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『新・医師の世界――その社会学的分析』

中野 進 19961115 勁草書房,554p.


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■中野 進  19961115 『新・医師の世界――その社会学的分析』,勁草書房,554p. ISBN-10:4326700483 ISBN-13:978-4326700486 8000+ [amazon] [kinokuniya] ※

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好評を得た「医師の世界」(1976年)刊行から20年。医師の世界にどのような変化があったか。医師と大学,医師と学問社会,医師の組織,病院と社会等,変遷を踏まえた新稿。

■目次

序章 医療と人間―健康時代の医師と患者

第1章 医師の社会学的分析
 1 医師の生涯1―就業形態
 2 医師の生涯2―居住地・学位

第2章 医師と大学

 3 大学教授と出身大学
 4 大学と教授
 5 大学と関係病院
 6 大学医学部の誕生―京都帝国大学
 証言1 回想―医学部紛争

第3章 医師と学問社会
 7 学会総論
 8 学会各論
 9 学問社会における栄誉―エポニミー
 10 医師の中のキャリア

第4章 医師と社会
 11 医師と患者
 12 都市と救急医療制度
 13 マスメディアと医療の問題

第5章 医師の組織
 14 医師会と会員
 15 医師会と理事
 16 事例
 証言2 京都における革新医師グループ

第6章 病院と社会
 17 小病院と地域医療
 証言3 慢性疾患と病院・シンポジウム
 18 地域と医療機関
 19 疾病構造の変化と病院―”結核”をめぐる人と病院

第7章 民間病院の組織
 20 民間病院団体の誕生と発展
 21 私立病院協会の組織(事例)
 証言4 協会設立者の座談会’84

第8章 民間病院とその管理
 22 中小病院の苦闘小史
 23 病院管理(その1)
 24 病院管理(その2)
 25 病院と薬剤
 26 クスリの共同購入と病院の協業
 証言5 病院の活性化・シンポジウム

あとがき
基本的参考文献・資料
引用文献
初出一覧
人名索引
事項索引
NEW.THE WORLD OF PHYSICIANS

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▽0307
第5章 医師の組織
3.医師会の会長選挙'73
 16 事例


 京都府医師会の会長選挙1973 (昭48)――長島三郎と竹沢徳敬[123]
 京都府医師会の会長選挙は,2年ごとに会員直接投票によって行われている。この制度は1953年(昭28)に始まり,それ以前は代議員会による間接選挙であった。しかし実際には会長選挙の実施は数少ない。つまり次の5回である
1. (当)鈴本仙次郎と竹下加吉  1953年(昭28)
2. (当)入江栄一郎と富井清  1955年(昭30)
3. (当)富井清と相馬伴臣  1965年(昭40)
4. (当)長島三郎と竹沢徳敬  1973年(昭48)
5. (当)有馬弘毅と長島三郎  1979年(昭53)
 中野は1973年(昭48) 12月13日に行われた長島・竹沢選挙に強いかかわりをもった。そこで,この選挙を通して府医師会長選を観察する。

 奔流
 府医は富井清会長(62年・昭37-'67年・昭42)の京都市長に就任後,副会長桜井英徳(67年−'73年)が引き継いだ。富井会長は,京都府保険医医協会の前理事長であり,そのため富井会長時代は協会路線と府医路線とほぼ同一軌道を走ることとなった。また次の桜井執行部もその延長線上とみられた。その頃の府医は日常活動も活発であったが,医政面においても積極的であり,日医批判派とみられた。
 政治路線としては,蛾川虎三知事を全面的に支持する姿勢を示していた。このことは社会保険行政にも強い影響があった。国政や地方選挙においては府医の別の顔である医師連盟(1965年・昭40〜)が活躍していた. 1965年(昭40)参議院選では全エネルギーを一本化して大橋和孝氏を推薦し,その当選に大きな役割を果たす。このことは医師会自身が一本化して,国・自治体の選挙にかかわりを持つ大転換点となった。蛾川5選1966年(昭41),富井清市長選挙'67年(昭42)において,府医全体が政治の渦の中に巻き込まれた観を呈した。蛾川6選'70年(昭45),富井市長が病に倒れた後の船橋求己選挙(71年・昭46)には,更に強力な態勢を組んで突入した。次には蛾川7選(74年)を目前にみる時期となった。
 ちょうどその時, '73年(昭48)に府医会長選が行われた。桜井会長は病気で引退する。ここ数年間は無競争当選であったが,この時は府医副会長の長島三郎と私立病院協会会長の竹沢徳敬が立候補し,選挙戦となった。先に述ぺたごとく,医師連盟のみならず府医そのものが医政や選挙に乗り出していた状況は,当時の「京都医報」をみれぱ明らかである。
 選挙の多い(2月3月4月)京都医報をみると全頁のうち選挙情報に関するものは'58年(昭33) 1%, '62年 ▽0309 (昭37)1.4%, '66年(昭41) 42.7%, '70年(昭45) 46.1%となって表れる1).このように府医の雰囲気からみれば, 4ケ月後'74年(昭49)に迫る蜷川7選とし府医会長選挙との両者に"かかわり有り"とみるのは当然かもしれない。医師会外の政治的関心の強い人々の注目をもひくようになっていた。その結果府医会長選挙と直接には結ぴつかない"政治"とが,実際以上に強く結びつけられた.
 例えぱ,「京都府保険医新聞」'74年(昭49・1月19日号)の「放談」中, E氏が次のように語り,間題点をまとめている.
 "長島は「民主府市政の確立が重要」といい,竹沢は「現在の革新地方自治との関係の重要性をつよく認識」という言い方をしましたね.……長島氏・竹沢の決定的な相違点は,蜷川府政を支持するか,支持しないかの点だけと考えてもよいでしょう."

 2人の候補
 その選挙の結果は83.5%という高い投票率であり,長島三郎1,212票(58%),竹沢徳敬880票(42%)となって長島三郎が当選した。この選挙を通じて"医師会のあるぺき姿"に関する多くの問題点を学ぶことができた。選挙戦をめぐる問題に今少しふれてみる.
 '73年(昭48) 12月11日付の「医療新報」は,両者の経歴を次のように紹介している.
 長島氏は'66年(昭41)以来,府医副会長として活躍,現在は病気の会長に代わって会長職務を代理している。一方,竹沢氏は'49年(昭24)以来,府医代議員, '64 (昭39)以来京都私立病院協会の副会長・会長として活躍している.
 「選挙公報」によれば,いずれもが医師会・保険医協会理事を歴任するなど両者に共通する役員歴を見ることができる.
 しかし長島三郎は'56年(昭31)〜'73年(昭48)の間京都府保険協会理事, '58年(昭33)〜'66年(昭41)京都府医師会理事,その後副会長を経て会長職務代理となるなど一貫して府医執行機関を歩んでいる.これに比し,竹沢徳敬は'56年(昭31)〜'63年(昭38)府医理事, '54年(昭29)~ '62年(昭37)に保険医協 ▽0310 会理事・副理事長等を歴任しているのであるが, '64年(昭39)以以降は私立病院協会の副会長で,医師会では執行部をはずれたものであった.

 論争点
 竹沢候補――「明るい医師会をつくろう!」をメインスローガンとする.いくつかの文書のうちから彼の基本姿勢をみると,
 1)新しい息吹きをふきこみ,各自の自由な考えを交換できる場をっくる(「私の抱負」より)
 2)長島候補側の推薦ハガキ集め(全会員を対象に,記名捺印による支持表[…]


*作成:横田陽子 更新:三野 宏治 
UP:20080617 REV:20081204,20100713
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