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『精神医学の歴史――隔離の時代から薬物治療の時代まで』

Shorter,Edward 1997 A HISTORY OF PSYCHIATRY:FROM THE ERA OF THE ASYLUM TO THE AGE OF PROZAC , John Wiley & Sons,Inc.
=19991110 木村定訳,青土社,391p.


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■Shorter,Edward 1997 A History of Psychiatry:From the Era of the Asylum to the Age of Prozac, John Wiley & Sons,Inc.
=19991110 木村定訳,『精神医学の歴史――隔離の時代から薬物治療の時代まで』,青土社,391 p. ISBN-10: 4791757645 ISBN-13: 978-4791757640 [amazon][kinokuniya] ※

■内容(「BOOK」データベースより)
近現代とは、われわれが心の病に直面し格闘した時代だった。隔離収容から温泉療法、催眠、精神分析、ショック療法、そして現代の薬物研究の成果プロザックまで。めまぐるしい療法・学説の変遷と社会文化的背景を詳細かつあざやかにまとめあげた、初の本格的通史。

■内容(「MARC」データベースより)
近現代とは、われわれが心の病に直面し、格闘した時代だった。隔離収容から温泉療法、催眠、精神分析、ショック療法、そして現代の薬物研究の成果プロザックまで、療法・学説の変遷と社会文化的背景を、詳細にまとめた通史。

■引用

「 つまり主要な精神疾患は、脳の化学的障害や発達障害に基づくという観点は、初期の生物学的精神医学の時代の十九世紀において、最後に知られるようになった主題への復帰を意味していた。それはまた、精神疾患を、深層精神療法を通じて治療できる、子どもの養育の誤りあるいは環境からのストレスの結果生じる、心因性のものと考える精神分析的パラダイムの否認をもたらした。」(p.290)

「 クロールプロマジンは、一般医学におけるペニシリンンの導入にも較べられるような、精神医学における革命を始めた。それは精神病を惹き起す疾患を治療できないが、その主要な症状を消失させるので、基本的に分裂病者でも比較的正常な生活を送り、施設に監禁させることはなくなった。一九五五年にドレーとドニカーは、精神病を減弱させる薬物に「神経遮断薬」という用語を提唱したが、アメリカ人は「抗精神病薬」という用語を好んで用いている。エプソムにある大きなアサイラムで働いてたイギリスの精神科医のヘンリー・ロリンは、後年になって、クロールプロマジンは「文明化された世界の中を旋風のように吹き荒れ、精神障害の治療の領域全体を巻き込んだ」と述べた。それは「精神薬理学の時代」の始まりであった。」(pp.306-307)

「 この変化を報告したクーンの言葉は興味深いものである。それはうつ病からの回復があたかも復活であるかのように述べ、それぞれの抗うつ剤の新しい世代が、それのみが達成できると信じている回復であるとしている。ここに、薬物プロザックの導入に伴う復活主義者的修辞を見ることができる。一九五七年九月にチューリッヒで行われた第二回国際精神医学会の会合において、クーンはその薬物について報告を行った。聴衆はわずか十二人にすぎなかった。」(p.312)

「 抗精神病薬、抗そう剤、抗うつ剤といった、現代の生物学的精神医学の薬理学的基礎を形成する薬物の発見は、科学的な準備と言い表せない幸運の混合に負うものであった。しかし、それらが作り出した科学的興味とその販売から生じた利益が、精神医学を、以前に比べてずっと堅固な科学的基礎の上におくことに寄与した。これが神経科学における基礎であった。」(p.313)

「 薬物の副作用をチェックするための五分間の面接は、精神療法を志向する精神科医が示す長い説得的な関心の表現と同じではない。反精神医学運動が、人々の抗議の怒りを醸し出した監禁主義よりも、むしろ嘲笑的な引用符をつけたのは、科学の雰囲気そのものであった。この運動を図示すると、精神科医は、オシロスコープの天辺の裸婦像を熟視するためのアンテナ付きの宇宙帽を被り、注射器を恐ろしげに差し出しているような絵になる。いずれにせよ、精神医学が科学に極めて現実的に移行したことはケアの喪失に結びつくことになった。」(p.325)

「(感情病障害の「スペクトル」全体に特殊な効果を示すといわれる「プロザック」のような薬物の利用可能性は、うつ病の診断の増加に寄与していることは疑いの余地がない。医者たちは、自分たちが治療できないものよりは、治療できる状態だと診断することを好む。)」(p.347)

「 新しい華やかな薬物の勢揃いは、抗精神病薬、三環系抗うつ剤、抗そう病剤が準備されている重篤な精神疾患とは反対に、ありふれた不安や気分変調をもつ人々を援助することを可能にした。」(p.372)

「 雑誌、『ルック』、『クリスチャン・センチュリー』、『トゥデイズ・ヘルス』、『タイム』が、「幸せの丸薬」、「幸福の丸薬」、「心の平静薬」、「処方された幸福」についての記事を書きまくった。一九五六年までに、アメリカ人二十人のうちの一人が、調査した月にトランキライザーを服んでいた。このようにしてミルタウンは、大衆の一大ブームとなった最初の精神科における薬剤になった。
 ヴァリウム[訳者註:日本での製品名はセルシン、ホリゾン]がつぎのブームを呼んだ。ライバルの製薬会社は、熱心にクロールプロマジンとミルタウンの出現を観察してきた。一九五四年に、ニュージャージー州のナットリーに大きなアメリカ支社を構える、スイスを本拠とする製薬会社ホフマン=ラ・ロッシュが、配下の有機化学者たちに「精神鎮静薬」の開発を指示した。
 面白いことに、大学の科学者も政府の助成金もこのいずれにも関係がなかった。すべてが利潤に動機づけられていた。ヴァリウムの姉妹薬リブリウム[訳者註:日本での製品名はコントール、バランス]を最初に治験した精神科医の一人、アーヴィン・コーエンは後に回顧して、「ベンゾディアゼピン[ヴァリウムなど]にまつわる経緯は、本質的には、治療薬がどのように受け取られ、市場に出回っている他のものよりも優れた薬剤を単に見つけようとする企業的な製薬会社によってもたらされたものである」と述べていた。」(p.375)

「 ロッシュ社は、ディアゼパムを一九六三年に「ヴァリウム」の名前で市場に出したが、それはプロザックが導入されるまでは、薬理学の歴史における唯一の最も成功した薬剤であった。一九六九年にヴァリウムは、アメリカの薬剤リストにおけるナンバー・ワンであったリブリウムを追い越した。一九七〇年までには、五人に一人の女性と十三人に一人の男性が、「緩和安定剤と鎮静剤」を使っていたが、それらは主にベンゾ系のものであった。」(p.376)

「 この時点までは、医学的記述には「非科学的」なものはほとんどなかった。ベンゾディアピンは不安や軽度の抑うつの治療に完全に適切であり、科学教育を受けた精神科医は患者にうまくそれを適用した。しかし今や、精神科の薬を売ることによって大金が稼げることが明らかになった。ヴァリウムの普及が高まるにつれて、ここに将来の市場があることが、製薬会社の間で気づかれはじめた。非常に競争的な製薬会社が精神薬に殺到するにつれて、彼らは精神医学自体の診断の意義を歪め始めた。自分自身の市場に適した場を作り出そうとして、製薬会社は疾患の範疇を急いで増やそうとする。それに対する治療法があると製薬会社が主張するまでは、ほとんど気づかれないある種の障害が、主張後には流行するようになる。」(p.378)

「 製薬会社によって次第に操作されるようになった精神医学の診断の背景に対して、一九九〇年代に身近な言葉になった精神科の薬剤が出現してきた、つまりプロザックであった。(中略)うつ病に対する薬剤であるプロザックが登場したとき、苦悩の性質を表すものとしてうつ病が強調されていた。」(p.379)

「 一九六〇年代の後半に、アーヴィッド・カールソンが、セロトニンは気分と衝動をコントロールするようだというニュースをいっそう協力なものにした。そしてカールソンは、抑うつと戦うためにセロトニンの再摂取を抑制する薬物を市場に出そうと努めている、スウェーデンのアストラ社の指導をしていた。」(p.381)

「 その理由は、一九八四年から一九八七年までの間のかなりのフィールド試験から得られた治験では、副作用がより少なく、患者たちをだるくさせ便秘を起こさせずに、幸福かつ「酔ったような」感じにさせてくれるので、標準的な三環系の抗うつ剤よりもずっとすぐれていることを示していた。この薬(引用者―フルオキセチン[商品名:プロザック])はまた、より早く作用を示し、治療面でより広い安全な窓口をもつが、そのことは、治療に必要な量と毒性が現れる量との間隔が広いことを意味していた。」(p.382)

「 このように、その言葉が拡がっていった。一九九三年までに、アメリカ人の精神科を受診した者のほとんど半分は気分障害のためであった。ヴァリウムが不安に悩まされた国民を楽にさせたように、うつ病に対する新しい薬剤の利用可能性も、それが治療できる障害のパターンを作り出していた。
プロザックとその競争仲間が、精神疾患がない場合でも、人生の問題に対処するための万能薬として世界の大衆の間に拡がるにつれて起こったことは、憶測による、精神に関するメディアの馬鹿騒ぎであった(明白な精神疾患をもつ人たちの大部分は、いかなる種類の治療をも求めないことを想い起してほしい)。一九九三年に『タイム』誌は、プロザックは「一時的なブーム以上のもの」であると宣言した。この薬は、月経前後にいらいらし、一度は結婚指輪を夫に投げつけたことがある自称働き蜂の「スーザン」のような者の助けになる「医学的な問題打開策であった」。現在彼女の人格のかどは少し滑らかになっている。真の精神疾患は恐ろしい苦痛と能力喪失を起こすので、そのような人たちは、苦悶に満ち悲しみに沈んだ、歴史的伝統における明白な精神病であると論じることは馬鹿げたことであろう。しかしここに、プロザックの中核的な市場の一面が存在している。
人格を損うことなく、体重を減らすという保証により、プロザックは、これまでの他の精神科の薬物よりもいち早く取り上げられた。その誕生後の三年以内の一九九〇年までに、それは精神科医によって処方されるナンバー・ワンの薬となった。『ニューヨーク・タイムズ』の見出しに、「何百万人のプロザックの服用者――合法的な薬物文明が起こる」と掲載されていた。可能なあらゆる場合に医者がプロザックを処方していたので、この薬剤の入手のためのブラック・マーケットの必要はなかった。」(p.383)

「 科学万能主義はその背後で、人類の困難性すべてをうつ病のスケールに移しかえており、すべてを驚異的な薬で治療できるものにしていた。この転換は、臨床精神医学を、製薬工業との産学協同の中に大幅に取り込むことによってのみ可能であった。結果的に精神医学のような科学的言説が精神障害をもたない何百万の人々に、スリムでいることを可能にする一方、自意識過剰の負担を軽くするので、この新しい化合物を求めるようにさせ、薬物による享楽主義の普遍化を育てることになった。
 しかし、プロザックの出現は大衆に莫大な利益をもたらした。われわれは未だに精神病の汚名を完全に除くにはほど遠いので、この薬は精神障害を、大衆の目に受け入れられるものと思わせるのに役立った。何世紀にもわたって、大衆の見方を恐怖に釘付けにしてきた「狂人」は、今日では、援助の手をさしのべられる「ストレス」に悩む者に置き換えられて姿を消した。」(p.384)

「 それとは別に、二十世紀の終わりになって、「狂気」があまり恐ろしくないものに思えるようになったとすれば、その成功は精神薬理学に負うところが大きい。人々自身がより理解を深め耐えられるようになったからではなく、単に薬物革命が精神疾患の症状をくじき、あるいは完全に消すことができたので、これらの障害がある者も、腕の骨折や頭部打撲の患者と同様に、恐れられることがなくなった。薬理学的革命の開始に寄与したピエール・ドニカーはは、「三十七才以降、精神薬理学の方法だけでなく、また精神療法、社会療法、コミュニティへの復帰の向上によって、狂気の顔つきが完全に変わった」と述べた。ドニカーにとっては、「狂っている者」は「通常の患者」に変身したのであった。薬物療法を「ぼろ隠しの」精神薬理学と見ようと見まいが、これは決して小さな業績ではない。」(p.385)

UP:20080626
作成:松枝亜希子
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