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Social Suffering

Arthur Kleinman, Veena Das, Margaret M. Lock eds. 1997 Berkeley: University of California Press


Arthur Kleinman, Veena Das, Margaret M. Lock eds. 1997 Social Suffering, Berkeley: University of California Press ISBN-10: 0520209958 ISBN-13: 978-0520209954 [amazon] e01.※

Book Description
"Social suffering" takes in the human consequences of war, famine, depression, disease, torture-the whole assemblage of human problems that result from what political, economic, and institutional power does to people-and also human responses to social problems as they are influenced by those forms of power. In the same way that the notion of social suffering breaks down boundaries between specific scholarly disciplines, this cross-disciplinary investigation allows us to see the twentieth century in a new frame, with new emphases. Anthropologists, historians, literary theorists, social medicine experts, and scholars engaged in the study of religion join together to investigate the cultural representations, collective experiences, and professional and popular appropriations of human suffering in the world today. These authors contest traditional research and policy approaches. Recognizing that neither the cultural resources of tradition nor those of modernity's various programs seem adequate to cope with social suffering in our times, they base their distinctive vision on the understanding that moral, political, and medical issues cannot be kept separate.


About the Author
Arthur Kleinman is Maude and Lilian Presley Professor of Medical Anthropology and Chair of the Department of Social Medicine at Harvard Medical School and Professor of Anthropology at Harvard University. His most recent book is Writing at the Margin (California, 1996). Veena Das is Professor of Sociology at the University of Delhi and author of Critical Events: An Anthropological Approach to Contemporary India (1995). Margaret Lock, Professor in the departments of Social Studies of Medicine and of Anthropology at McGill University, is author of Encounters with Aging (California, 1993) and coeditor of Knowledge, Power and Practice (California, 1993).


■Lawrence Langer, "The Alarmed Vision: Social Suffering and Holocaust Atrocity", pp. 47-66

福田 茉莉

[P.47]
  我々は、 集団的苦しみ(suffering)を隔離する障壁を倒壊するための方法を見つけるまで、我々自身だけでなく、政治家や専門家などのリーダーの注意を喚起させる事はほとんどないだろう。自国の平穏とは、つまり海外の苦痛(pain)から遠くに距離を置くことを促進する。不幸な過去のエピソードは、他者の悩みが我々の日常生活の平穏をどのように乱すかという問題を我々に教える。我々はサラエボやソマリア地域のような飢餓や民族紛争の犠牲者たちの混乱(カオス)による恐怖に襲われるかもしれないが、それは慈善の慎ましい形式でもある。我々には集合的意識(collective consciousness)を妨げる新たな言説(discourse)と、単なる同情を越える実用的な行為の生起が必要である。

  苦しみ(suffering)の聖書モデルと文学的アプローチ[P.47-48]
  ユダヤ人虐殺(the murder of European Jewry)と呼ばれた集団的苦しみの例は、我々が出来事を不十分に評価した聖書モデルと合併し、範囲を制限することで危険を招く。
  ヨブ(Job:聖書に登場する忍苦の典型となる人物)は喪失し続けたが、肉体的な試練が彼の強靭な精神を抑えることを拒絶した後に、彼は神の承認と制限のあるスピリチュアルな洞察(insight)を得た。*ヨブについては傷ついた物語の語り手p.260参照*この理由のない苦しみのプロトタイプよりも、ホロコースト犠牲者の苦難が、ヨブの抗議を誤解する人々によってのみ贖えると思われるのは全くの見当違いである。同様に,キリストの受難を説明する福音(教義)は、ホロコーストのジレンマを想像することを促進するのに役立たない。トルストイやドストエフスキーの彼らの物語において重厚に描かれる架空すぎる空想もまた同じである。新約・旧約聖書のように道徳的反抗、罰、救済という激励する概念は、我々をアウシュヴィッツやトレブリンカ地域、またボスニア・ヘルツェコビナでの残虐行為にも導かない。彼らは親しみある避難所に向かわず、良心も想像力も及ばない暗礁の危険に導かれた。
  
  ホロコースト文献は、残虐行為を再び想像し、現在に苦しみのテクストを再び書き上げることで我々に主張するひとつの激励(goad)である。イスラエル作家、ダン・パギスの「(Written in Pencil in the Sealed Boxcar)」は芸術的挑発の古典的な例であった。
  
  輸送中にて
  私はイヴ
  息子アベルと共に
  あなたがもし私の年長の息子に会うなら
  男は息子カイン(それともアベル)
  私であると彼に教えてくれ
  
  エデンの園からアウシュヴィッツのガス収容所への道筋に聖書の影響力はなく、強制収容所以来、彼らの実存を確かめるための聖書に基づくモデルは必要なかった。それは聖書であり歴史ではない。パギスはそれをテクストに作り変える必要性を説く。シャム人は、カインの最初の罪の物語を意図的に破壊し、大部分を殺害の物語に置き換えることで,破壊を伴う双子の創造を、現在に結合させる。次に、これは我々の聖書の概念に新たな重荷を課し、そして人間がサーガ(Saga)の役割を担うものとして展開される。
  しかし、それはただの詩というわけではない。創世記は完全な作り話であり、読者はその枠組みを解体するために説得される。予期できない結果を想像し、新たな知見を伴うことで理解を促す。誰がイヴと彼女の問題のために、兄弟の暴行が大変な不幸を招き、異なる種類の犠牲がアベルに与えられると予測できただろうか?息子の喪失はユダヤ人の物語の始まりであった。つまり人類全体の殺人は何か他のものの始まりであったが、彼女が語ることを止めたため、イヴの苦しみは我々には伝わらなかった。
  その内容がどうであれ、イヴに起こった出来事は、苦しみの認識を奮い起こすことを内包し、カインに(そして我々に残された)割り当てられた役割を再考することを我々に要求する。聖書の内容とスピリチュアルな洞察を通して、カインの母と弟に待ち受ける恐ろしい結末が解釈される。この詩は、もはや最近の歴史が提供しているようにみえる争いの喪失感からその達成された形式の平衡を保つことができない。芸術からこの共通の安息が奪われることで、我々の研究の意味は、我々の悲嘆を鈍くするために新しい安堵を見出すという危険な儀式に参加することが求められる。
  
  ホロコーストに対するアメリカの対応−[P.49]
  近代の暴力の規範として、兄弟殺しから集団殺戮へのシフトは容易に受け入れられるものではない。ユダヤ人の苦境に対するアメリカ合衆国の無気力な反応を示した。そのころ、ユダヤ人に行われる苦難の詳細を内的モニターで記憶に焼き付けることを拒否するという想像の欠如に起因しているという私の主張に対し不和を唱えた歴史家と議論した。その歴史家は1942年、ワシントンは進行中の集団殺人の報告を"承認(confirmed)"し、強制収容施設の"知識"を持っていたと主張した。実際に、ソビエト連邦でドイツの実動殺人部隊が、軍の侵略したユダヤ人居住区で組織的に活動し始めたとき、我々は、早くとも1941年の夏頃にはその情報を得ていた。しかし"承認された知識"は、電報、公式発表、伝聞可能な概略などのデータに関する距離を破り、精神の休息を脅かす言語表現である。
  一般的な言語で表現された大惨事を報告するための公文書が届くまで、政府と市民の予期は具体的な事実に欠いていた。世界ユダヤ人会議のジェノバ支部の支部長であるGerhardt Riegnerが、1942年8月にナチス支配層と縁のある同情的なドイツ人実業家から聞いた計画は、ナチスの占有する土地にいるすべてのユダヤ人の殺害をヒトラー本部が再検討しているというものであった。彼はアメリカ合衆国の博識者であるRabbi Stephen S.にこの情報を知らせ、それはアメリカ合衆国国務省に伝えられた。これはポーランドのヘルムノにある最初の殺害施設が稼働してから8ヶ月後のことだった。これは証言や物語という類のものであり、もしRiegnerがヘルノムのユダヤ人がどうなっているか、その状況(人々は大規模な埋葬地に向かう途中の貨車の中で一酸化炭素のガス攻撃を受けた。時折、死なずに気絶した者がいたが、埋葬地に投げ入れられ、生きたまま埋葬された)を説明する事ができればアメリカ合衆国国務省の対応がここまで遅延することはなかったのではないだろうか?もし彼がヘルノムのユダヤ人労働者について(彼が貨車から出たとき、彼の妻と2人の子どもの死体と下ろされ、彼らの身体の埋葬地で家族を埋葬するか銃で撃たれるかを聞かれる)述べることができたなら、反応は異なったのではないだろうか?(ドイツ人は彼を引っ張り出し、彼らが死を決定したのだと言明する)。もちろん、Riegnerはその詳細を知らなかった。似たような証言がヘルノムから逃亡した2人の女性によりポーランドの地下組織に与えられ、ポーランド政府はロンドンへ亡命させたにもかかわらず、である。信じられないことだ。しかし"承認された知識"のような表明の衝撃と意味は、知識が承認された方法と承認に用いられた言葉に依存する事が明確である。
  
  犠牲者の代わりにアメリカ人が行動を試みたが、2つの行き詰まりに直面した。彼らは私が物語ったような、残虐行為の瞬間を描写する語りに欠けていた。そして、彼らは、ヨーロッパで次々と明らかになっているある種の危機としての理念(mind-set)を変えられず、今までも変えたことがなかったために、賛同者に向けて取り組まれた。キリスト教の特使であるJan Karskiでさえ、ワルシャワにあるユダヤ人居住区を2度訪問し、ベウゼツの強制収容所でエストニア人の警備員に変装して数時間を過ごした。それからポーランドの地下組織にイングランドへ亡命し、アメリカ合衆国で証言報告を行ったが、Anthony Eden、 Felix Frankfurter、 Franklin Delavo Rooseveltの無神論的な思想に罪の非道さや殺害を制限する必要性を印象付けることができなかった。
  
  Abraham Lewin ―"承認された知識"のジレンマ[P.50-52]
  個人の成功と無限に改善される将来を伴うアメリカ人の精神に大事な価値体系は、ホロコーストは認識すべき残虐行為であることは言うまでもないが、悲劇への遭遇を阻止する精神的安定の心理を教育する。ホロコーストの場合、この姿勢は特定の文化において承認されなかった。犠牲者でさえも、死の施設からユダヤ人居住区に彷徨いながら戻ってから、この虐殺の物語を整理することはできなかった。Abraham Lewinは、"A Diary of the Warsaw ghetto(ワルシャワのユダヤ人居住区での日々)"において、想像を絶する"承認された知識"を獲得する事のジレンマを書いている。
  
  トレブリンカから奇跡的にここに辿り着いた亡命者は、血も凍るような報告をもたらした。殺人機械は休むことがない。数日後にラドムスコのユダヤ人が殺された。この種の知らせは地獄の苦しみを引き起こした。誰が苦しみを説明し、死を非難し、誰を絞首台へ送ればよいのか?ロシアの芸術家さえ、ドストエフスキーのような偉大な者でさえ、死刑に処される無垢な人物の魂の深さを発散させる真実の記述に成功しなかった。私がトレブリンカの惨事を聞いたとき、私の心の中の何かが歪曲し始めた。来るべき"あの"恐怖は、恐らくは、魂を諦めたときの人間の苦しみよりも強く感じるのだ。これらの精神の恐ろしい苦しみは、文学的反応を呼び起こすのだろうか?新しいビアリクの登場は、新しい"大虐殺の街で"哀歌の新しい本を書くことができるのだろうか?
  
  新しい旧約聖書(哀歌の章)を必要とする中で、 Lewinはダン・パギスのような、ヨーロッパのユダヤ人殺害を描写するための着想の源泉として古い聖書に基づくモデルを退ける。文学者か歴史家による似たような探求は、ありえない非凡な領域へと聴衆者の想像をそらすため、誰かが悪魔に取り付かれたことを意図させるものだった。我々の世紀の罪は、 Lewinが予期したように、以前の生活に関係なくもたらす侵略的な死に向かって絶え間なく動く環境の中で生き続けようとする男性、女性、子どもたちの長期にわたる物語だろう(?)。"来るべき'あの'恐怖"の記述は、それがどのように普通の死とは異なるのか?
   厳しい環境を理解するための絶望的な努力として、 Lewinは2つの方針を記述した。一方で、容認それ自体があまりにも恐ろしいことを暗示させるため、精神を安定させる心理が生じて、安らぎの言葉を消滅させる(?)。"全くの無垢の人間の血が報復なしに流されることは不可能である。審判の日が来るだろう。" しかし審判の日は来なかった。そのようなレトリックに逃避する傾向は、理解できない状況を変えることには効力がなく、 Lewinはそのことに気が付いたようだった。なぜなら今言った言葉のすぐ後に、彼は反対の意味を付け加えたからだ。"ナチスの残虐行為のレベルはまさに我々の理解の及ばない状況にある。我々には想像もつかないし、未来にも信じられないことだろう。我々の想像するものは、怒りと苦しみによる興奮を越えている。"7 しかし、この場合の"想像もつかない"は、ホロコーストの後の時代に集団暴行の例として続くものと同様であり、我々が受容する準備をしていなかった現実の名前以上の何ものでもなかった。
  人間の苦しみの形態は、実に我々の理解力に及ばないところで静的に横たわっており、苦しみから我々を遠ざけるために心理学的で理論的なためらいを許容することは無責任だろう。唯一の選択肢であり、複雑で困難なものは、抗議もしくは不安に触れることなく我々の意識に昇るまで、考えられる想像もつかないものに作り変える方法を見つけることである。残虐の日々の混乱で、 Lewinはレトリックな沈黙の祈りではなく、彼自身の発言を沈黙し、想像をやめることを経験することで応答した。"新しいビアリク"は断念せざるをえず、彼の前身である文学の技法と想像的ヴィジョンは再発見されなかった。しかしそのような拒絶は、我々がもっとも心に抱く視点に向かい、時間のような歴史の絶え間ない年表にも自動的な推移(容認することに気が進まない評論家の決裂)にも混沌とした不和を登場させるだろう。
  
  社会的な苦しみの解決[P.53]
  社会的問題の観点では、人間の苦しみを分類する(classify)ことは役に立つかもしれない。しかし、これはめったに生起しない広範囲に及ぶ重大事である。我々は、彼らの敵が識別可能な敵ではなく無慈悲な人種のイデオロギーであり、制御しがたいウィルスであり、またより最近では、病院や市場が開かれる広場に疑ってもいない犠牲者がいる中に遠くの丘の斜面から爆撃し、彼らの運命に作用しない人々の苦悩を記述するために特別の種類の記述方法を必要とする(?)。我々が人間の苦しみを論じるためのプログラムを説明する前に、我々は精神的苦痛(misery)を表明することが必要だった。これは早期の苦痛と類似しないふるまい、もしくは苦痛から鍛えられていない神聖な言葉、美徳、熱情とたびたび結びつく秩序の意味、災い、貧困、戦争の精神的侵害にたじろがない才能が必要だった。それらの才能は、我々の啓発とロマン主義的な遺産によって残された無制限のものではなく、むしろ言語的設備だけでなく我々が制限的な大望を用いて仕事をすることを可能にする人間の期待について哲学的シフトへの段階的承認も含んでいる。
  実用的な決定は、アルジェリアやチリ、ハイチ、イスラエルのような正義よりも"和解"を選ぶため、世界中に広がる虐待の犠牲者のためにいかがわしい遺産を創造し、未来に権力の乱用が起こらないようにいかがわしい先例を作った。残虐行為からそれることによる恐怖の和らぎは、苦しみに疲れた集団に壊れやすい平和を創造するかもしれない。しかし、それは決して代償を無視する正直さではなく、我々は回避方略のような報いを受けているだろう。
  
  苦しみの回避[P.54]
  和解という回避は、ホロコースト証言の態度に似ている。"Working though"の例にあるように、過去のトラウマは理解と解放の調和という目標に向かって未来へと発展する。しかしこれらの証言の副題は、我々がここで探究する議論に関連する。彼らは何百もの償えない損失の代わりに反省し、恐怖の認識の中で(彼らの気力を使い果たす前に、虐殺の状況を仲裁する刺激の空想だけが、行為の現実的な推移として協議された"和解"を取り消すこと)想像力を止めさせるスピリチュアルな結束が、どのような言葉で奪われるのかを表明する。近代の苦しみを評価する試みの中核にある期待の挫折を我々に紹介する。ホロコーストと次に起こる大規模な虐殺行為は、普段の語彙を強める活動空間に存在する。マータダム(martyrdom)、尊厳ある死、有罪の意識、強い後悔、非道でさえ、文学的な悲劇において彼・彼女の迫害者から犠牲者をかなり明確に区別している。ホロコーストの徹底的な破壊はこれらの言語的非分類を照らし出し、加えて、強制的な飢饉により、1930年代、スターリンに100万人が殺されたカンボジア惨害は、今日のユーゴスラビアで有名な民間人の無慈悲的な破壊である。世界中で生きることの目標は他者の死であるかのように思え、集団内で行動や生のモデルとなる夢の実現よりむしろ、期待の挫折を強制する。皮肉にもナチスドイツは、この社会的パラダイムのために構築されたプロトタイプにほぼ成功した。ある健康的な集団は、いくつかの死を残りの人生と決定的に結びつける。なぜならそのようなシステムは、モラルとスピリチュアルな信念を破り、想像することが不可能でなければ、我々は困難を知るからである。しかし歴史は、我々が想像もしくは価値を見出すことに注意を払う。ホロコーストやその後の残虐行為は、我々の認識する安定した生と一般的な死を侵攻し、夢の実現よりもむしろ、欲求不満の悪夢に未来を植民地化されるシンドロームを取り去る。
  
  時間と苦しみ[P.55]
  この状況は恐ろしいトラウマである。100人のホロコースト生存者の証言が信頼されるものでなければ、臨床的処方は彼らの苦しい試練への信頼を守らないだろう。我々は知るだろう、彼らの記憶が症状ではなく、彼らの話す物語は、彼らの集団へと復興(達成して久しい目標である)の形態を模索している。苦しみの記憶は常に無力なのではなく、彼らの真実を語り、彼らが逃亡を望まず、逃亡できなかった過去を"文学的に"証言することはめったにない。彼らにとって忘却は究極の冒?であり、"回復(cure)"は究極の錯覚だろう。再生と復活に関して言えば、そのような希望の典型は、炎と灰のイメージで詰め込められた記憶の破壊から構築することができない。
  そのような患者の神話は、彼もしくは彼女の過去に由来する幾多の不審な前提を取り除く。まずは、すぐに臨床的な関係性を創造し、セラピーの形態へ証言を変容する"患者"として指示される。次に、残虐行為の生存者は時間を単に時系列に経験するという約束があり、過去と先行する未来を理解するために現在を表象する。証言は聴衆もしくは聴講生には時系列に聞こえるかもしれない。しかし、ナレーターは一時的なものというよりはむしろ、精神的な証言であり、彼・彼女の物語を語る"時間の外側"である。これはホロコースト談話の場合にはたびたび起こる。我々は永久的なひととおりの歴史的ナラティヴ間の違いに直面することで言語の欠乏と、継続する固執によって当惑するか惑わされる。したがって、我々が時間の流れと呼ぶものは入力されることがない。これらの証言を聞いた幾人かは、証言する時間が年代順に継続し、永続する時間(durational time)は継続的に経験されるが、誰かが解放した記憶は連続していないことを理解するだろう。ホロコースト生存者の概念は―私は、残虐行為の生存者の言うかもしれないことを疑う―彼または彼女の個人の苦しみを一般化することができる。また、犠牲の役割を越えた動向は、継続的な時間がどのように目撃者の記憶に影響を与えるかに慣れていないことから派生する。そのために私はグループや集団で虐殺行為の結果を探究する全ての試みは、個人的な犠牲のナラティヴ、特に継続的な時間とともに始まるだろうと信じている。そしてトラウマは治癒できるという偽りの思考を欺く。
  
  Bessie.Kの語り[P.56]
  彼女は彼の夫とともに面接を行った。彼もまた生存者である。彼らは戦争後に出会って結婚し、アメリカ合衆国に来て家族を築いた。そして幸せで成功した生活を送っている。
  語りは我々に彼らの記憶と生活の中で継続的な時間が果たす役割を垣間見せる。彼らの証言はほとんど同様であり、重要な瞬間は、どのように生存したかを説明することでも、他の家族はどのように死んだかということでもない。彼らの深刻なレベルにおいて、彼らの生の物語は現実的な死の物語である。そして、我々がさらに通訳する必要のある方法で自己の死が内包される(?)。これらの実例では、治療あるいは成熟した秩序を獲得する過程とのその従来の関連が、救済と回復のような慣習的な理論的思想であるのは言うまでもなく、時代遅れの語彙の目録にそれを委ねたため、"苦しみ"は役立たない用語のように思える。治療を通して、そのような"苦しみ"を合法化する考え方は、目撃者への攻撃になる。
  Bessie K.のナラティヴは彼女の夫の兄弟に別れを告げる報告(キャンプの付属病院から来た他の収容者とうまが合ったが、チフスを患っていたため短かった)に導入される。彼女は、彼にティッシュペーパーを渡すことにより彼の悩みに参加しようとし、"必要ないよ"と言うように手首を軽くはじかれた。彼の消費する彼の兄弟の死の記憶は、彼の妻の介入さえも防ぐ。彼女はそのとき継続的な瞬間に忘却されない彼女の物語を語り始めた。
  
  私には男の子がいたわ…彼らをバスに乗せ、大きな飛行場に連れていったの。また、近くには列車(畜牛輸送列車)があった。そして私は振り返った。私は茫然としていたと思う。実際にも、なにが起こったのか分からなかったから。私は、彼らが男性を個別に追い出していることを理解した。子どもたちと女性たちはそれぞれ分離させられていた。私は赤ん坊を抱えていたので、持っていたコートを小包のようにして赤ん坊をそれで包み、右側か左側に身につけた。そして私は赤ん坊と関係を経った。しかし、赤ん坊は息切れし、包みの中にいるのを阻み始めたの。そして、泣き始めた。したがって、ドイツ人は私に戻るよう呼び、「何を持っているのか?」と彼は言った。これはすべて,突然起こり、すぐに済んでしまったから、私はどうすればよいのか分からなかった。私にはそれに備える暇はなかったの。
  振り返ることは、経験である。―私は感覚を失ったか、あるいは、私の知らない何かが私の身にふりかかったのだと思う。しかし私はそこになかった。そして彼は、私が彼に渡すべき小包に腕を伸ばし、私はそれを彼に渡した。そしてこれは、私が小包(赤ん坊)を抱いた最後のときだった。
  しかしふり返ってみると、私が誰かと会っていたとは思えないの。私は内面的に一人だった(その間に、カメラは、悲嘆と絶望の仮面を付けた誰かの顔という指令の終焉をパン撮りする)。Jack(彼の夫)に出会った時でさえ、私の過去をJackに話すことはできなかった。Jackには最近になって打ち明けた。私にとって、私は死んでいた。私は死んでいて、何も聞きたくなかった。そして、私は何も知りたくなかった。私はそれについて話したくなかったし、私に起こった出来事を私自身が認められなかった。
  
  彼女はシュトゥットホーフ(Stutthof)強制収容所へ連れていかれた。ここで彼女は、連行前にスラム街で病気に感染した彼女の胸部を治療した医者に会った。彼女はこう続ける。
  
  そして(医者は)私をみて、私にあえてとても嬉しいと言ってすぐに、彼女は"何が起こったの?赤ん坊はどこ?赤ん坊になにが起こったの?"と言った。そしてすぐに私は"赤ん坊って?"と言った。私は医者に言った"赤ん坊って何?私に赤ん坊はいない。赤ん坊なんて知らないわ"。
  
  そのとき彼女は、一瞬静止してから、頭を下げ、眉を指で軽くたたいた、そして結論を下した。"私に何か起こった(?)"。
  このナラティヴの断片は、個人的なもしくは集団的苦しみの例を比較しようとするとき、なぜ我々が慎重でなければならないかを明らかにする。確かに、この略奪を経験した母親と他の現場で極端な暴力行為を通じて最近子供を失った両親の経験間には、部分的な重なりがあるかもしれないが、一般化する残虐行為の実例は個人の衝撃を縮小するだけである。理解されている相違点は決定的である。暴行の持続性と本質および範囲、侵略者の役割、犠牲者に利用可能な防衛的資源−これらの論点は、我々の歴史的、地理的、文化的、心理学的文脈内で各残虐行為を考えることを要求する。
  いくつかの犠牲は、実際に治療に反応するかもしれない。グループディスカッションは役に立つかもしれないし、腐食する過去から逃れるのに必要であるかもしれない。しかしBessie K.にこれらのモデルは何一つ当てはまらなかった。彼女が"私の人生のすべてだったその時以来、私はひとりである"というとき、彼女の夫は隣に座っていたが、彼女は彼に苦情を言ったのではなく、同情も求めなかった。彼女は時間の経過は継続的な記憶で表現できないということを説明した。彼女は、生の意味を"自分の内にある孤独"と再定義しており、これは彼女の最初の家族の分離から典型的に派生している。2つ目の家族の発生によって取消されることがないのである。彼女は、これが治療されるトラウマではなく、生存者持続される出来事であることを知っている。
  彼女のナラティヴは、さらに発展する。ホロコーストは、生存状態を区別するための生と死の間の一般的な相違を崩壊させた。彼女の赤ん坊と引き離された話の後、Bennie K.は"私にとって、私は死んでいた。私は死んでいて、何も聞きたくなかった。そして、私は何も知りたくなかった。"と主張した。彼女は、自分自身の死から生存することにより、多数の生存者の証言により運命と思われがちな表面的な残虐行為の結果を反省するよう我々に懇願する。言語的障害の形式もまた、彼らの生きられた生の中で継続的な瞬間の役割を記述するために存在する言語−確実に"苦しみ"のような易しい言葉ではない―ではない。
  
  Bessie K.の継続的な瞬間は、強制収容所では一般的な経験の一部である。それは、我々に馴染みのある時系列時間の視点から接近するために,異常なこともしくは精神的なトラウマのように思え、また彼女の歴史上の過去ではない。しかし彼女の継続する現在、およびそれ自体は忘れたものであり、忘れがたいものでもある。並列、あるいは類似であるとせずに、これは"死"であるという彼女の考えにおいて、病気やアクシデントによる喪失とは異なるため、話すことはできるが、共有されない。この記憶は彼女自身の記憶によって無効にするのではなく、彼女に定義された。このような期待は自身の健忘の必要性を裏切る。なぜなら彼女を治療したようなナラティヴは、我々の構成する一貫性、理性および道理、秩序と心理学のバランス、文明化した生に依存するからだ。このような証言は、犠牲の治療のために我々に勧められるべきではなく、文明化された神話の修正でもない。人間性は、もはや、あたかも人が標準であり、その他が治療可能な異常かのように非人間的な本質に反して設定することはできない。他者に重傷を負わせるか殺す暴行の形式―明確に自分の過失ではない―の中で残虐行為は、自己の病理学の表現というよりむしろ"一般的"になった。しかし我々に秩序本能とスピリチュアルな目的に関して古くからの前提を疑問に思うのに十分だった。力を誇示する中で残虐な行為は、我々が通常、慈善または愛の身振りに関連するものと類似的なある充足感をもたらす。過去から学習しない人々に関する退屈な決まり文句は、それを繰り返すために宣告されており、人間および歴史的な真実に向かい合うことに対して、我々の好む緩衝装置となる。恐らく、過去の残虐行為を認める時間は,失望させないが、事実上は未来へ残虐行為を招く。第一次世界大戦の殺戮スキャンダルからレーニン主義者政権とスターリン主義政権の無数の殺人へ、ホロコーストの無数の犠牲者はボスニアやルワンダの血なまぐさい無法行為へと、我々の時代の残虐行為は一時的なニュース項目の偶然の表明とともに意識に紛れ込む。我々は恐ろしいヴィジョンを喚起させる手掛かりを判読するのに失敗する。我々はこの無感覚を敏感にする方法を見つけることができるかどうか分からない(保護処分として他者の死の設定しない光景を回避するために我々は生きている)。しかし、ある有用性の始まりは逃亡がもたらさなかった生存から生命の死へ陥った者の声とともにあると私は確信している。困惑の起源は自身が強制収容所に登場することから始まった。
  
  ある生存者の語り[P.59]
  ビルナ(Vilna)の貧民街の一掃(liquidation)のある生存者(当時11歳)は、母親とともにリガ(ラトビア共和国の首都)近くのカイザーワルドへと送られた。かつて強制収容所で友人とした議論の種類について話す。
  
  あなたは、殺されることについてわずかのんびりとした雰囲気を得るでしょうね。我々が考えていた最初のころの目的は、常に、殺されることについてだったわ。私の一人の友達・・・カイザーワルドで我々は出会い、体験したの。彼女はリエバウ(Liebau)からやってきていた(リエバウからは多くの人がそこにやってきていた)、そして彼女と私は同じ年齢でそしてこんな会話をしていた、「ねぇ、どんな殺され方がいい?ガス室で?殴られて?飢餓で?それとも銃殺?」 そして彼女と私は同意した−銃殺が良いと。だから我々の会話は、我々が成長した時に何がしたいかというような、あなたが知っているような子どもの会話のような、私はこうなりたいだとか、私はあのようになりたいというような、未来に建設的なものではなかった。我々の望みは、我々の時間が来たときに、銃弾によって殺されることだった。だから我々は恐怖をあまり感じていなかった。
  これは死のストレスに対する反応の1つであるが、他の選択はありそうもなく、そして証言者は彼女の心の前の状態を正直に想い出している。焦点はより幸福になるための方法ではなく、より苦しまない方法であり、現代思潮において期待の逆転の重要性を確認する。最終的に、現実にまたは想像された死によって締めくくられるこれらの証言で、私が継続的な時間と呼ぶ最も劇的な例は、空想や幻想として想像されたものではないが、それは侵害せず、現在の状況に論理的に起因しているに違いないものの終りとして想像された(?)。
  
  ある男性の話[P.60]
  強制収容所から解放された後、彼はアメリカ合衆国へ来た。ここで彼は、存在の正常なパターンへ慣れようとした。しかし戦時中の彼の生活は不安定だったために、彼は彼の証言から明確に発生する未解決の葛藤の遺産を持ち続けた。5時間を超えて、彼の大規模な家族の1人以外すべての崩壊を調査することによって、その後、彼は不意に、結婚や新しい家族を始めることへの恐れを話し始める。"ひとつの家庭(a home)"と彼は言い、継続性に時系列が入り込む方法で彼のナラティヴは準備される。"あなたが失うなにかである(?)"。
  これは、ホロコーストのような残虐行為が近代的な現実の感覚に結びつく期待が反転する典型例である。それでもやはり、彼は仕事をみつけ、結婚した。彼は確実に妨げられない未来を得たが、我々がこの可能性を予期するのは生まれつきである。妨げられない未来は、過去に対する郷愁の一部である。彼は夢の中や目が覚めている時間中の明確な物理的反応でさえ強制収容所の世界に彼自身が出没するという免れられない死の運命を再現する。
  
  我々は家庭を持ち、我々自身が定着することで物事は良い方向に向かった。―しかし私にはいくつかの障害があった。私は一生懸命仕事をし、私自身を忘れようとした。過去を忘れようと。しかし私の頭の中の記録のようなものは甦った。我々が結婚した後も長い間―我々は既に打ち解けていて、物事は私に良い方向に向かっていた。私は一日中働き、勉強し、私自身を定着させて有利な立場を得ようとした。―夜はドイツ人と戦っていた。私は現実に戦っていた。そしてSS(Schutzstaffel:ナチス親衛隊)は、常に私の後ろにいて、私は母親と姉妹を救おうとしていた(アウシュヴィッツのガス攻撃から)。私は、建物から建物へ飛び降りていた。そして彼らは私を狙って銃を撃っていた。弾丸が私の心を通り抜けるごとに。そして私はベッドの上で夜であることを知らずに起き上がり、恐ろしくなる。あなた(彼の妻)はそれであなたにつらく当たることを知っている。彼女には厳しくしたに違いない。さらに我々は、それを扱う方法を知らなかった。私は信念を構成した…それを忘れて、1日中私のことをし続ける。そして夜には彼女が私を落ち着かせて、 "大丈夫、大丈夫。あなたはここにいる。心配ない"。
  と彼女が言い、私は弾丸が私の心を通り抜けるたびに起き上がって悲鳴を上げた。
  
  彼は仕事に戻ったが、彼の左腕は悪くなって痛み始めた。彼は自動車を運転することが難しくなり、ある日同僚が心臓発作の徴候を備えた彼を病院に連れて行ったが、物理的に悪い個所はなかった。
  
  自分自身の死、あるいは明確にあなたを殺す誰か他人の意図を再度構築する恐怖、あるいは強制収容所での継続的時間を挫折させる結論は、後日に完成形に達するのか?これらの多くの証言にテーマとして表面化する孤独,家族の一員が殺害されたことにより別離が結果として生じ、何らかの形で自分自身の死を伴うことで、人生のシナリオの内的な再構築に順番通り導かれる。ここで、媒介は必要性、抵抗、惰性と犠牲の交換に侵入する。ドイツ人と戦い、彼の母親と姉妹を救おうとすることによって、既に破滅した彼らの死を獲得する。しかし、彼の覚醒する生活はこれを妨害する。そして免れた運命に出会うことから彼は逃げたが、非常に多くの他者が、彼のナラティヴのサブテクストのような力を発揮し続けなかった。時間は、彼の進行中の生のテクストと彼の落ち着きのない過去のサブテクストの間にある隔たりを埋めることはなく、時系列と継続性間の不和であり、相容れないことでストレスを感じる。
  
  アウシュヴィッツ=ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau) の廃墟を保存する問題[P.62]
  仮に、アウシュヴィッツ=ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau) の廃墟を保存する問題に取り組む比較的最近のニューヨーク紙の記事によれば、その問題はさらに劇的になるだろう。大量殺戮の遺物は崩れつつあり、人間の頭髪やスーツケースそして義足などの山は、その場所にある際限のない処刑器具によって費やされた膨大な数の犠牲者を訪れた者に想像させ、茫然とさせる。アウシュヴィッツ(Aucshwitz)博物館の代理監督は,"最近ね"彼女は彼に伝える"多くの大虐殺の生存者が我々に連絡をしてきて、彼らの遺品がビルケナウ(Birkenau)に埋められていないか尋ねてくるのです・・・ビルケナウ(Birkenau)は墓地なのよ。"そして、彼女は付け加える"だけど誰も葬儀をすることのできない墓地ね。"
  さしあたり、それはアウシュヴィッツで死ぬことの"失われた運命(missed destiny)"が、どのようにして時を経てそこでの彼らの悲運を忘れた人々の記憶を攻撃し続けるか,無知の人である博物館職員は分からないのである。
  
  [P.62]
  George S.の証言とともに、それは多くの生存者に彼らの生活と他者の死を結びつけることを感じさせる1つの継続的な要求を反映している。これは、継続的時間の自然な流れ(smooth flow)が無いために、我々の意識の平穏を脅かすため最終的な期待の裏返しである。生き残った人々、そして生き残る事ができなかった人々の犠牲の経験は、(理解が)和解に至っていないことによる遺産が我々に遺されることによって、我々の未来を永久的に暗くする。時の経過は多くの傷を癒すが、この出来事はひとつの当惑や傷痕とは解離している。誰もがそのような苦しみに意味があること、それから学ばれる何かがあること、それが人間の残酷な行為の激しい苦しみのスピリチュアル的融合と呼ばれることによって最小化できるという幻想を放棄することを幸せだと思う者は誰もいない。
  我々は1つの時代に生きている。我々は、宗教と文学が教える我々が受ける苦しみの種類によって当惑しない時代に生きているが、しかし過去の伝統が受け入れるための準備をしていない、より小さくより大きな規模において残虐行為の光景によってそうなるのではない。すなわち個人で,または集団に基づいてもその犠牲を支援するいくつかの努力は、通常の慰めが当てはまらないかもしれないことを認めることによって始められなければならない。過去を忘れることと未来に勇気をもって直面することによって癒すことの努力は、人間の身体・精神そして魂における残虐行為の影響を理解できないことを示すだけかもしれない。ホロコースト証言をみること、もしくはとることは、屈辱的な経験である。あなたは混沌(カオス)から出るように命じることを創造すること、"シンドローム"と呼ばれる何かを体系化させることができる生存者の語りのパターンを発見する希望とともに始めるだろう。それから、あなたは、彼女が服を脱ぐという彼らの命令を拒み、強引な行為に抵抗して,頬を引っ掻いたためにSSによって火葬場で生きることから突き放された若きユダヤ人女性の話を聞くだろう。そして、突然人間の論理におけるあなたの信念は崩壊する。私は証言で聞いたような逸話に思いを巡らせることで自分の無力さに憤り、共有可能な記憶と集合的意識に関する私の仮定を改めた。我々は時系列の安全性を置き去りにすることで、残虐行為の後の生命が新しい統一の必要性ではなく、相互の愛よりむしろ相互の耐久性に基づいた私的と公的な形式であることに気づくことで我々は継続的な仮想世界に参入する。人道主義的な啓蒙が、救済や治療における我々のすべての努力は以前達成することを夢にみた理想郷以下ではあるが、教育と再生はこの洞察から成長しなければならない。


*作成:福田 茉莉
 UP:20080525 REV:20081001
感情/感情の社会学  ◇身体×世界:関連書籍 1990'  ◇BOOK
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