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『俺は旅人――我、脳性マヒに生まれ・育って』
村上 清宣 19961130 法政出版,201p.
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■村上 清宣 19961130 『俺は旅人――我、脳性マヒに生まれ・育って』,法政出版,201p. ISBN-10:4894411318X ISBN-13:9784894411319
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■目次
ことのはじめに
第一部 我、脳性マヒに生まれ、育って
一、 ちょっとした流れの中で
二、 ウムッ!
三、 「家」
四、 オッギャー! ちょびっとな「脳性マヒ」
五、 それからの俺は ちょびっとな「オヤジのこと」
六、 だんだんと曲がって…そして
七、 急カーブの時
八、 浪速の空ものがたり
九、 何で俺だけが![咆哮の時]
十、 一瞬の安らぎ…そして ちょびっとな「オフクロのこと」
十一、何で生きるんや!何で生きとんや!何で生きなきゃならんのや!
十二、もうひとつの自分 ちょびっとな「初恋」
十三、一歩外へ ちょびっとな「ローハシャッハ・テスト」
十四、人生は旅、そしてドラマ ちょびっとな「T・A・Tテスト」 もうひとつ、おまけのちょびっとな
第二部 俺は児童指導員
俺は児童指導員
*俺は起床ラッパか
*俺は学校の先生か
*俺は心理屋か
*俺は秘密警察か
*俺は大工さんか
*俺は木彫屋さんか
*俺はお百姓さんか
*俺はサンスケか
*俺はミスターか
*俺は行事屋か
*俺はコンダクターか *俺はコミュニティオーガナイザーか
*俺はスカウトマスターか① ちょびっとな「こんな中での、俺の嫁さん」
*俺はスカウトマスターか②
*俺はカウンセラーか
*俺はレクリエーションワーカーか
*俺は環境整備屋か
*俺はピンチヒッターか
*俺は事務屋さんか
*俺はケースワーカーか
*結局、俺は「何でも屋」か
ちょっと人間というものを考えてみたい ちょびっとな「うねりを忘れるなよ」
より良い変化と己自身を求めて
「試み、ひとつ」
「教護理論って、何なんだ」
「自然の中で、風のように」
ことのおわりに
「青春とは、何や!」
読後感想…さらーっと、ガチーッと、ゴンベさんとのつきあい 大須賀 誠
読後感想…やぶにらみの村上観 語部不詳
読後感想…たびびとに贈る 三好 昇
■引用
入院して初めて、俺は自分自身の病名を知った。アテトーゼ(athetosis)当時は脳性マヒというものは、知る由もない。
病名などはどうでもよかった。とにかく、身体が治ればよかった。[…]脳低位手術。まったく、今考えたらゾッとするよ
うな手術だ。現在ではほとんど施行されないと聞く。[…]手動式のドリルで頭頂部に穴を掘るわけだが、人間の一等重要
な部分だけに局部麻酔でやる。だから、医者や看護婦の会話が全部まる聞こえ、「この子の頭蓋骨、厚いのね」ゴリゴリ、
ゴリッ!ゴリゴリ[…]痛い、痛くないの問題ではなく、身体が治る、治らないの問題であった。だから、手術の痛さ、苦
しさなんて一種の楽しさでさえあった。[…]手術の結果は、右半身不随という後遺症を残して四か月後に退院した。◎後
遺症を喜んでいた節がある。◎友人は俺より前に退院していた。◎ミカン畑が一枚、無くなっていた。◎後から聞いた話。
オヤジが泣いていた。「ワシの言うことを聞かんから、あんなかたわもんになるんじゃ」(村上[1996:52-55])
いよいよ大学生活。何よりも規則に縛られるのが嫌だった。[…]忘れられないのは、いわゆる“六〇年安保闘争”だ。
高校時代はどちらかと言えば学生運動を否定する立場、むしろ全く関心を持たなかった。ところが、入学すると同時に否応
もなくその波に巻き込まれた。[…]正直に、冷静に、当時を思い出してみるに、デモへの参加は新しい生活環境に適応す
るための一手段だったのではないかと思えて仕方がない。ただし、それは単なる自己防衛的行動ではなく、むしろ俺の成長
のために大きな意味があったと認識する。(村上[1996:87-88])
■著者
村上 清宣(むらかみ きよのぶ)
昭和14(1939)年10月15日、広島県因島市田熊町1115番地に生まれる。因島市立田熊小学校・同田熊中学校、尾道高等学校を経て、昭和39年3月・日本福祉大学を卒業。昭和39年6月・香川県職員になり香川県立ひかり整肢学園に配属。同時にボーイスカウト運動を始める。香川県立川部わかば学園を経て、現在香川県立川みどり園勤務。
■言及
*頁作成:
権藤 眞由美
UP: 20220825 REV:
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脳性麻痺
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