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『相互行為分析という視点――文化と心の社会学的記述』

西阪 仰 19970425 金子書房,209+xip.


20120919 書評・論文等全文掲載リンク修正

last update: 20120919

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■西阪 仰 19970425 『相互行為分析という視点――文化と心の社会学的記述』,金子書房,209+xip. ISBN-10: 476089263X ISBN-13: 978-4760892631 \2000+税 [amazon][kinokuniya] ※ s s01

■内容

・同書の帯より
人と人との「あいだ」にみえるもの
説明することを廃して,エスノメソドロジーの立場から人の相互行為の過程を詳細に記述することで,心と社会秩序のありようを描き出す.

■目次

はしがき iv
各断片(トランスクリプト)にもちいられている記号 vii

序章 社会という領域 1
1節 相互知指のパラドックス 1
2節 物理的秩序と社会的秩序 16

1章 相互行為分析という方法 34
1節 観察可能性の秩序 38
2節 社会秩序の局所的な達成 42
3節 規則にしたがうこと 51
4節 「経験的研究」としての相互行為分析 69

2章 「日本人である」ことをすること――異文化性の相互行為的達成 73
1節 相互行為的現象としての異文化性 73
2節 「日本人」と「外国人」 78
3節 異文化性の相互行為的達成 87
4節 日本語の所有権 96

3章 心の透明性と不透明性 104
1節 相互行為のなかの他人の心 108
2節 「他人の心への接近不可能性」という錯覚 116
3節 心の不透明さの相互行為的達成 123
4節 心はどこに 130

4章 相互行為的現象としての「見る」こと 133
1節 「見る」ことと「として見る」こと 135
2節 達成として見ること 139
3節 概念と見ること 141
4節 活動の中の,あるいは活動として見ること 143
5節 「見ること」をする 149

5章 理解と解釈――ふたたび「異文化間コミュニケーション」をめぐって 156
1節 透けて見える思い 159
2節 理解するということ 166
3節 「解釈すること」をする 172
4節 「二重体」としての行為の社会的構成 189

終章 相互行為分析という視点 191

文献 199
人名索引 205
事項索引 207

■引用

社会秩序が〈ある〉ということ
社会的秩序には物理的秩序に還元できない水準がある.社会的秩序はなによりもまず,やってよいことと悪いことが区別されている状態である〔中略〕少なくとも,どれだけ悪いことが頻発するにしても,悪いことが悪いこととして認知され非難される状態と,悪いことがもはや悪いことと認められない状態とのあいだには,画然たる違いがある.つまり,社会的秩序にかんするかぎり,出来事(行為)が実際にどのようにおこるかとは独立の水準が,すなわち,たんに事実的な行動上の偏りに還元できないような秩序の水準があるように思えるのだ(22-3).

〈規則〉に〈したがう〉とはいかなることか
規則とは,規則にしたがって実際にやっていることから離れてあるものではない.わたしたちは,しばしばこの実践の1つの記述でしかない「(規則の)定式」を規則そのものととり違えて,実体化してしまう.ここに混乱のもとがあるのだ(63).

書かれたルールに言及するとき,そのルールは行為を拘束するものであるよりも,むしろ,その状況を整序・組織するための1つの資源としてもちいられている〔中略〕たんにそのようなルールが実際にあるからという理由だけでその言及がなされているとは,考えにくい(65).

規則と,それにしたがう実際の行為とは「内的」な,あるいは論理的な関係にある.個々の行為を根拠づけるべき規則とそれにより根拠づけられるべき行為とは,互いに独立の関係にない.規則はけっして実際の行為を外から拘束・限定することができない.であるならば,規則の「先与性」〔中略〕という性格は,否定されるべきなのか.
私はそうは思わない.規則(あるいは「一般的な期待」)というものは,ある種の両義的性格をもっている.規則は,一方で,実際の出来事や行為を経験するための準拠点,つまり経験に先立つものでありながら,他方で,それはさまざまな経験と複雑な連関のなかにあり,経験により支えられている(65-6).

相互行為的達成としての〈心〉
そもそも,個々の現象の背後に,それを背後から支えている条件・原理があり,これこそ,現象にたいして本質であり本体であるという仮定は,あくまでもそれ自体動機づけられた仮定である(背後の現実の仮定は「相互行為的真空」においてなされない)(106-7).

他人の心に言及するとき,それは相互行為のなかで一定の活動をすることにほかならない〔中略〕具体的な相互行為のなかで他人の心にかんする言明がなされるとき,けっして心のなかの特定の状態が指示され・記述される必要はない.その言明にとって,その言明が実際の状態と対応しているかどうかは,基本的にどうでもよい.それどころか〔中略〕言明に対応するような「内面」の状態(たとえば「わくわくする」という状態)などない〔中略〕他人の心に言及する言明の成功は,その言明によってなされる活動の成功にほかならず,そしてその活動の成否は,その当該発話がどのような前後関係のなかにあるか,その発話がなされたとき参与者たちが何者として(いかなるカテゴリーの適切な担い手として)向かい合っているかに,つまり相互行為の具体的進行におけるさまざまな偶然的条件に,懸かっている(115-6).

〈不作為〉が不作為となる条件
H.サックスは,おそらく,人がしばしば「…をしない・しなかった」と言う事実に,素直に驚いた最初の社会学者である.一般に,その時々にしていないことは無限にある.そのなかから,殊更あることについて,それをしていないと言えるのはどうしてか.たとえば,「かれは挨拶をしなかった」と言うことがある.真偽という意味でなら,わたし自身ここ数時間のうちに一度も挨拶などしていない.つまり,「挨拶しなかった」と言えるのは,それが真理であることとは無関係に,むしろ,その「挨拶しなかった」という事態がどのような前後関係のなかに埋め込まれているか,に懸かっている.たとえば,もしだれかが「おはよう」とある人に言ったなら,その人はなんらかの挨拶を返すことが適切(レリヴァント)となる.だから,もしそのときその人がなにも言わなかったなら,その「なかった」という事態が観察可能になる,という具合だ(146-7).

ある死を〈自殺〉であるとすることの帰結
「同じ人の同じふるまいを言い表すのに,「自殺した」と言うのと,「ハンガーストライキで獄死した」と言うのでは,ずいぶん違うように思う.「自殺」という概念は,たんに一定の現実と向かい合い,それを代表するためにもちいられるだけではない.それは,現実の一部として,そのなかに埋め込まれている.「自殺」という概念は,わたしのさまざまな現実が組織されていくなかで,一定の機能をはたしているのだ(26-7).

その死をたんに「〔他者の関与がない〕事故死」と呼ぶか,それともあえて「自殺」と呼ぶかは,それぞれ一定の社会的関係の,すなわち検屍官と死んだ当人との関係(「他人」どうし)および「友人」どうしの関係の一部となっている.つまり,その死をどう呼ぶかは,社会的現実の一部なのだ(29; 亀甲カッコ内はコンテンツ作成者の加筆).

たんに「事故死」と言うだけでなく,「自殺」とあえて言うならば,その死の責任を,より明確にだれかに帰属させることができる.なぜなら,〔他者の関与がない〕事故死は死者に(たまたま)ふりかかるものであるのにたいし,自殺は自殺者が理由をもっておこなうことだからである.だから「自殺」という概念をもちいることは,「非難する」という活動を構成するものでありうるのだ(29; 亀甲カッコ内はコンテンツ作成者の加筆).

■書評・紹介

山田富秋,19980630,「西阪仰著『相互行為分析という視点――文化と心の社会学的記述』」『社会学評論』49(1): 130-2. ([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

◇浜日出夫,19981115,「西阪仰著「相互行為分析という視点――文化と心の社会学的記述」――ラディカリズムの復活」『現代社会理論研究』8: 260-3.

■言及

◇前田泰樹,19980605,「『私的経験』の理解可能性について――歯科医療場面の相互行為分析」『年報社会学論集』11: 25-36.([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

◇岡村圭子,19980605,「マルチカルチュラリズムの理念とその矛盾――その理念における『文化的差異』をめぐって」『年報社会学論集』12: 167-78. ([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

◇鶴田幸恵,20030613,「『心の性』を見るという実践――『性同一性障害』の『精神療法』における性別カテゴリー」『年報社会学論集』16: 114-25. ([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

◇中村和生・樫田美雄,20041025,「〈助言者−相談者〉という装置」『社会学評論』55(3): 244-59. ([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

◇中河伸俊,20041231,「構築主義とエンピリカル・リサーチャビリティ」『社会学評論』55(3): 244-59. ([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

◇前田泰樹,20051231,「行為の記述・動機の帰属・実践の編成」『社会学評論』56(3): 710-26. ([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)
(再録:20081205,『心の文法――医療実践の社会学』新曜社,18-51; 223-9.[amazon][kinokuniya]

◇中村和生,20060731,「成員カテゴリー化装置とシークェンスの組織化」『年報社会学論集』19: 25-36. ([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

北田暁大,20070630,「分野別研究動向(理論)――領域の媒介」『社会学評論』58(1): 78-93. ([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

◇鶴田幸恵,20080630,「正当な当事者とは誰か――『性同一性障害』であるための基準」『社会学評論』59(1): 133-50. ([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

◇西江仁徳,2008****,「チンパンジーの『文化』と社会性――『知識の伝達メタファー』再考」『霊長類研究』24(2): 73-90. ([外部リンク]J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

◇海老田大五朗,20110820,「触診における柔道整復師と患者の相互行為分析」『保健医療社会学論集』22(1): 82-94.

藤原信行,20120331,「自殺動機付与/帰属活動の社会学・序説――デュルケムの拒絶,ダグラスの挫折,アトキンソンの達成を中心に」『現代社会学理論研究』6: 63-75.

藤原信行,20120630,「非自殺者カテゴリー執行のための自殺動機付与――人びとの実践における動機と述部の位置」『ソシオロジ』174: 125-40.



*作成:藤原 信行
UP: 20100719 REV: 20110119, 20120919
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