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『私は誰になっていくの?――アルツハイマー病者からみた世界』

Boden, Christine 1998 Who Will I Be When I Die?, Harper Collins Religious, 178p.
=20031031 檜垣陽子 訳,クリエイツかもがわ,229p.

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■Boden, Christine 1998 Who Will I Be When I Die?, Harper Collins Religious, 178p. =20031031 檜垣 陽子 訳 『私は誰になっていくの?――アルツハイマー病者からみた世界』,クリエイツかもがわ,229p. ISBN-10: 4902244101 ISBN-13: 978-4902244106 \2100 [amazon][kinokuniya]

■内容

「BOOK」データベースより
世界でも数少ない痴呆症の人が書いた本――新鮮な驚きと貴重な発見! 痴呆になればどのような経験をするのか、望ましい支援とは何か、本人の立場からしか書けない貴重な指摘。痴呆の人から見た世界が手に取るように分かる。
「MARC」データベースより
痴呆になるとどのような経験をするのか? 望ましい支援とは? 痴呆症とともに歩んだ著者の感情的、身体的、精神的な旅についての記録から、痴呆患者が見る世界が手に取るようにわかる。実体験に基づいた貴重な指摘が満載。
Product Description

For many, Alzheimer's is a mystery disease affecting old people. Christine Boden was 46 when she was diagnosed with Alzheimer's and Who Will I Be When I Die?, is the story of her emotional, physical and spiritual journey in the three years since then.

Christine is living with the stages of Alzheimer's and provides a unique insight into how it feels to be gradually losing ability to undertake tasks most of us take for granted. Her story is remarkable because of the vigor with which she is undertaking this latest battle in her life and the purpose and meaning she derives from her Christian spirituality. Christine's approach to health and well-being makes this book a must for Alzheimer's sufferers and their families.

■目次

■引用

◆この病気については多くの誤解がある。例えば、アルツハイマー病が原因で死ぬことはないとか、老人だけの病気であるとか、ただ少しよろよろして忘れっぽくなるだけだとか、単に記憶を失うだけのものだ、といったことである。しかしアルツハイマー病は、オーストラリアでは死因として四番目に多いものであり、その二パーセントは若年性(六十五歳以下の人に起こるものであり、…)ものであって、生存予想年数は診断後八年ぐらいとされ、物事のやり方(例えばストーブをつけたり、車の運転など)を知る能力を段々失い、ついには体を機能させることも忘れてしまう(飲みこみ方もわからなくなるので、のどに食物を詰まらせて死ぬ患者も多い)。[2003:7]

◆六ヵ月間で最悪だったと思うのは、私の病気がどんな早さで悪化するのかわからないということだった。自分以外のアルツハイマー病で苦しむ人たちによる本をできる限り読んでみたが、各々が、また私も、全く同じ問題をもっているわけでは決してなかった。他の病気では病状の標準的なものがあるが、そのようなものではない。少なくとも初期段階では、患者自身の個性が一人ひとり違うように、それぞれの抱える問題もそれぞれに違うようだ。そして、まさに患者たち一人ひとりの人格や個性こそが崩れつつあるのだ。/それぞれの患者が、各人各様に衰え、それぞれ違う時間に、違う能力を失っていく。だったら、来週は、私は書くことができるのだろうか?来月の銀行口座の計算書で収支の計算ができるのだろうか?明日、娘たちを学校へ送ったあと、帰り道で迷わないだろうか?すっかりぼけてしまって何もわからなくなったら、どんなふうになるのだろう?娘たちは、私がひどく悪化した時や、たぶん六年から八年後にやがて来るであろう私の死に、どのようにして対処するのだろう?こういった数々の疑問や、さらに多くの疑問が、私の心を次々と駆け抜けていて、広がる恐れと不安を私は克服してゆかねばならなかった。[2003:55]

◆若年性患者の場合は、まるでアルツハイマー病であるようには見えない――アルツハイマー病の人というと、白髪で、よろよろとして、弱々しいと思われている。私たちはそんなに年寄りには見えないし、身体的にはほとんど元気で、どこにも悪いところがあるとは思われない。/今、私が家で休んだり、食事をしたり、庭いじりをしたりする時は、以前の私よりずっと健康そうに見えることになる。今の私は、やせているわけでもなく、全く普通の体格であるし、以前、職場でいつも偏頭痛に悩まされていた時のように、青白く病気で苦痛に引きつった表情はもうしていない。/不運なことに、私は脳の病気なので少しも病気のようには見えないのである。外見は元気で、調子が悪いのは精神の原動力そのものなのだ!問題は頭の内部にある。私はきっと、脳が最後に体の働かせ方を忘れてしまって、まもなく死ぬという時までは、元気そうに見えるのだろう。癌のような他の病気と違って、私が死に至る病気だと知らない人たちは、私のことを、ちょっと変な行動をするけれど完全に元気な人と思うのだろう。[2003:63-64]

◆…認知症の人はもはや「正常」ではなく、もはや社会的な枠組みに簡単には受け入れがたい――誰も、認知症の人をどう扱ったらよいのか、よくわからないのだ。/病気のようには見えないせいなのか?まるで精神病であるかのように行動するように見えるからなのか?/私たちと話すには、「正常」な人と話すように話すべきだろうか?私たちを見ないように(もちろん、あまり露骨にではなく)するのがよいのだろうか?私たちの「介護者」と話すべきだろうか?/しかし私たちは、自分ではどうすることもできない。自分は何かひどく悪い状態にあることは気づいているが、自分が誰であるかさえわからず、あらゆる感情や、自分を表現する能力を失っているように思える。私たちは、得られる限りの援助や手助けを必要としている。どうか私たちを隠すのではなく――私たちを仲間に入れ、もう少しの間、生きる喜びを味わわせてください、あなたの記憶力と能力、そして忍耐力をもって。[2003:70]

◆私たちは、思うに、誰が聞いても最悪、と思われるだろう診断を受けている。ご存知のように、治癒することはなく、治療法もなく、何の希望もない。自分を自分たらしめるものすべてを失っていき、家族もまわりのものもわからなくなったまま死ぬ、そういう病気なのだ。/私は、アルツハイマー病協会でさえ、その注意をほとんど介護者の方だけへ向ける傾向があることに気づいた。患者の方は無視されているように見える。たぶん、患者はあまりにも「かけ離れて」しまっているので、注意を向けることもできないと考えられているのである。しかし、中度までの初期段階では、より信頼できる診断がより早期になされると同時に、患者の機能をより長く維持するために薬を利用し、患者のことにも留意する必要がある。/不治の痴呆になる病気と診断されるのは恐ろしいことだ。何年間にもわたって、すべての正常な精神機能を失っていき、いつ何が起こるかも、どれだけの時間がかかるかも、正確に言える人はいないことを知る、そんな状況に直面している――と想像してみてほしい。[2003:71]

◆私はアルツハイマー病になったが、名前や、場所や、顔を思い出すことは、それほど妨げられなかった。実際、時には私の記憶力に驚く人もあるが、しかし、それは過去の出来事についての記憶がほとんどで、最近のことについてではない(最近の記憶については努力と時間を要する)。むしろ病気が大きく影響するのは、私の日常の機能であるが、問題があるのは頭の内部なので、見かけはいまだに元気そのものである。/人と交わるようすを見ても、私には何もひどく悪いところはなさそうに思われたり、もうほんの数年もすれば、全介護が必要になるとは思えなかったりするかもしれない。…そしてもちろん、これはすべて私が薬を服用していることが前提となっている。一九九五年一〇月から飲んでいるタクリンという薬である。…薬を飲まないと、まわりの世界が早すぎて私にはついていくことができなくなる。「正常」なふりをすることさえできない。私の機能は止まってしまい、話すことも、考えることもできず、わけのわからない混乱の中にとり残される。[2003:75-76]

◆アルツハイマー病患者がぼんやり見つめる理由は、あまりに多くの刺激にさらされるために、かえって大事なポイントがわからなくなるせいかもしれない。視覚的であれ聴覚的であれ、刺激が多すぎると「喜ばせよう」としても、全く逆効果になるのかもしれない。[2003:89]

◆アルツハイマー病患者が、急がなくてはならないと感じさせられたり、善意の介護者によって急がされたりする時、ひどく暴力的になることがあるのはどうしてなのか、私には理解できる。それは単に、「私はこれをしたくない」という言葉が出てこないこと、そして、なぜいやなのか言うことができないため、内部に欲求不満が閉じ込められるからなのだ。[2003:91]

◆いつも、思うことと違う言葉が出てきて、それを見て誰もが笑うのだから、多くの場合、話そうと努めるかいもないと思うだろう。/それがアルツハイマー病であるということなのだ。/また、書くことも同じである。短いメモをゆっくり注意深く書いていても、書いたものを見ると、いくつかの文字がぬけていたり、奇妙な形の文字があったりする。その単語を見ると――ここには「s」が、そこには「t」が、というように――少しぬけていたり、文字の間に見慣れない継ぎ手があって、読みにくくさせている。…医師たちは、なぜこういうことが起こるのか、また他に何か予想できることがあるのか、言うことができないが、それは、どの患者もそれぞれ脳の配線のしかたが違っていて、その配線を通して病気の進み方も、それぞれ少しずつ違っているからなのだろう。だから、次に予想されることが何か、決してわからない。/それから音読の問題がある。/それから音読の問題がある。…しかし、声に出して読む時、口は普通の早さで動かすことができない。[2003:93-94]

◆私が必要とするものの中で最も大事なものはタクリンである。この薬のおかげで、私は、他の人が機能する程度にはまだ機能している。だから、私は遅れずについていくことができるし、言われたことがわかり、答えようとすることができる。…タクリンを飲まないと、ぼんやりと霧がかかったようで何が何だかわからず、ひどく落ち着かなくなり、疲労困憊した感じになる――しばしば眼とこめかみのあたりに頭痛がする――そして、ただもう眠りたいだけになる。すべてが早すぎて、まわりで起こっていることが理解できない。私の機能は止まってしまい、何がどうなっているのか本当にはわからないまま、ただまわりを空しく見ているだけになる。/もう一つ必要なものは、タクリンを飲むのを忘れないようにする「アラーム付き薬入れ」だ。…私は毎朝、たくさんの仕切りの中に薬を入れ、タイマーをセットすることを、決まった日課にしている。しかし…私の日課が乱されると、これをすぐに忘れてしまうのだ。…薬入れは、服用時間にアラームが鳴るようになっていて、…置き場所を間違えても、大きくはっきりした音で、見つけるのに十分なほど長く鳴っている。…私がアラームの音を聞くことに注意を向けている時は、もちろんそれは聞こえる。聴力に問題があるわけではないが、まわりの雑音からその音を拾い上げることができないのだ。それに、せっかく薬入れを開けても、服用時間に鳴るようにセットがしてあるというのに、その日の薬を入れ忘れたことに気づくこともよくあることだ!/日記もなくてはならない大事なものである。日々の決まった仕事を注意深くリストにあげて、その週の内に「やりやすく割りつけ」ておくのだ。私は何度も日記を取り出して、今日はどの日なのか、その日、何をすることになっているのかを思い出す。掃除や、庭の手入れや、洗濯のような仕事を、その週の間中に小分けしないと「逆上」モードに陥り、一度に全部しようとして疲労困憊するまで働いてしまう――そして当然、何もできなくなり、その場で、うつろに見つめたまま座りこみ、自ら活動を始めることもできず、…まわりの活動へ加わることもできなくなる。…日常の決まったやり方というものは、きわめて重要だ。…健全な脳細胞に恵まれている人たちにとっても、物の置き場所を決めておくことは確かに役に立つことだと思う。…もし、ある品物をいつも決まった場所に置くようにしなければ、私はいつも置き忘れ、置いた場所を思い出すことは二度とないということだ。よくあることだが、例えば誰かが何か話しかけたとか、外で物音がしたとかで気が散って、何かをいつもの場所へ置かなかったとき、そんな時はいつでも、家やガレージ、車や庭中全部さがし続けることになる。こうしてさがすことは、たとえ見つけても、なぜ、そこにあったのか思い出せないのだから、疲れるし、とてもいらだたしく感じてしまう。/「頭の体操」も必要である。専門医によると、脳を活性化するために大切だと言う。…脳細胞は、いろいろなことをしようと挑戦し続けている限り、損傷を補うような、新しいつながりを作ろうとし続けることができる。そして頭の体操は、その脳細胞を活動準備状態にし、損傷を受けた脳細胞の間に、そのたびに互いにつながる通路を伸ばしていく。…もし、今、私に何が一番大切かと聞かれるならば、病気のこの段階においては、タクリンと頭の体操だと答えたい。それは私を機能させ続けているものであり、私の脳が機能するように立ち向かわせ続け、うまくいけば病気の進行を妨げてくれるものである。[2003:95-101]

◆アルツハイマー病とは何なのか、脳にどう作用し、それによって人がどのような影響を受けるのか、他の認知症で治療できるものにはどんなものがあるのか、確かに、そういったことについての簡潔な説明が必要とされているのである。[2003:123]

◆基本的にアルツハイマー病では、脳を働かせている何百万もの神経細胞が破壊されつつある。破壊されるのは、神経の先端と細胞間のつながりの部分に集中しており、脳のさまざまな機能を徐々に低下させていく。この破壊は、前頭葉、頭頂葉、側頭葉(特に海馬)で最もひどく、以下に記すようなことが難しくなる。
※計画する、組織化する、分類する、社会的に受け入れられるように行動する

※異なった角度から物を認識する、ある場所に物がどのように置かれているかなどを認識する、簡単な計算

※物や人の顔を認識し、記憶し、名前をつける、音や言葉の意味を理解する

※記憶の記録、符号化、貯蔵、検索[2003:164-165]


アルツハイマー病の段階

第一段階――軽度(二〜四年続くだろうといわれる)

※無関心、生気がなくなる

※趣味や活動に興味がなくなる

※新しいことをしたがらない

※変化についていけない

※決断や、計画ができなくなる

※複雑な考えを理解するには時間がかかる

※自分が置き忘れた物を、他の人が「盗んだ」と言って非難しやすい

※自己中心的になり、他の人やその気持ちに無関心になる

※最近の出来事の細かい点について忘れやすくなる

※同じことを繰り返し言ったり、思考の道筋を忘れやすくなる

※何か失敗すると、いらいらしたり、怒りやすくなる

※よく知っているものを求め、見知らぬものを避ける

第二段階――中度(二〜一〇年続くといわれる)

※仕事には援助と監督が必要

※最近の出来事をとても忘れやすい……遠い過去の記憶は概してよいが、細かい点は忘れたり、混乱したりするかもしれない

※時と場所、一日のうちの時間について混乱する……夜中に買い物に出かけるかもしれない

※よく知らない環境では、すぐに途方にくれてしまう

※友達や家族の名前を忘れたり、家族の一人を他の一人と間違える

※シチュー鍋、やかんを忘れる……火にかけたままにしてしまうかもしれない

※道を徘徊する、夜のことが多く、時には完全に道に迷ってしまう

※不適切な行動をする、例えば、寝巻きで外へ出かけるなど

※実際にはない物が見えたり、聞こえたりする

※とても繰り返しが多くなる

※家では安心するが、訪問することは避ける

※衛生や食事に無頓着になる(お風呂や食事をすませていないのに、もうすませたと言う)

※すぐに怒ったり、混乱したり、悩んだりしてしまう

第三段階――重度(三年間、あるいはそれ以上続く)

※例えば、食事をしたことが、ほんの二、三分前のことであっても覚えていることができない
※理解し、話す能力を失う
※大小便の失禁
※友人、身内の顔がわからない
※食事、洗身、排泄。着替えに介助が必要
※うまく脱衣できない
※日常のありふれた物がわからない
※夜に不安になる
※落ち着きがない、たぶん、ずっと前に死んだ身内の誰かをさがしているのかもしれない
※攻撃的になる、特に脅かされたり、迫られたりしていると感じるときにそうなる
※歩くことが困難になり、その結果、たぶん車椅子生活を送るようになる
※動作のコントロールができなくなる
※最後に、永久に動けなくなり、寝たきり生活になって最後の何週間か、何か月間かを過ごし、意識がなくなり死を迎える
[2003:170-176]

■書評・紹介

■言及




*作成:三野 宏治片岡 稔
UP: 20100312 REV:20150209 0210
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