渉されない権利”に縮減することはない」([82-83])

 「フェミニストはしばしば、自分の家族観を誰彼かまわず強要しようとしていると非難されてきた。しかし、どの人格にとってもそのイマジナリーな領域が等しく保護されることを要求するフェミニズムは、その反対を行う。」([89])

第4章 養子とその所産:家族法、ジェンダー、性差を再検討する

 「結論として言っておくと、イマジナリーな領域の平等保護の一部として、養子と実母は相互にアクセスすることができるべきである。全ての養子と実親とが登録可能な記録画あるべきである。」([197])

 「子どもを手放すことを強いられた実母は、明らかに自らの性に関わる存在を表現する権利を保護されなかったのである。[…]彼女の権利は生物学的に母であるということではなく、人格性に基づくべきである。」([197])

 「異性愛者として生きていることによってより善い親になれると考えるべきなんらかの理由があるのだろうか? このことが事実であるという証拠は、ホモフォービア(同性愛者嫌い)を根拠とするものを除けば一切ない。」([215])

 「子どもへの長期的コミットメントは明らかに必要である。幼い子どもたちの安定した永続的関係へのニーズを考慮するならば、私たちは社会として、どのように次世代の再生産を規定すべきだろうか。」([216])

 「子どもたちが必要とする安定性を実現するために、監護責任の引き受けは、現行のもろもろの責任、すなわち経済的支援、移動の制限などを伴うことになるだろう。」([218])

 「売買によって子どもとの関係を得るのではない親が子どもを手元におくべきである。子どもたちを売買する契約は履行不能である。しかし同時に、代理母制度は人々が家族を作る一つの方法として許容されるべきである。」([221=229])
 "Thus, the parents who does not come into its relationship to the child by buying it gets to keep the child. Contracts to sell children cannot be enforced. But at the same time, surrogacy should be allowed as one way in which people make a family."([221])

第6章 やっかいな遺産:人権、帝国主義、女性の自由

 「女性、ゲイ、レズビアンは、彼らの宗教的伝統や文化的慣習を再想像し解釈できる道徳的な空間を与えられねばならない。このように、平等な者として包摂されることを要求する人権は、良心の自由と、各社会の全側面についての競合し合う諸解釈に対する寛容を保護するはずである。
 このような道徳的な空間の要求は、全ての社会が西欧的な政教分離を受け入れねばならない、という主張とは異なったものである。むしろ、特定の法的制度化は、道徳的な空間を提供する方法の一つに過ぎないと考えるべきである。たとえばその場合、イスラム教を信仰する女性は、政教分離に強く反対することもできるし、そのうえ、コーランの中には女性にヴェール着用を指示したり、大学教育の否定を指示する部分は一切ないことを強く主張することもできるのである。ところが恐ろしいことに、ここ数年、このような主張を行ったイスラム教女性が多数殺されている。同等の評価を求める人権と、その人権が要求する政治的、道徳的、精神的空間とが、女性たちが刑を受けるリスクを負うことなく解釈論争へ参入することを可能にするかもしれない。」([280])

 「宗教も静的なものではなく、世界の全ての偉大な宗教は、現在、それぞれの性の視点に関して挑戦を受けているのである。」([281])

 「父権制的な規範への挑戦は、たとえ主観的権利の提唱という形でなされても、人類学的に見て個人主義的な性質のものではないし、その倫理的願望においても個人主義的ではない。むしろ、共同体および緊密な人格的関係はほとんどの人間にとって最も重要なものであることをこの本の節目ごとに確認してきたつもりである。」([283])
 「これほど多くのフェミニストや女性運動が共同体に対立しているように見える理由は、共同体および/または国家が、父権制的秩序と同一視されているからである。」([284])

 「自分は自分の信仰ゆえに、たとえばヴェールを着用したり一夫多妻婚に入っていくなど、宗教的ヒエラルキーでの位置を占めるようになっていくと深く信じている女性たちは、どうなるのだろうか? イマジナリーな領域が彼女たちに割り当てる空間は、彼女たちを──ほとんどのフェミニストが、「それは彼女たちの平等と折り合わない!」と言いそうな仕方で──自らの信仰の従うままにさせるだろう。」([286])

 「たとえば、性器切除については、自らの性差の文化による承認や自分の信仰にとって不可欠な一部である、と心から信じている女性達がいるわけであるが[…]私は、この慣習を性差の同等評価と調和させる方法は、全く存在しないと思っている。[…]そう信じるのは、性器切除を経験した大多数が、自分に何がなされたかについて考えたり、反抗したりする道徳的空間を持たない幼い女の子である、という理由によるわけではない。過去に行われ、そして現在も行われていることは、「女性割礼 female circumcision」という言葉などでは決して正しく表現されない、非常に極端なものであるからだ。」([287])


■書評・紹介

■言及



UP: 20100717 REV:20100921
Cornell, Drucilla  ◇仲正 昌樹  ◇哲学/政治哲学(political philosophy)/倫理学  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
TOP HOME (http://www.arsvi.com)