『エスニシティ・人種・ナショナリティのゆくえ』
Wallace,Walter L. 1997 The Future of Ethnicity, Race and Nationality,Greenwood Publishing
=20030730 水上 徹男・渡戸 一郎 訳,ミネルヴァ書房,MINERVA社会学叢書22,262p.
■Wallace,Walter L. 1997 The Future of Ethnicity, Race and Nationality,Greenwood Publishing
=20030730 水上 徹男・渡戸 一郎 訳,『エスニシティ・人種・ナショナリティのゆくえ』,ミネルヴァ書房,MINERVA社会学叢書22,262p. ISBN-10: 4623037371 ISBN-13:978-4623037377 \3780 [amazon]/[kinokuniya] er
■内容(「BOOK」データベースより)
われわれは、今どこにいてどこに向かっているのだろうか。この問いに答えるために、本書は、人類が発祥してから、拡散、分化や接触、そしてグローバルな統合へと向かうプロセスを考察対象とした。マックス・ウェーバー、ロバート・E.パーク、サミュエル・ハンチントンらの論議などを再考して、人種、エスニシティ、ナショナリティの概念が提示される。人類全体のグローバルな統合という広範なフレームを適用した社会理論は、「個々の木を見る」エスニシティ論とは異なり、人類史とその方向性という「森全体を捉える」ことを意図している。
■内容(「MARC」データベースより)
われわれは、今どこにいてどこに向かっているのだろうか。人類が発祥してから、グローバルな統合へと向かうプロセスを対象に、エスニシティ、人種、ナショナリティの生成、今後の展開を人類史のスケールで提示する。
■目次
日本語版への序文
謝辞
凡例
第1章 序論
第2章 グランド・サイクル
拡散
拡散の段階
分化
分化の段階
エスニックと人種の分化
エスニック、人種、ナショナリティのアイデンティティと共同の政治行動
ナショナリティ集団
第3章 人間の歴史と内部エンジン
新石器革命とその影響
テリトリー選択の運/不運
アフリカ
戦争と征服
古代のリージョナルな統合の再興
グローバルな統合への近年の険しい道
ローカルなエスニックの同質性と異質性
すべての社会の主要な制度とその生産物
経済制度
政治制度
科学・教育・テクノロジー制度
宗教制度
第4章 接触
移住
移住者のタイプ
集団間の競合における資源
富
権力
知識
名誉
国内移住
奴隷の子孫であるアフリカ系アメリカ人の国内移動
ヨーロッパ系アメリカ人のホストとアフリカ系アメリカ人の移住者
第5章 競争のための戦略
文化構造戦略
ステレオタイプ、偏見および差別的性向
エスノセントリズム、人種主義およびナショナリズム
エスノセントリックな描写とその変容
評価抑制型の描写と行動性向
社会構造戦略
全面的排除
部分的排除
消費市場の分割と分裂
国家間における部分的排除の戦略
文化構造戦略と社会構造戦略の相互依存
自己成就する思考と自己正当化する行為
連合戦略(Coalitional Strategies)
利益と不利益
連合形成に対する影響
競争と連合、連合と競争
連動と平等性
グローバルな統合の出現における平等化
媒介戦略(Go-Between Strategy)
インターマリッジ
第6章 来るべき課題
文化的斉一性と統合
力と統合
グローバルな種の統合の社会的条件
科学・教育・テクノロジーに関する条件
経済的条件
政治的条件
宗教的条件
グローバルな種の統合の回避
生得的、獲得的な集団のメンバーシップのラベリング
不完全なグローバルな種の統合?
グローバルな種の統合に関する将来的な利益
遠い将来の可能性
参考文献
邦訳文献
訳者あとがき
索引
■引用(下線部は本文での強調箇所)
第1章 序論
「[……]われわれ人類が為しうるほとんどすべては、「現時点」に没頭することなのかもしれない。
だが、臆せずドーキンスは続けて、「理論の累積的プロセスは非常にゆったりと進むので、それらは完結するのに1万年から1千万年かかる」と述べている(1987:xi,3,181)。これが、私の範囲設定であり、私の研究課題でもある。日々のニュースの顛末が、時に困惑と憤慨とともにわれわれを飲み込んでしまう強い圧力を誰もが感じているが(それをデイリー・プレスと呼んでも少しも不思議ではない)、私はある日と翌日、ある世紀と次の世紀、もしくはさらにある先年と次の先年を比較したり、世界の特定の一地点や、単一のエスニック集団、人種集団、ナショナリティ集団だけを考察しても見出せないプロセスに、注意を喚起したいと考えている。それゆえ本書は、木々ではなく、森に焦点を合わせている。そしてこの森とは、過去20万年に及ぶ全人類であり、将来、これから先20万年以上に及ぶ人類である。先週の合衆国とか、今週の金曜や次の月曜の合衆国といった話ではない。」(p.2)
「 ナショナリティ集団は同様に他の形態でも、エスニックおよび人種集団と関連する。しかしながら、第2章で論じるように、国民は、共通の運命を共有しているという成員たちの信念に依拠している。国民はまた、ある種の家族、親族、エスニック集団、および人種集団の考え方を取り込んでいる。すなわち、成員共通の血統を共有するという信念があり、時に「母国」「父祖の地」「建国の父」「愛国心」などの観念に訴える。このような思考形態で、実際には異質であるにもかかわらず、国民は潜在的に同質という――すなわち、エスニック集団であるかのような、また、稀には形成途上の人種集団であるかのような――主張をして、自らの異質性を取りつくろうように努める。同様に、エスニック集団や人種集団が国家(nationhood)を熱望する時には、自ら独自の血統志向に運命志向を付着させて、形成途上の国民であると主張する。
以上二つの理由から、本書は、ナショナリティ集団を、ローカルおよびリージョナルにエスニック集団や人種集団が統合された形態として扱う。すなわち、それは、すべてのエスニシティが一つのグローバルなエスニシティへ、すべての人種が一つのグローバルな人種へ、そしてあらゆるナショナリティが一つのグローバルなナショナリティへ――私が「グローバルな種の統合」(global species consolidation)と呼ぶ結末へ向かう道筋の中間点である。」(p.4)
「 タイトルに表されているように、本書には人類の生存に焦点を置くため、強い未来志向がある。しかしながら、そのような志向性があっても、本書は予言を意図しているわけではない。厳格な科学的見地では、未来で確実とみなしうるものは何一つない。実際、死や税金でさえもそうである。しかし同時に(死や税金、あるいは明日の陽の出のように)、他のことよりずっと起こりそうないくつかの未来の出来事に関しては、科学的な理由が求められる。グローバルな種の統合が、種の生存の基盤において非常に望ましく、また、科学的な意味でも大いに実現可能性がある、と私は考える。」(p.8)
第2章 グランド・サイクル
「[……]より具体的に述べると国民的連帯とは、信奉者がすでに共有している過去の血統の系統という推定ではなく、彼らが共有してゆく将来の使命に関する予言の中にある。[……]言い換えれば、第1章で指摘したように、家族、親族集団、エスニック集団および人種集団のスローガンは、血統志向(「血は水より濃い!」)であり、ナショナリティ集団のスローガンは、運命志向(「すべての人のより良い未来に向かって!」)となる。
これら二つの組織化される原則の一方は過去へ、他方は未来へと向かう、異なる方向を示すことに注目したい。そこで、ナショナリティ集団は、市民に推定された過去の異なる血統の系譜を捨てる、あるいは否定するように求める必要はない。その集団の予測された将来の運命が(内部または外部から)脅威にさらされたとき、単にそれらの系譜には意味がないとみなすことを要求するだけである。このようにして、種々のエスニック(そして人種)の幾重もの血統的系譜を、一つの未来志向というファブリック(fabric)へとひとまとめにし>0044>て、ナショナリティの織地(woof)を編み合わす。この理由で、ナショナリティ集団は、グローバルな種の統合へと向かう新しいタイプの基盤を形成する――共有する共通の過去を尊重するために、共通の未来を分かち合うという考えを付け加える人もいるだろう。」(pp.44-45)
「 国内のコミュニティと国外のコミュニティ両方を支配するための際立って強力な手段は、戦争である。その手段による力は、戦争において「個人が集団の利益のため、究極的に死に直面することを余儀なくされる」という事実から応々にして引き出される。「それが政治的コミュニティに特別な悲嘆をもたらして、永続的な感情の基盤を生みだす」。それゆえ、「政治的使命、すなわち、とりわけ生死にかかわる共通の政治的な争いのあるコミュニティは、単なる文化的、言語的あるいはエスニック・コミュニティの繋がりよりも、多くの場合深い衝撃を与える共有の記憶を集団にもたらせてきた。これが‘記憶によるコミュニティ’であり…‘国家意識(national consciousness)’の究極的な決定要素となる」(Weber 1978:903)。
このように記憶には、先ず第一に死んだ同志――友人、同僚、恋人、配偶者、兄弟や姉妹、娘や息子、幼児、子供、大人――が含まれる。その人達のために、戦争の生存者たちは「これらの死が、決して無駄ではなかった」という正当化と確信を、痛々しいほど求める。とくに当該の死者が、彼ら自身の祖先の家族、親族、エスニック、人種あるいはナショナリティ集団とは反対側に属すメンバーとの戦いで死んだ時――たとえば、南北戦争におけるアメリカ人の両方の立場や両大戦の事例で顕著なように――このような確信の必要性が叫ばれるだろう。
国民を代表して彼らの同志が示した「その死による全幅の献身」が、他のあらゆる集団よりも、道徳的に優れており敬服すべき栄誉に違いない、とい生存者の不協和音を軽減させる解釈が、主な正当化の根拠となるだろう。さもなけ>0046>れば、これらの亡くなった人々すべてが、まさに無駄死にとなってしまう。
このようにして、市民が分かち合う彼らの国家の名誉に関する評価は、そのエスニック、人種そして外国人であるナショナリティの構成要素による名誉より、相対的にはるかに高くなる。そして遅かれ早かれ、あらゆる国の戦争の生存者ほとんどすべてが、「彼らが死によって全幅の献身を示したことに報いるために、このような名誉ある死から、われわれの益々の献身」を誓う愛国者となる。「その人が国のために死ぬことは、高尚に生きた」証であると断言して、自国の信条のために死ぬ覚悟をして、熱望さえする。[……]
そして戦争が引き起こす国家への忠誠に関して、戦勝国とほとんど同じように敗戦国も成立させる点に注目すると、「誰が勝つかは、さほど重要ではない。人々を偉大にするためには、戦いに送り出す必要がある」(Mussolini 1955:926)。」(pp.46-47)
※引用文献
◆Dawkins,Richard 1987 The Blind Watchmaker New York:Norton.
◆Mussolini,Benito 1955 Quoted in Familiar Quotations by John Bartlett 13th ed. Boston,MA:Little,Brown,p.926
◆Weber,Max 1978 Economy and Society 2 vols. Edited and translated by Guenther Roth and Claus Wittich. Berkeley,CA:University of California Press.
■書評・紹介
■言及
*作成:石田 智恵