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『医療行為と法〔新版補正第二版〕』

大谷 實 19970615 弘文堂,294p. 


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■大谷 實 19970615 『医療行為と法〔新版補正第二版〕』,弘文堂,294p. ISBN: 9784335320149 \2520 [amazon][kinokuniya]

■目次

■内容

「本書は、「医療行為法」という新しい法分野を設けて、医師が診療を行なう際に生起するさまざまな法律問題を、多くの事例を整理しながら行政法規や民・刑事法を含めて総合的にとらえ体系化したもの。
 医療業務に携わる人びとのための入門書であり、医事法学への問題提起の書でもある。」(裏表紙より引用)

■引用


◆第二章「医師の義務」より

二 診療義務違反

(3)診療拒否の刑事事件

(ロ)「作為犯と不作為犯」
「刑法上の犯罪は、法が保護している利益(保護法益)を、積極的な動作によって侵害した場合(作為犯)に成立することを原則とする。これに対し、法律上義務づけられていること(作為義務)をなさずに法益侵害の結果を発生させた場合を不作為犯という。不作為犯に//は、刑罰法規の内容として一定の不作為が予定されている犯罪類型、たとえば公務員より解散の命令を受けること三回以上に及んでも解散しない場合に成立する不解散罪(刑法一〇七条)、あるいは退去を要求されているのに退去しない場合に成立する不退去罪(同一三〇条)と、刑罰法規の内容としては原則として作為が予定されているが、一定の義務(作為義務)を守らないことによって作為と同程度の確実性をもって結果が実現できる太陽の不作為を、作為と同様に処罰する犯罪類型とがある。前者を真正不作為犯、後者を不真正不作為犯という。」(p. 44-45)

(ハ)「殺人罪と傷害罪」
「不真正不作為犯としての殺人罪ないし傷害罪の成否を考えてみよう。問題の核心は、医師に結果防止の作為義務があるか、また、殺人ないし傷害を医師自ら積極的動作によって実現した(たとえば毒薬の注射)と同程度の重大な義務違反があるかどうかである。学説は、肯定説と否定説に分かれる。肯定説は、医師には公法上診療義務が課されており、法令を根拠として作為義務が認められるとし、あるいは、社会的地位上、一般に診療を期待し信頼しうる特殊な立場にあることを根拠として、殺人罪の成立を認める。…【中略】…これらの学説はいずれも戦前のものであるが、戦後になってからは否定説が通説となっている」(p. 45)
「不作為犯の理論は、刑法学上争いのあるところであり議論は錯綜しているが、実質的な論点は、作為義務に違反して結果を実現したとみられるとき、どのような要件がととのえば作為で結果を実現したのと同視することができるかに集約される。そこで、結果防止を重視する立場からは、社会生活上結果防止の任務にある者が、その任務に背くときには、あたかも自ら作為によって侵害したのと同じ程度の確率で結果が発生するとみられるときに不真正不作為犯が成立すると考える。これに対し、行為の態様、義務違反の程度に重点を置く考え方では、たとえば、病気の状態を利用して死なせるといった既発の状態を利用する意思が必要だとされる。いずれにしても、単なる結果防止義務に違反しただけで不真正不作為犯が成立するわけではなく、診療しなか//ったことによって、あたかも絞殺するのと同じように確実に殺害や障害の結果が生ずることを必要とするのであり、さらに行為者にとって結果の防止が可能であり、しかも容易であるときに、はじめて作為犯と同じ扱いができるのである」(p. 46-47)
「単に診療を拒否しただけで、その結果かりに患者が病変の悪化ないし死をもたらしても、それによって殺人罪、傷害ないし同致死罪が成立すると考えることは困難である。……これに対し、医師が患者の状態を十分に認識しており、当該医師がただちに処置を講じなければ、患者の生命・身体に危険が生ずることを予見しており、しかも、結果防止措置を講ずることが可能かつ容易であるときは、殺人ないし傷害罪が成立するであろう」(p. 47)

(二)保護責者遺棄
「診療を拒否したために病変が悪化したときは、診療義務違反を根拠に不作為による保護責任者遺棄罪ないし同致死罪を適用すべきだとする見解がある。」(p. 48)
「問題の核心は、診療を求められた医師が、保護責任者といえるか否かにある。保護責任の発生原因は、通常、法令、契約、事務管理、条理に求められるが、医師については医師法上の診療義務規定が根拠になろうから、法令ということになる。」(p. 49)
「結局、具体的状況の下で法令上の義務者が、対象者の生命・身体を自ら支配できる立場にあったかどうかが判断の基準となる。したがって意思の場合、法令上の作為(診療)義務を前提としつつ、具体的状況から判断して他に救助を求めることが現実に不可能で、しかも急を要する場合には保護責任があり、患者が扶助//を要すべき状態にあることを認識しながら、遺棄の故意、すなわち自らが診療する立場にあるということを知りつつ診療を拒否した場合には保護責任者遺棄罪が成立する。私怨などにより殺意がある場合、あるいは死の結果を認識しながら単に診療を拒否したにすぎないときも同じ罪が成立する。
 もっとも、実務上診療拒否に保護責任者遺棄罪を適用した例はなく、今後も、この方針には変わりがないものと思われる(飯田・前掲論文一七頁)。学説上も患者引き受け後についてはともかく応招段階では、むしろ消極説が有力であるといってよい(金沢・前掲論文四〇頁)。しかし、単なる診療拒否につき遺棄罪を適用するのは妥当ではないが、既述の要件を充たすかぎりこの罪の成立を認めてよい」(p. 49-50)

◆第三章 医師と患者の関係 より

一 総説

(1)医師と患者の法律関係

(ロ) 準委任契約
「医療債務の特質を前提として医療契約の性質をみると、これを準委任と解するのが最も適切である。準委任契約とは、「法律行為ニ非サル事務ノ委託」(民法六五六条)をいう」(p. 64)
二 診療契約の要件
(1)契約の主体

(ロ)事務管理の場合
「なお本人の意思に反した場合として自殺者に対する救急医療が問題となるが、自殺医師に基づく診療拒否は法律上有効でないと考えれば、通常の事務管理と同様に扱われるであろう。なお、緊急事務管理すなわち「管理者カ本人ノ身体、名誉又ハ財産ニ対スル急迫ノ危害ヲ免レシムル」(民法六九八条)ために事務を管理した場合には、悪意または重大な過失があった場合を除き責任は生じない。救急医療では、多かれ少なかれ救急事務管理が適用できるであろう」(p. 71)
三 患者の同意

(6)同意の排除

(二) 自己決定権の限界
「医療侵襲が生命の維持ないし延長にとって必要不可欠であり、医療効果が歴然としている場合に、なお、患者の自己決定権を認めるべきかが争われてきた。先の舌癌事件なのでは、この点が問題の核心となっている。いくつかの判決は、生命、健康の維持・増進という医学上の立場からは、患者の承諾がなければ手術ができないというのでは「不合理」であろうが、患者がはっきり拒否しているかぎり「医学上の立場」は否定されなければならないとして、同意原則の貫徹を強調した。
 医学的立場と法的立場は、ここで真向から衝突する。とくに、手術を受ければ快癒し生命が助かる確率が高く、手術の結果も良好であるのに、なお、同意原則違反として慰藉料の対象となり、場合によっては犯罪になるとするのは、医学上は無論のこと常識的にも納得しがたい面があることは否定できない。したがって、この乖離を埋める作業は、法学の立場で是非試みられるべきであろう。その一つの提言として、患者における「奥深き生存願望」を根拠に、社会的条理の面から、生命救助のための専断的治療行為は適法だと考える見解がある(松倉豊治「患者不承諾の舌癌手術切除事例」判タ三一八号九六頁)。この趣旨は、生命放棄としての医療侵襲の拒否は、意思表示として実質的に無効と考えるべきだということになろう。生命の持続を願って診療を求めている以上、生命の放棄を希望//するというのは矛盾であろうから、実態としては、おそらく、このように解するのが妥当意かもしれない。しかし、表面上は拒否しているが、実質的には承諾しているとするのには無理があり、また、いかなる侵襲にも同意していない場合に、なお、強制的に手術するのは、いぜんとして専断的治療行為といわざるをえないであろう。わたくしは、ここでも立法的解決を提案したい【以下省略】」(p. 98-99)
◆ 第六章 医療行為の法的限界 より

六 植物状態および脳死患者と医師の治療義務

(4)安楽死

(ハ)諸類型
「第一は、狭義の安楽死とよばれる類型である。たとえば、癌の末期症状を呈している患者に苦痛を除去するためモルヒネ注射を多用する場合である。苦痛の除去・緩和は、治療として適法行為であるともいえるが、副作用として死期を早めることも明らかであるから単純に正当だとはいえない。これは、緊急避難(刑法三七条)の法理によって、苦痛という「現在ノ危機」からの回避と死期を早めたという「生シタ害」を比較考量し、前者が後者を上回らないかぎりで適法になると考えるべきだともいわれる(平野龍一『刑法の基礎』一七七頁(昭四一))。「残された短い生命」と「苦痛」の除去とを比較することは医師にとって困難であるが、この比較は、まさに利益主体である本人においてのみ可能だといえよう(町野・前掲ジュリ六三一号一二一頁)。したがって、決定的なのは患者の嘱託があった//かどうかである。
 第二は、消極的安楽死とよばれるものである。輸血をすれば延命が可能であるが、それだけ苦痛がつづく場合に輸血をとりやめてよいか。患者が輸血の意味を理解してそれを拒否し、あるいは患者の意を体して家族が輸血をとりやめるよう申し入れてきている以上は、医師に輸血の作為義務はない。患者の治療拒否の権利は確保されるべきであろう。したがって、これを無視して治療すれば強制医療として、専断的治療行為になると解すべきである。
 第三は、積極的安楽死とよばれるものである。これは、作為によって、たとえば毒薬で殺す行為を指す。前掲の判決【名古屋高裁と横浜地裁】は、医師に対するものではないがこの種の安楽死が許されることを示唆している。しかし、これを容認してよいかについては刑法学者間にも対立があり(高窪貞人「生命を放棄する権利は認められるか」青山法学論集一六巻三・四号二七六頁以下)、とくに、医療行為の限界という見地からみるときには、直接の殺害行為と苦痛除去としての医療的性格との調和は不可能であるから、いかに患者の嘱託があろうとも適法とはならない。嘱託殺人罪に該当することは明らかといわなければならない。
 しかし、こうはいえても、医師の安楽死に対する確立された行動基準を客観的に提示しえないのは、人工蘇生術中断の場合と同じである。刑法学者の見解も、もっぱら事件が発生した場合に処罰するのが妥当かどうかの点から論じられたものである。しかし、逆に法律で許容範囲を定める性質//のものではないともいえる。その点で、前掲の判例のように、この基準に従えば適法になるというように要件を列挙するのにも疑問がある。安楽死は、個々具体的に判断して、医師としてそれを思いとどまるべきであったといえないとき、すなわち適法行為の期待可能性がないときに無罪とし、安楽死は違法であるが非難することはできない場合だと考えるべきだとする見解にも理由がある(佐伯千仞・前掲『医療と法律』四八頁)」(p. 247-249)
*作成:堀田 義太郎
UP: 20100615

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